54話 妻たちとブツブツ
天文11年(1542年春)――11歳
俺は今、桔梗や桜とともに、ほっとひと息つく穏やかな時間を過ごしている。
湯のみを手に、静かに湯気の立ち上るのを見つめながら、まだ幼さの残る2人の笑顔に癒やされる。
思えば――婚約の話が持ち上がった頃、あの子たちはまだ赤ん坊同然だった。
それが今では、言葉を交わせばしっかりと返してくるし、所作の端々にも性格の良さと芯の強さが見える。
無邪気で可憐、でもどこか頼もしい娘たちだ。
一応、俺の“妻”ではあるのだが……感覚的にはどうしても“父親目線”になってしまう。
夫婦って言われても、いまいち実感が湧かないのだ。
まあ、そりゃそうだろう。俺は中身オジサン、見た目は子供。
向こうは中身も外見も子供。どうやったって、そういう空気にはならない。
こうして湯をすする姿も、どこか娘たちと縁側で日向ぼっこしてる父親みたいな気分になるのだ――。
ふと、伊賀で学校の運営を手探りで始めた頃のことを思い出す。
まだまだ幼かった桔梗と桜が、ある日ぽつりと「当主の婚約者なのに、読み書き計算もできないのは恥ずかしい」と言ったのだ。
その日から、2人は驚くほど真剣に机に向かうようになった。
そんな姿がいじらしくて……ご褒美代わりに、自作のおもちゃを持ってよく遊びに行ったっけ。
あの頃は、学びも遊びもすべてが新鮮だったな。一緒に笑って過ごした時間が本当に愛おしい。
一緒に遊びながら、現代人の俺としては、彼女たちの“伸びしろ”をもっと活かしてやれないか……そんな思いが自然と湧いてきた。
最初は軽い思いつきだった。難しそうなら途中でやめるつもりで――
けれど、2人は驚くほど素直に、そして楽しげに吸収してくれた。
時間の合間を縫って、前世でいう中学生レベルの数学を、遊びの延長として少しずつ教え始めたのだ。無理なく、押しつけず、でも確かな芽が育つように。
数の感覚や論理的な思考力は、この時代でも、きっと生きる力になると信じていたからね。
そんなふうに、彼女たちと遊びながら日々を過ごしていたある時期――
ちょうどそのころというのは、俺の頭の中は伊賀のあれやこれやでパンパンだった。
気を抜くと、つい無意識に対策をブツブツ呟いてしまう。
そんな俺を見かねてか、ある日、桔梗がふと口を開いた。
「ねぇ、わたしたちも、一緒に考えてみてもいい?」
その言葉に驚きつつも、「まあ、聞くだけでも」と軽い気持ちで応じたのが最初だった。
最初はもちろん稚拙な意見だったけれど――
でも、俺の“ブツブツ反芻”に何度も付き合っているうちに、少しずつ内容が変わってきたみたいだ。
(あれ? 今の、けっこう鋭いじゃん……)
そう感じる瞬間が、ぽつぽつと現れはじめたのだ。
そんな時は、俺も嬉しくて自然とニコニコしてしまう。
俺がニコニコすると、彼女たちもつられてニコニコ。
そうするとまた俺のブツブツが始まって……この繰り返しだ。
まったく、不思議なものだな。
子どもって、本当に、無限の可能性を秘めていると思う。
今こうして、部屋でくつろいでいるこの瞬間も――
俺の“ブツブツ”は止まらない。完全に無意識。
外見は子供、中身はおじさん。いやもう、これは“危ないおじさん”ならぬ、“危ない子供”かもしれないな……。
そんな俺のブツブツに、桔梗や桜が当然のように反応する。
「だったら、こういうのはどう?」
「それって、こういう影響が出るんじゃない?」
いつの間にか、会話は本格的な政策ディスカッションに。
「そうか、それなら、ああして……次はこうなるな」と俺も自然に返してしまう。
1件落着すれば、またブツブツ再開――もはや日常だ。
でも俺たちは、このやりとりを“ちょっとした頭の体操”のように、気負わず楽しんでいる。
それが、俺たち夫婦の“くつろぎタイム”なのだ。
……うん、なんだか妙な夫婦になってきた気もするけど――まあ、悪くない。
そんな日々の積み重ねのおかげで、桔梗と桜の“内政スキル”は、いまや文官として即戦力クラスに成長していた。
このままいけば、彼女たちは俺にとって、ただの妻じゃない。
領国運営の“パートナー”になってくれる――そんな確信に近い予感がある。




