87話 教育が未来を変える
天文13年(1544年夏)――13歳。
文官学校では、北畠の文官たちに講義を依頼した。
「忙しくて死にそうです……」と不満を漏らす者もいたが、
「今ここで人材を育てなければ、後で自分たちの首を絞めることになるぞ」
――そう釘を刺しておいたら、渋々ながら納得してくれた。
もちろん、報酬はしっかり上乗せだ。
アメとムチ、その使い分けは組織運営の基本である。
(何でも最初は苦労の連続ばかり。北畠は、“会社をゼロから立ち上げた段階”だ)
(苦労があって当たり前)
軍人学校には、主に武士の子どもたちが通っている。
しかし、武に秀でた適性がありそうな農民の子どもたちも、一緒に学ばせている。
刀や槍、銃器、榴弾の扱いと手入れ、そして“孫子の兵法”まで――
実戦的な技術から戦略理論に至るまで、幅広い指導が行われている。
講師を務めるのは北畠の武将たち。
彼らは、教えることが思いのほか楽しいのか、皆どこか誇らしげな顔をしている。
当然ながら、すべての学校で、“武家の子が農民の子を差別すること”は固く禁じている。最初が肝心なのだよ。
そして――ついに海軍学校も創設した。
……が、問題がひとつ。教えられる人材が、いない。
結局、講師は俺か……。
他の講師陣にあれだけ無理を頼んでおいて、「自分は忙しいからムリ」なんて、口が裂けても言えないしな。
まずは、“地球は丸い”という話から始める。
そこから“緯度・経度と地図の読み方”、“星の運行”、“航海術”、さらには“砲術”に至るまで――
内容はまさに、知の航海。てんこ盛りだ。
不思議なことに、なぜか嫁たちは毎回この講義に顔を出してくる。
しかも俺の隣にちゃっかり座って、真剣な顔で講義を聞いている。
勘助や幸隆、他の家臣たちまでもが、こっそり後ろの席に紛れ込んでくる始末。
……うん、やっぱりこの内容、この時代じゃちょっと高度すぎるのかもしれないな。
でも、みんなにはしっかり学んでもらいたいものだ。
新しい海の時代を担う人材を、ここから育てるんだから。
中学校を卒業した生徒たちは、今では北畠のさまざまな部署で立派に働いている。
これまで丹念に育ててきた“金の卵”たちだ。そんな貴重な人材を、他国に渡してなるものか!
きっと彼らは将来、この国の屋台骨となる存在になるはずだ。
北畠の未来を支える柱として、確かな力を発揮してくれるに違いない。
当初は、“農民出身者に対する差別”の発生を心配していた。
だが、もともと忍者の国である伊賀には、身分にこだわる風潮がほとんどない、今のところ目立った問題も起きていない。
現在の北畠では、農民、職人、軍人、文官、そして正直屋に代表される商人たち――あらゆる階層の人々が「自分たちの幸せな暮らしを守るために、この国を命がけで支える」という、強い国防意識を共有し始めている。
国民1人ひとりが、国を守るという自覚を持ち始めたこと……
それは何よりも誇らしく、感慨深い変化だ。
本当に、いい国になってきた。
――そういえば。
平井の娘・百合が嫁いできたとき、彼女が一番驚いたのは“学校”の存在だったという。まあ、この時代の常識からすれば、確かに異質なものだろう。
国を担う人材を、自らの手で教育し、育てていく――
そんな取り組みを目の当たりにして、百合は最初、ずいぶん不思議に思ったらしい。
無理もない。他のどの国でも、そうした発想自体が存在していないのだから。
けれど今では……
「育てた人材が国を動かし、豊かにしていく」ということ、そして「教育こそが国家の土台を築くのだ」ということや、その意義を、百合なりに少しずつ理解してくれているようだ。
「百合、北畠家での暮らしにはもう慣れたか?」
「はい、おかげさまで。皆さまにもよくしていただいております」
「それはよかった。北畠家ではさまざまな改革に取り組んでいるが、その中で一番興味を持っているのは何だ?」
「……学校です。教育が、国を豊かにする要であることを、日々の暮らしの中で実感しております」
「おお、百合はなかなか見どころがあるな。その本質に気づいたとはな。将来、学校の運営を任せることになるかもしれんな」
「ありがとうございます。そんな大役を……全力で取り組ませていただきます!」
――女である私に、これほど大切な役目を託そうと考えてくださるなんて。
この家に嫁いできて、本当によかった……心から、そう思います。
北畠家では、女はただの“子を産む道具”ではない。
民の教育に真剣に取り組み、その成果を着実に実らせているこの神童様。
このお方には、私たち凡人とはまったく違う景色が見えているのだろう。
そんな方の妻となれたこと……それは、私の人生における何よりの幸運だ。
私も、もっと学ばなければ。もっと知り、考え、力になれるように。
百合はそっと頬を染め、胸の奥で静かに決意を深めた。




