四
「…………は?」
縹とあやかしの声が重なった。
一方の凛音は必死も必死、大必死である。
(いやだから、何人も人間拐ってるあやかしと戦うなんて無理だって。どうやって戦えって言うの!)
あやかしを前にしても怖くはないが、それとこれとは別問題なのだった。
勝てるとしたら、鬼の身体能力をフルに活用した必殺の不意打ちしかないだろう。しかし今回のあやかしの特性上、先手を取るのは難しいし、そもそも殴り合いで勝っても修行の意味がない。邪眼をモノにするのが今回の目的なのだから。
まずはデカい縹に矢面に立ってもらい、凛音はその後ろでなんとか頑張る。頑張れなかったら、縹になんとかしてもらいつつ逃げる。
撤退のことまで考えた、完璧な作戦である。
縹に何も知らせず壁役を任せるのは申し訳ないが……後日、文影堂のわらび餅を貢くことで許してもらおう。
そんな邪な思いを抱きつつ、凛音は縹の背中をぴしぴしと叩いて激励する。
「頼むよ縹さん! 思う存分やっちゃって!」
「凛音……」
縹が抗議するが、作戦はもう始まっているのだ。悪いが無視するしかない。
凛音は縹の背中に凭れると、うんうん唸りはじめた。
しかしそんな凛音の嘘を、あやかしはあっさりと看破していた。
「なーにホラ吹いてんだい。猿羅町にボスなんていないよ。だいたい、あやかし稼業に許しも何もあるもんか。うちらは皆好き好きに人おどかして生きてるのさ。そこの"縹様"だって、勝手にボスを名乗ってるだけだろ。うちが遜る理由なんてどこにもないね」
いや……名乗ってないのだが……という縹の困惑が聞こえてきそうである。しかしすまない縹さん、一度吐いた唾は飲み込めないんだ。
若干罪悪感を覚えしつつも、凛音は茶番劇を続ける。
「ははーん。あなた、本当に新参者だね? ううん……この土地のことを何も知らないとは」
わたしもよく知らないけど。
それっぽいことを並べるのみである。その間にも、霊力とやらを引き摺り出そうと試みる。
「ここは余所と違って特殊なんだよ。あなたみたいな新参者が目につくくらいにはね。だからっ! もしここで商売続けたいなら、この縹様に認められなきゃいけないよっ! むぅん!」
そこで限界が来て、だめだー、と脱力する。
全然霊力を動かせない。動かすどころか、感じるのも無理だ。
息を止めるのが悪いのだろうか? もっと自然体で……。
手法を練りながら、一方で世間話のようにつらつらと口が動いた。
「だいたいさぁ、恋人への未練がなんで生きてる人への攻撃になるの? 他人が幸せそうにしてるのがムカつくとか、そういうこと?」
「フンッ。お前に何が分かる。まだ男も知らないような小娘に諭される謂れはないよ」
「わー、そんなこと言われたの初めて。友達に言われたら付き合いちょっと考えるかも。軽々しく言ってるなら引くし、逆に本気なら思想強すぎて怖い。あと別に諭そうなんて思ってないよ。それほどあなたに興味持てないから」
「おま……案外ズケズケ言う子だね」
「うーん。前はむしろ大人しい方だったんだけど。人って変わるよね」
「人じゃないだろ」
笑えないボケだった。
半鬼化して、性格が多少変わった自覚はある。
だが、本質は変わっていないつもりだ。むしろ、モヤモヤが晴れてスッキリと自分を見通せるようになった気がする。
例えるなら、捨て犬を影でこっそり可愛がっていたヤンキーが、堂々とリードを持って朝の河川敷を散歩するようになるのに似た変化だろうか。友人にも、「最近肩の力抜けたね」と言われた。悪い意味ではないと思う、たぶん。
前の凛音は、いつも後ろめたい気持ちを抱えていた。
弱くてなんにもできないわたし。弟を助けられなかったのも、母親を不幸にしたのも自分だ。息吹に付け入られたのも、わたしが弱かったから。今でもその思いは変わっていないが、少なくとも前と違って強くなろうとしている。
そこに以前感じていた躊躇いや罪悪感はない。
代わりにあるのは――怒りだ。
弟を泣かせ、家族を壊した父親と本家も。縹の大切な人たちを奪い、凛音の人生を壊した息吹も。そして、何の罪もない人たちを次々と拐い、彼らの穏やかな日常を壊した目の前のあやかしも。
全部全部ぶん殴ってやりたいくらいの、怒りだった。
「あなたはここでお終いだよ。まだまだわたしは弱いけど、なんとかしてみせる。あなたが拐った人たちも早く助けなきゃ。どうせ生きてる人間の世話なんかしないでしょ? まさかとは思うけど、殺してないよね? もしそうだったら、絶対許さないんだから!」
あやかしはしばし虚を衝かれたように沈黙した。
何故この小娘はこなんに怒っているのだ? 会ったこともない赤の他人に対して?
そもそも、人間の命などどうでもよいではないか。あいつらだって、鬼やあやかしの命など気にしていない。むしろ憎んでいるはずだ。彼らは古い時代から、人間の命や感情を貪って生きてきたのだから。
そういうものなのだから。
次第に平静さを取り戻すと、凛音を心底馬鹿にし、鼻で笑うのだった。
「はんっ。青臭い正義感だねぇ。珍奇な鬼だよ、本当に。見た目もちんちくりんだし」
「こう見えて伸び盛りだよ」
「でもさ、お仲間の後ろに隠れてたんじゃ、なあんも説得力ないね。所詮は口だけだ」
「そっちは手だけじゃないの」
「そう思うかい?」
空気が湿った――と感じた瞬間。
「凛音!」
「ひゃっ」
前方の暗闇から白いものが飛び出したかと思うと、凛音の横を掠めて後方へ通り過ぎていった。縹ごと彼女の首を狙ったものだったが、ギリギリで縹が抱えて跳んでくれたおかげで回避できたのだ。
彼の背中に隠れていたので全く気が付かなかった。
(そうか、敵から目を離すのって危険なんだ……)
今は代わりに縹が見ていてくれたから、まだいい。でも一人の時だったら?
さすがに冷や汗が滲む。
「は、縹さん、ありがと――」
「礼はいい。一旦逃げるぞ」
「え? なんで?」
確かに撤退も考えてはいたけど、あくまでも最後の手段。逃げるのはまだ早いのではないか。そんな思いを込めて聞き返すと、縹は岩のような無表情の上に気まずさのような感情を浮かべた。
「すまん。その。俺の力は、町中で使うには豪快すぎて……」
「――あ」
ぴこん、と凛音の回答ランプに明かりが灯った。
「そうだった……! 縹さん馬鹿力なんだった!」
決定的な認識の相違に思い至り、頭を抱える。
言われなくても最初から分かっているべきだった。
拳一つで岩盤をも砕く剛力。それが縹の持ち味だ。
謂わば、単純な暴力。逆に言えばそれしかない。擬態中は本来の力の半分も出ないが、その分加減が利かない。狭くて古い町中で拳を振るえば、ありとあらゆるものが滅茶苦茶に破壊されてしまうだろう。
彼の一撃にかかれば、アスファルトなんて砂浜も同然だ。それだけではない。地中に埋められた水道管やガス管が破断。送電線は切断され、水漏れとガス漏れと停電が猿羅町を襲って、下手すれば大爆発で大パニック。これも人災と呼ぶのだろうか。鬼だから鬼災? いずれにしろ、大災害になるのは間違いない。
そうなれば凛音らは目出度く討伐対象だ。よくニュースで聞くような、「カッとなってやった」とか「本気じゃなかった」なんて言い訳は通用しない。何せこちらは人間社会とは相容れない存在。弁護士なんて付かないのだから。
というわけで。
縹は攻撃できない。
邪眼は使い物にならない。
となると――あれ? 本格的にコレどうやって敵を倒せばいいんだ?
「内緒話は終わったかい? デカイ口叩いたんだ。あんたの力、見せてもらおうじゃないか」
見上げると、夜空に布の塊が浮いている。
あれは、着物の帯? 一見すると、ぐちゃぐちゃに丸めた紙くずのようだ。何本もの帯が絡み合っているようで、亀甲や青海波などいくつかの柄が確認できる。その中から、一際長い帯が何本か、うねうねと烏賊の触腕のごとく宙を這っていた。
帯の間から、白い四肢がだらりと垂れている。白い小袖と白い足袋。だがしかし、顔はどこにもない。それが一層不気味で、禍々しい気配を振りまいていた。
思わず凛音は喉の奥で唸る。
「気持ち悪っ! 何この感覚?」
「邪気だ。邪道に堕ちたものは邪気を発するようになる」
「邪気? 邪道?」
「恨みや憎しみといった負の感情を糧とするもの。要するに息吹だ」
「なるほどっ! 分かりやすい。で、対処法は?」
「今は逃げるしかないな」
やっぱりね!
これ無茶を飛び越えて無謀な任務なんじゃないかなぁ!?
「たすけてええ瑠璃姫ええ!」
見ているのか知らないが。いやたぶん見ていないが。
今度会ったらめちゃくちゃ文句言ってやると心に決めて、凛音はあやかしにくるりと背を向けた。
その時。
「伏せろ!」
夜の闇を切り裂いて響く、若い男の声。
咄嗟に頭を下げたのは、ほとんど反射行動だった。
同時に、頭上を何かが勢いよく過ぎ去っていく。
前転するようにしてなんとか受け身を取るが、上手く行かず額をぶつける。
いてて、などと呑気に呻く暇もなく。少しだけ痛む額を押さえながら振り返った凛音が見たのは、紅蓮に彩られた炎の華だった。
ドオオォォン――!!
そよ風のような爆風が、凛音の前髪を軽く揺らす。見開いた瞳や頬に熱を感じる。本物の炎だ。
「きゃああああああ!!」
絹を裂くような悲鳴がつんざいた。あのあやかしの声。だが、炎に包まれて姿は見えない。ただ邪気が小さくなっていくのが、凛音の肌に感じ取れた。
「倒した……?」
「いや。逃げた」
答えたのは縹だ。
彼は凛音よりも冷静に状況を把握していた。彼の巨体では身を屈めても大差ないため、道路脇に回避していたようだ。
炎を見つめる縹の横顔が暗い。いや、硬い。まるでこれから戦いが始まるかのような緊張感に、凛音は眉をひそめた。
「縹さ――」
「大丈夫だったか?」
何が起きたのか問おうとする凛音の眼前に、ゴツゴツとした手が差しのべられる。
もちろん、縹ではない。
困惑して見上げた先にあったのは、テレビや雑誌の中でしかお目にかかれないくらいの美しい顔。
ぽかんと口を開けて間抜け面を晒す凛音に、その美男子は安心させるような微笑みを向けた。
「間に合ったとは思うが、痛む場所があれば教えてくれ。応急手当くらいならできる」
「…………へ」
――これが、凛音と長い付き合いになる討魔士、獅子王侑斗との出会いだった。




