124話 義元軍を追い返せ
天文14年(1545年初夏)――14歳
北条家への支援は行う――ただし、俺自身がこの戦に直接関わるのは避けたいと、信長に率直に伝えた。
というのも、主上との今後の話し合い次第では、情勢がどちらに転ぶか分からない。
場合によっては、“俺は蝦夷に行っていないことにしておいた方が都合がいい”という展開もあり得るからだ。
細かく説明せずとも、信長はすぐに察してくれた。やはり、レスポンスの良い部下というのは、頼もしい。
俺は信長を大将として北条家を支援することに決め、 “忍者特別速達便”を氏康さんに送る。
忍者特別速達便の内容は――
「要請があれば、北畠軍は船からの砲撃により、今川軍の側面を攻撃する。そうなれば義元は蒲原城の近くで討ち死にするか、駿府へ撤退せざるを得なくなるだろう」
「武田家から和議の仲立ちを申し出る使者が来る可能性もあるが、その場合は一切取り合わず、黙殺してほしい」
「必要があれば、北畠軍の銃兵を含めた兵4,000人を蒲原城に入れて構わない。また、北条家を支援する一連の戦の総大将は、小田原港に向かわせる織田信長に任せたい」
「氏康殿と信長を直接引き合わせたいと考えているが、実現するにはどう動けばよいか、助言を乞いたい」
――というものであった。
氏康はすでに河東まで出陣していた。北畠からの使者に、小田原城は沸き立つ。
日本丸で小田原の港沖に停泊する信長に、氏康から「河東にて至急お会いしたい」と風魔の“忍者特別速達便”による返書が届く。
信長は河東に上陸し、氏康との会談を済ませる。そして、日本丸20隻を蒲原城沖に向かわせるとともに、自らも兵4,000人を率いて北条兵と共に蒲原城に入る。
北条氏康は「北畠家の御恩を北条家は終生忘れない」と礼を述べ、ほぼ全軍を率いて河越城に向かって行った。
信長は河東の全権を任されたのだ。
蒲原城周辺では、今川軍と北畠軍のライフル隊が互いに睨み合う膠着状態が続いていた。
先ほど、今川軍が小手調べとばかりに小規模な攻撃を仕掛けてきたものの、北畠軍の精密なライフル射撃によってボロボロにされ後退させられた。
その一撃以降、今川軍は不用意に動くことすらできず、緊張だけが張り詰める静かな戦場となっている。
想定外のことが起こったのだ、今川軍はいったん自領に引き返すという選択肢もある。しかしできない。その理由は、義元が1万を超える大軍を率いてことによる。
数の上で、圧倒的な優位に立っているにもかかわらず、何の戦果も挙げずに撤退すれば、今川家の威信は地に落ちる。当主としての義元の“顔”が立たないのだ。
戦国大名にとって、周囲の大名や領民から“舐められる”ことは死活問題なのだ。失った威信を取り戻すには大変な労力が必要なのだ。
ゆえに、彼らは“メンツ”を命がけで守ろうとする。それはもはや、現代のヤクザと通じるものがある。
……いや、むしろ、現代のヤクザが戦国大名の価値観を受け継いでいるのかもしれない。
ヤクザの手打ち式は、武田家の和睦のやり方を踏襲していると、何かに書いてあった気がする。武田信玄が、“面子”、“義理”、“秩序”を大事にしたという価値観は、ヤクザの価値観として引き継がれていったのかもしれない。
そんな中、日本丸は静かに蒲原城の沖合に集結し、全艦が迫撃砲による砲撃の準備を完了していた。今川軍の誰もが予想していなかった海からの一手。
海上では、すでに最後の確認が行われていた。
「迫撃砲、撃ち方はじめ!」
九鬼定隆の鋭い声が手旗信号となって全艦に伝えられた。
直後、咆哮のような砲声が次々に響く。
トゥーンッ! トゥーンッ! トゥーンッ!
トゥーンッ! トゥーンッ! トゥーンッ!
砲弾は大きな弧を描き、義元の本陣をめがけて降り注いだ。陣中が激しく揺れ、濛々と砂塵が巻き上がる。
ドゴォンッ! ドゴォンッ! ドゴォンッ!
ドゴォンッ! ドゴォンッ! ドゴォンッ!
「なっ……なにごとだ!?」
耳をつんざく轟音。炎と爆煙の中、叫び声が飛び交い、今川軍は混乱と恐怖に包まれた。兵たちは指示も聞こえず、右往左往するばかり。もはや軍の体をなしていない。
「雪斎! どういうことだ! 何か策はないのか!」
義元は顔を真っ赤に染め、師である雪斎に食ってかかる。
「こういう時こそ……落ち着きなされ」
雪斎の静かな声は、砲撃の中でも不思議とよく通った。
義元は拳を握りしめ、数度の深呼吸の末、わずかに理性を取り戻した。
「……蒲原城に使者を出せ。和議だ……!」
その声は怒りで震えていた。
幕舎を出る際、義元は振り返りざま、震える唇で叫んだ。
「北畠の奴……覚えておれ……! 今日の屈辱、必ず返してやる……!」
怒りと悔しさで奥歯を噛み締め、唇から血が滲む。
直後、北畠軍の本陣に、今川義元の名を記した和議の使者が姿を現した——。
その口上は、淡々としたものであった。
「今川家は河東より兵を引きます。以後五年間の停戦を望む。また、北条家への迷惑料として、2万貫を支払いたく存じます」
重々しい言葉の後、使者は深く頭を下げた。
だが、信長は即座に言い放つ。
「足りないな。北条家にも、北畠家にも3万貫ずつ払えと伝えろ」
鋭く、容赦ない一言だった。空気が張り詰める。
使者は慌てて踵を返し、再び義元のもとへと戻っていった。
そして、わずかな時間を置いてふたたび現れた使者の口上は、ひと言。
「条件をすべて呑む」であった。
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