92話 長島一向宗を追い払え
天文13年(1544年夏)――13歳
今日は軍師たちと、重要――というより、下手をすれば火傷しかねない厄介な話をしている。“長島一向宗を厄介払いする”という話だ。
長島に集結する一向宗の信者たちを、早いうちにどうにかしておかねばならない。
放っておけば、いずれ伊勢を蝕む“危険な腫瘍”となることを、俺はよく知っている。
前世の歴史では、織田家がこの一向宗の排除にどれほど苦しめられたことか。
一向宗は危険な相手。そして強い相手だ。なぜなら信徒を死兵に使いやがるからね。
坊主の誰かが考えたのだろうけど、寺社には都合がいいだろうが、酷い事を考えたものだ。
「長島から一向宗を排除しようと思う。放置すれば、いずれ彼らは力を蓄え、北畠家にとって危険な存在となる」
「我らも同意いたします。しかし、まともに武力で排除しようとすれば、死を恐れぬ信者たちに攻め込まれ、我が軍の損害は計り知れないものとなりましょう」
勘助がそう進言し、幸隆も静かに頷いた。
「本来、宗教とは苦しみ悩む人々の心を救うためにあるものだ。信仰の名のもとに死兵を作り出すなど、許されるべきではない」
「寺社がなぜ力を持ったか、お互いに確認しておこう」
「武家が戦を繰り返せば、そのたびに銭が必要になる。だから武家は寺社に借金をする」
「戦で田畑が荒れれば、農民も年貢が払えなくなる。やはり寺社から銭を借りる。つまり、戦が続けば続くほど、寺社が潤うわけだ」
「戦が続けば、借金は返せない。借金の担保として土地が取り上げられる。その分、寺社の領地は広がる。農民たちは寺社の小作となる。なんのことはない、寺社が大地主、小領主、大名となっていくのだ」
「やがて、周辺のヤクザ大名から目をつけられることになる。そうなると、大名に負けない武力を持とうとし始める。僧兵というやつだ」
「そのうち、僧兵だけでは強い大名には勝てないことを知る。やがて、“最強の兵”がほしくなる。そのために、信者たちを脅す――“寺を守らぬ者は、地獄に堕ちる。寺を守れば極楽にいける”と。洗脳により“死兵”を手に入れたのだ」
「そうやって、洗脳まがいの教義を平気で広めていく。まさに“禁じ手”。許されざる道だ。だが奴らは “死兵”を自在に操り、大名を圧倒する。その力は大大名でも対抗できないものとなる」
「坊主たちの私利私欲、あるいは“寺を守る”という大義名分のもとに、一向宗は、現世に地獄を作り出しているといえる」
「もともとは人々を救う、立派な宗教だったのかもしれないが。戦国という狂った世に飲まれるうちに、次第に歪んでしまったのだろうな」
「もし彼らが、自らの誤りに気づいて、本来の姿を取り戻してくれるなら……それに越したことはない。だが、果たしてそれが可能なのかどうか――それが問題だ」
一旦話を止めて、優秀な軍師たちに頭を整理してもらう。
「今の長島にあるのは、もはや“寺”ではない。最強の兵を従えた、強欲で危険な“大名の城”に他ならない」
「冷静に考えれば、信者たちは騙されていることにも気づけるはずだ。なぜ彼らは気づけないのか。一向宗に付け入る隙はないのだろうか?」
「信者の中にも、騙されていたと気づいて棄教し、我が領民となった者はおります。ただし、ごくわずかです」と幸隆が答えた。
「宗教にどっぷりと染まり、洗脳されてしまうと、坊主の言葉がすべて正しいと思い込むようになります。他の人間の言葉には耳を貸さなくなる……これは実に危険ですな」と勘助が言う。
「宗教というのは、やはり怖いものだな。我が領民は豊穣神様を信仰しているからこそ多少安心できるが、もしそうでなければ、長島の一向宗は我が領土へとじわじわ浸透してくるに違いない」
「北畠の家臣や兵、その家族の中で、“こいつは騙しやすそうだ”と目をつけられれば、奴らは手を変え品を変えて洗脳を仕掛けてくる。そして一度信者として取り込んだなら、今度はその者を足がかりに、家族や友人までも引きずり込んでいく」
「殿、一向宗に戦を仕掛ければ、果ての見えぬ泥沼の戦いに突入しますぞ」と勘助が重々しく進言する。幸隆も無言で深く頷いた。
「俺は彼らに、長島から自発的に出ていってもらおうと思う」
「そんな都合の良い話が、果たして可能でしょうか?」
勘助と幸隆が、不思議そうな顔を見合わせている。
「お前たちに寺社のことを話していて、気づいたことがある。宗教に騙される人間というのは、宗教以外のことでも騙されやすい人間ということだ。簡単に洗脳され、詐欺にも引っかかりやすい人間だ」
「そういう視点で、“どうやって一向宗に、長島から出ていってもらうか”について考えてみたのだ」
「長島砦を“死兵が守る難攻不落の要塞”と見るのではなく、“騙されやすい人々が集まっている街”だと捉えてみるんだ。視点を変えれば、考えられる策もぐっと広がるはずだ。どうだ?」
軍師たちは、俺が何を言いたいのか理解できない。
ただ俺を見つめながら必死に思考を巡らす。
「たとえば『長島は大津波で沈む』と暗示にかけて信じ込ませることができれば、奴らは安全な山の方に、つまり美濃大垣の方に逃げだすのではないか!」
「いったいどうやって信じ込ませるのですか?」と勘助と幸隆が不思議そうな顔をしている。
俺は、具体的な作戦――“くの一お姉さん作戦”を、順を追って説明する。
「たとえば、指導的な立場にある坊主の多くが、『長島の寺が大波で沈む夢を見た』などと言い出したら、どうなると思う?」
軍師たちは、話の展開についていけず、ぽかんとした顔でこちらを見ている。
「長島の坊主どもは、金と女に目がくらんだ俗物ばかりだ。だからこそ“くの一お姉さん作戦”が効くんだよ」
「殿! その先は言わないでください。我らは知恵を絞るのが務めですぞ。楽しみでもあります」
勘助と幸隆が、意味深な笑みを浮かべて頷く。
「美濃の地に、一向宗に心酔する領主を一人、作り出す必要がありそうですな」と勘助が進言する。
「そして、その領主が長島の哀れな信者たちを救い出す、という流れにすればよいのですね」と幸隆も続ける。
……さすがは我が軍師。
いや、軍師は優秀な詐欺師でもあるということだな。一向宗を見事に騙してくれ!
「それで“くの一お姉さん作戦”というわけですね。その後の仕込みは、我ら軍師にお任せを」
――やっぱり一流だな、うちの軍師は。
よし、後は任せたぞ。




