幻想への案内人
暗闇の中に洋灯が一つだけともされていた。空間の端も把握できない程の光だったが、私達にはそれで充分だった。
「本日のお客様は、この方です」
つね日ごろ変わらない常套句を店主の梟は私に投げ掛け、私に一枚の写真を手渡す。しかし、その写真のことなど全く覚えがない。
そうであるはずなのにその写真を受けとった瞬間、埋め尽くすほどの記録が脳内に射影された。
「年齢は16歳で身長が150cm、体重が─。」
「烏君、能力を使うのはいいのですが、口に出すのはいけませんよ」
滅多に怒らない店主だが、礼儀、作法についてだけは少しばかり厳しかったりする。謹厳実直な上、誠実で容姿も良い、多少寡黙だが、正直、羨ましいと思う。
「すいません館長、以後、気をつけます」
「そうですか」
といって、店主は黙り込んでしまった─。
特別することもないので、私は写真を両掌にのせ目を閉じ、写真を消すことを想像した。
目を閉じた先には、何物も犯すことができない静けさとこの空間だけが存在し、お互いが影響を及ぼすかのように写真は、球状の黒い光に押し潰れたかのように消えていった。
「お越しになられたようですね」
店主が沈黙を破る。
確かに暗闇の方から、足音が近付いて来る。同時にいつも通り
「お願いしますね」
と店主は私に合図を送った。
私は、またもや想像した。お客様が一瞬にしてここまでいらっしゃることができる様なような『ドア』を─。
「本日は、『トロイメライ』にようこそ起こし下さいました。ご予約のエミル様ですね」 店主が、チョコレートに金色のノブをつけたようなドアの前で、慇懃な商売文句をお客様に投げ掛ける。
すると、扉からふっとお客様が擦り抜けてきた。
そのお客様はブロンドの髪に藍色の目をした可愛らしい女子だった。ぶかぶかの似合わない白衣をきていたのだが、それは彼女の性格を表しているようで、否定する気持ちは全く起きなかった。
「はい、そうです」
「招待状を確認させて頂きます」店主は、目を閉じ右目だけを開いた。
「何をしているんですか?」
「……」
「なんなの?」
「お客様、館長は貴女の心に送られた招待状を確認するため、音を遮断しているのです。その件につきましては私の方からお詫びするべきでした。」
「そう」
彼女は、納得したのか小さく笑ったように見えた。
「はい、間違いなくこの招待状です」店主が両目を開き説明を始めた。
「お客様にお送りした招待状に記載した通り、私どもはお客様に『絶望』を提供しております。わかりやすく言うと私どもは、お客様が見たい、聞きたい、したいという欲望を絶たせるお手伝いをする仲介と思って頂いて構いません」
「そういう意味なんですか。私はてっきり絶望させてくれるんだと思いました」
彼女は少し残念そうに溜息を一つ零した。
「どうかしましたか?」
「あっいえ、なんでもないんです。なんでも…。」
店主はそれ以上深く追及しなかった。ここにくる客は『人生』に興味が持てないとか『おもしろさ』目当ての人々がほとんどだからである。
お客様の心を不用意に傷つけることは良いことではないし、店主の持つ能力でお客様の心を容易に見透かしてしまえるから聞く必要はない。
突然、店主が口を開いた
「おやっ、他のお客様もいらっしゃいましたか」
暗闇には、エミル様、私、店主の三人しかいないように見える。しかし、店主には確かに見えているようだ。これも店主の能力の一つなのだろうか、本当に不思議な人だ。
「烏君、エミル様をよろしくお願いします。」
「はいっ」私は反射的に返事をした。
しかし、狡猾な私は彼女を気にしながら店主とお客様との会話を耳に入れていた。
「お客様は招待状をお持ちでないようですね」
「……」
お客様は無言だが、心を見透かす店主にとって会話など無意味に等しい
「そうですか、わかりました。では、今回は『見学』ということでどうでしょう?」
私は店主の言葉に驚愕した。
動かずにはいられない衝動を奥歯の痛覚でなんとか押さえ込み、脳内に紙を一枚投影した。