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桜下白鬼伝1―角のない鬼(改稿版)  作者: 良田めま


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6/7

「!?」


 逃げ回る瑠璃姫に追撃を続ける息吹は、急な鼓動の乱れに驚いて動きを鈍らせた。その一瞬を捉えた瑠璃姫が匕首を飛ばしてくるが、息吹は冷静に撃ち落とす。

 乱れたと言ってもほんの一拍。既に体勢は立て直している。何も問題ない、はず。


(なんだったんだ? どこからか干渉を受けた気がしたけど)


 敵が仕掛けた罠かもしれない。

 瑠璃姫という女鬼は、威勢はよいが息吹からすれば大した敵ではない。おそらく正面からの戦いは苦手なのだろう。真っ向から殴り合えば、縹相手の方が苦戦するはずだ。

 むしろ、彼女の背後にいるモノの方が気に掛かる。


 主と呼ばれる存在に覚えがないというのは、半分嘘だ。

 心当たりならば多少ある。

 息吹がこの世の春を謳歌していた百年よりも前、風の噂に聞いたことがあった。鬼と人、双方を従える異質な鬼神(かみ)がいたと。しかし、その鬼神は大戦の終わりに命を落としたとも。

 瑠璃姫の主がそれかどうかは分からないが、息吹も口で言うほど小者だとは思っていない。同時に、己の力量もよく分かっていた。


(出てこられると厄介かも。早いとこ決着(ケリ)をつけるか。少し遊びすぎちゃったしね)


 次の一発で最後にするつもりで、力を溜める。

 凛音の恐怖を糧に回復したとは言え、霊力はもうほとんど残っていない。封印が解けたばかりの状態で、少々燥ぎすぎてしまった。それでも、格下の鬼を殺すくらいわけはない。


「久しぶりだったから、君みたいな雑魚でも楽しかったよ。じゃあね」


 息吹の目がぎらっと光る。鬼の証である金色の瞳。霊力を高めると、その中心に輪が現れた。輪は自らの尾を噛む蛇のようにぐるぐると回転し、瑠璃姫を捉える。

 攻撃を察知し、瑠璃姫が身構える。

 だがもう遅い。何人もこの邪眼から逃れることはできないのだから。

 瑠璃姫が片手を胸の高さに掲げる。ちょうど何かを差し出すみたいに。そしてその掌に唇を近付け、ふぅっ……と息を吹きかけた。

 直後、大量の花吹雪が息吹を中心に舞い踊った。

 どこを向いても、真っ白な壁が立ちはだかっているかのように何も見えなくなる。

 しかし息吹は余裕を崩さない。


「それで視力を奪ったつもりかい? でも残念。私の能力はそんなものじゃ――」


 強すぎる衝撃が、横殴りに息吹の脳を揺さぶった。


「ガァ……ッ!?」


 目の前に閃光が散り、喉が石で塞がったかのように窒息しかける。

 青い鋼のごとき拳が、花吹雪を貫き息吹の側頭部を撃ち抜いたのだ。そしてそのまま、為すすべもなく地面に叩きつけられた。

 花吹雪の鎮まった後には、拳を突き出したまま肩を荒く上下する縹の姿があった。だが息吹に抉られた傷は深く、すぐに力尽きて片膝を突く。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ」

「よくやりました、縹! トドメはわたくしが」


 下駄を履いた足で駆け出しながら、瑠璃姫は手元に匕首を形成する。無数の花びらを集めて出来たそれは、本物の刃と同じ鋭さを放っている。

 息吹が推測した通り、瑠璃姫は正面での戦いは不得手だ。だが、鬼らしく、必要とあらば肉弾戦も辞さない覚悟は持っている。


「後悔して死になさい!」

「はっ。誰が!」


 粋がる息吹だが、ダメージは決して少なくない。元は凛音(にんげん)の肉体なのだ。霊力の防御がなければ、先程の一撃で頭が潰れていたはずだった。その代わり、攻撃に回すはずだった霊力が三割は持っていかれた。出し惜しみはできない。残りの全てを使って瑠璃姫を倒すしかない。


「私は生きる! 生きて生きて、ひ弱な人間を殺しまくるんだ!」

「愚かなことを。何故己が封印されたか分からないのですか!」

「封印した奴の力が足りなかったからさ! 討魔士は私を殺せなかった、ただそれだけだ!」


 互いに吠え、肉薄する。

 息吹の邪眼に真っ向から挑むのは悪手だ。それは瑠璃姫も分かっていたが、ここで手を抜けば逃げられるのは明白だった。

 肉を切らせて骨を断つ。

 一撃で死ななければ、勝ち目はある。


 だが、瑠璃姫はまだ甘く見ていた。

 息吹が人間を虫けら程度にしか認識していないことの意味を。

 眼前で、息吹の霊力が膨れ上がる。炎に風を送り込むように、一瞬にして何倍もの強さに燃え上がるのを見て、瑠璃姫は思わず叫んでいた。


「まさか、この娘の命を霊力に換えて!?」

「アハハハっ! 人間なんていくらでもいるからね。また取り憑く先を見つければいいだけさっ」


 息吹の非道さに瑠璃姫は顔を顰めるが、どのみち彼女も殺すつもりだったのだ。やろうとしていることは息吹と同じ。

 瑠璃姫は唇を噛み、自身もまた霊力を最大限にまで高めた。霊力の強さで言えば、瑠璃姫は今の息吹より更に上だ。耐えれば勝てる。確実に。――耐えれば、だが。


「な、ん……? からだ、が……」


 息吹が驚いたように呟いたかと思えば、邪な笑みに染まっていた少女の顔が苦しげに歪んだ。瑠璃姫を殺すために溜めた霊力が、煙のように霧散していく。

 いったい何が起きているのか。

 分からないが、好機だ。

 瑠璃姫は強く大地を踏み込む。

 その時だ。

 息吹がこちらを見た。

 奥歯を噛み締め、頬を引き攣らせ――何かを訴えるような瞳で。

 そこに宿っていたのは狂気ではなく、言葉にできない切実な願い。


「あ……」


 瑠璃姫は呆けたように力を抜いた。躊躇いは身を滅ぼす、そうと分かっていても。

 ただ生きたいと願う少女の眼差しを、真っ直ぐに受け止めてしまったから。



 ざんっ……――――



 鮮血が夜空に弧を描く。糸のように絡み合いねっとりと尾を引くそれは、まるで赤い三日月のようで。






 くるくると視界が回る。

 遠くの山並み。点々と灯る町明かり。丸く夜空に映える月。頬に当たる風が実に久しぶりに感じる。

 凛音は、どこか晴れやかな気持ちで空を舞っていた。

 大地は遠く、しかしすぐに戻って来られるだろう。


 凛音は呆然としてこちらを見やる瑠璃姫を見た。

 その隣に立つ、白い男。

 目も鼻も口もない、ただ真っ白な面を被った長身の鬼。白銀の髪をさらりと揺らし、纏った白装束は染み一つなく美しい。凛音を斬った返り血も、不思議と彼を避けていく。

 ――桜の下が似合う男だ。

 なぜか凛音はそう思った。

 最後に、頸を失って倒れていく自分の姿。


 命の抜けていく音がした。

 サラサラと。まるで砂粒が溢れるようなその音が、弟の声に重なる。



『たすけて、凛ねえちゃ』



 楽しい思い出はたくさんあったはずなのに、思い出すのは最後に見た悲しい顔だけ。


「ごめんね、音河(いんが)……」


 凛音は、一粒の涙と共に瞳を閉じた。

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