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桜下白鬼伝  作者: 良田めま
第二章 手招きする女

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 夜が来た。桜馬山で一旦別れた凛音と縹は、問題のあやかしが出るという住宅地の外れで落ち合った。

 人里ということで、縹は人間に擬態中だ。Tシャツにジーパン、金髪という一見オラついた兄ちゃん姿。謎なチョイスだが、顔立ちが厳ついのでまあまあ似合っている。

 凛音は昼と似たような格好である。汗を掻いたので軽くシャワーを浴びて着替えたのだが、元々おしゃれに疎いせいか私服のバリエーションがない。

 湿り気を帯びた髪に、日中の熱気を払った風がひんやりと染みた。


「ここが猿羅(えんら)町だね。普通の町って感じ」


 凛音はひとけのない道をざっと見回して言う。

 アパートよりも一軒家が多く、マンションやビルのような高い建物は見当たらない。もし町の品評会みたいなものがあったら、時代に取り残された廃墟予備軍などと辛口評価されるかもしれない。だが、壱美市の他の町を見ても、住宅地は大体このようなものだ。凛音の自宅がある白辰(しらたつ)町など古い木造住宅がほとんどだし、誰も住んでいない武家屋敷もある。田んぼや畑も多く、良く言えば長閑、悪く言えば寂しい景色の広がる田舎なのだ。

 凛音にとっては何の変哲もない街涙が、縹は物珍しそうにあちこち見回している。


「どうしたの?」

「いや。人の住む家も随分様変わりしたと思ってな」

「あ……。そっか。縹さん、昔は人間と……」


 眉根を寄せ、途中で言い淀む凛音に、縹はゆっくりと頭を振る。


「深い意味はない。ただ感心していただけだ。人の一歩は小さいが、俺たちなどよりずっと遠くへ進めるのだなと」


 その声音に嘘はなかった。それが余計に悲しいと凛音は思うのだが、彼に自覚はないようだった。


 縹には、人間と共生していた過去がある。

 人間の妻を持ち、彼女との間に息子もいた。息子は当然、半鬼だ。ただし凛音と違い、ちゃんと鬼の角があった。

 だけど、二人の生命は無情にも奪われてしまった。奪ったのは封印される前の息吹だ。奴の記憶を覗き見た凛音は、何故縹の家族が狙われたのか知っている。

 ――面白そうだったから。

 同族と餌が共に手を携えて生きる姿は、血と怨みの感情を好む息吹にとって格好の養殖場だったのだ。


 結局、逃げた息吹を追って壱美に辿り着いた縹は、既に奴が討魔士によって封印されていたことを知る。

 それから百年、偶然にも息吹の封印が解けるまで、縹は憎しみを色濃く募らせて生きてきた。


(けれど……)


 縹は息吹を殺せなかった。息吹は死んだが、手を下したのは白面鬼。

 結果的に、縹は復讐の機会を永遠に失うこととなった。


 凛音は時々考える。

 自分の手で仇を討てなかったこと、彼はどう受け止めているのだろうかと。

 大切な人を失った悲しみが癒えることはない。

 仇が死ねば、怒りと憎しみはいつか癒えるのか?

 それとも、別の何かに変わるのか。


 分からない。

 今は、まだ。


 凛音は頬をパンッと叩き、強引に気合を入れた。


「さて! あやかし退治と行きましょうか! 正直そろそろ瑠璃姫を見返してやりたいし」

「ああ」

「瑠璃姫が言ってたあやかしは確か、〈手招きする女〉だっけ。今風に言うと都市伝説、もしくは怪異。男に未練を残して死んだ女の魂が悪霊化して、仲睦まじい男女を襲う、と」


 いや襲うなよ、とは言っちゃ駄目なのだろう。あやかしとなった時点で人間の理屈は通用しないのだ。生前にはしなかったような殺しや拐かし、呪いや共食い。それらの異常行動は、人でなくなかったからこそできるようになったと言える。

 凛音にとって今重要なのは、それほど強いあやかしではないという事実だ。

 そう。〈手招きする女〉は修行の踏み台として丁度よい塩梅なのだ、瑠璃姫が言うには。

 ……霊力操作できないのにどうしろと、とはまだ思っているが。


「出没場所は猿羅町の中心からやや西寄り。時間は大体亥の正刻――ええと、夜の十時から夜中の一時、だったかな。合ってる?」

「合っている」


 縹のお墨付きに自信をつけ、うんうんと頷く凛音。


「男女二人で道を歩いていると、十字路の角から女の腕が現れて手招きをする。妙な質問をされて……この時回れ右して逃げればセーフだけど、答えてしまうとほぼアウト。一例を除いて、殺されるか行方不明になるかのどちらか。瑠璃姫に聞いた時も思ったけど、あやかしってやっぱり理不尽だね……」

「全てのあやかしが危険なわけではないし、危険だからと言って即座に討伐対象となるわけではない。今回の場合、桜馬のお膝元を荒らしたというのが問題だ」

「桜馬山、白面鬼さんたちの拠点なんだよね? 自分ちの庭を荒らされたから怒ってるのかな」

「少し違うが……まあ、今はその解釈でいいだろう」


 今は、か。もっと親しくなれば、白面鬼たちの事情も教えてもらえるのだろうか。瑠璃姫はともかく、白面鬼とどうやれば親密になれるのか分からないけれど。でも、凛音の力になってくれそうな数少ない(ひと)たちだ。なるべく仲良くしておきたい。もちろん、縹とも。


 二人はひとけのない道路を適当に進んでいった。猿羅町の地図が頭に入っているわけではないので、目的の範囲から出ないようにするのが地味に大変だったが、そこは縹がカバーしてくれて助かった。街区表示板など、もはや凛音より使いこなしている気がする。

 道は左右に民家が立ち並んでいるため、軽く閉塞感がある。幅も車がようやっとすれ違える程度で、縹が本性に戻ったらそれだけで何かしら破壊してしまいかねない狭さだった。

 あと、不思議と音が少ない。家にいるはずの人の声、テレビやラジオの音さえも聞こえない。少しくらい外に漏れてもいいはずだが。まるで、町から人だけがいなくなったかのような薄ら寒さを感じていた。


 だが――馴染む。

 凛音の人間でない部分が、暗闇を歓迎しているのだ。結局のところ、鬼とは闇と共に生きる種族。人間と同じように太陽を浴びて暮らそうとも、最も落ち着くのは夜の間の闇なのだ。


「さっき、家でちょっと調べてきたんだけど、壱美市ではこの一ヶ月で少なくとも五人が行方不明になってるんだって。あんまり大きなニュースのないところなのに。でも、あやかしの仕業だっていう話は出ていないんだ。瑠璃姫はあやかしの名前まで特定してたけど、人間側は気付いてないのかな?」

「どうだろうな」

「まあ、わたしの調べ方が甘いだけっていう可能性も十分あるけど」


 縹はここ百年の情勢に疎い。そして凛音は、あやかしとはほぼ無縁のまま生きてきた。なので何とも言えず、二人揃って首を傾げていた。


 日本では、大小合わせて毎年千件以上、怪異による被害が報告されている。長期休暇前には学校でも必ず注意喚起がされる上、怪異の接近を報せる呪具――鬼鈴を自治体が無料で配布するくらい危機意識は強い。

 にも拘らず、一つの町で五人もいなくなっていて誰もあやかしの仕業だと気付かないのは不自然だ。


(よくよく考えてみるとさ……わたしが町を歩いてても、誰の鬼鈴も鳴らないんだよ。もしかして、あの道具って役立たず?)


 以前、縹に襲われた時も凛音の鬼鈴は報せてくれなかった。目の前に天敵がいるのに、うんともすんとも言わなかった時の絶望感と言ったら。今回あやかしに襲われた人たちも同じ思いを味わったのかもしれないと思うと、不憫でならない。


「凛音。捕り方は動いていないのか?」

「警察? さあ、どうなんだろ。動いてないとしたら、死体が見つかったわけじゃないからかな? 成人の失踪の場合、確実な事件性がないと警察は捜査しないって聞いたことあるよ。でも、人が連続していなくなってるんだからそこは動いてほしいね。壱美市民としては」

()()()としては、人間はじっとしてくれていた方が助かるのだがな」

「そうなんだよねー……」


 人間として、鬼として。二つの側面を持つ凛音は複雑な気持ちで顔を顰める。

 彼女はまだ知らない。人間の恐ろしさを。だから、先達の自分が伝えられることは伝えていかなければならないと、縹は使命感を強くした。


「一つ忠告しよう。お前はあやかし退治を請け負った。お前が強くなるのなら、これからも数々の敵と対峙するだろう。だが、その全てがあやかしばかりとは限らない」


 縹から見ると、凛音はほんの子供だった。事実、十六歳という年齢は人間社会の中でも子供だ。成熟しているとは言い切れず、かと言って未熟なままで許されるわけでもなく、一歩一歩足元を固めて進んでいかなければならない年頃。見たくない現実も認めていく必要がある。


「お前が望まずとも、争わなければならない時が必ず来る。そんな時、凛音が前を向いて戦えるのか、俺は不安だ」

「……何を心配しているの?」

「それは――ム」


 縹の強面が前方を睨み、足を止めた。一拍遅れて、凛音も気付く。


 一見何の変哲もない十字路。そこだけ、くっきりと、街灯の白い光に切り取られている。

 何か違和感があった。

 光の外、青白く光る塀の影。

 そこをじ……っと見つめていると、不意にひらひらと舞う小袖が現れた。

 上下に揺れる、生々しい女の右手。


 ――出た。〈手招きする女〉のあやかし。

 脅威は感じない。だが緊張はする。

 凛音と縹はすぐさま顔を見合わせ、意志を共有した。

 〈手招きする女〉は二人の本性に気付いていないようだ。凛音は半鬼だし、縹の擬態は完璧。完全に人間の男女だと勘違いしている。実に好都合。

 凛音は手招きに応じてゆっくりと近付いていった。僅かに緊張しているせいで、膝の関節が少し硬い。

 ここからの主体は彼女だ。縹も離れず付いてくる。


「お前とお前、どっちが大事?」


 鉄と木の葉が擦れ合うような、ガサついた耳障りな声がした。

 凛音はゆらゆらと揺れる指先を見つめつつ、ごくりと息を呑んだ。


(瑠璃姫の情報通りだ)


 一緒にいる相手と自分との価値を比べろという質問。二人の答えが一致すると、名を呼ばれた方は生かされ、そうでない方は殺される。別々の名を答えると二人とも殺される。そしてそれ以外を答えた場合は、二人ともどこかへ連れ去られる。

 失踪者は五人。

 彼らの遺体は発見されていない。まだ何人かは生きている可能性がある。助けられるかもしれない。


「……凛音」


 小さく呼びかける縹の声に、凛音は今やらなければならないことを思い出した。


(そうだ。これはわたしの修行。他のことは後回し)


 息を吸って、吐いて。もう一度吸って、束の間止める。

 怖くはない。前の自分だったらあやかしというだけで足が震えていただろうが、今は不思議と張り合える。一度死んで蘇った時に、心の弱い部分が削ぎ落とされたのだろうか。それとも、人間を辞めると自動的に人外への恐怖感が薄れるのか。今の凛音には、不気味に蠢く女の手を観察する余裕すらある。


(ほっそいし青白い。あんまり健康的じゃないなぁ。……よし、やるか)


 凛音は気合を込め直して、一歩前に踏み出した。


「ちょっといいかな。わたしたち、あなたに用があるんだ」

「お前とお前、どっちが――なに?」


 ゆっくりと蠱惑的に手招きしていた腕が、凛音の問いかけに反応するとぴくりと止まった。声は不審そうというより不快そうで、言葉を遮ったのが機嫌を損ねたらしい。手の動きも声の調子もなんだか妙にノリノリだったし、雰囲気にのめり込むタイプなのかもしれない。生前の恋人に未練があるらしいが、本当だろうか。いや、雰囲気重視だからこそ、恨みや憎しみのような強い感情に支配されやすいのかも?


「だから、用事があるんだ。あなたに」


 女の指先はしばし窺うように凛音たちの方を向いて彷徨っていたが、やがて鼻で笑い、犬を追い払うような仕草をした。


「お前たち人間じゃないね? ならどっか行って。うちは鬼なんかと話す気ないの。しっしっ」


 どうやらターゲット以外には興味がないようだ。鬼だからと怖れる様子もない。凛音のイメージでは鬼はあやかしの頂点に君臨する種族なのだが、意外にもそうではないのか。


(いや、コレむしろ下に見られてない?)


 言葉の抑揚。指先の動き。面倒くささを帯びた溜め息のような吐息。

 まるで蝿扱いではないか。羽虫に向ける蔑みの目が想像できる。

 実際、凛音は虫みたいに弱いけど。凛音の方は。


(でもねぇ……! 縹さんはわたしと違って弱くないんだからね!)


 後悔しろよとばかりに、凛音は前に出た分以上に跳んで下がった。キョトンとする縹の腕をがっしと掴んで、自分はその後ろにサッと隠れると、堅い背中をバシバシと叩く。


「このお方をどなたと心得る! 猿羅町の影のボス、縹様だよ! このお方の許しも得ずこの町で商売しようだなんて、ふてぇ野郎ってヤツだね! 観念してお縄につきなっ」


 秘技、虎の威を借る狐作戦!

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