僕がヒトの世界を捨てた日 9
メガネの奥にある、視線はレザの前で広がる面妖な雑誌に向いている。
「そういう貴方も?」
「えぇ。怖いもの見たさというか、興味があってですね」
メガネの男はそう言ってから、足元の鞄に腕を突っ込む。鼻先から顎元へと通る綺麗なEラインが特徴の横顔、白くしなやかに伸びる首筋。絡みつくやや眺めのつややかな黒髪。
メガネの男のその仕草に、レザは何処かエロティックに思え、何故かドキリとした。そうしている間にも、男は特徴的なロゴをした雑誌を取り出した。レザの机の前にある、モノ好き向けの雑誌と同じ出版社の物だ。
「リース=セイヴンと言います。いやぁ、同じ趣味を語れる相手が居て、すごく嬉しくてですね」
ハッハッハとご機嫌にメガネの男は笑った。同じ趣味って嬉しくなるのもの分かるが、ちょっと調べ物のために借りただけだしっと早急に言い放ちたかったが、切り出す間も無くリースは口を開く。
「いやぁ、人という社会性の垣根を超えてまでタブーを侵す人間の情緒! ゾクゾクしませんか? 人として生まれ持ったその時点で大多数は無条件で持つ"守られる権利"のその内側から、わざわざ外へと踏み外す。それも、地位や守る物もありながら──」
雄弁に語るメガネに、レザは引きつった笑いを浮かべる。よっぽど嬉しかったのだろうという反面、内心早く終わらないか、と周囲に視線を配る。
「あ、あれって?」
遠くから、耳に響く黄色い声が場違いに響く。短いスカートを穿いた、場違いな風貌の頭と尻の軽そうな女子生徒だ。ブレザーを見る限り中等部、レザと同学年のようだ。
「え? レザ? レザさんですよね?」
「え、あはい」
「マジ? ヤバイじゃん! アイツ首筋から蹴りでぶった切ったって奴でしょ?」
女性生徒らはレザの周囲に寄り、質問攻めを行う。自身に興味という感情を向けられることに慣れないレザはしどろもどろし、その光景にメガネの男リースが笑みを受かべている。
「いやぁほんと強いんですね! ちょっと力を借りたいかなぁ? って」
「あ、いや。た、偶々だよ。ほんと」
「偶然でもあんな事できるのも実力の内みたいなもんですよ! 今度法術について教えてもらってもいいですか!? 良い感じに落ち着いた喫茶店知ってるんですよ! そこで」
「は、ははは」
苦笑いをしながらも、レザは彼女らの対応に拒否を示した。胸の前で平手を作るレザの姿を見て、リースは鼻の下に指を添えて目を細める。
それから数分をした後、時計を見てから女子達は帰っていった。残る男二人に、周囲の勉学に集中したい生徒らは怪訝な視線を向ける。或いは、年頃の男女が戯れ合う光景を気に入らないか。
「どうして断るんです?」
「え?」
リースの言葉に、レザが硬直する。言葉を放った本人は、手元の雑誌に視線を落としながらも、相変わらずの笑みを浮かべている。
「前提として、これから言うことは悪気があって言っているんじゃない。ただの推測だ」
「……」
「見た所、君は異性とのコミュニケーションが……いや、他者とのソレが苦手な人に見える。それでありながらも、一般的な十代男子の感性も持ち合わせている、ごく普通なスタンダードな人間……暇つぶしとして、あの娘達の勝手に乗ってやるものそう悪い話ではない。スクールライフを送る上で、異性の知人が居るかどうかの存在は大きい」
「……僕のようなつまらない人間じゃ、ボロが出る。もっと遊びに慣れた人らと時間を送るべきだ。変に時間を使わせたら、それこそ僕は嫌だな。迷惑をかけたくない」
「──本当にそうですか?」
リースが雑誌を閉じると伴に、その視線をレザの眼球に移す。思わず生唾を呑むレザ。
「自尊心も自己評価も、そう低いわけじゃない。勿論、低いのかもしれないが命に影響するほど、それは鋭くない。君の背後にある情緒は、言うならば──警戒だ」
「警戒?」
「ああ、あの娘らだけではない。急激に名前を上げるほどに成長し、この目まぐるしい状況の変化を起こした因果めいた"何者か"に対する警戒──」
脳天を貫通する、不可視の何かをレザは感じた。自分がこうして、素人ながらでも知恵を求めて奔走する自分自身を、目の前のメガネの男は確かな輪郭を持って言葉で表現しているからだ。自分がこうして、慣れない図書館に足を運んだのも、女子生徒の声援を拒んだのも。
「なんだか、乗せられてるみたいな?」
「それは?」
「僕が調子に乗ることそれ自体に何か意味があるのじゃないか──って」
レザの放つ言葉に、二人の空間は時を止める。その秒針を先に動かしたのは、リースの苦笑だった。
「ひねくれていますね」
「自分でもそう思う」
「まあ、でも確かに。慎重なことは悪くないと思います」
雑誌を荷物として鞄に仕舞うと、リースは席を立った。
「ごゆっくり、レザ=クラノス」
そう言い放って、出入り口に向かう男の背中に、レザの視線の焦点は離れなかった。ゆっくりとまぶたを狭めて、口元を手で覆う。思考を巡らせる時の癖を行う。