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「なんだあ~?」
巨大な爆発音を聞いた男は本を片手に背もたれの広い椅子から立ち上がる。この男の名はトマス・ウォルトン、シェルフィールド駐屯軍総司令官だ。しかし総司令官と言ってもシェルフィールド領内にいる間はそのシェルフィールドの領主、ホーランデルス卿に最高指揮権が移るため、事実上の副司令官となる。
本を片手に持ち丸型の眼鏡をかけ、髪のない頭を窓から弱々しく差し込む夕陽に照らされながら、ウォルトンはその窓から外の様子を窺った。陽の光に当てられ瞼を少し下ろす。いつもより外にいる人の数が多いが、特段変わったところはない。
どっかの馬鹿が何かやらかしただけでまあ大丈夫だろう、という選択肢に落ち着いたウォルトンは再び椅子に座ろうとした直後、物々しい足音が廊下から聞こえ始め、やがてウォルトンがいる部屋の前で止まった。
コンコンコン‼
荒々しいノックが三回響く。
「どうした?」
手に持った本をそばにある机の上に置きながらウォルトンは扉に向かって返事をする。
「大変ですウォルトン将軍!」
その返事を聞き終わらずに勢い良く扉を開けた鎧を着ていない軽装の兵士は、ずっと走ってきたのか息を切らしながらウォルトンに叫ぶように言った。
「さっきの音か?」
「はい。——来賓用の屋敷が燃えています」
「なにィ⁉」
ウォルトンは目の玉が飛び出そうなほど大きく目を見開いた。
「なんで燃えた?」
「詳細はまだ……」
顔を近づけ迫りくるウォルトンに対して兵士はやや引き気味で返す。
「まあいい。とにかく消せ!非番の兵士も叩き起こして水路からありったけ水を汲んで来い!あっと中に人は?」
「ホーランデルス卿を含め多数の人がまだ……」
——そういえば客が来ていると言っていたな。領主殺しはまずい
眉をひそめ考える素振りを見せたウォルトンは再び兵士に向き直る。
「打ち壊しは無しだ!わかったな?」
「はッ」
「打ち壊しは無しだぞ!」
「はッ」
「とにかく水を持って来い!絶対に他の建物に燃え移らせるな‼」
「はッ」
くどくどしい命令を聞き終えた兵士は、走りながら部屋を後にする。
「はぁ~ホーランデルス、火の始末でも怠ったかぁ?」
火事というのは別に珍しい事ではない。「ウェールズの災いは、愚か者の深酒と頻繫に起きる火事」とどこかの権力者も言っていたように、一回起きた火事が記憶から自然と消えるまでには、次の新しい火事が起きるほどよくあることだ。
そのため、当然ながらウォルトンはそれほどこの火事を重要視していない。自分の上司であるホーランデルス卿の、そして今現在ホーランデルス卿がいる屋敷が燃えたという点では驚いてはいるが、今年で六十一を迎えるウォルトンの人生において火事というものは、死の危険性はあるが所詮はすぐに収まる事、言わば盗賊との小競り合いと同じ程度としか思っていないのだ。
大きくため息をつきながらそうこぼしたウォルトンは、自分がわざわざ出向くまでの緊急性は無いと踏み、先程までしていた読書を再開しようと机に置いた本を手に持つと、椅子に腰掛けようと椅子に背を向けたその矢先、再び物々しい足音が廊下から聞こえた。
もしかしてとウォルトンが怪訝そうな表情を浮かべながら思ったのも束の間、予想通りその足音はウォルトンのいる部屋の前で止まる。
「はぁ~」
ウォルトンは大きくため息をつきながら手に持った本を渋々机の上に戻すと、やがて聞こえてきた三回のノックの音に渋々返事をした。
「なんだぁ?」
「失礼しますウォルトン将軍!」
ついさっき来た兵士と同じ格好、そしてほぼ同じ挙動で勢い良く扉を開けた別の兵士は、同じく息を切らしながら、しかし叫ぶとはいかないまでの声量でウォルトンに言う。
「火事のことならもう」
「いえ、その……」
内心ではさっさと読書に戻りたいと思っていたウォルトンだが、兵士の得も言えぬ様子を見て少々不安になり尋ねた。
「どうした?」
「——空に……文字が……」
兵士の口から出た意味不明な発言に呆れつつ、ウォルトンは酒気帯びを疑った。
「空にぃ?お前酔っぱらってんのか?」
「いえ……私は……」
困り顔の兵士はそれを否定しようとするが、それを掻き消すかのようにウォルトンは続ける。
「夜間警備だとしても仕事に差し支えるようなことはだな」
「いえ!」
勇気を出して大きく声を上げ自らの上司であるウォルトンの話を遮った兵士は、その声に若干目を丸くしたウォルトンと合った目線を逸らしながら小声で続ける。
「……酒は飲んでいませんし」
「そうか?」
「自分は特区北門の昼間警備の任に就いていますので……とにかく来ていただけないでしょうか?」
その言葉に嫌々ながらもとりあえず応じたウォルトンは、兵士に連れられ屋外へと出た。
やや離れた後方で煙が上がっているのを余所に二人は、西から差し込む夕陽に焼かれオレンジ色に彩られた雲と、東から迫り来る暗闇が花紺青に彩った雲が泳ぐ空を見上げた。
「あれです」
強張った顔でそういいながら兵士が指を差した、二つの色の雲が混じる中間地点に見えたのは、青くやや光を放っているような線で描かれた文字の羅列だった。
「ん~?」
ウォルトンは掛けていた眼鏡を外すと、裸眼の状態で目を細めて訝しげにその文字の羅列を視認する。
「——なッ⁉」
ウォルトンは細めていた目をはち切れんばかりに見開いた。
The Magia empire declare war against Walesaria
「宣戦布告だと……」
その単調な文字の羅列は、味気無く現実味も無い代物だったがしかし、確かにそれは人々の生活を壊し、日常を非日常に変える戦争の始まりの鐘。マギア帝国が行ったウェルザリアに対しての宣戦布告だった。




