プロローグ~いかにして彼女は無職となったのか~
――昨晩、ネットで自慰用に良さげな性具を探していたら、ついつい夜を明かしてしまいまして。そういうことってよくあるでしょう? なんとなく読み始めたマンガが止まらないとか。十分だけと思ってゲームの電源つけたらあっという間に四時間たってるとか。それとだいたい同じ……あ、いえ、反省はしてます。本当です。だからクビだけは勘弁してくださいマジで。頼みますよ店長。
それが埜阿頼寧々の、通算二十八回目となる無断欠勤の言い訳だった。
続けて寧々は昨今の大人のオモチャがいかに劇的な進化を遂げているかを説明していった。
人々の心をわしづかむ斬新な形状。
狂気すらにじむような秀逸な宣伝文句。
十九歳ひとり暮らしフリーター女の、ストレスフルな荒んだ生活にローターは欠かせない。
なんなら店長にひとつ貸したっていい。すぐに蠱惑的な震動のとりことなるはずだ……。
言うだけ言って、寧々は店長の顔色をうかがう。
最善は尽くした。
これでダメなら諦めるしかない。
とはいえ、勝算はあった。
店長こと剛元信光六十四歳は、これまで実に二十七回もの無断欠勤を許してきた傑物である。二十八回目だって許してくれるはずだ。そうでなければおかしい、とすら寧々は思う。
案の定、剛元は優しげな声色で言うのだ。
「……なるほど、フリーターも大変なんだな。ま、安心しな。悪いようにはしねぇからさ」
微笑む剛元を見て、寧々も自然と微笑み返す。
「では店長」
「あぁ、今日でフリーターなんて卒業させてやる」
「……ということは、まさか私を」
「あぁ、その通りだ」
剛元は再び笑う。会心の笑みだ。勤続四ヶ月、こんな笑みは初めて見る。
「今日からお前は……ただの無職だ」
それは事実上のクビ宣告であった。
「待ってください店長」
「待てねぇ。俺はこれまで二十七回待った。二十七回だぞ!? これ以上は我慢の限界だ!」
吼えたてる剛元。
しかし寧々はひるまない。
この程度のピンチ、今まで何度もくぐり抜けてきたのだ。
「……確かに店長は二十七回も私の罪を許してきました。それはとても素晴らしいことです。ですが……だからこそ、その大記録をここで終わらせてはいけない。そう思います」
「……はぁ? 相変わらずわけわかんねぇこと言いやがって」
「まぁ聞いてください。一般に、仏の顔も三度まで、と言います。あの慈悲深きお釈迦様ですら、三度までしか許せない。しかし店長はこれまで二十七回も私のサボりに目をつむってきました」
「お、おぉ。……仏?」
「つまり、店長は今、ちょうど仏の九倍凄い、ということです。そして今回も私を許せば二十八回……。あとたったの二回で三十の大台に乗ります。この意味が分かりますか?」
寧々の淡々とした口調に、しだいに熱が籠もり始める。
剛元は前のめりになって寧々の話に食いついている。
チャンスだ。
寧々はとどめとばかりに言い放つ。
「店長は、あとすこしで御仏の十倍凄い男になれます。十倍ですよ十倍。決してこの機を逃すべきではない。断言します」
「……」
剛元は腕を組み、瞑想する僧のようにそっと目を閉じた。
「おまえの言いたいことは、よ~くわかった」
「さすが店長、賢明なお方です。では、クビは取り消し――」
「おまえは少なくともあと二回、仕事をブッチする気満々ってことだな」
そう来たか。寧々は唇を噛む。
それは盲点だった。
当然これからもサボりまくる気でいたし、だからつい、サボることを前提にしてしまっていた。
「クビだ」
「あの」
「クビだ」
こうして、埜阿頼寧々、花の十九歳は、フリーターから無職へと華麗な転身を遂げたのである。
○
薄暗い六畳一間に寧々は舞い戻る。
憂鬱な気分だった。
「……いい職場だったのにな」
小料理屋『剛元』は、人の出入りが極端にすくない店だった。客がひとりも来ない、なんてこともザラにある。そんな日は厨房の奥でぼーっとしてればいい。
剛元はそんな店の状態を憂いて、寧々を看板娘にするのだと息巻いていた。
が、ぱっと見で中学生、よくよく見ても高校生にしか見えない寧々が働いているのも異様な光景で、怪しげな雰囲気を感じ取った客は早々に退散していくのが常だった。
店内はいつも静かで、寧々にとっては、これ以上ない天職だった。
天職だったのに。
「うぅ、せっかくサボってバイト代を浮かしてやったというのに。私の親切がわからんとは……」
八つ当たりのようにボヤく。
もちろんそんなつもりは毛頭なく、ただ面倒だから行かなかった、というだけなのだが。
「あー、次のバイト探すのだるいなー……」
こうなったら埋蔵金でも探したいところだが、どうもアレは発掘者の取り分は微々たるものらしい。宝くじは当たる気がしない。株を買うには元手が足りない。
だからといって、地道に働くのも性に合わない。
ろくでもない人間だとは自覚している。
「……いや、私か世の中か、どちらかがろくでなしなのだ。一方的に決めつけられるいわれはない。ないぞ」
冷蔵庫の中身を開けると空だ。缶ビールの一本もない。
本来なら酒でも買って飲み明かしたいところだが、どうせ年齢確認に引っかかるのでハナから諦めている。
まぁ、金がないというのが一番の理由ではあるが。
「しかたない、奈那を呼ぶか」
唯一の友人を召喚すべく、PCを立ち上げ、メールソフトを起動する。
「……お?」
すでに一通のメールが届いていた。
相手はもちろん奈々からだ。
文面は例のごとく簡潔だった。
『To:寧々
From:奈那
ツチノコ狩りに行こうぜ。
賞金三百万だってさ!』
「……ツチノコ?」
PCの前で、そっと小首を傾げる。
「…………ツチノコ??」
奴はどこまで本気なのか、と考えて、すぐに思い直す。
奈那はいつだって本気なのだ。
それはもうどうしようもないくらいに。
しばし、逡巡して。
寧々は次のように返信した。
『To:奈那
From:寧々
おうよ。
ツチノコ捕まえて一発当てようぜ!
PS.当方無職になりました』
「……ま、ツチノコ云々はともかく。これで当座の飯は心配しなくていいだろ。きっと奈々が食わせてくれるだろうし」
そう。寧々はいつだって本気ではないのだ。
それはもう、どうしようもないくらいに。