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【病院】ホラー2019

窓の外の泣き声

作者: 鷹野 進


「じゃーな、村田。退院したら、生還祝いで飲み会開いてやるよ」

「おう。楽しみにしとく」

 大学のツーリングサークルの仲間たちが病室を去ると、急にしんと辺りが静かになった。


 バイクで転倒。右足を骨折して、一週間の入院。ツイてない。


 窓際のベッド、それも二階の病室なので、外の景色がよく見える。ガラス越しに、木々の新緑が風に吹かれて揺れていた。木陰の下を、ネコが歩いている。


 空は青く、晴れ渡っている。

 絶好のツーリング日和だ。きっと、オレの見舞いに来た仲間たちはバイクだろう。初夏の風の中を走る。うらやましい。


 病室に目を戻せば、右足に真っ白いギプス。ため息が出た。ベッドが三つ空いた、人気のない室内は、意外なほど広く感じる。


 廊下から、松葉杖をつく音がした。

 コツ、コツ、コツ、とゆっくり近づいて来る。


「はい。お疲れさまでした、寺井さん」

 女の看護師に付き添われて、小柄なおじいさんが姿を現した。オレの隣のベッドに腰掛ける。


「お帰んなさい」

「ふー、疲れた」

 七十九歳と言っていたが、驚くほど元気だ。

 看護師は寺井さんをベッドに寝かせ、松葉杖をサイドテーブルに立て掛けると、出て行った。

 相部屋の住人は、今のところ、オレと寺井さんだけだった。


「村田くんは、動けんで、つまらんじゃろ」

 ベッドのリクライニングを起こした状態で、寺井さんは笑う。

 初対面は偏屈じいさんかと思ったが、話して見れば気さくな人だ。

 自宅で転んで、左足首にヒビが入ったらしい。高齢だから、リハビリに時間が掛かると医者に言われた、とのこと。


「さすがに昨日担ぎこまれて、今日動き回れませんて」

「なぁに、若いんじゃから、明日にはピンピンしてるさ。それに、昼間に動かんと夜眠れなくなるから、気い付けな」






 寺井さんの言う通りだった。

 夜の消灯時間を過ぎても、一向に眠気はやってこない。蛍光塗料が塗られた、時計の針を読めば、午前二時。


 サイドライトで、昼間に仲間たちが置いていった、マンガでも読もうかと思ったが、寝ている寺井さんに気兼ねして実行できなかった。

 カーテンで仕切られていたとしても、明かりは届いてしまうかもしれない。高齢者は、眠りが浅いと聞いたことがある。もし起こしてしまったら、申し訳ない。


 古典的な方法で笑ってしまうが、羊を数えることにした。


 窓側へ寝返りを打ち、瞼を閉じる。

 草原と、柵と、羊を脳裏に思い浮かべる。

 メエーと鳴きながら、羊が柵を飛び越える場面を想像する。


 羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……。

 メエーと、羊が柵を飛び越える。


 ……羊が十匹……ひつじが十三匹……。

 ……ひつじが二十六ひき……ひつじがさんじゅう……。


 浅い眠りは、唐突に遮られた。

 はっと目を開ければ、暗闇に天井が見えた。

 泣き声が、聞こえる。

 

 おああぁぁぁああん。

 おああぁぁぁああん。


 血の気が引いた。

 窓の外で、赤ん坊が泣いている。


 おああぁぁぁああん。

 おああぁぁぁああん。


 夜闇に響く泣き声に、体が震える。初夏なのに、得体の知れない寒気を背筋に感じた。ぞくぞくする。

 仕切りのカーテンをまくって、窓の外を確認する勇気は、ない。

 

 おああぁぁぁああん。

 おああぁぁぁああん。


 泣き声は、止まない。


 おああぁぁぁああん。

 おああぁぁぁああん。


 ――そうだ、ナースコール!

 閃きが頭の中を走った。

 手探りで枕元を探す。長いコードが指に触れた。あった。良かった。コードの先をたどれば、丸いボタン。

 いざ押そうとして、耳を疑った。


 にああぁぁぁああん。

 にああぁぁぁああん。


 その、鳴き声。

 昼間に見た、風景を思い出した。風に吹かれる新緑の木々、その下を歩く――。


 ネコ。


 脱力し、シーツに沈んだ。ナースコールから手を離す。

 初夏はネコたちの発情期だ。赤ん坊のような声で鳴くと、ツーリングサークルの誰かが言っていた。


 おああぁぁぁああん。

 にああぁぁぁああん。


 怯えていた自分が馬鹿らしくなった。安堵したせいか、瞼が重くなる。

 そのまま、沈むように意識が途切れた。






 人々のざわめきで、目が覚めた。

 何やら、病院内が騒がしい。

 体を起こして、仕切りのカーテンを開ける。


「ああ、やあっと起きたか」

 松葉杖をついて、寺井さんが相部屋に入って来た。オレよりもとっくに起きて、歩き回っていたようだ。


「……なんか、あったんすか」

 松葉杖をつきながら、寺井さんがゆっくりとオレのベッドに近づく。傍らのパイプ椅子に座って、声をひそめて言った。


「……死体が見つかったんじゃよ」

 耳元で、あの、なき声が蘇る。

「それって、ネコの死体っすか?」

「馬鹿言っちゃいけない!」

 顔をしかめて、寺井さんは身を乗り出した。


「赤ん坊の、死体じゃ」

「えっ」


 寺井さんが窓へ視線を投げた。朝なのに、何故かカーテンが引かれたままだ。

「窓の外の、木の下に、捨てられていたそうじゃ」


 じゃあ、あの、声は。

 発情期のネコではなく、本物の、赤ん坊の、声。


 体が震えた。カチカチと、歯が鳴る。

「おい、村田くん! どうした!」

 血相を変えた寺井さんが、オレの肩に手を置く。その皺くちゃで、細く、シミの浮いた、それでも確かな体温に、言葉を絞り出す。


「てててて、寺井、さん。オレ、昨日の、夜。あああ赤ん坊の、泣き声を、聞きました」

 寺井さんの目が、大きく見開かれた。


「てっきり、ネコだと、思って。この時期、発情して、鳴くじゃ、ないですか。オレも最初は、赤ん坊だと思ったんです。でも、やっぱり、ネコで。にゃああんって、鳴いていたんです。絶対、そうです」


「しっかりしなさい、村田くん!」

 寺井さんの怒鳴り声が腹に響いた。


「いいか、よく聞け。看護師から聞き出した話じゃ」

 強張った表情で、寺井さんは言った。


「見つかった赤ん坊には、臍の緒がついていた。生後すぐ、死んだらしい」





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― 新着の感想 ―
[一言] 猫の声、たしかに子どもとか赤子のようにきこえますねよ。 ほんのりとした怖さの残る作品でした。
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