2、 8月13日・踊る阿呆に見る阿呆
小降りなうえ傘は踊るのに邪魔になるので手ぶらで目的地まで向かうと、そこにはかなりの人だかりができていた。どうやらひどい雨ではないので決行してくれるようだ。
ちなみに、現在くらうがやってきているのは阿波踊りの会場、というのとは少し違う場所だった。
この阿波踊り、どこか特定の大きな会場があってそこで踊り子たちが踊りを披露する、というのとは少々色が違う祭りである。
といっても各々好き勝手に自由な場所で踊っているというわけではもちろんなく、徳島県内にいくつか演舞場と呼ばれる、踊りながら通りぬけるための「おどりロード」が準備されており、そこで「連」と呼ばれる阿波踊りの集団がそれぞれの踊りを順々に披露するのだ(これも阿波踊りの中の一部の話で、これ以外にも阿波踊りが披露される場所や方法など、色々な物があるようだ)。
そして基本的には、阿波踊りは連に所属し日々踊りの練習をしている人々がその成果を披露するものである。しかし知っている人はよく知っているだろうけれど、連に所属している人間に限らず、一般参加もできるお祭りである。
一般の人が参加する方法はざっくり言って2つ。まず1つ目はその「連」に所属することである。別に必ずしも所属はせずとも、連によっては本番少し前からその年限りで躍らせてくれるところもあるかもしれないし、連の知り合いでもいればちょっとした助っ人として参加したりすることもできる。現にくらうの先輩は一度、連に所属している知り合いに誘われ、その年限りで参加したことがあるそうだ。
しかし連に参加するほど本格的にやるのも難しいだろうし、入ってすぐ抜けるのも忍びない。知り合いを作るというのも簡単なことではない。
そういう人のためにあるもう1つの方法、今回くらうが選択したのもその方法なのだが、それが「にわか連」というものに所属する方法である。
所属、とはいっても何日も前もって練習する必要があるわけでも、なにか特別な手続きをしなければならないというわけでもない。当日指定された場所に行って、踊る前20~30分ほど簡単な練習をするだけである。非常にお手軽だ。なので阿波踊りに興味がある人はたいていがこちらの方法を採ることになる。
「雨でもけっこー人いるもんだな」
くらうの頭の上できょーこは濡れることも特に気にせず、辺りを見回して呟いた。雨にもかかわらず、その定められた集合場所にはすでにかなりの人数が集まっていた。
「ん、あそこにでっかい提灯みたいなの掲げてるよ。あれがにわか連ってやつなのか」
くらうもそちらに目を向けてみると、「にわか連」と書かれた提灯に混じって、2つほど他の連の名前が書かれている提灯も掲げられている。どうやらその2つの連が、今回のにわか連指導役となってくれるらしい。指導してくれる連は、説明を聞くところどうやら毎年違うようだ。
と、しばらくも待たないうちに練習開始の声がかかった。スピーカーを介して響く声に従い、集合場所に建てられているごく小さなやぐら的なものを中心に、くらうたちはぐるりとそれを取り囲むように並ぶ。
「ではまず、手をこうあげて、足はこう運びます」
と、ざっくりとした説明をくれるにわか連の人に従い、手と足の動きを覚えゆっくりとリズムに合わせて歩き出す人々。踊りに慣れていないとリズムの取り方や足の運びが若干難しいかもしれないが、普段盆踊りで踊り慣れているくらうとしては、おおよそのコツを掴むのにそれほど苦労はいらなかった。
「へえ、なんかそれっぽい動きしてるじゃん。この間の気味悪い踊りよりは様になってるよ」
頭の上からきょーこの、なぜか上から目線な評価が下される。そんなきょーこは特に練習する気はないらしい。
大勢の人が集まっているのだから当然、くらうのように踊り慣れている人もいれば、踊りなんぞ触れるのも初めてという人もいるだろう。そのうえこんな付け焼刃にもほどがある練習では、踊る人によって個性が出てしまいてんでバラバラな踊りになることも当然。
しかし阿波踊りの心は踊りの上手さにあらず。
「手を上げて、足を運べば阿波踊り」
指導役の連の人がその時教えてくれたものだが、そんな言葉があるように、どんな踊りであろうと、手を上げて進んじゃえばとりあえず阿波踊りなんだそうだ。同じ阿保なら踊らにゃ損損というように、要するに「上手い下手とかどうでもいいからみんなでわいわい騒ぎましょう」ということなのだろう。くらう的には大好きな考え方だ。盆踊りも基本そんな感じだし。
実際、連によっても踊り方は様々で、「正しい阿波踊り」なんてものがそもそもないらしい。だからその練習も特に必死に覚える必要はなく、とりあえずリズムに合わせてそれらしい動きができればオッケーですよ、という様子だった。
そんな軽いノリで、この日くらうと同じように集まった大勢の有志たちで練習すること30分ほど。
「それでは演舞場に向かいましょうー」
そんな声に従い、なんとなーく踊りを覚えたばかりのくらう一行(なんていうとくらうが率いているみたいだけど)は、ぞろぞろとにわか連の提灯に連れられ近くの演舞場へと向かった。
演舞場を練り歩く順番は決まっており、今はまだ前の連の人たちが踊っている最中だ。にわか連の順番はもう少し。にわか連の面々は演舞場の端っこで待機し、今か今かと来る本番を楽しみにしていた。
――そして、練習時は小降りだった雨は、今や豪雨となっていた。
若干視界がかすむほどの大雨。暗くなるとメガネをかけないと見えないくらうだが、そのメガネには大量の雨粒がへばりつき、必要以上に視界を悪化させていた。
そして観客は当然のように傘を差しているが、我々踊り子は当然のように手ぶらである。今や全身ずぶ濡れ。服はこれ以上ないほどに水を吸い、べっちゃりと体に張り付いていた。
普通なら何もかもどうでもよくなるほどに意気消沈しそうな状況だが、しかしここは祭り会場である。
踊る阿呆に見る阿呆。つまりここにいる人は全員阿呆。
そんな感じで、雨に濡れながらも、待機する人々は妙にハイテンションだった。
そしてそれは当然、くらうも然り。
「あはは! きょーこ、雨すげえな! ここまで濡れたらもうどうでもよくなってくるな!」
「なんでテンション高けぇんだよ‥‥」
呆れるきょーこは相変わらず頭の上。濡れないのかと尋ねると、「濡れてもタオルで拭きゃ一発だから。あたしの体、水吸う素材なんて使ってないし」と相変わらずしれっと人間であることを否定していた。でもモノ扱いすると怒るのだから、きょーこの扱いはとても面倒臭い。
そして、待つというほど待つこともなく、ついににわか連の順番がやってきた。
「よっしゃあ! じゃあ行こうか!」
「うおー!」
と、踊りが始まると、くらうと共にきょーこのテンションも上がっている。
連の人たちが打ち鳴らす太鼓と鐘の音に合わせて、ひょいひょいと軽快に手をあげ、足を運んで大雨の中、くらうたちは演舞場を闊歩し始めた。
ずぶ濡れになりながらも、さっき覚えたばかりの踊りを見よう見まねで、各々が好き勝手に、そして楽しそうに踊っている。
演舞場の両端には傘をさした観客達がその様を眺め、中に知り合いでもいるのか記念のためにか写真を撮っている人もいる。
そんな大勢の人々に見守られながら、くらうは覚えたばかりの拙い踊りで、大雨の中演舞場の向こう側を目指して踊り続ける。前を見ても横を見ても後ろを見ても、少しずつ違っていて、だけど同じ踊りをみんなで踊っている。その光景は見ているだけで気持ちを高ぶらせ、踊っているとさらに高揚してくるようだ。
長いような短いような数分間。演舞場の端まで踊り終えると、にわか連の人々はうおーっと謎の雄たけびを上げて、今日初めて会ったばかりの人たちと謎のハイタッチを始める。もちろんくらうもその流れにノって、たまたま目があった数人と謎のハイタッチを交わした。
覚えたばかりの下手くそな踊りで、ほんの数十メートルほど練り歩いただけにもかかわらず、なんだかすごく達成感とか、よくわからない興奮が胸中を支配していた。雨のせいで無駄にテンションが高くなっているというのも少なからずあるだろうけれど、それでもこの数十分間はそれほど濃密な時間であったと思える。
そしてにわか連の人々は――暗黙の解散となった。
さてここで問題です。遊びに来ただけのくらうには土地勘がありません。集合場所から演舞場までちょっと歩きました。演舞場もそこそこの長さがあります。終わって突然放り出されました。さすがに演舞場の中を逆走はできません。雨降ってます。
さて、くらうはどうなるでしょう。
「‥‥‥‥」
くらうは辺りを見回して、とりあえず屋根の下に避難して――
「おーーーーーい!」
サイヤ人の王子の息子並に叫び声を上げた。
「いやいやいや、ここどこだよ! 迷った! 見事に迷った! いや、巧妙な策略にハマって迷わされた!」
これは非常にマズイ。これはきっと祭りに釣られてやってきた間抜けな参加者を道に迷わせ、近くにいる人に道を尋ねたら人気の無い路地裏とかに連れ込まれ、頬に傷のある優しいおじさんにお願い(物理)され海外で過酷な労働を強いられ、毎日毎日舟をこぎ続けたり鉱山を開拓したりし続けることになり、そして最終的には臓器を生活の糧にするほかない状況に追い込まれてしまうに違いない。
「‥‥ごめんきょーこ。オレたちの旅はここで終わってしまうようだ」
がっくりとうなだれるくらうに、しかしきょーこは「安心しろ」と力強い声をかけてくれる。
「前作であと2つはお話し書けるって言ってただろ。だから少なくともあと2回は旅行行けるじゃねえか」
「そういやそうだ! よし頑張ろう!」
力強くて説得力もある、というか確定要素のメタ発言に助けられ、くらうは再び元気を取り戻す。
「まあ、とりあえずケータイでナビ見りゃ一発だろ」
きょーこがくらうのズボンからスマートフォンを引っ張り出し、自分の体よりも大きいそれを操作し始める。どうやって操作しているのかはみなさんの想像力にお任せします。
が、そこで大変な問題が――!
「た、大変だくらう! このケータイ防水機能が付いてない!」
「そういやそうだ! やべぇ!」
きょーこの手からケータイを奪い返して操作しようと試みるも、その精密機械は画面のオンオフ以外の操作を一切受け付けず、点灯した画面は右に左に小刻みかつすごい勢いでガタガタと震え続けるのみである(事実)。
なんかこの光景はもはやちょっとしたホラーだ。真っ暗な廃墟とかでこの現象が起こったら多分泣く。そして大雨で道に迷った時に起こったら確実に泣く。
画面を拭こうにもタオルなんかも持っていないし、全身濡れ鼠では服とかで拭きたくても拭く場所などあるはずもない。まあタオル持っててもずぶ濡れだろうけど。
くらうは眼から滂沱の雨粒を滴らせながら半ば放心状態。
「‥‥参った。どうしよう」
「あ、一瞬動いた。あ、でもまた止まった」
きょーこがどうにか画面をいじっていると、その画面がほんのわずか反応を示した。
しかしまたすぐにガタガタと震え始める。やはり画面についた水滴と、指先の水滴が良くないらしい。それに中にもいくらか雨水が入って、不調を引き起こしているのかもしれない。
くらうはきょーこから再びケータイをとり返し、試行錯誤を重ねる。
「‥‥ちょっとずつ、動くぞ。根気よくやれば、どうにか‥‥」
どうにかコツをつかみ、少しずつ操作を繰り返す。画面をオンにした時ほんのわずかな時間、操作を受け付ける瞬間がある。その隙に1つずつ操作を進め、どうにかマップを起動することに成功した。
「キタァ!」「よくやったくらう!」
しかしそれだけで喜ぶのはまだ早い。周辺の地図がわかったところで、そこがどこなのかわからなければなんの意味もないのだ。現在地の広域を表示したいだけなのに、すごく手間がかかる。しかしこれも己が臓器のためである。大切な臓器を売り飛ばすハメにならないためにも、ここは辛抱強く頑張らなければならない。
「わかったぁ! こっちの道を進めば駅前に出られる。そこに行けばなんとか道がわかる!」
土地勘はないが、一応以前来たことがある場所だ。駅から徳島大学までの道はどうにかわかるし、大学に着けばモゲの家までもすぐに向かえる。どうにか臓器を担保にする危機からは逃れられたようだ。
「危なかった。こんな番外編で臓器を失うわけにはいかないもんな」
「あたしは臓器ないからな。別に大丈夫だ」
「いーや、わかんねえぞ。体を売られるかもしれない」
「ハッ! 確かに売られるかもしれないな。アニメショップに!」
などとアホな会話を交わしながらどうにか駅前へ。そこから国道を辿ってモゲの家へ向かう。
「あ、ていうか市役所行って自転車回収しないと」
「そういやそうだな。一応主役だもんな」
「一応とか言うなや」
ちょっと大回りをしながらも市役所まで帰り、自転車を回収する。駐輪場に停めさせてもらっていたので、唯一雨の被害からは免れたようだ。この自転車、エミリアを愛してやまないくらうとしてはそれだけで十分である。
「しかし、うろうろしてるうちにまた小降りになってきたな」
空を見上げると、先ほどまで間接的にくらうの臓器を襲っていたはずの豪雨は、いつの間にか鳴りを潜めている。
「せっかくだしさ、近くの演舞場も見に行ってみようよ」
きょーこの提案に反対する理由もなく、くらうは近くにあった先程踊ったのとは別の演舞場へと足を伸ばしてみることに。
その演舞場は、両脇に数段の立派な客席が設けられており、この辺りの無料演舞場の中では一番立派なのではないだろうか。テレビに映ったりするのも大抵ここだし。
しかし先ほどまでの雨のせいか、客の数は多いとは言い難い。とりあえず適当な場所に座って踊りを眺めていると、何の嫌味か知らないが次第に雨脚が強くなってきた。とりあえず近くの屋根の下に避難していると、雨は再び豪雨へと変わっていった。
「おいおい、こりゃヤバいな」
「うん、降ったり止んだりうっとーしいなあ」
きょーこの呟きに答えると、しかしきょーこはバシ、とくらうの頭を小さな体の割には強力な拳で叩いてきやがった。
「バカ、そこじゃねえよ! ほら見ろよ、そこのたこ焼きの屋台。屋根から落ちてる雨水が具に思いっきりかかってるぞ。あれじゃもう食えねえ。ヤバいだろ」
しかも訂正した内容もどうでもよかった。なんでこんな理不尽な暴力を受けなければならないのだろう。
そして阿波踊りも一旦中止となってしまった。
とにかく雨がやむまでは動くに動けない。仕方なくくらうは、その場でしばらく雨宿りすることとなってしまったのだった。