72話 勝者の覚悟
天文12年(1543年夏)――12歳
敵陣の混乱を見て取った幸隆は、わずかの逡巡もなく動いた。
「左右の陣、前進開始!」
命令と同時に、左右両翼の爆弾クロスボウ隊――各250人が一斉に展開。鋭い金属音とともに、背後の槍隊1,000人ずつが重厚な足音を響かせて続く。
「中央の陣、ゆっくりと前進開始!」
前方を槍隊が盾で守りながら、中央のライフル隊がゆっくりと進撃開始する。
俺の本陣も前線へとじわじわ移動を始める。
風が土煙を巻き上げ、地鳴りのような足音が大地を揺らす。
敵本陣は、あっという間に三方から包囲される形となった。
そして――
爆弾クロスボウ隊が、一斉に榴弾を放った。
ズドーン! ズドーン! ズドーン!
ズドーン! ズドーン! ズドーン!
空が揺れた。火と煙が舞い上がり、敵陣の前列が吹き飛ぶ。
叫び声、破裂音、地響き。耳が割れそうな轟音の中、敵兵たちは恐慌状態に陥る。
「総攻撃!」
幸隆の扇が大きく振られる。
俺の本陣に300人の護衛兵が残り、それ以外の全軍が総攻撃に向かう。
空気が、熱くなる。
戦場が、生き物のようにうねり、獣のような咆哮が聞こえる。
そして――
まだ一刻も経たぬうちに、全身に泥と血を浴びた伝令が、本陣に駆け込んできた。
「蒲生賢秀、討ち取りました!」
「三雲賢持も――討ち取りました!」
兵たちの喉から、歓喜と興奮が入り混じった雄叫びがほとばしる。
この戦の終結と前後して、“オヤジたち”率いる特殊部隊が日野城への突入を成功させたとの報告も届く。
日野城では激しい抵抗があったが、結果は圧勝。
榴弾によって城の一部が損壊したものの、修復は十分可能だとのこと。
初陣を迎えた俺だったが、目の前で人が次々と倒れていく光景を前にしても、不思議と吐き気を催すことはなかった。
しかし、これほどの死者を出した責任者は、命令を下したのは、紛れもなく自分にあることに間違いない。
“戦をなくし、民を幸せにする”——そう掲げた理想とは裏腹に、現実の俺は大量殺人者に他ならなかった。
いかに崇高な目的があろうと、この事実だけは拭い去れない。
その重みが、俺の心を静かに、確実に蝕んでいく。
これは責任感なのか、それとも自責の念か。
体は鉛のように重く、息苦しさが胸を圧迫する。喉は乾ききり、耳にはキーンと耳鳴りが響いていた——。
そのとき、楯岡道順が俺のもとへやって来た。
そして、いつものように穏やかな笑顔でこう言った。
「いい天気ですよ」
(……ああ、そうだな)
俺がどれだけ人を殺し、どれだけの血に染まっていようと、空はただ澄みわたっているのか。
山を見上げれば、戦の前と何ひとつ変わらぬ景色がそこにある。
青く晴れた空と、くっきりとした山の稜線が重なり合い、美しく調和していた。
その風景に目を奪われるうちに、不思議と体が少しずつ軽くなっていくのを感じる。
心の中の濁流が、ゆっくりと静まっていくようだった。
ようやく、いつもの自分を取り戻しつつある。
もう大丈夫だ。——だが、この背負うべき重荷は、生涯消えることはないだろう。
目の前には、蒲生賢秀と三雲賢持の首が並べられていた。
嫌悪感はあるが、命懸けでその首を取ってきた可成を労うべきだ。
「可成、見事だ」
そう声をかけると、可成は優しい目をしていた。
ふと顔を上げると、周囲の武将たちが皆、俺に優しい眼差しを向けてくれている。
初めて気づいた。
皆が俺を気遣ってくれていることに。
思わず叫んだ。
「俺は良き家臣を持った!」
涙が少し込み上げてきた。
「エイエイ、オー! エイエイ、オー!」
山々にこだまする勝鬨。
その日のうちに、俺たちは日野城への入城を果たした。
観音寺城の六角定頼に、勝利の報せを矢文で伝えさせる。
文面はこうだ。
『蒲生定秀と三雲賢持を討ち取った。二人の首、引き取りに来られたし。日野城にて待つ!』
伊賀には3,000人の増援を要請済みで、日野城の兵力は8,500人に増強された。
兵糧の補給も完了し、三雲城は甲賀衆に任せてある。
このままの勢いで観音寺城を攻め落とすという手もあるが……その後の処理が厄介だ。できることなら避けたいところだ。
そうしているうちに、六角家の使者が日野城に姿を現した。
六宿老の一人・平井定武と、外交担当の後藤賢豊である。
大広間。俺は奥に座り、左右を道順・幸隆・可成が固める。その前方には武将たちが控え、冨田勢源が俺の斜め後ろから鋭い目で睨みを利かせている。
「このたびは、蒲生定秀ならびに三雲賢持の暴走により、まことに不幸なる行き違いが生じ申した。我らといたしましても、まさに痛恨の極みにございまする」
一同、無言――。
北畠を侮っているのか? 武将たちの表情が険しさを増していく。
「――で、どうするおつもりか?」
幸隆が低く静かに問いかけた。
「どうするもこうするも、不幸な行き違いゆえ、ここはお互い兵を退かせるのが良いかと――」
北畠陣営、怒りを押し殺すのがやっとだ。
「何ならこのまま観音寺城を焼き払っても構わぬがな」
幸隆の一言に、場の空気が一変する。
後藤の顔が引きつり、額を汗が伝う。
「六角家は、将軍家とも深き関わりを持つ名門にござります。北畠家は、幕府を敵に回されるおつもりか?」
「ふん! 北畠家はもともと南朝方だったのだがな!」
俺は静かに、だが確実に詰め寄る。
「――で、どうするのだ?」




