聖女様は逃亡したようです
目の前にいるのはそう、赤ちゃん。
ん? 赤ちゃん・・・?
「うえーーーーーーーーーーーん」
「うるさぁーーーーーーーーーい」
木霊す二つのハーモニー、じゃなかった。大音響が草原中に響く。一つは私のだけどね・・・。
さあ、目の前に広がる大自然。
見渡す限りの緑。
そして、・・・赤ちゃん。
やっべ、めっちゃ視線感じちゃうよ!?
おっきな空を映したような目を見開いて上目使いで四つん這いでこちらを見ている。
いや、もうね・・・これは・・・、抱っこするしかないでしょ!
考えても見てよ。赤ちゃんだよ、プ二プ二だよ、「うーー」とかうねっちゃってるんだよっ。
母性本能が刺激されるってこういうこと言うんだ、って再確認。
幸い?周辺に人の気配もこの子のお母さんのらしき姿も見えない。流石に見ず知らずの赤ちゃんを抱っこなんて誘拐に間違われても仕方ないくらいだけど、ここ、屋外です。
この赤ちゃんの年齢を考えても、外に、一人で、しかも裸で、放りだすとは如何なものか。これは、人としても保護者の方に問い詰める必要ありありですよ。
まあ、何はともあれ、裸は頂けませんな。
赤ちゃんは小さいし冷えやすい。本当なら清潔なベビー服があればいいんだけど・・・、持ってるわけない。私の上着で勘弁願います。
上着を脱いでとりあえず被せる。良かったよ、来てた上着が綿で。自分で言うのもなんだが、フワフワなバスタオルのような触り心地がお気に入りの一品だ。セーターのようなものなので、とりあえず襟から赤ちゃんの首を出せばまるでお包みのようになる。
そのついでに抱っこもしたが、この子、大物だわ。
個人差はあれ、見知らぬ人に突然抱き上げられても泣くどころか、キャイキャイと喜んでいるし。逆に降ろそうとする素振りをみせると、襟から手をだし、私の服を掴み、不機嫌になる。なんだかな、懐かれるようなことしたか、私・・・。
一先ず赤ちゃんも確保したし、この子の保護者探し兼私の多大なる質問にお答えできる人を探さねば・・・、
「あうあうあーー」
腕の中で大人しくしていた赤ちゃんが急にモゴモゴと動きだし、器用に人差し指だけを残して握りこみ、丸を描くように腕を回す。すると、光の線が浮かび上がり、小さい魔法陣のようなものが浮かび上がった。
その魔法陣はゆっくりと移動し、地面に降り立つと、一気に巨大化した。
あれですよ、ファンタジー。生なんて初めて見ました。
というより、この赤ちゃん何者!??
とかツッコミを入れている間に魔法陣の中心から渦を巻くように突風が吹いてきました。いやあ、春一番を思い出したね。あれ、甘く見ない方がいいですよ、マジで。
風が徐々に収まってきたかな、と思ってゆっくりと目を開けると、明らかに人の姿が・・・、って、おい。
「美形・・・だな」
そう、美形。文字で羅列すると、人類には在りえない透き通った青髪に深海を思わせる蒼い瞳は柔らかな雰囲気をかもしだしている。肌は白く遠目から見ても綺麗で、女性と見紛うほど。ただ、その背の高さと骨格から男性と見受けられる。純白の一切穢れを感じない服装は神官を思わせる装いだ。
そんな美形さんは、現在進行形で平伏してる。
いや、土下座ではないよ。片足を地面につけて頭を垂れているだけで・・・、いや、良くないよな。
「えっと、頭を上げてもらえますか?」
初対面の人に向かってタメ口など言語道断。見た目年上だし、なんというか自然に丁寧語になるのは否めないけど。そう声をかけたのに、何故かますます恐縮したように余計に頭を下げられる羽目に。
―――これは、どう収拾をつけろと仰るんですか?
困惑して、とりあえず唯一の味方?である赤ちゃんに視線を送る。円らな瞳を見て、和む。自然と口角が上がるわ。
「きゃい」
と赤ちゃんの喜色が伺える一声。その声にビクッとなる美形さん。いや、そこまで驚かなくても・・・。
「・・・口上を述べても宜しいのですか?」
おお、初だよ。美形さんが喋った。
うん、予想通り良いお声をしていらっしゃる。
「あう」
お返事を返したのは腕の中にいる赤ちゃん。というか、本当に赤ちゃんなのか疑問を呈したい。
「お許し頂きありがとうございます、主様」
・・・主様?
「聖女様もご機嫌麗しく」
聖女様・・・、誰のことですか?
「世界の礎たる御二方の為、不肖であるこの身ですが忠誠を誓うことを我が名を以ていたすことをお許しください」
あの、私は置いてけぼりでしょうか?
「あの・・・」
「も、申し訳ありません。何か御気に障ることでも・・・」
酷く心配な面持ちでより深く頭を下げる美形さん。
「いえ、まったく問題はありません。ただ、ここどこですか?」
「ここは、神の庭園でございます。・・・説明が遅くなりましたね」
なんでも、この世界はまだ生まれたてとのこと。
現在、私の腕の中で快眠されている赤ちゃんは新しい神様で、その神様に魂を気に入られたので、前世の記憶持ちと記憶にある身体で転生したようです。
いや、はっきり言って死んだ記憶ありませんが。と言ったら、意図的に消されたようです。死に際なんて思い出したくもありませんが・・・。
そんなこんなで始まりました神様育児。
うん、我ながら前途多難だよ・・・。とりあえず、家、作らなくちゃ。
「感動的な光景だなぁ、うん」
現在、町に繰り出してます。
私、ノア。世界と同い年です。冗談ではなく。
長年の甲斐あって、人間ですよっ。
視界にいっぱいですよっ。
食べ物ですよーーっ。
最初は何にもない、ただの平野がこう生産的な、物があり、生き物がいると涙が出ます。実際、ミクロサイズの微生物が登場した時は、自分の育て子にしがみついて感動しましたし。
苦笑しながら、自分よりまだ低い背の子供に頭を撫でられたときは何ともいえない心境にさせられたのは懐かしい思い出です。
そんなこんなで、今、市街地の真っただ中。
バランスの問題で、魔物とかいますが人は精一杯生きてます。ちょこちょこ戦はありますが、ここは平和そのもの。神様はそういうことに関与できないルールなので、早く統一されるといいんですけどね。
おっと、そんなことより食べ物。
神の庭園だと、食事には困らないけどそこは元日本人。一応、下界に位置するここにわざわざ来てまで、美味しいと評判のご当地グルメを堪能しますよ。
輝かしい笑顔で、店という店をまわる。
庶民の食べ物って、やっぱり素朴でいい。持っていた銅貨の半分を使い、ありとあらゆるものを食べ尽くした。元人間でも神様体質で太ることなしで遠慮なく頬張れる。うん、幸せだ・・・。
外に設置されていたベンチの上で戦利品を堪能していると、どこからか子供がじっとこちらを見ている。視線の向きからして、見ているのは飴。これはここで買ったものではなく、庭園から持ってきたものだ。そのせいかカラフルで、こちらでは珍しい。
「遠慮せず、こっちにおいで」
カラフルな飴の入った袋を手に持ち、手招きをする。おずおずとしているが、ゆっくりとだが近づいてきた。・・・君は野良ネコか。
一粒とって、少年の手の上に転がした。
呆然としたように少年は突っ立っていたが、そのうち飴をそろそろと口に入れた。正直思うが、見知らぬ人から物を貰って口に入れるとは・・・。この世界の教育というか防犯意識は大丈夫なのかな?と心配になります。
しかし、おいしさに顔を綻ばす少年。癒されるわぁ~。
・・・最近、養い子の方は贔屓目に見ましても美丈夫に育ちまして、フェロモン全開。しかも、聖母ではなく聖女として転生したのですから、勘の良い人にはわかりますよね。
口説かれてます、―――養い子に。
「神様だから年齢、立場とかそういうのは気にしない」と言われても、気にしますって、普通。
といっても、成長を見てきた傍ら拒絶はできず。懐柔されてますよ、ええ。ここに来たのも、そういう禁断の愛的なものから逃れるためです。元は善良な人間だったことを考慮しやがれって感じですよ、ハイ。
「おねえちゃん、ありがと」
天使のような純粋な微笑みに、おねえさんやられちゃいました。昔のあの子もこんな風に笑っていたのに、今では背後に黒が見えるんですよね。
微笑ましい光景にこちらも笑いかける、と遠くの方が騒がしくなった。
・・・あれ、心なしかあっちの方から身近に感じる気配がするよ。
気のせいだよね、他人の空似だよね。
例え、教会の鐘が鳴って神様の降臨を町中に知らせていても、何故かお祭り気分の人々が大きく道を開けているとしても、進行方向があからさまにこっちだとしても。
・・・私は一般人。さあ、元人間として空気になるのよ、自分。
まあ、暗示をかけても遅かれ早かれ、見つかることは目に見えている。何でも彼には、私の生体エネルギーのようなものを感じるようで、半径五キロほどの範囲に居れば、何をしてるかも分かるらしい。なにそれ、怖い。
となると、私のメンタルを守るためにはとっととずらかる以外に方法はない。なにその無理ゲーって感じだけど、この平穏を守るには逃亡生活は止む無し。
「ううん、気にしなくていいよ。それじゃあ、おねえちゃんは行くとこあるから」
ひとまず、目の前の天使のような少年に別れを告げなければ。
「・・・どこに行くの?」
たった一つ飴をあげただけなのに、別れに涙を浮かべる少年。
うう、昔のあの子も―――(以下省略)
「えっとね、・・・この世界の果て」
「ふえ?」
「じゃあね、未来の勇者さん」
そう言って、目を真ん丸にしながら見つめる少年に手を振りながら転位してその場を去った。次の瞬間には、見慣れる風景。先程と違って、人の気配はまったくない森の中。
「まっさか、未来の風の勇者に会うとは思わなかったなぁ」
未来では、一体の巨大な魔物が人の世を混乱へ導くとあった。魔物と人は比例していく。これが、この世界の理。神である彼にも覆せない法則。
今のところ、人を愛する精霊がそれぞれ四人の人間に力を与える。
その一人となるのが今日出会った少年だった。
人が紡ぎだす物語。
彼の行く末は、自分にはわからない。勿論、彼にも。
ただ、始まろうとしている激動の時代に今はまだ目を瞑っておこう。
それよりも・・・。
「今は、逃げるが先ね」
徐々に近づいてくる養い子兼神様の気配を感じながら、深き森へと歩みを進める。聖女様の逃亡劇は、まだ始まってばかり。