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ジランが視認した三度目の轟雷。それは荷馬車直撃の軌道からは故意に外れ、四輪ある車輪のうちの右後ろの車輪を破壊したのち、右前の車輪も破壊した。車体は右やや後ろに傾く。
その直後、轟雷の音に驚いた二頭の馬は暴れ、急に左に曲がった。右後ろの車輪が完全に破壊されたことによって右に傾いている荷馬車は左に引っ張る力によって大きく左車輪を上げ、フィーナとアラーシュは荷馬車の幌に突っ込み、ジランは外へと投げ出される。そのまま荷馬車は横転し、横滑りした後しばらくして止まった。
「ぬわッ」
左腕から落ち三回転したジランはうつ伏せになりながら、石片で切った傷に加え落下の衝撃を一番に受けた左腕を抑える。やがて、破壊され散らばった荷馬車の破片が燃料となって燃え出し、辺りを仄かに照らし始めた
フィーナとアラーシュは荷馬車の天井部分となる幌が緩衝材となって軽傷で済んだのは不幸中の幸いだろう。しかし、ジランたちはまだ不幸の渦中にある。逃げる足を絶たれ、前方には雷の魔導士。三人にとってこの状況はまさに最悪の状況だった。
ズパァァァァァァァァン‼
ゆっくりとこちらに歩いてくる雷の魔導士は、起き上がろうと鳴きもがいている二頭の馬に対して無慈悲に止めを刺す。詠唱無しで放たれた轟雷は二頭の馬の頭部を完全に消滅させ、色褪せた白色の幌を赤く染めた。
「おいお~い、まだ死んでないよなァ?」
二頭の馬の死体からジランに視線を変える雷の魔導士のその目は、言葉にせずとも次はお前の番だぞと言っているようなものだ。
——死ぬのか
死という事実がくっきりと脳裏に浮かぶ。
——何もできずに
ジランは首を動かし右後ろの荷馬車を見る。横転した荷馬車の中で起き上がろうとしているフィーナとアラーシュの姿があった。
この世界で心の底から信頼できる数少ない存在。そして、自分の命に代えても守りたいと思う存在。しかし何もできない
——力が無いから
巨大な力に屈し、ただ地面に這いつくばる自分の無力さ。そして魔法という圧倒的力を振りかざし、殺される覚悟も無く一方的に弱者を殺す雷の魔導士の行為への怒りが湧き上がる。
——クッ‼
地面に両手をつき体を起こす。
——力ッ……せめてあいつらと対等に戦える……力さえあればッッッ‼
喉の渇きが限界まで達した旅人にように、腹を空かし切った獣のように、そう強く願ったジランは自分のすぐ傍に落ちている物の存在に気付く。
それは屋敷で倒れていたマギア人と思われる男から渡された、歪な形のペンダントだった。
あの男が言っていた意味。このペンダントを渡した理由。詠唱無しでの魔法の発動。そして雷の魔導士の首にも同じようなペンダントが下げられていたこと。
これらの情報を整理すれば、一つではないにしろ確実にいくつかの事実には辿り着く。辿り着くはずなのに、思考が止まる。これ以上進まない。ただ視界に入れた瞬間からあのペンダントから目が離せず、気付けば何かに導かれるように無意識に手を伸ばしていた。
右手の指先がひんやりとした冷たさが伝わる。
“reject”
「ッ⁉」
無造作に地面に転がるペンダントに触れたその時、大きく心臓が鼓動したと同時に意識の混濁、めまい、そして全ての思考が瞬時に吹き飛ばされ真っ白になった頭の中にrejectという黒い文字が強引に浮かび上がり刻まれた。
——なんだ……
神秘的なのか病気的なのか、どちらとも判断し難い不思議な体験。死が間近に迫った状況で精神状態おかしくなってしまったのか。それともこのペンダントが何か悪い夢でも見せているのか。やがて頭の中は様々な思考が巡り始め、真っ白になった世界に線が刻まれていく。
“トナエロ”
再び心臓が大きく鼓動し、意識に重い衝撃が走る。そして頭の中に刻まれる文字。
“シネナイリユウガアルノナラ”
——死ねない理由……
その文字の羅列に、心の奥底の黒い靄が徐々に上がってくる。
——ああ、あるさ。あるに決まっている
全身が熱を帯びる。
——詫びさせたい人間がいる。裁きを下したい人間がいる!守りたい人がいる‼
右手でペンダントを握りしめたジランは手足に精一杯力を入れ、右にふらつきながら立ち上がった。思考もままならず、目の前に迫りくる死から逃れる手段も模索出来ていない状態でのこの行為は、ジラン自身もどうしてそうしたのかわからなかった。
ただ湧き上がる何か、感情とは少し違う何かに操られるように流されただけの無意識の行動。それを目にした雷の魔導士はまだ距離はあるが立ち止まり、口を大きく横に伸ばし満面の笑みを浮かべて言った。
「さあ~立ち上がったあなたは一体何をするのかなぁ?命を乞うのかァ、はたまたその鈍で抗うのかァ」
「……」
ジランは顔を伏せた状態で立ち尽くす。
「無視かなァ?」
心臓の鼓動に合わせて、頭の中に“reject” “トナエロ” “シネナイリユウガアルノナラ”
この三つの文言が転々と刻まれ続ける。まるで死へと誘う運命のカウントダウンのように。
「おいお~いィ」
雷の魔導士は手を振って見せた。
「……」
しかしジランは何の反応も示さない。
「ちっ、つまんねェ~なァ!」
「……」
次第に心臓の鼓動が速くなる。
「まあ魔力はたっぷりあるんだァ」
「……」
それに合わせて三つの文言も速く強く刻まれる。
「ならせめて盛大に弾け飛んで」
「……」
「死ねよォォォォォォ‼」
雷の魔導士は叫びながら勢い良く右手を突き出す。それに合わせ最後の警告のように心臓が大きく跳ねた。
そしてジランは口にする。抗いの言葉を。
「…………reject」