117話 アイヌとの共存
天文14年(1545年・春)―― 14歳
船が静かに入江へと近づくのを眺めながら、俺は前世で学んだ蝦夷の歴史に思いを巡らせていた。
今からおよそ100年前、渡島半島の津軽海峡側において、津軽安東氏が“道南十二館”の築城を開始したことを契機に、日の本から蝦夷地への進出が本格化した。
もっとも、蝦夷地への進出といっても、気候の厳しさや火山灰に覆われた痩せた土地で、本格的に農地を広げ石高を増やそうとする意図があったとは考えにくい。
もし仮に、この地が広く耕作に適し、四季折々に豊穣をもたらす地勢であったならば――蝦夷の地に、どこかの時代で強力な大領主が現れ、鎌倉幕府以前の段階で「蝦夷国」のような独立国家が成立していたはずである。
津軽安東家による蝦夷地への進出。その主目的は、やはりアイヌとの交易にあったと見てよいだろう。だがその実態は、対等な関係とは程遠い、不平等かつ一方的な搾取の構図であったことは間違いない。
当時の大名たちの多くは、交易という名を借りた支配を当然のようにやってきた。だからこそ、津軽安東家と渡島半島のアイヌとの間に、避けようのない戦が起きたのだ。
この戦いは、結果として津軽安東家の勝利に終わる。だが、もし当時のアイヌ側に十分な武器や戦術が備わっていたならば――この地に刻まれた歴史は、また違った形をとっていたと思う。
なお、道南十二館の支配権は、のちに津軽安東家から蠣崎家の手に渡る。こうして日の本の大名たちは、領地や利権を奪い合いながら、蝦夷地に勢力を拡大していったのである。
奪え、奪え、——
……こいつらは、いつも、そうだ……
現時点では、蠣崎家による渡島半島の実効支配が、さらに強まっているものと思われる。それに伴い、交易における不平等も、より深刻な形となって表れている可能性が高い。
そうなれば、蠣崎家とアイヌのあいだに横たわる軋轢は、今後も絶えることなく続いていくはずだ。
この時代の大名たちは、 “武力”により他者から奪い取ることしか考えていない。
そんな大名たちに、アイヌと共に生きる未来を描けと言っても、それは土台、無理な話なのだ。
だが――俺は、ここにいる。
そして、俺がこの地に来たことで、歴史の流れは確かに変わる。
いや、変えてみせる。
アイヌの人々に、この蝦夷の地で穏やかに暮らしてほしい。
その願いだけは、どんな時も決して揺らぐことはない。
短艇を日本丸から下ろし、オヤジたちと特殊部隊を先行して上陸させた。彼らが岸に着くと、昨年この地に残ってくれていた忍者たちが駆け寄ってくる。そして、オヤジたちの前に跪き、何事かを真剣な面持ちで伝えていた。
何かあったのだろうか?——
俺も武将たちと護衛を伴い、後に続いて上陸する。忍者たちからの報告によれば、蠣崎家の兵が苫小牧周辺に暮らすアイヌの人々に対し、著しく不利な条件での交易を強要しているという。
しかも、従わなければ村を焼き払うとまで脅しているらしい。
アホ大名がいつもやるやつだ……
『自分たちが食うために人の物を奪う』——それを当然と思い、良心の呵責すらない脳筋ヤクザだ。
だが、これは逆にチャンスかもしれない。まずは、村の長老と話をしよう。
俺たちは、前回訪れた村へ、大量の贈り物を携えて向かった。
居残っていた忍者たちは、必死にアイヌの言葉を学んでおり、今ではかなり細かい内容まで通訳できるようになっていた。本当に忍者は優秀だ。
村に到着して間もなく、宴が始まる前の静けさの中で、長老が険しい表情のまま、こう口にした。
「この村だけでなく、蝦夷に暮らす全ての長老たちが、蠣崎家との戦を決意した」
やはり、前回の交易で手渡した村正製の刀や槍が、大きな影響を与えたのだろう。
(それを狙って大量の武器を渡したわけだが……)
アイヌは、昆布などとの物々交換を通じて、俺たちから武器を調達できるという手応えを感じたに違いない。
戦を決意する動機づけになるよな。
そうなれば、今後もこちらからの武器の提供を求めてくることになるな。
ようやく、蠣崎と戦う腹が据わったということか。
その決意は、確実に新たな局面を生む。
俺という存在が、こうして少しずつ、確実にこの地の歴史に影響を与え始めている。
アイヌの人々は、自然と調和しながら、森の中で穏やかに暮らしてきた民族だ。
争いごとに身を置くことを望まず、そもそも戦とは無縁の生き方を貫いてきたのだ。
その姿勢こそ、人として本来あるべき在り方ではないかと思う。
どこかの愚かな管領にも、ぜひ見習ってもらいたいほどだ。
そんな彼らが、ついに自ら武器を手に取る決意をした——
それが、どれほど切実で、深い覚悟に基づいた選択なのか。
胸が締めつけられる思いだ。
やがて、歓迎の宴が始まる。こちらから持参した焼酎は、今回もお湯割りで大好評だった。酒が入って場の空気が和らいだ頃合いを見て、俺は長老に尋ねてみた。
「この近くに、俺たちが暮らせる場所はないだろうか?」
長老はたちまち怪訝な顔をし、問い返してきた。
「何のために住むのだ?」
俺は丁寧に言葉を選びながら、こう伝えた。
「俺たちは、この地で作物を育て、平和に暮らしたいと考えている。アイヌの暮らしを尊重し、迷惑はかけるつもりはない。何とか許してもらえないだろうか」
しかし長老は、我らがいずれ、蠣崎家のような振る舞いする可能性があると思い、強い警戒心を見せている。
そこで俺は、想いをまっすぐにぶつけることにした。
「俺たちは、アイヌと共に歩み、この地で共存共栄を実現しながら、新たな国を築いていきたいと考えている。もし蠣崎家のような横暴があれば、それを退けるだけの力を、新たな国に備えておくつもりだ」
「アイヌの皆さんがこれまでどおり、狩猟や漁業を生業としていくのであれば、俺たちは農業や工業、そして交易を中心に暮らしを築いていくつもりだ。お互いの暮らし方を尊重し、お互いに助け合いながら、共に生きていければと願っている」
「ただし——この申し出が受け入れがたいものであれば、今日の話はなかったことにしていただきたい。無理を通すつもりはない」
……返ってくる言葉が、どのようなものか。
内心、張りつめた思いで耳を傾ける。
沈黙が続く。
重く、長い時間だった——




