正義
※あくまでも「if」であり、史実を所々改変しております。
西暦1600年9月15日。天下分け目の戦いが幕を開けた。
関ヶ原の戦い、である。
西に構えるのは、豊臣家をないがしろにする逆臣・徳川家康を討たんとする、石田治部少輔三成。
東に構えるのは、豊臣家に刃向かう逆臣・石田三成を討伐せんとする、徳川家康。
互いが自らの正義を、敵の不義を主張し、日ノ本を分断させた戦い。誰もが応仁の乱のような長期にわたる戦争を予感した。
それが一日で閉幕する、などと予測できたものは果たして存在するだろうか?
敗軍となったのは西。石田三成の軍勢だった。均衡を破る引き金を引いたのは、小早川秀秋。
彼は、西軍を裏切った。
それに続くように、脇坂安治などの軍勢も反転。
決着はついた。
やがて捕縛された逆臣・石田三成は、決戦から一週間後。9月22日に、家康が滞在する大津城の前に晒された。
見せしめ、である。家康へ顔見せに来る諸将はこれを見て、侮蔑し、同情し、恐れた。
闇。黒が支配する世界、夜だ。そこに居るのは縛られ、畳の上に座る男。石田三成だ。彼は目をつむり、風の音を聴いていた。目に浮かぶのは、戦場。主君である秀吉に付き従い、駆け巡ったあの日々だ。
もう、戻れない。
秋風が冷やした頭は、自らの行く末を冷静に分析していた。
すなわち……死、である。
家康はそうするに違いない、と思うし、三成自らもそれを望んでいた。もはや、この世に未練はない。
過ぎていった日々を風の音と共に思い出していたが、そこに異物が入った。石を踏む音。誰かが歩いて来ているのだ。灯籠の光がユラユラ揺れる。その光が近づいてきて、持ち主の顔を照らした。
「……ふん、よくもおめおめと顔を出せたな。金吾中納言どの……いや、秀秋」
細身で薄白い肌。小早川秀秋がそこに立っていた。
「こんばんは、三成どの」
優しげな笑みを浮かべながら、秀秋は話しかける。その軟派な顔つきが三成は大嫌いだった。
「失せろ。話すことなど何もない。……そしてお前の言い訳も聞きたくはない」
石田三成は縄に縛られた状態で悪態をつく。縄に縛られているが、刑を執行するのは家康だ。つまり家康の許可無しに誰も彼を斬ることはできないのだ。
……もっとも、そんなところにまで三成は頭が回っていない。どうせ死ぬ身と思い、言っているだけだ。
「もうすぐ秋です。どうでしょう? 夜の共に僕と話でも」
「性根だけではなく、耳まで腐っているのか?」
まあまあ、と笑い、秀秋は語る。三成は眠ることに決めた。
「僕は、秀吉さまの養子だったんですよ」
何を言うのかと思えば、昔語りか、と三成は失笑する。しかし、過去に浸りたい気持ちは同じだった。尊敬する主君の話だから……と理由をつけて、聞いてみることにした。
「ねねさまに育てられて、周りにはいっぱい人がいて……毎日が発見ばかりだった……」
けれど……と秀秋は呟く。三成は苦虫を噛み締めたような顔を浮かべる。彼は知っている。秀秋に何があったのかを。
「秀吉さまに実子が生まれた途端、僕は他家に養子に出されました。毛利の重臣、小早川隆景さまの所に」
静かに、秀秋は語る。
「隆景さまはいい人でした。厄介払いで来た無能な僕に、優しくしてくれた。……もちろん体面もあったのでしょうけどね?」
自嘲ぎみに笑いながら、彼は放った。
「……そして、使命を受け継いだ」
使命?という三成の問いに、秀秋は答えない。彼は夜の闇に浮かぶ月と星……そして、その先にある何かを見つめている。
「三成どの。『正義』とは何でしょうか?」
問いかけ。三成は無視をしようとした。が、出来なかった。その問いかけを無視することなど、出来なかった。
「読んで字の如く、『正しい義』だ。亡き主君の家を守り、逆臣を討つような、人として当然の行いだ」
胸を張り、答える。事実、彼はそうだと思っていた。人は利によって動く。しかし、義は利をも越える。彼はそう信じていた。信じたかった。
皮肉が混じった三成の返答にも秀秋は動じなかった。うんうん、と頷く秀秋を見て、三成は目の前に立つ人物が本当に秀秋なのか、と疑った。
いつもの阿呆らしい垂れ目は、知恵の光を纏っている。
「しかし、三成どの。正義は一つでしょうか?」
「当たり前だろう、正義は一つだ」
憤慨する三成をなだめるように穏やかに、彼は、ならば……と続けた。
「正義とは、誰が決めるのでしょうか?」
闇の中。梟が静かに鳴いた。その独特な鳴き声に、三成はハッと我に還った。
「決まっている。……天だ。天が俺の義を支持し、お前たちの過ちを断罪するのだ」
「ですが、天が味方をしなかったから、三成どのは今、そうしている」
言われたことを理解し、次に怒りが湧いた。今すぐ斬ってしまいたいが、刀は手元に無いし、刀を抜く手も塞がっている。
今、三成にある武器は口だけだった。
「味方をしなかったのはお前だ。裏切り者が……!」
「ならば、僕が天でしょうかね?」
「ふざけるな!」
ふざけてなんかいませんよ、と秀秋は語る。笑みを浮かべたその顔は、三成の怒りを倍増させる。
「家康さまにも義はあり、三成どのにも義はあった。……僕にも、ね? そして、皆がその義を正しいと信じていました。つまり正義は一つじゃないんですよ。正義の見方次第では……正義の味方も、敵に変わるんです」
「……ならばお前の正義とは何だ、秀秋?」
三成は唯一の武器を振り回す。
「引き立ててくださった秀吉さまを裏切り、家康についたお前の正義とは何だ?」
秀秋は何も言わない。それを好機と見た三成は、饒舌に語る。突き刺すように、突きつける。
「俺は知っているぞ? お前は今、家康の味方になった。しかし、その家康陣営……東軍に嫌われているそうじゃないか! 敵から見ても非道と思う裏切り、だそうだな」
三成は冷静であろうとしていた。諦めようとしていた。しかし、口が止まらなっていた。
「……そうまでしてお前が得ようとしたのは何だ? 地位か? 名誉か? それとも、自らを捨てた復讐のつもりか?」
ハァ、ハァと息を切らしながら、彼は放った。喉はカラッカラで、唾液を飲む度に鉄の味がする。
三成は正面を見た。
そこには、何も言わずに三成の瞳を見つめる秀秋が居た。
「僕の正義は、恩に報いることですよ。僕の今をつくってくれた義父の、ね」
秀秋は動じていなかった。何を言っても動じない。もしかしたらコイツは死んでいるのかもしれない……そう思った。
「義父? 秀吉さまのことか?」
まあ、それもありますね……と彼は続けた。
「僕の仕事は毛利を救うことです」
三成は思い出す。
謀神、毛利元就。彼が作り出した体制がある。三男、小早川隆景と次男、吉川元春。この二人が文と武を担当し、跡継ぎの毛利輝元を補佐する……「毛利両川体制」だ。
「隆景さまからは、いろいろなことを教えていただきました。軍略、治世のすすめ、そして、知恵を隠すこと」
かの織田信長は、自らの才能を隠し続け、他国の油断を誘った。
豊臣秀吉の軍師、黒田官兵衛孝高もまた、自らの慧眼が身を滅ぼすことを予期し、隠居した。
小早川秀秋もまた、この日のために愚鈍な将でいたのだ。
「『毛利は天下を争ってはならない』……元就公の遺言だそうです。だから、秀吉さまの亡き後に何かあったときでも争うな……そう言われました」
けれど……と秀秋は続けた。
「毛利本家も巻き込まれてしまった。だから吉川広元どのと協力して、毛利を救う作戦に出たんです」
雲が晴れ、月が秀秋を照らした。その顔は義父である隆景と生き写しに見えた。
吉川広元。吉川元春の息子。彼は早くから家康に内通し、毛利本隊の出陣を防いだ。
小早川秀秋。小早川隆景の養子。彼は直前で西軍を裏切り、東軍の素早い勝利に大きく貢献した。
次代の毛利両川が、本家を救ったのだ。
「あの戦いは……お前たちが動かしていたようなもの、か」
「三成どの。あらためて問います。正義とは何でしょうか? 私の働きは正義ではないと……不義だと言えるでしょうか?」
風が鳴く。
射抜くように見つめる秀秋に対し、三成は答える。
「お前も義を果たし、俺も義を果たした……そして、おそらくそのどちらも正しいのだろうな」
三成は、攻撃的だった目をつむり、自らを落ち着かせた。
秀秋もまごうことなき、正義だった。もしかすると、あの戦争に参加した全ての将に、それぞれの正義があったのかもしれない。
「ならば、俺は……」
三成は星を眺めた。
遠くの黒が白に染まっていく。夜が明けるのだ。
「それじゃあ、僕はそろそろ……」
「お前はこれから、どうするんだ?」
三成は問うた。夜の時点であった感情はどこかに消えていた。許したわけではないし、忘れたわけでもない。けれど、鎮まっていた。
秀秋はその問いかけに対して、ニコリと笑って答えた。
「一段落がついたら、死にます」
は? と三成は疑問符を浮かべる。
「豊臣に対しての裏切り……その罪を償わなければなりません。あ。でも、自殺というのは世間体がアレなので、そこは家臣たちに工夫してもらいますが」
疑問が解けた。秀秋の態度を死んでいるかのようだ、と表したが、まさにその通りだったのだ。
「何で……何でだ?」
そう口にする三成に、秀秋は一言告げた。
「言ったでしょう? 義父への恩に報いることこそが僕の正義。……今回は恩に報いるというより、報いを受けるのですけどね」
秀秋はフッと息を吹き、灯籠の明かりを消した。
「朝に灯籠は必要ありませんからね」
青白い肌を歪ませ、彼は笑う。三成はただただ見つめることしか出来なかった。
10月1日。石田三成は六条河原にて処刑された。彼は処刑される寸前まで、生に執着し、自らの正義を説き続けたという。
そして、1602年。小早川秀秋はその生涯を終えた。歴史的には病死と伝わり、巷では祟りによる死と伝わっている。
毛利本家は改易により、領地を大幅に失ったものの、250年後の幕末。倒幕に向けて動き出し、勝利者となる。
一つの判断が、後々の歴史をも大きく動かしたのだ。
初めてその存在を知ったときは、虫酸が走るほど嫌いだった小早川秀秋の話です。良い人に見えるようにこじつけてみました。見方が変われば正義が簡単に変わるのが歴史の妙だと思います。
妄想にお付き合いいただき、ありがとうございました。