第二話 学校と彼らの週末
校門をくぐり、悠人たちは周囲の生徒たちと同じように目の先にある大きな校舎の入り口に向かう。二本の大きな柱に支えられた三角屋根の玄関で入り口の方は開放的なガラス張りになっている。中に入ると金属製の靴箱がいくつも並んでおり、悠人たちはは自分の靴箱へ向かうと靴を入れて上履きに履き替える。そして彼らの教室がある2階へと足を進める。朝と言うだけ合って周りは非常に騒がしい。昨日のテレビの内容について話す者、先生から頼まれたのか大量の書類を手に持ち忙しそうに走り回る生徒など様々だ。
それを横目で見ながら悠人たちは2階に上ると教室に入る。その中も廊下などと似たようなものであちこちで集まってはそれぞれの話題について話している。そんな中でも特に見知った顔が合った。悠人はそこに向かうと声をかける。
「おう、芦沢に香坂、おはよう」
そう声をかけると二人は視線を悠人に向ける。一人は眼鏡をかけ、目に掛かるくらいまで髪が伸びている。瞳の先端は少しつり上がっており、自信に満ちあふれたようなそんな表情をしている。
もう一人はうなずじの辺りで綺麗に切りそろえられたショートヘアに、強気でどこか意地の悪そうな光を放つ小悪魔的な薄茶色の瞳を持つ女だ。
「おう、おはよう天城」
「おはよう、天城君。今日もいつも通りだね。絵理菜さんもおはよう!」
と、悠人とに返すと同時に女は絵理菜にも声をかける。
「うむ、二人ともおはよう。ところで芦沢に香坂よ、二人で何の話をして追ったのじゃ?」
「ああ、そのことかい?何、ちょっとした賭け事さ」
絵理菜の問いに男、芦沢高広はそう答え、もう一人の女、香坂紗妃にアイコンタクトを送る。それを見て紗妃も口を開いた。
「そーそー、その結果で今日昼をどちらが奢るかというのをやっていたのよ」
「なんじゃ、そんな賭け事をやっていたのか。しかし、人に許可も取らずに賭け事をやるとは関心せぬな。で、一体どんな賭け事だったのだ?」
「ふふーん、簡単よ。今日の朝、天城君が絵理菜さんに甘えるかどうかってことよ」
「そうだ、そのために僕たちは先立つ一週間前からこれを準備してきて、そして今日その結果がわか――ああああああああああ!」
突然の芦沢の悲鳴にクラスの視線が集まる。そこで彼らが見たのは芦沢の顔に自らの右手を押し当て、そして握り潰さんとする悠人の姿だった。
「ほう、そうか。じゃあ俺はお前らのくだらない賭け事のために、あのとき町中で奇異の視線を向けられる羽目になったと言うことか」
「あだだだだだだ、ちょ、ちょっと待ってくれ天城!違うんだ、これに僕か勝てばお前にも賞金が入るんだよ!」
そう言って芦沢は苦しそうに悠人の腕をタップしているが悠人は力を弱めることはない。
「そうそう。で、結果はどうだった?」
一方で目の前で芦沢が制裁を受けているがそれに構わず香坂は悠人に問いかける。その問いに顔だけ向けた悠人は何当たり前のことを聞くんだと言わんばかりに真顔で答える。
「結果?抱きつかずにそのままだったが?」
「よっしゃー、私の勝ちー!昼食は天城君と芦沢の奢りー!」
「負けてんじゃねーか!しかも何で俺まで奢ることになってんだ!」
「え、ちょっと待って、話とちがああああああああ!」
悠人の指の力がさらに強くなり芦沢の叫びのビートもさらに上がる。
ちなみにすでに他のクラスメイトはそれから興味を失って自分たちの会話に戻っている。つまり彼らにとってこの光景はいつもの事なのだ。
「はぁ。これ悠人、そのぐらいにしてやれ」
と、その光景に見かねたのか絵理菜が悠人をたしなめるように言うと、悠人は若干不服そうな表情でゆっくりと芦沢の顔を離す。芦沢は顔を手で押さえながらその場に座り込む。
「ハアハア、た、助かったよ絵理菜ちゃん。君なら必ず僕を助けてくれると・・・」
「今はもうホームルームの時間が近いからそこまでの制裁が出来ないであろう?今するよりも昼食時間や放課後にじっくりとやる方がこやつに良い制裁加えられるだろう」
「ああ、確かにそうだな」
「僕の女神が一転して邪悪な邪神に!」
キラキラと輝くような笑顔で自分にとって最悪な提案をする絵理菜に、芦沢は登っていた蜘蛛の糸をあと一歩のところで切られたような絶望感に襲われる。そんな彼を絵理菜は侮蔑の視線を込めながら見る。
「当然であろう。悠人の小遣いは元々は我が家の生活費からでておる。そしてその生活費はお父様とお母様が汗水出して働いて作っているもの。悠人がそれをそのような下世話なものに使われるのは許せぬのじゃ。だが・・・」
と、絵理菜は一呼吸置き、
「大方今のは紗妃の冗談であろう?先ほどの芦沢の言葉から察するにそう考えられるが?」
そう言って絵理菜はため息一つつくと、香坂の方を見る。視線を向けられた香坂は乾いた笑顔を作る。
「あはは、当たり。ごめんね天城君、ちょっと驚かせたいと思ってね」
「そうだったのか。そうなら俺は別に構わないさ」
香坂が顔の前で手を合わせて申し訳なさそうに目元を緩めながらそう言うと、悠人も表情を緩めてそう答える。
「そっか、ありがと」
「あのー、香坂?ひどい目に遭った僕には何かないのかな?」
「そうね、ごめんごめん。代わりに今日は私が昼食を奢ってあげるからそれで機嫌直して、ね?」
「仕方ない。それで手を打とう」
「何で少し嬉しそうなんだよ」
と、若干嬉しそうな顔で答える芦沢に悠人はそう問いかける。しかし、彼はフッと口角を小さくあげる事で返答する。彼の心境としては戦に負けて勝負に勝ったという心境だろうか。彼にとっては最終的に昼食を奢ってもらうという目的さえ果たせれば良いのだろうと悠人は心の中で思った。とは言え、それが残りの二人にも伝わっているようで香坂はため息を、絵理菜は苦笑いを浮かべていた。
そんな中、悠人の視線にある人影が入ってくる。それは教室の後ろの扉からゆっくりと入ってきた。
それは腰の辺りにまで届きそうな長く、そして遠目でも分かる程に手入れが行き届いた艶やかな黒髪。その表情は何の感情も伴っていない真顔の状態で印象としては日本人形が一番近いだろう。そんな彼女はゆっくりと歩いて窓際にある自らの席に座ると首を外に向けて景色を眺め始めた。
「どうしたんだ天城?綾瀬さんのことが気になるのか?」
そんな彼女を追っていた悠人に芦沢が声をかけた。
「いや、ちょっとな」
「な、何じゃ悠人!?もしかしてお前はあのような女が好みなのか!?」
と、驚愕と裏切られたという表情で絵理菜が悠人が詰め寄る。それを悠人はたしなめるように片手で押さえる。
「ちげーよバカ。珍しく教室に入ってくる姿が見られたからだ。ほら、あいつってホームルームの時にはいつの間にか席に着いているだろう?だから珍しいなと思ってな」
「あー、確かに。その時まで全く姿が見えないのに、先生が入ってきて出席を取るときにはすでに座っているもんねー。確かに珍しい」
と四人全員で彼女を見る。そんな彼女はその視線に気づいていないのか、じっと窓の外を見ていた。
「綾瀬結奈。身長162センチ。バスト、体重などは不明。その物腰柔らかな動きと容姿から男子に人気がある。特にいつの間にかいなくなって、いつの間にか現れるミステリアスな雰囲気が人気と言われているね。ただ、声をかけようとしても先ほどの行動から誰も声をかけられた者はいないらしい」
「何だそりゃ。あいつは幽霊か何かか?」
「実際そういう噂もある。綾瀬結奈は僕らのクラスに取り憑いた実体化した幽霊だ、って噂だ。でも実体化した幽霊って一体何だろうね。それはもはや幽霊っていえるのかな。とにかく僕が持っている情報はそれだけだね。本当に謎の人だよ」
「なるほどね。しかし女好きで有名な芦沢の情報でそこまでしかないとなると本当に謎の人物なんだな」
「あの、女好きっていうのやめてくれないかな?僕は単なる探究心で調べているだけで・・・」
「でも女のことは好きなんじゃろ?」
と絵理菜が言った瞬間、芦沢の顔つきが変わる。目も見開き危ない目をし始めた。
「当たり前だ!女の子が好きじゃない男がどこにいる!そして女の子を知るために調べて何が悪い!」
「あんたの場合、その情報が行き過ぎていることがあるのよ。いい加減に自覚しなさい」
そう心底呆れた様子で香坂が言ったとき、毎日聞き慣れたチャイムが鳴り響く。それと同時に教室に担任の教師が入ってくる。
「ほら、ホームルームを始めるぞー。さっさと席に着けー」
その言葉に生徒たちはそれぞれに話題を中止しそれぞれの席に着いていく、無論、悠人たちも同様だった。それぞれが席に着くため移動を始める中、悠人はチラッと綾瀬に向かって視線を向ける。その動きは変わらず、窓の外をじっと見ていた。
(実体化した幽霊ね。あの姿を見ているとあながち間違っていないように思えるな。しかしそれにしてもいつの間にかいなくなる・・・か)
そんなことを考えながら悠人は席についた。
**
時間は流れ、放課後の出来事だった。空が赤く染まり帰宅する人が増え始める頃、悠人と絵理菜の姿は朝倉市の商店街にあった。大型商業施設の出店に伴いシャッターが下りているところもあるが、まだまだ多くの店舗が生き残っている。多くの主婦がそこを行き交っている中、悠人たちはそれに混ざるように歩いてる。
「で、何を買うんだ?とりあえず肉でも買いに行くのか?」
「うーん、それも考えたがとりあえず野菜からだな。ちょうど八百屋も近いからの」
彼らがここに来たのは会話の通り、食材を買うためである。一週間に一回、放課後にこうして商店街に来ているのだ。
絵理菜は目的の店に着くやいなや買うべき野菜の元に行くと、一個一個手に取っては大きさや品質、値段を見ていく。そして良いと思ったものを手に取っては次の野菜に移る。そして目的のものを集めたらレジに向かい支払いを終える。その動きに迷いはなく、それが終わると次の店に向かう。
(相変わらず早いな。ていうか完全に主婦の動きだよな・・・)
無駄なものは買わず、必要な物を一気に考えてすぐさま行動を移していく。そのキビキビした動きに悠人は感心したようにそう呟いた。
買い物が終わり次の場所に向かっている最中、悠人は学園で見た綾瀬のことを考えていた。噂の中で実体化した幽霊と呼ばれている彼女は一体何者なのだろうか、と彼は考える。
「どうしたのだ、悠人?何か考え事か?」
視線を下げ難しい顔をしてる悠人に絵理菜が首を傾げながらそう問いかける。
「いや、今日の朝に見た綾瀬のことでちょっと・・・」
「ああ、あの女か。私も気にはなっていた。確か話しかけようとしたらいなくなり、そしていつの間にか戻っていたと言うものだったな。だが、普通はそんなことはあり得ない。目の前にいる人間をいきなり見失うなんてことはな」
「そうだ。で、俺が思ったのは綾瀬は『認識阻害』の魔法、もしくはそれに近い何かを使ったんじゃないか?」
認識阻害の魔法。それは名前の通り他人から認識される事を阻害する魔法である。これを使用すると他人に自分を認識させることが出来なくなる。つまり目の前で使用すれば突然消えたかのような印象を与えることが出来る。しかし、実際に体が透明になるわけではないため、カメラなどの機器を通してみると簡単に認識できるという弱点が存在する。
悠人は彼女に関する噂がそれによく似ているため、それを使っているのではないのかと思ったのだ。その意見に絵理菜も首を縦に振り肯定する。
「うむ、確かにそれを使えば姿が見えなくなるという理由がつく。では何のためにそれを使ったと言うことだが・・・。やはりなるべく自分の存在を隠したいのだろうか。いやそれならなぜ普段使っていない?」
彼らからして見れば、その使い方は明らかに間違っていた。そもそも認識阻害の魔法は誰かに知られたくない、または見られたくないという時に使ういわば隠密の魔法なのだ。そしてそれは目的を達成するまでの間は常に使用しておくようなものである。綾瀬のそれは明らかにセオリーを大きく外れているように思えた。
「どのみち分かるのはあいつが俺たちと同じような人種だと言うことだな。そういえばあいつ、いつからあの学園にいたんだ?俺、今まで見たことがないんだけどな」
「私もだ。もしかしたら今街で起こっている問題に対処するためにどこかの組織から送り込まれてきたのかもしれぬな・・・」
「ああ・・・」
悠人たちの脳裏に浮かぶのは朝テレビでやっていた今街を騒がしている変死事件だ。現在の彼らの見立てではあれは普通の事件ではないと考えている。そもそも朝普通に生活していた人が夜にいきなり衰弱して死ぬなど絶対に考えられないからだ。となれば何らかの力によってそれが行われているとなればそれを調査するために人員が送られてくることは当然のことだろう。
「どのみち私たちには関係ない。それよりも悠人、今日は週末であるがいつもの修練はするのかの?」
「ん?いや、さすがに今の時期にやるのはまずいんじゃないか?もし綾瀬のヤツがその・・・なんかで間違ってみてしまったらどうするんだ?」
「うーん、いや大丈夫じゃろう。そもそも私が作る結界は大きく、かつ強力なものだからのう。あの程度の者に気づかれるようなものは使っておらぬ。だから心配はしなくてもよい。それに心配だったらいつものように屋根伝いに行かずに近くまで歩いて行けば良い。認識阻害の魔法も使っての。これでどうじゃ?」
「お前がそう言うなら。じゃあ今日も頼むな」
「うむ、任せよ。さてそれよりも先に食料を手に入れなければな」
「そうだな」
と、ニッと笑いながら言う絵理菜に笑い返しながら悠人もそう答えた。
**
朝倉市の郊外、そこにはまだ開発の手が及んでいない山があった。その山には多くの針葉樹が存在しており、秋には紅葉によって山全体が絵の具を落としたような色鮮やかな色に変わるため、多くの観光客が訪れている。
この地が今だ開発されていないのはまだ周辺に多くの土地が残されているためである。またすでに住宅地となっているところも再開発によって再び多くの建物が建築されているためである。そのためこの地を開発する理由も、そしてそんな余裕などはなかった。また、観光資源として定着した場所を開発するわけには行かないという理由もあった。しかし、紅葉を見る観光客のためにある程度の道は整備されていた。
そんな場所を夜という視界の悪い中、電灯の一つもつけずに歩いて進む悠人と絵理菜の姿があった。彼らは昼間来ていた制服姿ではなく私服に変わっていた。
悠人は上にTシャツと下にジーパンの軽装で腰ベルトには木刀が刺さっている。絵理菜はというと黒を基調としたドレスと紫色のマントであり、この世界に着たときと同じ服装だった。
彼らはある程度上に上がると道から逸れて森の中に入っていく。そしてしばらく進むと大きく開けた場所に辿り着いた。そこには一本も木が立っておらず、広がるのは月に照らされて輝く緑の絨毯が広がっていた。
「ふう、ついたの。全くいつものようにここまで飛んできた方が早いのに歩いてくることになろうとはな」
「仕方がないだろう。綾瀬の件もあるから余計な事に巻き込まれないようにしないと、だろ。もし見つかったら面倒なことになる事は確かだからな」
「分かっておる。では早速始めるか」
そう言うと絵理菜は悠人の前に出ると一呼吸を置き、足下に魔方陣を展開させた。
「我が魂に宿る漆黒の魔力よ。我が真の名、エリナ・クラリス・デュナスティアより命ず。今こそ暗黒の力を解放し、この地を黒く染め上げよ!」
そう絵理菜が声を上げた瞬間、彼女を中心にドーム状の魔方陣が広がっていく。その魔方陣にはあちこちに数々の図形を組み合わせた小さな陣がいくつも浮いており、その内側にはこの世界の文字とは全く違うものが描かれていた。それがそして直径100メートルほどになるとそこで固定された。
「うむ、認識阻害の魔法発動完了じゃな」
「そうか。しかし今日はどうしたんだ?今まで詠唱なんて聴いたことがなかったが?しかも魔方陣も微妙に違っていたし・・・」
「ああ、詠唱の方はかっこいいと思ったから試しに言ってみただけだ。あんな詠唱を戦場でのんきに言っておれば良い的よ。あと魔方陣の方は単なるデザインのみの変更だ。いまいちあの形は好きではなかったからの」
「そんな理由だったのかよ・・・。もっと何か意味のあるものだと思った」
思ったよりもくだらない理由だと思った悠人は視線を絵理菜から外し、ため息をつく。それが気に入らなかったのだろう。絵理菜は悠人に詰め寄った。
「そんなとは何じゃ、そんなとは!いいか、かっこいいというのは大事な要素なのじゃ。かっこいいと思わせることが出来れば相手を魅了することも出来るかも知れないではないか!あとデザインというのも大事なのだ、そこを疎かにしては良い魔法など出来ないではないか!」
「分かった分かった。お前がデザインにとにかくうるさいのはよく分かったよ。じゃあそろそろ始めても良いか?」
そう言って悠人はベルトに刺していた木刀を抜くと絵理菜見せるように上げる。それを見て絵理菜は顔を膨らませ、視線をそらし不服そうな表情を見せる。
「むう、仕方がないのう。この話は後にするとしよう」
そう言うと絵理菜は悠人から離れていき30メートルほどの距離を取ると悠人に向かって体を振り向かせる。
「悠人よ、いつでも良いぞ!」
そう絵理菜が叫ぶように悠人に向かって声を発する。それを聞いて悠人は木刀を右手にしっかりと持ち直すと、目を瞑る。すると彼の体から白色と黒色の粒子が発生し始める。それは彼の体を包み込むように広がると、何かの形を取るように動いていく。やがてそこに現れたのは黒色の袴に上から白一色の羽織を重ね着した服装に替わっていた。そして彼の持っていた木刀は白く染まり、刃に当たるところからは粒子のようなものが発生していた。
その変化に絵理菜は満足げに微笑む。そして次の瞬間には目尻を上げ、獲物を見つけた獰猛な獣のようにニヤリと笑った。
「それじゃ、行くぞ元魔王!」
「来るが良い、元勇者!」
それを合図に悠人は地面を蹴り、常人では考えられない速度で絵理菜に斬りかかっていった。