バズの余波と次なる一手
ゴブリン集落の発見報告から一夜明け、アストリアの冒険者ギルドは、文字通り蜂の巣をつついたような大騒ぎとなっていた。
「聞いたか!? 森の奥に、ゴブリンの巨大な巣が見つかったらしいぞ!」
「ああ、あのFランクの新人コンビが見つけたって話だ!」
ホールにいる冒険者たちは、誰もが興奮した面持ちでその話題を口にしている。
そんな中、ギルドマスターが重々しい顔で姿を現し、ホールの中央で声を張り上げた。
「――静粛に! これより、緊急討伐クエストを発令する! 目標は、西の森に巣食うゴブリンの大集落! 推奨ランクはC! 腕に覚えのある者は、至急パーティを編成し、受付に申し出よ!」
その言葉に、ホールは再び熱気と興奮に包まれる。
ギルドマスターは、人混みをかき分けるようにして、俺たちの元へとやってきた。
「よくやってくれた、新人。君たちには、発見者として、特例でこの討伐隊への参加を許可しよう」
「……いいんですか? 俺たちはまだFランクですが」
「構わん。君たちがいなければ、街は今頃壊滅していたやもしれんのだ」
その決定に、周囲からすぐさま反発の声が上がった。
「待ってください、ギルドマスター! Fランクを参加させるなんて、正気ですかい!?」
「そうだ! 足手まといになるだけだ!」
Cランクであろう屈強な冒険者たちの侮蔑の視線が、俺たちに突き刺さる。
だが、俺はそんな視線など気にも留めず、ギルドマスターにずっと気になっていたことを尋ねた。
「なあ、ギルドマスター。一つ、聞いてもいいか?」
「なんだ?」
「昨日、ここで光ってたあの石板……『遠見盤』って言ったか? あれは一体何なんだ?」
俺の質問に、ギルドマスターは少しだけ驚いたような顔をしたが、やがて、天を仰ぐようにして厳かに語り始めた。
「……あれは、神託の盤だ。遥か天上の神々が、地上で紡がれる『物語』に熱狂した時、その奇跡の光景を、伝説として我ら地上に映し出すと言われている」
「神々が……熱狂した時……」
「そうだ。雷帝ゼノンの戦いは、それほどまでに神々の心を揺さぶったということだ」
その言葉は、俺の心に深く刻まれた。
『遠見盤』に映し出されるのは、ただ強いだけの戦いじゃない。神々を熱狂させるほどの「物語」。
(――だったら)
俺の脳裏に、昨夜のバズの光景が蘇る。
神々の熱狂。殺到するコメントとスパチャ。
(俺たちの戦いも、いつか必ず、あの盤に映し出してやる)
ゼノンだけが伝説じゃない。
俺とリリアナの物語もまた、伝説になる。
俺は、静かに、しかし固く、そう誓った。
*
その日の午後、ギルドの作戦会議室は、怒号と罵声が飛び交う戦場と化していた。
「だから! 正面から堂々と攻め込むのが一番だろうが!」
「馬鹿を言え! 被害がどれだけ出ると思ってるんだ!」
集められたCランクの冒険者たちは、それぞれが自分の武勇を誇るばかりで、まともな作戦会議にすらなっていない。
俺とリリアナは、Fランクということもあり、部屋の隅でその無益な言い争いを黙って聞いていることしかできなかった。
(――ダメだ、こりゃ)
このままでは、ただ真正面からゴブリンの群れに突っ込み、多大な犠牲を払うだけの、面白くもなんともない凡庸な戦いになる。
そんな「物語」は、神々だって見たくないはずだ。
俺は、意を決して立ち上がった。
「――あの、いいですか」
部屋の隅から聞こえてきた俺の声に、冒険者たちの視線が一斉に突き刺さる。
「あァ? なんだ、Fランクのひよっこは黙ってろ」
「どうせろくな考えもねえくせに」
嘲笑が飛んでくるが、俺は構わず言い放った。
「あんたたちの作戦は、穴だらけだ。もっといい作戦が、俺たちにはある」
その一言に、会議室は水を打ったように静まり返る。
誰もが、俺を「何を言っているんだコイツは」という目で見ている。
俺は、一世一代の博打に出た。
「今夜、改めて時間をくれ。必ず、あんたたちが度肝を抜くような完璧な作戦を、この俺が立ててみせる」
*
その夜。
安宿の一室で、俺は《神々のインターフェイス》を起動させた。
「ユウキさん、本当に大丈夫なんですか……? あんな大見得を切ってしまって……」
心配そうに尋ねるリリアナに、俺はニヤリと笑いかける。
「大丈夫。ここからが、本当の作戦会議だ」
俺は、配信タイトルを叩き込んだ。
【緊急作戦会議】神々の力を貸してくれ!ゴブリンの巣、奇襲作戦!
配信を開始するや否や、昨夜のバズで俺たちを見つけた神々が、続々と集まってきた。
《名もなき神A》おお! やる気満々じゃん!
《名もなき神F》待ってたぞ! で、作戦ってなんだよ?
俺は、画面の向こうの神々に向かって、真剣な眼差しで語りかけた。
「――単刀直入に言う。あんたたちの力を貸してほしい」
俺は、昼間の作戦会議がいかに酷いものだったかを説明し、こう続けた。
「俺は、あんたたちをただの視聴者だとは思ってない。俺と一緒に、この物語を作っていく『共犯者』だと思ってる」
「だから、頼む。この世界を、俺たちなんかよりもっと高い場所から見ているあんたたちの視点で、最高の奇襲作戦を一緒に考えてほしいんだ!」
その言葉に、神々は熱狂した。
《名もなき神G》共犯者……! 面白いこと言うじゃねえか!
《名もなき神B》乗った! 俺の知識をくれてやる!
《名もなき神K》任せろ! あの森の地形なら俺が一番詳しい!
コメント欄は、神の視点(俯瞰視点)でしか知り得ない、貴重な情報の洪水となった。
『西側には、ゴブリンどもも気づいていない手薄な獣道があるぞ』
『奴らの警戒が一番緩むのは、夜明け直後の一瞬だ』
『ホブゴブリンの寝床は、集落の一番奥にある洞窟の中だ!』
俺は、それらの情報を元に、宿の机に広げた粗末な地図へ、完璧な奇襲ルートと作戦を書き込んでいく。これは、俺一人では決して立てられなかった、神々と共に作り上げた、最高の作戦だった。
*
神々と練り上げた、完璧な奇襲作戦。
地図の上に描かれた作戦図を前に、俺は満足げに頷いた。
「……すごい作戦です。これなら、きっと……!」
リリアナも、その作戦の完成度の高さに興奮を隠しきれない様子だ。
だが、問題が一つだけあった。
最高の作戦を実行するには、俺たちの装備があまりにも貧弱すぎることだ。
「よし、行こう」
俺は立ち上がり、懐から一つの革袋を取り出した。
中には、ギルドから支払われた、ゴブリン集落の発見報告による報奨金がずしりと入っている。
「ユウキさん、これは……」
「未来への投資、第二弾だ。最高の作戦には、最高の装備が必要だろ?」
俺たちは、再びあの店へと向かった。
アストリアの職人街に佇む、武具屋『頑鉄工房』。
重々しい扉を開けると、先日と同じように、店の奥からドワーフの店主が顔を出した。
だが、その表情は以前とは全く違っていた。
「おう、来たか、ひよっこども」
店主は、俺たちを見るなり、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「聞いたぜ、お前らの噂。ゴブリンの巣を見つけて、討伐隊に参加するんだってな。なかなか面白い物語になってきたじゃねえか」
どうやら、俺たちの「物語」は、この街にも少しずつ広まり始めているらしい。
「ああ。だから、その物語をもっと面白くするための装備を、新調しに来た」
「ふん、言ってくれる。金はあんのか?」
「これだけ、な」
俺が報奨金の入った革袋をカウンターに置くと、店主は満足げに頷いた。
「よし、話が早え。こっちへ来な」
店主は、俺とリリアナを店の奥へと案内する。
そこには、店先には並んでいない、彼が魂を込めて作り上げたであろう、一級品がずらりと並んでいた。
俺は、ついに初期装備だった粗末な棍棒を手放した。
代わりに手にしたのは、先端に青い魔石が埋め込まれた、樫の木のスタッフだ。直接殴るのではなく、戦術的な指揮を執りやすいように、後衛向けの武器を選んだ。
リリアナも、動きにくそうだった鉄の胸当てを脱ぎ、より軽快に動ける上質な革の鎧を新調した。
「よし、悪くねえ面構えになったじゃねえか」
装備を整えた俺たちを見て、店主は満足げに頷く。
そして、彼はカウンターの下から、小さな袋を二つ取り出した。
「そいつは、未来への投資だ。おまけで持って行きな」
中身は、煙幕玉と解毒薬だった。いざという時に、必ず役に立つアイテムだ。
「……いいのか、親父さん」
「勘違いすんな。俺は、お前らの物語に投資してんだ。せいぜい、俺を熱狂させてみやがれ」
俺たちは、ドワーフの店主に深く頭を下げ、工房を後にした。
手にした新しい装備が、ずしりと重い。それは、俺たちの覚悟の重さだった。
*
工房からの帰り道、ショーウィンドウに映る自分たちの姿を見て、俺とリリアナは思わず足を止めた。
そこに立っていたのは、数日前までの、どこか頼りない「ひよっこ」の姿ではなかった。
戦術の要となるスタッフを背負った俺。
動きやすさと防御力を両立させた革鎧に身を包み、鋭い眼差しを宿すリリアナ。
初めて本物の冒険者らしくなった自分たちの姿に、俺たちは静かな高揚感を覚えていた。
翌朝。討伐隊の集合場所であるギルド前広場は、決戦を前にした冒険者たちの熱気で満ちていた。
俺たちが姿を現すと、その場の空気がわずかに変わる。
「おい、見ろよ……あのFランクコンビだ」
「なんだあの装備……昨日までとは別人じゃねえか」
他の冒険者たちが、俺たちの変わりように目を見張っている。だが、その視線には、まだ侮りの色が混じっていた。
「ちっ、見た目だけは一丁前になったじゃねえか」
不意に、俺たちの前に一人の大男が立ち塞がった。
昨日、作戦会議で一番声を荒げていた、Cランクパーティーのリーダー格の男だ。確か、ボルガとか言ったか。
ボルガは、挑発するような目で俺たちを睨めつけてくる。
だが、俺はそんな挑発を軽く受け流し、リリアナと視線を交わした。
俺たちの胸には、神々と練り上げた完璧な作戦がある。
背中を押してくれる、天上の神々(ファン)からの熱い支援がある。
手には、地上でただ一人の信者から託された、魂の宿る新しい装備がある。
そして何より、あの『遠見盤』に映し出された巨星、ゼノンへと続く道を、この手で切り拓くという固い決意がある。
「――行こうか」
俺たちは、ボルガの横を通り過ぎ、討伐隊の先頭へと向かう。物語は、決戦の舞台となる、薄暗い森の入り口で、静かに幕を開けようとしていた。




