105話 オンボロ船とフンドシおやじ
天文13年(1544年秋)――13歳
蝦夷からの戻りも、快走! 快走!
俺はデッキから海を眺めている。……流石にもう酔わないな。たぶん。きっと。
秋の三陸沿岸は、赤や黄色に染まった山並みが海と対照的に広がり、まるで絵巻物の一場面のようだ。波打つ海の青と、紅葉のグラデーションが見事なコントラストを描き出している。
こういうのを“絶景”って言うんだろうな。戦国の世に生きていることを一瞬忘れさせてくれる。うん、感動した。
家臣たちも景色を眺めながら「いやぁ、良い旅だったな」なんて言ってる。いや、君たち観光じゃないからな? 仕事だからな?
お〜い、オヤジたち! 風魔さんと酒飲むんじゃない!
美味いのは分かるけど、部下は……仕事……してないか……。
……ん? 気がつけば、いつの間にか長綱さんが俺の隣にふらっと立っている。
俺の顔を見てニヤリと笑いながら、いきなりの爆弾投下。
「北条家には、美しき姫がおるぞ」
出たな、“北条家の嫁いらんかね?”営業。
さすがに「もうムリっす」なんて言えない空気なので、
「いえ、その、実は普光女王さまが降嫁予定でして……側室という形になるかと……」とガードを上げてみた。
これでやんわりと断れるはずだ──そう思ったのに、
「問題はないと存ずる」と長綱さんが即答。
問題ないんかい? こっちは“嫁飽和状態”ですが!
……いや、ほんとに。俺、まだ子供よ?
まあ嫁たちも年齢的には子供だけどさ。子供に子供の嫁がいっぱいってどうなんだ。
冷静に考えてみても、やっぱり変でしょ。
でもこの流れ……どう見ても断れないやつじゃないか。
***
房総半島が見えてきた。ここを越えて三浦半島を越えれば小田原まで残り少しだ。
三浦半島が近づいてきたあたりで「やっと戻ってきたぜ」とホッとしていたら海賊衆らしいのがこちらに迫ってくる。
どう見ても真っ当な商船には見えない。
長綱さんによると、あれは里見家の海賊らしい。
ざっと見て……100隻? いや、数える気も失せるほどの数が海に浮かんでいる。
しかし、どれもこれも、見事なまでのオンボロ船。
サイズは小さく、見た目は小汚く、もはや“浮かぶガラクタ市”って感じ。
あんなもんで、よくぞまあ沖合まで出てこれたなと、逆に感心してしまう。
ていうか、沈没とか怖くないの?
俺だったら絶対乗らない。命がいくつあっても足りん。
そのオンボロ船の上では、小汚いフンドシ姿のオヤジたちが、唾を飛ばして何か喚いている。
……が、距離があって、何ひとつ聞き取れない。
風と波の音にかき消されて、ただの“元気な騒音”と化している。
しばらくすると、その中の一隻――ややマシなサイズの船がズイッと、距離100mほどまで接近してきた。
そして、乗っていたフンドシおやじが声を張り上げる。
「ワレらぁの〜、里見一家のもんじゃァ! 金目のモンも船も、なーんもかんも置いてきゃええんじゃコラァ! 気が向きゃ、命だけは見逃してやらんこともねェがなァ!」
……うん、迫力だけはある。喉の強度もなかなかだ。
ただし、言ってる内容がもう完全に“昭和のチンピラ”なんだよ。
置いていくわけ、ないだろ。
誰が好き好んで海のど真ん中で自腹プレゼント配るかっての。
頭冷やして出直してこい、フンドシおやじ。
おお……これが噂の里見海賊衆ってやつか。
船はボロ、装備もボロ、乗ってる連中もボロ。
ここまで見事に揃った“オンボロ三拍子”――逆に称賛に値するかもしれん。ある意味、芸術的だ。
俺はふと思い立って、長綱さんに聞いてみた。
「こいつら沈めちゃっても、北条家として問題ありませんか?」
すると彼は、わりと真顔で答えた。
「問題はない。……が、できるのか?」
「大丈夫です。むしろ大歓迎です」
即答する俺。
すぐさま、志摩衆――いや、いまや我らが“海軍”に向けて手旗信号を送る。
『里見の海賊を殲滅せよ。ただし1隻だけは残しておけ』
その旗を見た海軍衆の船から、どこぞの祝祭かと思うような歓声が上がった。
「やった〜! やった〜! ウオ〜! ウオ〜!」
(盛り上がり方、完全に勝鬨。いや、ちょっとテンション高すぎでは?)
でもまあ、それも無理はない。
彼らにとっては、これまで訓練に明け暮れた日々の集大成。
しかも相手は、“壊しても怒られない、チョロチョロ勝手に動く標的”なのだ。
これはもう、本番さながらの、ありがた〜い実戦演習。
こんなチャンスがやってくるとは……もう感謝しかない。
(俺たちは君たちを歓迎する。だから……絶対に逃げないでくれ! なっ!)
そんなメッセージが、海軍衆全体から滲み出ている気がする。
……フンドシおやじの皆さん、どうか逃げないでください。
これは、我が海軍の“実戦体験コース”です。
苦しい訓練に明け暮れてきた海軍衆が、ガッカリしてしまいますので。
その後、器用に手旗信号を使いこなす海軍衆を見た長綱さんが、「これを北条にも教えてほしい」とひたすら感心していた。
基本的なことを軽くレクチャーすると「これは戦に使えるな……!」と満面の笑み。
光を使ったモールス信号の話もあったけど……うん、そっちは黙っておこう。
小出しにするのがコツ。なんでも出せばいいってもんじゃないからね。
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