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「わー!たのしかったー!」
満足そうに笑みを浮かべた子供はソファに座る父親の元へ飛ぶように駆け寄った。
抱き着く子供の頭を撫でてあやしながら父親はこちらに向くと、申し訳なさそうに口を開いた。
「すいません、こんなことに付き合ってもらって……」
「いえ。この情勢ですから修練相手もいませんし良い運動になりましたよ」
先程まで打ち合っていた小さな木剣を机に置き、そのままジランはソファに座る。
「サミー。兵士様にお礼は?」
「ありがとう!」
子供は満足そうに笑顔をこちらに向けそう告げた。
その無垢な笑みを見ていると自分も昔はこんなに純真だったのかなどと思ってしまうほどだ。
「どういたしまして。それじゃあそのお礼として昨日の夜君がどんなことを見たか教えてくれるかな?」
「うんいいよ!えーっとねえ。うーんと……」
勢い良く元気に頷いた後、両手を頬に当て考え出す。しかし、しばらくもしない内に子供は口を開いた。
「わすれちゃった」
首を傾げ悪びれる様子もなく言い放ったその言葉を聞いた父親とジラン両者は啞然とし、若干の静けさが室内を包んだ。だがそれも束の間、焦りを隠し切れない表情で父親は子供の方を向きこの沈黙を掻き消した。
「忘れちゃったってサミー。昨日の夜のことだよ?」
「うん」
「よーく思い出して。覚えてるはずだから」
「うん」
諭す父親に頷きながら今度は口に出しながら子供は考え出した。
「えーっとおおきなおとがしてパパといっしょにおうちをでて……あっ!」
そこで何か思い出したのか子供は声を上げる。
「けむりがでてたよ!おおどおりのほうで」
「そうだね。煙が上がっていたね」
自信満々でこちらを向いているが、欲しい情報はそんな誰もが見た光景の事ではない。重要なのは昨日ジランたちが雷の魔導士と戦っていたあの状況を見られたかどうか。さらに言うならジランが第三階位以上の魔法を使った場面を見たかどうかということだ。
「他には何か見たことはないかい?」
内心この子供が何を見ていたかどうかで焦っているジランだが、逸る気持ちを抑えながら穏やかに尋ねた。
「うーんあとはおっきなおとがした。ドカーンって」
「そうか」
両手いっぱいを広げて表現するその姿は愛らしいのだが、これといって明確な情報ではない。そもそも子供に明確なものを期待すること自体馬鹿馬鹿しい事なのかもしれないが、それでも自分の先の事がかかっているため、目撃者がいたかどうかをはっきりさせなければならないジランは子供の発言を隣で不安そうに聞いていた父親に話しかける。
「聞くのが遅くなりましたが」
「あっ、はい」
「サミュエルさんは昨日の夜大通りで爆発があった時間帯はどうされていましたか?」
「えっと、そのときはちょうどサミーと二人で食事を食べ終わった後で、大きな音が複数回して……で、その後外に出たら大通りの方に兵士の方々が走って行くのが見えたので危ないと思って家の中に戻りましたね」
おどおどした様子ではあるが、状況説明は具体的だ。
「その時サミーくんは?」
「いっしょにいたよ!」
二人の顔を行ったり来たり見ながら話を聞いていた子供が、ここぞとばかりに元気に割って入ってくる。
「はい一緒にいました。なのでサミーが私の見た以外の何かを見たとは考えにくいと思っていたんですけど……」
それに続けて父親もジランの質問に答える。
「ではお二人は家の中にいたということですね」
「そうですね」
父親は頷いた。
「ちなみにご自宅はどのあたりですか?」
「北区の西側のやや大通り寄りです」
「わかりました」
——昨日俺たちが雷の魔導士と戦闘をしたのは北区反対東側の小さな広場。ならこの二人に何かを見られたという事は考えにくい
この子供が昨日の雷の魔導士との戦闘に関する何かを見た可能性はほぼ無いに等しいというその事実に、胸の荷が一気にほどけたジランは綻ぶ顔を再度引き締め念には念の最後の質問を子供にした。
「サミーくん、もう他に何か見たことはないかい?」
「んー、わかんない」
首を傾げそう答えるのを聞き終えたジランは父親の方に向き直る。
「わかりました。人の記憶なんてものは曖昧ですからね。上には勘違いだったと報告しておきます」
「そうですか。本当に申し訳ございません、いろいろと……」
父親は深々と頭を下げた。
「いえこちらこそお手間を取らせました」
——今回は子供の勘違いで事なきを得たが、もし他の目撃者が現れれば次はどうなる。見間違いや記憶違いで済まなかったら……
「それでは兵士様、失礼いたします」
「おにいちゃんばいばい」
父親に手を引かれながら空いた右手で手を振る子供に軽く手を振った後、ふと机に目をやると木剣が忘れられているのに気付いた。
ジランはその木剣を手に取ると、閉まりかけた扉のドアノブを掴み廊下を歩き始めた親子二人を呼び止めた。
「サミーくん忘れものだよ」
「ん?」
子供は不思議そうにこちらに振り返るが、ジランが持っているそれを見て自分が木剣を忘れていることに気付いたようだ
「あっ、けん!」
「はいどうぞ」
柄の部分を前にして子供に木剣を渡す。
「ありがとうおにいちゃん」
「度々すいません、ありがとうございます」
「いえ大丈夫ですよ。それでは」
その後父親は会釈、子供は笑顔で手を振りながら共にこの部屋を後にした。




