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リベリアーク  作者: イノリ・ガハラ
三人の関係
20/24

18

「師匠。おはようございます」

壁に設置された剣掛けに横向きに置かれている、黒い鞘に収まった一本の剣の前で両膝をつき座したジランは、哀愁の眼でそれに言葉をかけた。


昨夜の魔導士との戦闘の後、疲弊しきった体に鞭を打ち三人が帰ってきたのは学院の寮ではなくシェルフィールド東区外れにある一軒家、三人からは師匠の家と呼ばれている場所だった。


家の内装は貴族の家と比べれば劣るがそれでも三人で使うには十分なもので、まず四方のカスタード色の壁のうち、西向きの玄関から入ってすぐ右の小窓の付いた壁沿いには台所と食器棚、そこから少し空間を空けて照明器具を中央に置いた木製の食卓と同じく木製の椅子が四つ置かれている。


南側には台所寄りに赤茶色の暖炉が設置され冬でも暖を取ることは可能で、また同じ壁沿いにある裏口の扉を開ければ吹きさらしの廊下があり、ここから外にも出ることが出来る。


部屋の奥、東側の壁際にはこの家の簡素な内装とはややそぐわない高級感漂うベージュの花柄のソファが、その上の窓から零れる日差しに照らされ両端の肘掛けの外骨格の部分が輝き、他の家具とは一線を置いた神々しさを放っている。


窓の付いていない北側の壁には剣一つ分の壁掛けが作られ、黒い鞘に納まった一本の剣を横向きに、その隣には同じく黒い鞘に納まったしかし横幅はやや細めな剣と、いつも学院へ行く際に身につけ光の魔導士の命を絶った茶色い鞘の剣、計二本が縦に並び置かれている。


そして同じ壁沿いにある階段を上がった二階には、北側を除く三方に光を取り入れるための大きな窓が、南側と東側の壁の隅には書き物をするための簡素な机と椅子、その手前には少し古びたベッドが二つ置かれており、そこでフィーナとアラーシュは就寝していた。


「フィーナとアラーシュはまだ起きてこないですね」

黒い鞘に収まった剣に微笑みかけながらそう囁く。


ジランの目の前に掛けられた剣、そしてこの家はもともとジランの師匠であるシェルヴェスタ・フィードのものだった。シェルヴェスタはジランの父、セオドア・ルクスギルフの部下であり武人で、そしてフィーナとアラーシュ、そしてジランの剣の師であった。


幼少期はよくこの家にアラーシュとフィーナと来て一緒に剣を教えてもらったり、ご飯を食べたり、遊んだり、様々な色濃い時を過ごしていた。それはジランにとって何よりも大切でどんな時よりも充実した時間だった。しかし訳あって師匠はもうこの世にはいない。今は師匠が従事していたルクスギルフ家、もといジランの父セオドアが所有しており、その関係上師匠がいなくなった今でもジランたち三人の集合場所となっている。


師匠への挨拶を終えたジランは立ち上がり机の方へ歩み寄ると、そこに並べられているシンプルなデザインの白い皿の上に二つずつのせられた硬そうなパンに目をやった。


それはなんとも質素な朝ご飯。しかし致し方ない。なぜならこの場所で集まる時は毎回予め食材を持ち寄っているのだが、昨日フィーナとアラーシュが買った食材は今、修剣学院の寮に置いてきてしまっているため料理の腕を振るうことが出来ないのだ。


この家にあったのは辛うじて備蓄されていた少量の干し肉と、昨日の夜中フィーナの付き人がやってきた時に申し訳なさそうに渡していったこのパンのみ。一等貴族である主人への差し入れにパンを、それも白パンではなく質の悪いライ麦パンを渡す時の気持ちはさぞ心苦しいだろう。などとフィーナの付き人の灰心喪気な顔を思い出しながら、ジランは袋に入った残りのパンを取り出すと、師匠の剣が掛けてある場所のすぐ下にある小さな机の上の皿に置く。


すると二階から物音が聞こえた。それはやがて階段が軋む音へと変わる。寝惚け眼をこすり、あくびをしながら降りて来たのはフィーナとアラーシュだ。背の高さは随分変わったが、昔はいつもこの光景を見ていた。


「おはよう」

力の入っていない声でそう言ったアラーシュはジランに向かって軽く手を挙げる。


「ああ」

それを見たジランは四つある椅子の一つに座る。


続けてアラーシュはジランの斜め右の席に座り、フィーナは何も言わずにジランの正面に座った。二人ともいつもの席だ。


あとは師匠がいれば……と右隣の空いた席に目をやりながら、思い出に浸りかけたジランだったがすぐに現実に戻ると、二人を見て揚々と口を開く。


「さぁお食べください二人とも。ジラン・ルクスギルフ料理長の特製絶品料理でございます」

「ふふっ、ただのパンじゃないか」

「仕方ないだろ、食材は全部寮に置いてきてるんだしさ」

軽い冗談を交わしながらアラーシュはパンを手に取る。


かなり空腹だったのだろうか、話す二人を余所にフィーナはパンに食らいついていた。


実に美味しそうに食べるその姿を見て、二人も空腹を意識し始めパンに食らいつく。だが硬い。噛みちぎるのは難しく、食いついたまま手で思いっきり引っ張ってようやく一口サイズにちぎれた。とはいえジャムもバターもつけていないただのパン、味なんてものはなく乾燥しているため口の中の水分も奪われる。


「ポタージュさえ作れたらまだましだったな…」

「そうだね、まあ僕はこれでも全然いいけど」


アラーシュは平民出身であるためこういう食べ物は慣れている。しかし……


ジランその横で黙々と食べ続けているフィーナに目を向けた。


フィーナは貴族。食事の際に出てくるパンはこんな硬いライ麦パンではなく、ふわふわの柔らかい白パンだ。師匠と四人で食卓を囲んでいた頃は、ライ麦パンを食べたことも少なくはないが、身分が身分なだけに口に合うか少し心配になる。


フィーナは昔から食欲旺盛で必ず一回はおかわりをするほどだったため、当時はそんな華奢な体のどこに詰め込むのだと疑問に思うこともまだあったが、今となってはもうそれが当たり前のことだ。とはいえ、いつも刺々しいフィーナが何かを食べている時は可愛らしい女の子に変わる様子はいつ見ても面白い。


そうしていると、早くも二つのパンを食べ切ったフィーナが口を開いた。


「おかわり」

「師匠のところに二個あるから取ってこいよ」

澄まし顔でおかわりを言うフィーナもまた面白いと思いながら、少し微笑みジランは返答すると、フィーナは立ち上がり早足で取りに行く。


——戦争が始まったっていうのに変わらないな

いつも通りのフィーナを見てジランは少し安心する。


昨日の夜。雷の魔導士との戦闘後、命辛々疲れ果てて師匠の家に逃げ帰ってきた三人は、そのすぐ後に訪ねてきたフィーナの付き人から、宣戦布告を含めた現在ウェルザリアが置かれている状況やそれに対しての対応。そして今、現状最前線となるこのシェルフィールドから避難するための馬車が今日の昼と夜に用意されていることを聞いた。


宣戦布告。ウェルザリアという国の立ち位置を客観的に考えれば、別にいつそうなってもあまり不思議ではなかった。しかしその行為をまさか、自分が生きている時代に本当に体験することになるとは正直思ってもみなかった。


人殺し、略奪、その他非人道的な行為が正当化され、勝利した側が無条件に正義という冠を手にすることになる理不尽の象徴。それがすぐ目の前まで迫ってきているというのに全くその実感が湧かない。


昨夜、敵国であるマギアの魔導士と殺し合い、命のやり取りをしたのは事実。死が目の前にあるという感覚と、人間もまたただの動物であるということを思い知らせるように直接本能へと届くような、今までにない恐怖が全身にこびりついた人生で一番長い数十分を体験した。


けれど実感は湧かない。あれだけのことがあっても、今こうしてフィーナとアラーシュの二人と三人で朝食を食べているこの優しい空間にいるだけで、また明日もいつも通りの日々が待っているんじゃないかとさえ思ってしまう。


でもまあ人の心、環境や状況の変化に対する気持ちの持ちようなんてそんなものなのかもしれない。唐突に自分の置かれている環境が変わったとしても、いきなりそれに適応出来る人なんてそうはいないだろう。


徐々に徐々に、繰り返して慣れてまた繰り返して、時間をかけてその環境に馴染んでいく。しかし戦争になれるというのはいかがなものだろうか。いや、その前に慣れる時間があるのだろうか。


宣戦布告をしてきた敵国マギア帝国は高度な魔法技術を有し、魔法を国家の主軸としている国。対して俺たちウェルザリアは第三階位以上の魔法を制限し、未だ剣という鉄の塊を振り回して戦う国家。


軍事力の差など比べるまでも無く、圧倒的な力を前にしてウェルザリアが何か出来るのかと問われれば答えるまでも無い。国を当てに出来ない。大人も。貴族も。だから自分たちの事は自分で何とかする。そのために……


すると今度はアラーシュが口を開いた。


「ジラン聞いてもいいかい?」

そう言ったアラーシュの表情は神妙な面持ちだ。


「なんだ?」

しかしジランは何食わぬ顔で返す。


「昨日のさ……その、あの魔法は」

「ああ、第二階位を超えているだろうな」

アラーシュを少し遮るようにジランは返した。


「——だよね…」

小さく呟くとそのまま黙り込む。


——第三階位以上の魔法の使用が意味するのは死罪。ウェルザリア人なら誰でも知っている。俺たち三人は特にそうだ、なぜなら…


「大丈夫よ」

パンを二つ手に抱え戻ってきたフィーナがこの沈黙を破った。


「何がだよ」

「私がなんとかするわ」

「なんとかって、何だよ」

「お父様にお願いすれば」

「——そうやって誰かに頼った結果、師匠がどうなったのか忘れたのかよ」

「……」

ジランは少し苛立ちを含ませた声をフィーナにぶつけた。


重たい空気が三人のいる空間を満たす。三人でいる時にこんな空気になったのは七年前以来かもしれない。師匠が死んで、みんなばらばらになって、何もかもが冷めた世界。また同じ繰り返しなのか。いや違う、抗うと決めた。でも二人を巻き込みたくはない。だから


ジランは軽く笑みを作り直すと、どんよりとした空気を払いのけるように口を開いた。

「なあ知ってるか?知らないのは無いのと同じなんだよ」

「え?」

呆気に取られているアラーシュを余所にジランは続ける。


「あそこには俺たち以外誰もいなかっただろ。誰も見ていない。知らない。つまり俺が魔法を使ったという事実は無い」

「う、うん。まあそれもそうかもしれないけど……」

ジランの屁理屈じみた理論に戸惑っているアラーシュの横から、フィーナが口を開く。


「大勢の人が特区の方に逃げてきていたわ。軍や国の人間に見られてはいなくても、私たちが気が付かなかっただけで、民間人に見られている可能性は十分あると思う」

言い終わるとフィーナはパンを一口かじる。


「そんな余裕ないだろ。みんな自分のことで精一杯だったろうし」

「そうかもしれないけど」

「それに昼には第一便の馬車が出るんだろ?二人は早く行かないと」

「——なんで二人なのかしら?」

フィーナは食べかけのパンを皿に置くと、ジランをじっと見つめて聞いた。


「俺は家の用事があるからさ」

「そんなこと、今は後回しでもいいでしょう」

「心配するなよ。二人とは時間をずらすだけだからさ、夜の便もあるんだし」

「…………そう」

少しの間の後フィーナは小さく呟く。


「夜の便で追いかけて来るのよね?」

「ああ」

「本当よね?」

「ああ」

何度も念を押すフィーナを安心させるためにジランは笑顔で答えた。その裏にある罪悪感を隠しながら。



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