「芸」
今回はお笑い芸人について論じてみようと思う。具体的な芸人の名前を出して論ずるのは後にして、まず「お笑い」について私が考えていることを発表しよう。
テレビに出ている芸人(落語家さんも一応含む)には「見せ物」としてのお笑いがある。それは簡単に言えば、面白いかどうかとしての「お笑い」の見世物や、おしゃべりのテクニックの「格好良さ」としての見世物である。つまり、それを『芸』であるとしよう。つまりテレビのお笑いタレントは『芸』というものが人気を左右させたり、それが評価の軸を設定させたりしているというのが、私の個人的な「笑い」においての論であるのだ。
笑いは『芸』であるという個人的な論はもう終わりにして、今度は私の「芸人論」について語りだそう。私が好きな「芸人」というのはただ単に面白いかどうかに掛かっているわけではない。私が魅力だなと思う「芸人」というのは人間性によるものが大きい。たとえば、「生真面目さ」や「やさしさ」などの人格がそうだ。
例えば、元DonDokoDonのぐっさんこと山口智充であります。この人の人格は素晴らしいものだということはテレビを見ている皆さんにもお分かりになるだろうと思います。この人はすでに「面白いお笑いかどうか」という評価の軸で自分を売ってはいません。まさに人間性で売っているのです。
そして、人間性でもう一人挙げるとするなら、ピン芸人の松村邦洋。こいつはザコキャラで売っている芸人なのですが、謙虚な言動やそれにともなうしぐさなどが得意であるらしいのだ。まさに心が美しい芸人だということも言えると思う。出川哲朗はその点、品が悪いのであまり期待できない。
ダウンタウン松本のことは以前に『松本人志をもって自分を語る、遺書』という作品でテーマにして書いたことがあるので、もしどうしてもお暇なら読んで頂きたいです。若い頃は彼ほど頭のかしこい人はいないとよく思ったものです。しかし、ここ十年ぐらいは低迷しているとしか思えないと断定しても別にいいんじゃないかと思いますね。
最後に最も敬愛している芸人さんを一人挙げます。それはアホの坂田です。彼ほど真の「アホ」を突きつめた人はいないんじゃないかと思われます。そこがお笑いの「思想性」を生んでいるのではと思うのです。そもそも「アホ」というのは面白いと考えます。そこには謙虚な姿勢が垣間見られるからです。この人はまさに芸能界のドンであってほしいと願わなければなりません。この人こそ、人間性もお笑いも兼ねそなえた『芸』の達人、つまりは神様でいらっしゃるのです。
かくいう私も「アホ」を性質として保持しているのかも知れませんが、だからこそ謙虚でいられるというわけです。