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森の木々に阻まれた小さな空の向こうに、まるで大地がそこから傾いているかのような、巨大な山が見える。かつて戦乱があったとき、巨人があの場に倒れこむことで戦争を止め、その亡骸が山になったのだという。
そんなわけあるか、と弟が言って、ティアはびっくりした。なるほど確かに、それほど大きな巨人であるなら倒れずとも戦争は止められたはずだし、そもそも自分から倒れて死んでしまうというのも馬鹿らしい。
森の遥か向こうに厳と存在する山は黙して語らず、ただその威容を世界に誇る。
澄みきった森の空気に溶け込むように素足が柔らかい土を踏み、ワンピースの裾が風をはらむ。その感触を肌で楽しみながら、ティアは目に鮮やかな緑を見渡した。
弟の言うことも分かるけれど、隣村とも滅多なことでは交流しない、小さな閉じた村でさえ、まことしやかに語られる伝説なのだ。それはきっと真実なのではないかなあ、とティアは漠然と考えている。
この閉じた小さな村にはしきたりがある。
十年に一度、生娘を森の奥にある祭壇に捧げなければならない。この生娘は、ひどく過酷なことに、独りで森を抜けて祭壇まで行き、十年分の手入れを行い、そのうえで身を捧げなければならないという。例外はなく、守らなければ村が滅ぶと言われている。
十年前、親しかった隣家のお姉さんが森に行って二度と帰らないと聞いたときは、とても驚き、怒って泣きわめいた。しかし、長老は、一切包み隠さず彼女が生け贄に捧げられることを、その意味を正しく理解するまで根気よく教えてくれた。当時まだ五年ほどしか生きていなかったティアに生き死にを語るというのも時期尚早だったかもしれないが、少なくとも当時のティアがお姉さんを見送ることができたのは長老のお陰だ。そして、お姉さんが帰ってくることはなかった。
ティアの人生は、脳裏に焼き付いた、お姉さんが最後に振り返って手を振ってくれた、純白の麻で丁寧に作られたワンピースの裾が広がっているあのときの姿とともにあった。
今、ティアの身はそれに似た美しいワンピースが着飾られている。姉御肌のレベッカが身重を押して織ってくれたのだ。袖や襟首に丁寧にあしらわれた美しい刺繍は、生命を暗示する植物が描かれている。結婚式に使えそうなほど優美なこの服は、これっきりのティアに持たせるにはもったいない出来だ。記憶の中のお姉さんが纏うワンピースよりも綺麗だと誇りに思う。一方で、レベッカ自身の結婚式に使った晴れ着よりも美しい服であるのは、なんだか気後れする。背が頭ひとつ分も大きいレベッカが自ら着た方がよほど似合うに違いない。
しかし、それほどの衣装で自分を飾るのは初めてで、ティアは心が弾んでいることを自覚していた。似合ってなくとも森の中ならば見る人もいないし、思う存分服を楽しむことが出来る。レベッカも弟も似合っていると勢い込んで言ってくれたが、身内びいきであることは分かりきっていた。
弟は何にでも疑問を持つ変節な子で、年を重ねて周りの大人が答えなくなるにつれて考え込むことが増えていった。だんまりの子と言われて後ろ指を指されることもまれにある。ティアは弟可愛さにしばしば相手をしていたが、彼の持つ疑問の意味そのものが理解できないことが多かった。話について行く以前の問題だ。ティアはそんな弟を、村の誰よりも賢いと自慢に思っている。ティア自身が弟離れできておらず、そのせいで弟は今、十年前のティアと同じように、それ以上に、別離の辛さに苦しめられているはずだった。別れのときに目を赤く腫らしていた弟の姿が頭によぎる。胸が締め付けられるように痛む。出来ることなら、今すぐ帰って弟を抱き締めてやりたかった。そしてじっくりと、かつて長老がティアにしてくれたように、ティア自らが生け贄となることを諭してやりたかった。聡明な弟にものを教えるなど出来る気がしなかったが、根気よく話せばきっと分かってくれると信じている。
ティアの頭には、生け贄の役目を捨てて逃げ出すという考えは欠片も存在していない。森の獣に襲われでもして果たせないことを恐れすらしていた。幸いにも、この森は守り神の聖域であり、獣が見られたことは一度たりとてない。その代わり、生け贄の娘以外は、誰も入ってはならないことになっている。
かつて、そう、一度だけ、こっそり森に入ったことがある。今のティアには信じられないが、当時のやんちゃ盛りだったティアは掟を破った。心のどこかで、お姉さんが生け贄に捧げられなければならなかったことを、根に持っていたのかもしれない。大人たちの目を盗んで入り込んだ聖域の森は、拍子抜けするほど普通の森で、いや、驚くほど安全な森だった。獣の気配はなく、植物が場所を分け合って、入り組むように繁茂していた。
その森をただ一本の獣道だけが、触れてはならない聖道のように土を露にしていた。その道をお姉さんが歩いたに違いなく、辿って行けば祭壇が見つかるはずだ。祭壇に行けば、あるいはお姉さんの遺体が見つかるかもしれない。そう考えたのだ。それは、お姉さんの死を受け入れるための儀式のつもりだった。
しかし、道は余りにも安全すぎた。本当に順調に、このまま行けば間違いなく祭壇にたどり着くだろうと悟ったとたん、ものすごく恐ろしくなった。
掟を破って祭壇を見たら、どうなるだろう。守り神に祟られて死ぬかもしれない。それだけならばまだ、自業自得なだけマシだ。守り神が怒って村の守護をやめてしまうかもしれない。魔物が襲ってくれば、村人は残らず取り殺されてしまうだろう。あるいは、守り神自身が村人を残らず祟り殺してしまうのではないか。古い恐ろしい伝承のように、人に化ける魔物に入り込まれ、互いに信用できなくなった挙げ句、村人同士で殺し合う末期を辿ってしまったら、真に報われない。そして掟を破る以上、それが実現してもおかしくはない。他ならぬ、自らの行いに対する報いなのだから。そうなってしまえば、村が壊れてしまえば、命を懸けて村を守った少女たちやお姉さんの意思も命も、すべて無下にしてしまう。無意味だったことにしてしまう。どうしよう。お姉さんが命を投げ出してまで守った村を、この一歩が踏みにじっているのだ。一足ごとに村が壊れていくのだ。いや、すでに村は焼き尽くされて残っていないかもしれない。帰ったティアを迎えるのは愛しい人の死体だけかもしれない。罰としてこれ以上のものはないだろう。
生け贄として捧げられた少女たちの歩んだ道を汚しているかのようで、怖くて悲しくて、いつの間にかぼろぼろと泣きながら森の前まで逃げ帰っていた。
村は、まったく同じ姿でそこにあった。
ティアは長老から罰を受け、二日間、一睡も許されず森の入り口を清掃させられた。幻覚すら見た危険な体験だったが、その辛さと引き換えに赦され、ティアは涙して喜んだ。
お姉さんの行いを無に返さずに済んだ。ティアが過ちを犯したにも関わらず、村は何事もないことが保証されたのだ。喜ばずにはいられなかった。
長老は同情と共感で口先の許しを与えようとした村人を制し、思いを同じくしているがために自らも涙を流しながら、幼い子供に過酷すぎるほどの罰を下した。ティアは長老を恨むどころか心から尊敬している。あの贖罪がなければ、ティアの人生は罰の恐怖と罪悪感に埋め尽くされながら歩むものになっていたはずだ。
風を踏むような足取りで森を進む。
死ぬのが怖くないわけはなかった。しかし、ティアは彼女が知り彼女が望む世界が壊れることこそを恐れていた。ティアの人生は、幸せであったと確信している。だからこそ、手間暇掛けて育て上げた鶏を絞めるように、自分の命を村に還元することもまた、当然のことだと思っていた。
そうすることが絶対の正義であると証明するかのように、穏やかに過ぎる死への道を歩む。
まっさらな裾をひらひらと翻しながら。