90話 信長はもう返さない
天文13年(1544年夏)――13歳。
俺は織田信秀さんに使者を送ることにした。
使者には、経験値を積ませる目的もあって藤林保正を任命する。
頑張ってこいよ。
「織田家と主に商業取引に関する相互協力の協定を結びたい。そのため、織田家当主との会見を持ちたい。場所は熱田でいかがか。できれば嫡男様とも交友を持ちたいので、一緒にお連れ願いたい」
そんな内容を、保正から伝えてもらった。
織田からの返事は「ぜひお会いしたい。嫡男も連れていくのでよろしく」とのこと。
――だが、ここで問題発生。
俺が熱田に行くことに、重臣全員が大反対。
もう13歳だというのに、まったく信用されてない。過保護にもほどがある……。
「才能あふれる信長を、ぜひ北畠に取り込みたい」
そう説得してみた。
「目が見える時ですら“うつけ”と馬鹿にされた信長に、そこまでの価値があるとは思えません」と全員が揃って反対だ。
(俺は知っている!)
信長は、寡兵で桶狭間に挑み、東海の覇者・義元を討ち取った英雄であることを! 光秀に殺されなければ天下統一を達成していたことを!
……でも、なぜ知っているかは言えない。
「とにかく俺を信じて、行かせてくれ。頼む。この通りだ」
そう頭を下げ続けたら「主君が家臣に簡単に頭を下げるのはダメです」と叱られる。
どうすればいいんだよ……。
粘りに粘って、ようやく重臣たちも諦めてくれた。
熱田へは日本丸2隻で向かうことになり、護衛には冨田勢源と森可成が率いる銃兵と槍兵が200人ずつ同行する。
熱田の港に入るが、日本丸を横付けできる桟橋はない。
沖に停泊させ、短艇で往復して兵を岸まで運ぶことに。
港では、すでに信秀さんが家臣を連れて待っていてくれた。
「神童と名高い北畠殿と、こうしてお会いできたこと、嬉しく思う」
信秀さんがそう切り出す。
彼の視線は、沖に停泊している2隻の日本丸をちらちらと見ていた。
船と銃兵の存在をひっくるめて、俺の価値を値踏みしているのだろう。
(……あんまり気分良くないな)
会社にいた頃、ジロジロと値踏みされ、急に態度を変えられ、嫌な気持ちになったことを思い出す。
「従四位下北畠伊勢守です。今後ともよろしくお願いします」
俺は普光女王の降嫁が決まったことで従四位下に昇進している。官位では俺の方がずっと上なのだよ。
「立ち話もなんですから、千秋季忠に熱田神宮をご案内させましょう」
熱田神宮といえば、天叢雲剣(草薙剣)!
(この時代は、どうなってるんだろ。楽しみだ!)
軽く参拝を済ませ、奥の部屋に案内される。
そこで世間話を交えつつ、お互いの国の産品について話し合う。
信秀は、今川や斎藤と渡り合う戦国武将であると同時に、尾張のセールスマンとしても優秀なおじさんだった。
尾張の焼き物の話から、堺〜伊勢〜今川〜北条へと繋がる航路の話まで、熱田港の重要性を淀みなく語る姿……正直、少しだけ見直したぞ。
(“イケてるお喋りオジ”か?)
そう思っていると、頭にふと関係ないことが浮かぶ。
『たくさんの女性を口説き、尾張の種馬と呼ばれたのは、やはりこのトーク力が原動力だったのだろうな』
俺も負けじと、北畠の産品をアピールする。
売れ筋No.1の焼酎から、最近始めた綿や絹織物の話、そして港の使用料や関税の話まで。
そして、さりげなく信長の話題を振ってみた。
すると信秀さん、絶妙なタイミングと判断したのだろう。
近習に信長を呼ぶよう指示する。
――やがて、信長が手を引かれて現れた。
(びっくりするほど痩せ細ってる……顔色も悪い。“やつれた英雄”じゃないか)
「人払いを」
そう言って、部屋には俺、冨田勢源、信秀さん(あの“イケオジ”)、信長の4人だけになった。
信秀さんが申し訳なさそうに話し出す。
「このまま尾張の城に置いておくと、嫡男の座を狙い、信行の取り巻きに命を狙われかねない。信長を伊勢で匿ってもらえないだろうか?」
「構いませぬが、期間はいかほど?」
「毎年500貫支払う。協定の証として、ずっと預かってはもらえまいか?」
「本当に良いのですか?」とイケオジに確認する。
イケオジは何度も頷いている。
早く俺に、引き取ってくれという風にしか見えないぞ!
「嫡男殿は、伊勢に来ることをご納得か?」
「是非もなし」
その一言には、信長の諦めとも覚悟とも取れる、静かな決意がにじんでいた。
(おぉ〜。信長の“是非もなし”だ。……聞けて良かった)
「承知した」
通商に関する細かい取り決めは、両家の文官同士に任せて。
俺は信長を連れて、さっさと伊勢に帰ることにした。
気が変わらないうちに連れて帰っちゃうもんね。
――というわけで、信長は北畠家で預かることになった。
協定の証だとか言ってたけど……
(本当に大丈夫か? あの英傑だぞ? もったいなくないのかな?)
イケオジ!
……信長はもう返さないからな。
返さないと言ったら、どんな手を使ってでも返さないぞ!




