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桜下白鬼伝  作者: 良田めま
第二章 手招きする女

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9/11

「瑠璃姫さん」


 呼びかけると、その鬼は儀礼的に微笑みながら会釈した。

 女優でもここまでの美貌はそういまい、と思わず唸るほどの美しさ。匂い立つとはこのことを指すのだろう。

 花に喩えるならテッセン。鋭く、気高い姿が彼女のイメージそのものだ。鬼であることを示す二本の角も、見慣れると見事なものだと感心してしまう。

 ただ――


(相変わらずリアルな蝶々だなぁ。わたしは別に苦手じゃないからいいけど……)


 左目を覆う揚羽蝶の仮面。まるで生きている蝶が留まっているかのような造形で、美しさと不気味さが混在していた。


「わたくしのことは瑠璃姫で結構です。その代わり、(ハク)様のことはきちんと敬称をつけなさい」

「は、はい」


 相変わらず、瑠璃姫は"白様"のこととなると殊更厳しい。恋人というわけではない様子だが、単純な主従とも思えない。気にはなるものの、気軽に問える仲ではないので今のところ保留だ。

 瑠璃姫が白様と呼ぶのは、顔のない白面を被った謎の鬼のことである。凛音は縹に倣って"白面鬼"と呼んでいるが、どちらもおそらく本名ではない。たまに様子を見に来る瑠璃姫以上に神出鬼没で、普段どこにいるのかも分からない。

 一つだけ確かなのは、立場も実力も、縹や瑠璃姫より相当上ということだけ。


(一応わたしにとっては、恩人、恩鬼? ……になるのかな)


 凛音の首を切り離し、再度繋げたのが彼――白面鬼だった。


 二ヶ月ほど前のことだ。凛音が人間を逸脱することになったきっかけにして原因の事件。

 百年前の討魔士によって封印されていた息吹という鬼が解き放たれ、負の感情を膨らませていた凛音に取り憑いたのである。

 息吹は冷徹にして残酷な鬼だった。凛音の体を魂ごと乗っ取り、欲望のまま人間を貪ろうと企んでいた。奴に妻子を殺された縹、そして壱美の調和を守る瑠璃姫が息吹と戦ったが、昔の討魔士に倒せなかっただけあって、息吹は強かった。あれで弱体化していたというのだから、全ての力を取り戻していたらどうなっていたことか。


 しかしその息吹も、白面鬼によってあっさりと討ち取られた。不意打ちに近い形だったが、真正面からであっても小細工無しに勝てただろうと思う。一時的とは言え息吹に取り込まれた凛音にはなんとなく分かる。

 ともあれ、その時凛音は確かに死んで、三途の川を渡るはずだったのだ。

 だが、今は生きてここにいる。

 何故か?


(教えてくれないんだよねぇ。瑠璃姫も縹さんも)


 白面鬼には面と向かって聞きづらいし、そもそも会えない。瑠璃姫はただ微笑むだけで、縹は教えるも何が起きたのか把握していないようだ。

 凛音を生き返らせたのが白面鬼の能力なのか。それとも他の何かなのか。

 いずれにしても、凛音は彼に生かされている。そこには理由や目的があるはずだ。だからこそ、縹を監視に付けている。


(仕方ないよね……。爆弾を抱えているようなものだもん、わたしって)


 凛音が半鬼化したのは白面鬼のせいではない。

 息吹に半ば取り込まれたまま死んで生き返ったことが原因だ。

 その影響は、息吹の霊力を受け継いだこと以外にも現れていた。


『凛音ねぇ凛音。無視しないでおくれよ。聞こえてるんだろう? 君と私は一心同体じゃないかどうして聞こえないふりをするんだい。今朝家の近くで小さな女の子とすれ違っただろう? あの子を捕まえに行こうよ無駄な修行なんてしてないでさ。きっとあの子の血は美味しいよ血が飲みたい浴びたい啜りたい恋しい恋しいよ赦さない決して赦さないあの男あの白いあの刃ああああ――』


「っ――――」


 脳内を犯すような悍ましい呪詛に、凛音はビクッと体を竦ませる。彼女の不安や怯えを察したように増殖する憎悪。否、憎悪の影。この声は息吹であって、息吹ではない。奴はもう死んだのだ。ただの残滓に過ぎない。


(だけど、そうと分かっていても)


 起きている時も、寝ている時も、ご飯を食べている時も、勉強している時も、友達と会話している時も。まるで泥水に浸かるような――いや、泥と一体化していくような気色悪さが常に精神を脅かしている。

 この声と戦うことが、今の凛音の日常であった。

 この声に負けた時、凛音は人を襲う怪物と化し、白面鬼や瑠璃姫、縹を敵に回すだろう。

 そのための、監視。利用するつもりがあるから、すぐには殺されない。逆に言えば、利用できないと判断すればすぐに殺される。


「辛そうですね」


 無意識にこめかみを揉んでいた凛音は、瑠璃姫の声に我に返った。

 金色の右目がじっとこちらを見つめている。

 冷たいのに冷たくない、不思議な色合い。無表情に寄せているものの、瞳の奥底に心配が芽生えているのが感じられた。

 瑠璃姫は優しいのだ。きっと、本質は。

 そんな瑠璃姫に、凛音は肩の力を抜き、笑ってみせた。


「――はい。でも、息吹の力を自在に扱えるようになれば、この声も消えるって聞きました。だから、頑張ります」

「その意気です。初めて出会った時と比べて良い顔になりましたね」

「えっ」


 凛音は思わず瞠目する。

 瑠璃姫が褒めてくれた。それも、かなり率直に。

 嬉しくて、つい頬が緩む。

 がしかし、そこで終わってくれないのが現実の厳しさ。


「ただ、修行の方は芳しくないようですね。少し見ていましたが、なんとまあ酷い有り様」

「うっ。面目ございません……」


 今度は呆れさせてしまった。瑠璃姫が本気で蔑む視線は結構堪える。


「でっでも、言い訳させてくださいよ! まず霊力というのが理解の範疇を超えてるんです!」


 根本的な問題であった。

 縹によれば、霊力を操るのは生まれた時から自然とできていたと言う。それはもはや、神経伝達とか呼吸のレベルではないだろうか?


 霊力を操るということは、肉体の仕組みを自由自在に操るようなものなんじゃないかと凛音は考えている。

 生き物は空気中の酸素を取り込み、赤血球中のヘモグロビンと結合して全身の細胞へと運ばれる。そして有機物を分解し、エネルギーを生み出す。

 そんなことを意識してやっている人間がいるだろうか?

 無理だ。

 時計職人だって、時計が動く仕組みを作っているのであって時間を操作しているわけではない。

 ところが、鬼やあやかし、討魔士はこれができるのだという。

 不可能だ。


「いえ、不可能ではないからわたくしたちは霊力を扱えているのですけどね……」


 喚き散らすような凛音の言い訳を聞き終えた瑠璃姫は、呆れを隠さずに言った。


「そもそも、あなたの捉え方が間違っているように思いますよ。凛音、あなた、息吹に体を乗っ取られている間、奴の記憶を見たのでは? ならば知識はあるでしょう」

「意識して見たわけじゃないので、覚えてないことの方が多いですぅ。この力で何ができるのかは知っていますが……」


 息吹の力は邪眼に分類される。視界に捉えた物質を内側から破壊する。壊すしか能のない、はた迷惑な異能。

 霊力をマスターするには、この邪眼を鍛えることが一番の近道だと言われた。言ったのは瑠璃姫だ。

 理由は、分かりやすいから。霊力は通常、目に見えるものではない。手でも鼻でもなく、心で感じ取るものなのだとか。その点、邪眼は壊れる過程が目に映る。壊せばクリア。任務達成。

 だけど邪眼を鍛えるにも霊力操作が必要不可欠だから、結局は行き詰まってしまう。


 あーだのうーだの呻きながら頭を抱える凛音を、縹が心配そうに見守っている。一方、瑠璃姫は顎に人差し指を置き、澄まし顔で思案していた。


「――そうですね。どうしてもできないと言うのなら、別の方法を試す時かもしれません」

「別の、方法?」

「ええ。丁度よい案件があります」

「……案件?」


 根拠はないが、嫌な予感が胸に芽生える。

 瑠璃姫は何を思いついたのだろう。

 聞きたいような、聞きたくないような。


「最近、麓を騒がせているあやかしがおりまして。どうでしょう。そのあやかしを退治するついでに霊力の扱い方を学んでは? つまり、実戦形式の修行です」

「え゛」

「悪い話ではないと思いますが?」

「いやいやいやいや」


 凛音は勢いよく首を横に振った。

 いったい何を言い出すかと思えば。

 霊力が使えないから困っているのだ。なのに霊力を使ってあやかしを退治しろとは、これいかに。


「無茶振りでは?」

「スパルタ教育というやつです」

「知ってるんですね、スパルタ……」

「人に混じって情報収集することもありますから」


 何故か瑠璃姫は自信たっぷりに胸を張る。

 凛音は苦々しい顔で瑠璃姫を見上げた。

 嘘みたいだが、どうやら彼女は本気で提案しているらしい。

 絶対無理だ。ボコボコにされる未来しか見えない。

 だけど、他に方法はないのかもしれない。

 ――いや、やっぱり無理だ。自信がない。


「危険な時は俺が援護しよう」

「……縹さんも一緒に来てくれるの?」


 当然だ、という風に縹は大きく頷いた。

 さらに何分かうだうだと悩み、ようやく覚悟を決める。


 こうして、凛音は縹と共に人生初のあやかし退治に討って出ることになった。

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