32話 北畠の使者
天文8年(1539年秋)――8歳
「使者の対応は、服部石見守がやることになった」
理由は単純だった。
「ほんとに、どうしようもない奴ららしいのだ」
(北畠の“どうしようもなさ”って……どれほどのもん? 興味あるな)
気になった俺は、オヤジにその理由をたずねた。
すると、オヤジは少し間を置き、「嫌な話になるぞ。しかし、お前は知っておいた方がいいか」とぽつりと呟き、昔話を語りはじめた。
「北畠から仕事の依頼があると、いつも決まって、城の中ではなく、城下にある寺で下っ端の家臣から説明を受けることになっていた。忍びごときが城に入るなどもってのほか、という扱いよ」
「 “賤しき者”として見下され、門前払い同然の立場――それが、忍びという存在だったのだ」
「ある日のことだった。冷たい雨の中、“依頼内容を説明してやる”と呼び出されたが――通されたのは寺の軒先。俺は濡れ鼠のまま、ただ黙って座らされた」
「寺の中からは、酒を酌み交わす音、笑い声……。あいつらは雨風をしのぎながら、俺のことなど忘れたように談笑していた」
「やがて半刻ほどが過ぎ、ようやく障子がわずかに開いた。中から放られたのは、言葉ではなく――銭だった。無言のまま、銭を投げつけてきたのだ」
「銭を投げつけたあと、依頼内容をぞんざいに告げられた。『拾え、それが報酬だ。忍びなどと口を利くのも穢らわしい。銭を拾ったら、とっとと失せろ』――そう言われたよ」
「その場で斬ってやろうかと思った。だが……伊賀の仲間たちが飢えずに済むならと、俺は拳を握り締めて堪えた。そして、泥にまみれた銭を一枚ずつ拾った。泥に塗れたのは、体だけじゃない――誇りもだ」
オヤジは、少しだけ目を伏せた。握った手が悔しさで震えている。
「今回伊賀に来たのは、そのときの奴らだ」
胸の奥に静かに積もる、怒りと屈辱。
それが、伊賀と北畠との“関係”だった。
「三蔵、忍びと大名家の関係なんて、どこもそんなもんだ。忍びが人として扱われることなんてないのだ」と服部オヤジ。
「だからこそ、お前が“伊賀を変えたい”と言ってくれた時、俺たちはお前に伊賀の命運を賭けようと決めたんだ」と藤林オヤジも言った。
使者は3人。案内された部屋に入ると、奥には1人、畳の上にふんぞり返っている。手前には2人が控えているが、その目つきには、伊賀に対する明らかな侮蔑が宿っていた。
服部オヤジは、礼を尽くし、静かに頭を下げて応対する。
だが、奥に座る男はあざけるように鼻を鳴らし、こう言った。
「当主の三蔵とかいう小僧はこないのか? やはり子供には当主は務まらんか」
「本日は体調を崩しておりまして、私が代わりにお話を伺います」
オヤジが淡々と返すと、使者は下卑た笑い声をあげた。
「伊賀守とか名乗っておるそうだな! そんなものどうせ詐称だろ! 偽物当主か? まこと忍びらしいことよの」
控えていた二人もつられて笑い出す。
その笑いは人を貶めることに悦びを感じる者のそれだ。
服部オヤジが再び冷静に、「それで、ご要件は?」と尋ねると、今度はあきらかに上から目線の命令口調が返ってきた。
「お前ら伊賀の忍びは、黙って北畠に従え。下っ端の下働きとして使ってやろうぞ。ありがたく思え」
「悔しいか……特別に、三蔵だけは武士扱いしてやってもいいぞ。ハハハ!」
「聞けば、伊賀では学校などという無駄なものを作っているとか。農民どもに文字を教える? バカか! 民など米さえ作らせておればいいのだ!」
「お前たちのような下賤な忍びが、国を治めようなどと――勘違いも甚だしい!」
その言葉の1つ1つが、伊賀の誇りを踏みにじり、あざ笑うものだった。
俺の拳は、力が入りすぎて震えていた。
「お前ら忍びが、国を治めるなど土台無理であろう」
「無駄なものに銭をばらまくくらいなら、北畠が“有効に”使ってやる。ありがたく頂戴してやってもよいぞ?」
(クドい! 長い! ネチネチと……。殺していいですか?)
長い話を要約すれば――
最近、金回りが良さそうじゃないか。殺されたくなかったら金を寄越せ――というこじゃないか!
(やっぱりヤクザじゃねえか……)
ホント怖いわ、ヤクザ戦国時代!
だが、返答次第で即攻め込まれそうだな。それは、まだ困るぞ。
「御使者様のご意向は承知いたしました。しかし、意見をまとめるには時間がかかります。来年の春までお待ちいただけないでしょうか? このとおり、伏してお願い申し上げます」
服部オヤジが土下座してくれている。
(腸は煮えくり返っているだろうな)
使者たちは満足げにうなずいている。
了承したということだろう。
(服部オヤジ、偉い! その忍耐力、尊敬する!)
服部オヤジのおかげで、少し時間が稼げた。この時間が本当にありがたい。
(よし、戦の準備だ。決めたらすぐ動く、それが俺! しかも今、めっちゃ頭にきてる!)
どうせ向こうが連れてくるのは、鍬の代わりに槍を持たされた農民兵だろう?
我が常備兵の怖さを思い知らせてやろうじゃないか!
銭さえ用意すれば、1年中いつでも戦えるんだぞ。“田植え”、“稲刈り”、“お正月”、いつがいいですか?
それに伊賀は金持ち、銭なら腐るほどある。長期戦も問題なし。
地獄見せてやろうじゃない。
農民兵から常備兵に切り替えたのは――信長だよな。
今はまだ6歳くらいか。
きっと部屋住みの子分たちを連れて、城下町で元気に大暴れしてるんだろうな。
(興味あるな。この目で見てみたいな!)
ともかく、まずは情報収集!
周囲の大名たちの軍備、武将の実力、クセ、性格、家計簿まで――すべて調べ上げてやる!
……で、調べ上げてみたんだが……
伊賀に牙を剥きそうな“ヤクザ大名”は、結局、北畠だけだった。
他の大名たちといえば――
将軍サマと細川サマの“迷コンビ”に振り回され、お付き合い戦で心身ともにヘロヘロ。おまけに万年金欠ときている。とても伊賀に構ってる余裕なんてないようだ。
こっちだって、いきなり複数の大名を相手にできるほど余裕はない。
(軍師も武将も、初陣ですから……)
ありがとう、アホなコンビ!
役に立つこともあるんだね。




