86話 教育改革、伊賀から始まる
天文13年(1544年夏)――13歳。
伊賀に学校を作ってから、早くも7年が経とうとしている。
ようやく人材が育ち始め、少しずつ芽が出てきた感触がある。
だが――最初は散々だった。
「農民に教育? 馬鹿馬鹿しい! 黙って米でも作らせておけ!」
「金の無駄だ! 意味がわからん! 神童とやらも、ずいぶんと世間知らずだ!」
そんな否定的な声が、あちこちから聞こえてきた。
さらに追い打ちをかけたのは、子供を学校に通わせている親たちの不満だった。
「子供は手伝い要員だ! 田んぼや畑に出して働かせた方がずっとマシだ!」
「労働力を増やすために産んだのに、遊びに行かせてどうする!」
民を幸せにしたくて始めたことなのに、当の民からは批判ばかり――
影でこそこそ悪口を言われるのは当たり前、面と向かって不満をぶつけられることもあったぞ……。正直、堪えた。心が折れそうになる日もあった。
――でも、誰かがやらなきゃ、この世は何も変わらない。
だから、もう開き直って、こう言ったんだ。
「これは神のお告げ。学校に行かせなきゃ、大きなバチが当たるぞ」ってね。
信心深さにつけ込んでの脅しだ。やりたくはなかった。豊穣神様が怒り出すかもしれないしね。でも、俺はどんな手でも使おうと決めていた。
どれだけ文句を言われようと、歯を食いしばって続けた。
だから、今こうして芽が出てきたのが、心から嬉しい。
誰も褒めちゃくれないから――
自分で言ってやる。
俺、よく頑張ったな。本当に偉かったぞ、俺!
読み書きと計算の習得なんて、ちゃんと教えれば1年もかからない。
だから学校の名前は、馴染みのある“小学校”とした。
この小学校、決まった通学年数なんてない。
“読み書きと計算ができるようになったら、最短で1か月でも卒業OK”というシンプルなルール。
逆に、ダラダラ通っても意味がないから、在籍期間は最長で1年と決めた。
人にはそれぞれ向き不向きがあるし、そこは柔軟にいく。
それでも卒業生の数は、しっかり増え続けている。
かつては文句ばかり言っていた親たちが、いまでは誰よりも喜んでいる。
その理由? 簡単な話だ。
俺がこの領地を治めてからは、税として必要なぶんだけ納めてもらえれば、
“残りの作物は好きに売っていい”ってことにしたからだ。
結果、農民たちにとって、“売る”チャンス、“買う”チャンスがぐんと増えたのだ。
そして、そういう取引の場面では、子供たちが身につけた読み書きと計算が、思いのほか役立っているらしい。
最近じゃ「もう商人に騙されねぇぞ」なんて、得意げに話す声も聞こえてくる。
――まあ、昔は騙されてることすら、気づけなかったんだろうけどね。
それに、優秀な学生たちは、北畠で雇っている。
うちで育てた人材を、うちで活かす。これが一番いい形だ。
今では「小学校に通うのは当たり前」という意識が、領民のあいだに定着しつつある。
民の意識改革――少しは成果が出てきたのかもしれない。
民度も、ほんの少しだけど……上がった“気がする”。
小学校がうまく機能し始めたことで、次に着手したのが“中学校”の設立だ。
中学校では、進む道に応じて専門課程を用意した。
職人学校、軍人学校、文官学校、そして海軍学校――用途に応じて分類し、
小学校と同じく“早期卒業方式”を採用している。
職人学校では、まず職人の親方たちに講義をお願いした。
もともと職人の世界は、“見て覚えろ”、“技は盗むもの”という文化が根強い。
だが、小学校を出た若者たちは文字が書ける。
そこで彼らを親方のもとに張り付かせて、“基本的な職人マニュアル”を作らせた。
もちろん、協力してくれた親方には“手間賃”を支払うことにした。
その甲斐あって、マニュアルの内容も少しずつだが、しっかりと充実してきている。
とはいえ、最初はほとんどの親方たちが「技術を他人に教えるなんて、とんでもない!」と猛反対だった。
おそらく「自分の弟子でもない連中に、技なんて教えられるか」という思いがあったのだろう。
そこで俺は、こう頭を下げて頼んでみた――
「職人を目指す若者たちに、最初に学ぶべき“基本の技術”だけでいいので、教えていただけませんか?」と。
すると、「まあ、それくらいなら……」と渋々ながらも了承を得られ、マニュアル作りがようやく動き出した。
それでも最後まで協力を拒んだ職人には、出ていってもらった。
結果的に去っていったのは、どれも腕に覚えのない職人ばかり。
きっと持っているノウハウが少なかったのだろう。
今では職人学校が、“優秀な見習い職人”を見つける場となり、
親方たちが自分の工房に引き抜きをかける“草刈り場”へと変わりつつある。
ほんの少しずつだが、着実に前進している。




