41話 防衛戦 長野軍と関軍
天文9年(1540年夏)――9歳
長野軍と関軍は「伊賀など、北畠が簡単に蹴散らせてくれるはず。我らは追撃に参加するだけでタダ儲け……」と高を括っていた。
その傲慢さは、北畠と同様に――
『忍びなど、虫けらも同然! 我らが強い態度に出れば、奴らはいつも言いなりだ!』
という根拠のない思い込みに支えられていた。
「殿、伊賀は近頃、銭や米を大量に溜め込んでいるとか!」
従者の報告に、長野藤定はにやりと笑う。
「ほう……して、どの村が肥えておるじゃ?」
「どの村も、蔵を構えておるとのことでござる。また、村人どもも、しっかりと銭を蓄えておるという噂にございます」
「ふん、北畠が手間取っておる間に、火でも放ってくれればよい。村人どもなど、尻尾を巻いて逃げ出すに相違あるまい。後に残った米や銭は、ことごとく我らのものとなろうぞ」
「お見事な策にございまする!」
一方、関盛信の陣からも同じような声が上がっていた。
「伊賀の女ども、最近は化粧も覚えたとか……ちと味見してやるのも一興よのう」
「ははっ、殿もお盛んで……いや、しかし伊賀の小娘……忍び技を使って参りましょうぞ……。」
「我らに、兵の数で敵うはずもなかろう。どうせすぐ大人しくなるわ」
――すでに、両軍の当主にとって“戦”など、 “略奪の口実”に過ぎなかったのだ。
付き従う農民兵たちも同様だ。少しでもおこぼれに預かろうと考えている。
「なあ、伊賀には銭の入った倉があるって噂、聞いたぞ」
「聞いた、聞いた。蔵には米も酒も、たっぷりと入っているって話だ」
「こりゃ、当分は働かんでも食っていけるな」
「村娘も拾えるかもしれんぞ。うまくすりゃ、嫁に……いや、妾か」
「わっはっは、それは上出来だ!」
気が緩みきった兵たちは、まるで伊賀がすでに無抵抗の獲物であるかのように勘違いをしていた。
もはや伊賀攻めは、彼らにとってただの「物見遊山」――
そのついでに、銭、女、米を奪うという、気楽な泥棒旅行気分になっていた。
***
伊賀軍では、藤堂と島が初陣に臨む兵たちの前に立ち、力強く声を張り上げた。
「伊賀で待つ家族を思い出せ! ここで踏ん張らねば、妻や子供、銭も米もすべて略奪されるぞ!」
「命をかけて守る時だ。今がその時だ!」
「俺たちは絶対に負けない! 神の加護がある。伊賀のために命を懸けるぞ!」
演説を受けた兵たちの目には力が宿る。
士気もみるみるうちに高まっていく。
伊賀の地を、家族を守る覚悟で命を賭けようとする伊賀軍と、報酬に目がくらんで浮かれ切った長野軍・関軍とでは、すでに勝敗の趨勢は決していたのだ。
長野軍・関軍の陣と、伊賀軍の布陣とは、およそ500mの距離を挟んで対峙している。
だが、長野と関の両軍は、どこか余裕の色を隠しきれていない。
「北畠が正面から伊賀軍本隊を叩いてくれるはず。そうなれば、目の前の伊賀勢は総崩れ。あとは追撃して伊賀の地へ雪崩れ込むだけだろう」
――そんな皮算用をしているのだ。
つまり彼らにとって、この戦は、“ただ睨み合っていれば終わる楽な戦”に過ぎないというわけだ。
つまり、自ら仕掛ける気など毛頭ないのだ。
伊賀軍がじりじりと前進を始めた。
最初は100m。だが、長野軍と関軍は微動だにしない。
敵陣には、風に揺れる旗の音と馬の嘶きだけが漂っていた。
「……何か、策を隠しているのか?」
藤堂が低く呟く。隣の島も黙ったまま、前方を睨みつけている。
見せかけの沈黙か、あるいは本当に策がないのか――判断がつかない。それが不気味だった。
さらに数分が過ぎ、伊賀軍はもう50m前進する。
だが、敵はなおも動かない。焦りにも似た緊張が、兵たちの間に広がっていく。
敵までの距離は、350mを切った。
藤堂がついに決断する。
「――撃て!」
号令と同時に、ライフル隊の銃300丁が一斉に火を噴いた。
ダーン! ダーン! ダーン!
ダーン! ダーン! ダーン!
轟音が大地を揺らし、前方に濃密な鉛の雨が降り注ぐ。煙と火薬の匂いが戦場を満たした。
「どう出る……!」
藤堂と島は、敵の動きを見逃すまいと目を凝らし、頭の中であらゆる戦況パターンをシミュレーションしていた。
模擬合戦で磨いた戦術感覚が、脳内でフル稼働する。
やがて、敵陣の一角で小さな動き。
農民兵が、崩れるように倒れた。続けて、別の兵も前のめりに倒れる。
一発一発が確実に敵の戦列を崩していく。
しかし、敵の本隊はいまだ動かず。
藤堂と島の背筋に、冷たい汗が伝う。
(……これは、罠か? それとも、ただの無策なのか? どちらだ)
だがその疑念をかき消すかのように、敵将が突然、総攻撃を命じた。
怒号が飛び交い、農民兵たちが混乱のまま突撃を始める。陣形も何もない、ただの前進だ。
「この距離で突撃だと? 馬鹿なのか……!」
藤堂と島は、思わず顔を見合わせ、乾いた笑いがこみ上げるのを必死に堪えた。
「撃ち続けろ!」
ダーン! ダーン! ダーン!
ダーン! ダーン! ダーン!
銃声が重なり、農民兵たちは次々と血に染まり、倒れていく。
その光景を見た後続の兵が顔を引きつらせた。
「こんなはずでは……!」と呻き、ついに一人、また一人と踵を返して逃げ出す。
その瞬間だった。
――敵陣、総崩れ。
統制の取れぬまま、雪崩のように逃げ出す農民兵。
叫び声、怒号、命令の声が交錯して大混乱だ。
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