Cランクの洗礼と、初の共闘
Cランクに昇格してから、数日が過ぎた。
俺とリリアナを取り巻く環境は、文字通り、一夜にして激変していた。
「よぉ、ユウキ! リリアナちゃん! 今日もいい天気だな!」
「昨日の酒場での奢り、ご馳走さんだったぜ!」
ギルドへ向かう道すがら、すれ違う冒険者たちが、やけに気さくに声をかけてくる。
つい先日まで、俺たちを「ひよっこ」と呼び、侮蔑の視線を向けてきた連中だ。
その変わり身の速さには、呆れるのを通り越して、もはや感心すらしてしまう。
「……なんだか、まだ慣れませんね」
隣を歩くリリアナが、戸惑ったように苦笑する。
無理もない。彼女に向けられる視線は、もはや「落ちこぼれ」へのものではない。「街を救った英雄」への、尊敬と、少しばかりの畏怖が入り混じった、複雑な色を帯びていた。
ギルドの依頼掲示板の前に立つと、その変化はさらに顕著だった。
以前は数えるほどしかなかったFランクの依頼とは違い、Cランクの依頼は、その数も、質も、報酬も、何もかもが桁違いだった。
「ワイバーンの雛の捕獲……」
「古代遺跡の調査……」
リリアナが、ゴクリと唾を飲む。
一つ一つの依頼が、俺たちの冒険者としてのステージが、確かに上がったことを証明していた。
だが、俺たちの心は満たされていなかった。
周囲からの称賛も、高ランクの依頼も、今の俺たちには、まだゴールへと続く通過点でしかない。
俺たちの本当の目標は、もっと遥か先。
あの『遠見盤』に映し出された、絶対的な巨星――雷帝ゼノン。
「リリアナ」
「はい」
俺の呼びかけに、彼女は決意に満ちた瞳で頷く。
俺たちは、ただの「ゴブリン討伐で名を上げた、運のいい新人」で終わるつもりはない。
俺たちの実力が本物であることを、この街に、いや、天上の神々に証明する必要がある。
俺は、Cランクの依頼の中でも、一際禍々しいオーラを放つ、一枚の依頼書を指差した。
【依頼内容:古代遺跡の主、アーク・アラクネ討伐】
【ランク:C(高難度)】
【報酬:金貨30枚】
【備考:極めて危険。パーティ編成を強く推奨】
「――俺たちの実力を示すには、最高の舞台だ」
二人同時に、その依頼書に手を伸ばした。
*
二人同時に、その依頼書に手を伸ばした、まさにその瞬間だった。
ガシッ、と。
まるで獲物を掠め取る猛禽の爪のように、俺たちの指先よりも一瞬早く、逆側から伸びてきた無骨な手が、依頼書を鷲掴みにした。
使い込まれた革のガントレットに覆われた、歴戦の戦士の手。その力強い所作だけで、持ち主の実力が透けて見えるようだった。
「――悪いが、そいつは俺たちがいただくぜ」
聞き覚えのある、低く、自信に満ちた声。
ハッと顔を上げると、そこに立っていたのは、やはり、Cランク冒険者のボルガだった。
彼の背後には、同じパーティー『鋼鉄の咆哮』の仲間たちが、まるで一枚岩のように仁王立ちし、挑むような眼差しでこちらを睨みつけている。盾役のドワーフ、弓使いのエルフ、僧侶と思しき女性。誰もが、ゴブリン討伐で顔を合わせた、屈強な猛者たちだ。彼らが放つ歴戦のオーラは、Cランクに上がったばかりの俺たちとは明らかに格が違っていた。
「ボルガさん……!」
リリアナが、驚いたように彼の名を呼ぶ。
先日、俺たちを「目標」だと宣言した男。まさか、こんなにも早く、こんな形で再会することになるとは。
ボルガは、依頼書をひらひらとさせながら、挑戦的に笑う。
その顔に、以前のような侮蔑の色はない。あるのは、好敵手に向ける、純粋で獰猛なまでの闘争心だけだ。そして、その視線は俺だけでなく、隣に立つリリアナの実力をも、確かに認め、測っているようだった。
だが、こちらも譲るわけにはいかない。
俺の視界の端では、既に《神々のインターフェイス》が、この予期せぬイベントに沸き立っていた。
《名もなき神A》うおお、ボルガじゃん!
《名もなき神F》いきなりライバル対決かよ! 熱いな!
《名もなき神B》これは面白くなってきた!
そうだ、これも最高の「配信ネタ」だ。視聴者は、こういう展開を待っていたはずだ。
「ああ、奇遇だな。悪いが、それは俺たちが先に受注する」
「ほざけ。ゴブリン退治で少し名を上げたからといって、調子に乗るなよ、ひよっこが」
ボルガの言葉は厳しいが、そこには確かに、俺たちをライバルとして認めているが故の響きがあった。彼は続ける。
「お前たちのゴブリン討伐の手腕は見事だった。それは認める。だがな、物量相手の戦いと、一体の強敵との戦いは全くの別物だ。この依頼は、Cランクの中でも別格。お前たち二人だけでどうにかなるほど、甘い相手じゃねえ」
「それは、やってみなければ分からないだろ?」
俺が言い返すと、ボルガの背後にいた仲間の一人が、鼻で笑いながら一歩前に出た。
「おいおい、俺たちのリーダーに楯突くとは、いい度胸じゃねえか、元Fランク」
じり、と空気が熱を帯びる。
それまでざわついていたギルドのホールが、俺たちのやり取りに気づき、水を打ったように静まり返っていく。依頼を探していた冒険者も、酒場で飲んでいた冒険者も、誰もが固唾を飲んで、このCランクのトップパーティーと、彗星の如く現れた新人英雄との対立を見守っていた。
一触即発。
二つのパーティーの闘志が火花を散らし、ホール全体がその熱に当てられたかのように、息を詰める。
この緊張感こそ、神々が最も好む「物語」のスパイスだった。
*
一触即発。
俺とボルガの間に、見えない火花が散る。
ギルドのホールにいる誰もが、この二つのパーティーが今にも殴り合いを始めるのではないかと、固唾を飲んで見守っていた。
その、張り詰めた空気を切り裂いたのは、一つの重々しい声だった。
「――そこまでにしろ、貴様ら」
声の主は、カウンターの奥から姿を現した、ギルドマスターその人だった。
彼の威厳に満ちた一言に、ホールを支配していた熱気は、急速に冷やされていく。
ギルドマスターは、俺とボルガを交互に見比べると、やれやれと溜息を一つ吐いた。
「どちらも譲る気はない、という顔だな」
「「当然だ」」
俺とボルガの声が、綺麗にハモる。
「ふむ……」
ギルドマスターは、顎に手をやり、しばし思案する。
そして、この面倒な状況を心底楽しむかのように、悪戯っぽく、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「ならば、面白い提案がある。貴様ら二組で、共同戦線を張れ」
「「はあ!?」」
再び、俺とボルガの声がハモった。だが、今度は驚愕に満ちた、間の抜けた声だ。
「な、何を言ってやがる! 俺たちが、こいつらひよっこと組むだと!?」
ボルガが、真っ先に不満の声を上げる。彼の仲間たちも、冗談じゃないとばかりに首を横に振っていた。
共同戦線……。
確かに、無茶苦茶な提案だ。だが、俺の頭の中では、その言葉が全く別の、きらびやかな単語に変換されていた。
(共同戦線……? 違う。これは……俺のチャンネル初の、『コラボ配信』だ!)
そうだ。
因縁のライバルとの、初の共闘。
これほど神々(視聴者)が熱狂する企画が、他にあるだろうか?
《名もなき神A》コラボwww まさかの展開www
《名もなき神G》ギルマス、分かってんじゃねえか!
《名もなき神K》これは絶対面白くなるやつ!
俺の閃きを肯定するように、《神々のインターフェイス》は、既に祝福のコメントで埋め尽くされている。
「……面白い」
俺は、ボルガたちの不満を遮るように、一歩前に出た。
「ギルドマスター、その提案、受けさせてもらう」
俺の快諾に、今度はボルガたちが驚愕する番だった。
「なっ……! おい、ユウキ、てめえ正気か!?」
「ああ、正気だとも」
俺は、呆然とするボルガに向かって、配信者として最高の笑顔を向けてやった。
「いいぜ。あんたたち『鋼鉄の咆哮』と俺たち…どっちがこの『物語』の主役になるか、勝負と行こうぜ、ボルガ」
*
俺の挑戦的な宣言に、ボルガの額に青筋が浮かび上がる。
「てめえ、ふざけやがって……!」
ギリ、と奥歯を噛み締める音が、静まり返ったホールに響いた。ボルガの丸太のように太い腕が、わなわなと怒りに震えている。今にもその拳が俺の顔面に叩き込まれてもおかしくない、そんな殺気立った空気に、リリアナが息を呑んだ。
だが、その殺気を力ずくで捻じ伏せたのは、ギルドマスターの威厳に満ちた声だった。
「――決まりだな」
それは、ただの決定ではない。このアストリアの冒険者ギルドにおいて、誰一人として逆らうことのできない、絶対的な勅命だった。
ボルガは、ぐっと奥歯を噛み締め、燃え盛るような目で俺を睨みつける。彼の仲間たちも、不満と怒りを隠そうともせず、俺たちに敵意の視線を突き刺してくる。
しかし、ギルドマスターという絶対的な権力を前に、彼らに選択の余地はなかった。
ボルガは、絞り出すように「……分かったよ」と呟いた。到底、納得などしていない。プライドをズタタに引き裂かれ、渋々、この理不尽な決定を受け入れた、という顔だった。
こうして、互いにライバル心を剥き出しにしたままの、危険で、いびつな共同戦線が、ここに結成された。信頼関係など皆無。いつ背後から斬りかかられてもおかしくない、冷たい契約だった。
俺の視界の端では、《神々のインターフェイス》が、この波乱の展開を祝福するように、お祭り騒ぎの様相を呈していた。
《名もなき神A》決まったああああ!
《名もなき神F》ライバルと強制コラボとか、最高かよ!
《軍略の神》ほう…面白い。いがみ合う駒をどう采配するか、司令塔の腕の見せ所だな。
《名もなき神B》面白くなってきたあああ! チャンネル登録しといて正解だったわ!
(――最高の展開だ)
俺は内心でガッツポーズを作る。神々(オーディエンス)の期待は最高潮。あとは、この危険な同盟という最高の素材を、いかにして最高の「物語」に調理するかだ。
俺たちと『鋼鉄の咆哮』。
二つのパーティーは、互いに一言も口を利くことなく、ギルドを後にする。
ボルガの敵意に満ちた視線が、俺の背中に突き刺さる。「足を引っ張ったら、容赦なく斬り捨てる」と、その目が雄弁に語っていた。
俺もまた、不敵な笑みを返す。「主役の座は、俺たちがいただく」と、魂で応える。
それぞれの思惑が、冷たく、そして熱く交錯する。
俺たちは、決戦の舞台となる古代遺跡へと、重い足取りで向かうのだった。この危険な同盟が、奇跡の連携を生むのか、あるいは最悪の結末を招くのか。それはまだ、神々すらも知らない。




