147話 景虎を操る
これまでも、“くの一お姉さん”たちの暗示術には何度も助けられている。
いやもう、感謝しかないよ。本当に。
で、その“くの一お姉さん”曰く──
「坊主もチョロいが、憲政はチョロチョロです♡」だそう……ほんと、良かったよ……チョロくて。
憲政はもう、お色気攻撃で完全に陥落。目がとろ〜んとしてる。
「夜を楽しむための強壮薬でございます♡」なんて囁かれて、鼻の下が地面に届きそう。
しかも、伊賀特製の“暗示香”をこれでもかと嗅がされて、脳みそトロトロ。
色気に満ちた妖艶な女性の力に、勝てる男などこの世にいないのだ。
ところで憲政、家臣たちからの信用がゼロなのだ。いや、マイナスかもしれない。
「俺は長尾家を味方につけるぞ――」
そんなことを、急に言い出し始めても、説得力はゼロだろう。
……それでは作戦が上手くいかない。
そこで必要になるのが──「そうだそうだ! 殿はすごい!」って評議を盛り上げてくれる、単純で声だけは大きい家臣たちだ。
そんなわけで、彼らにも“くの一お姉さん”を派遣している。
ただね、暗示をかける対象者の人数は、ちょっと多めに見積もった。
なぜなら──
頭が悪すぎて、暗示が通じない、覚えられないという可能性が高いからだよ!
念には念を、ってやつね。
***
暗示の受け入れ体制100%になった上杉憲政……。
くの一お姉さんが、夜な夜な耳元でささやく……妖艶に、しかし神々しく。
「……我は関東の守り神じゃ……憲政よ……。尊き上杉の血を引くお主に、関東の地すべてを授けよう……」
「これから申す通りに動くのじゃぞ」
「越後に、長尾景虎という戦の天才がいる……天下無双の武将じゃ……。その者をそなたの配下とするのじゃ。これほど頼れる男は他におらぬ……」
憲政はうっとりと聞き入っている――
もう完全に“夢と現実の区別”が曖昧になっているのだ。
「……されど……景虎には兄・長尾晴景がおっての……いまはそやつが家督を継いでおる。だが家中の者たちは皆、景虎こそふさわしいと願っておる」
「そなたが越後守護の上杉定実殿と晴景を説き伏せて、景虎に家督を譲らせるのじゃ……!」
「景虎は、恩を重んじる男じゃ……。関東に仇なす北条を打てと命ずれば、越後の全軍を率いて参戦しようぞ」
「すべては、関東制覇のため……上杉家の未来のため……これは一世一代の大仕事じゃ……!」
「……励むのじゃぞ……憲政よ……♡」
……この暗示が、毎晩、繰り返される……。
さすがに毎日言われれば、憲政の心の中では“神託”としか思えなくなってくる。
だが、なかなか行動にうつれない。ダメなおっさんなのである。
しかも、憲政が少し何かを言えば……
側近の「声だけ大きい家臣団」が実にいいタイミングで――
「そうだそうだ! それしかない!」
「さすが我らが殿じゃ!」
「我らは殿にどこまでも付いていきますぞ」
――と景気よく賛同してくれる。
このようなやり取りにより、憲政の低かったテンションが、天井知らずに跳ね上がっていくのである。
そうなると、他の家臣たちも驚くやら、喜ぶやら。
「何をやってもダメな当主・憲政様が……やる気を……?」
その“奇跡”に感動した家臣たちは、口々に言い始める。
「奇跡じゃ〜。奇跡が起こったのじゃ〜!」
「今こそ! 我ら家臣が一丸となって殿を支えねば!」
まるで長年冬眠していた組織に、春が来たかのようだ。
泣いている者もいる。
謎の団結力が生まれ、謎のモチベーションが高まり、家中が盛り上がっていく。
(そりゃ嬉しいよね。おめでとう)
──もちろん、全部、くの一お姉さんの暗示と色仕掛けだが……
そんな事実を知る者など、誰一人いない。
憲政はというと、関東を手に入れ、酒と美女に囲まれた“優雅な未来”を何度も妄想し、思わず頬が緩みっぱなし。
「わしが関東の主じゃ……ふふふ……ふおおおおお!」
──もはや、鼻息だけで壁が割れそうだ。
そして、それまで愚鈍でいつも決断の鈍かった憲政が、ついにキビキビと動き始める。
何度も使者を立てる。さらには、越後守護の上杉定実、そして長尾晴景に直談判だ。
「景虎を養子にして、家督を継がせよ!」と食い下がるように訴え続けた。
『主は生まれ変わられた』と確信し、張り切る家臣たち。
使者となった家臣たちも「今が見せ場!」と大張り切りで動きまくる。
連日、関東から越後へと馬が飛び、説得が繰り返される。
***
家中一丸となっての“大熱演”の末──
ついに、長尾景虎は晴景の養子となり、長尾家の当主に就任する。
……ここに、後の軍神・上杉謙信が誕生した。
が、その裏でニヤリと笑う俺たち──
(よし……軍神は、アホの上司のもとで“凡人と成り果てる”のだよ)
すべては計画通りに進む。
景虎は義を重んじる人間だ。
長尾家の当主になれたのは憲政のおかげと深く感謝。
大急ぎで供を連れ、大恩ある憲政の元に伺う。
家中に渦巻く熱気のおかげで威厳を纏った憲政。
下座に手をつき感謝を述べる景虎に熱く語りかける。
「義のために共に関東に仇なす北条家を打倒しようではないか!」
……まるで別人である。
景虎は憲政に大きな恩義を感じているため、二つ返事で了承する。
「越後の大名たちにも、越後周辺の大名たちにも、関東管領の命で『義のための戦いに協力すべし』と使者を送るつもりだぞ」
「それで後顧の憂いはなくなるであろう。此度の戦いには、越後の“全兵力”を率いて参戦してほしい。この通りだ。頼むぞ!」と頭を下げる。
「頭をお上げください! 必ずやご希望の通り、越後の“全兵力”を率いて参戦いたします!」
「見事北条家を討ち取った暁には、報奨として上野の東半分を与えようではないか」
「ありがたき幸せ!」
憲政様に長尾家の当主にしていただいたかと思えば、上野の東半分まで頂けることになるとは……
何という僥倖よ! 景虎の頬が緩む。
……このようなやり取りを終えて、帰国したのだ。




