初めてのバズと見上げる先
ドワーフの店主から新たな剣を授かった翌日。
俺とリリアナは、確かな自信を胸に、再び冒険者ギルドの依頼掲示板の前に立っていた。
「リリアナ、準備はいいか?」
「はい。この剣があれば、もう何も怖くありません」
リリアナは、腰に差した新しいショートソードの柄を、愛おしそうに撫でる。
その横顔は、昨日までの「落ちこぼれ」の影を微塵も感じさせない、誇りに満たたものだった。
俺たちは、数少ないFランク向けの依頼の中から、一つを選び取った。
【依頼内容:ゴブリン斥候】
【ランク:F(推奨)】
【報酬:銀貨8枚】
【備考:森のゴブリンの動向を偵察。戦闘は極力避けること】
地味な仕事だが、今の俺たちにはちょうどいい。
なにより、「推奨」という文字が、俺たちの成長を証明しているようで誇らしかった。
*
森の奥深くへと、俺たちは足を踏み入れていた。
以前、俺が一人で死にかけた森と同じはずなのに、隣に信頼できる仲間がいるだけで、見える景色は全く違っていた。
偵察任務は、順調に進んでいた。
時折現れるゴブリンの斥候を、リリアナが新しい剣で難なく仕留めていく。その動きは、以前とは比べ物にならないほど鋭く、正確だった。
だが、森のさらに奥へと進むにつれて、俺は異変に気づき始めていた。
ゴブリンの足跡が、異常に多い。
まるで、一つの巨大な軍隊がこの森に駐留しているかのようだ。
「……ユウキさん、なんだか、様子がおかしくありませんか?」
リリアナも、肌でその異様な気配を感じ取っているようだった。
俺たちは、息を殺して、巨大な岩陰からそっと前方を見渡す。
そして、言葉を失った。
目の前に広がっていたのは、ただのキャンプなどという生易しいものではなかった。
粗末な見張り台がいくつも建てられ、無数のゴブリンが武器を手にうろついている。その奥には、リーダー格であろう、一際体の大きいホブゴブリンの姿も見えた。
――巨大な、ゴブリンの集落。
「嘘だろ……」
Fランクの斥候任務。その言葉からは、到底想像もできない光景だった。
これは、ギルドが全く把握していない、極めて危険な脅威だ。
一歩間違えれば、俺たちはここで死ぬ。
リリアナが恐怖に息を飲む隣で、俺の口元は、しかし、確かに吊り上がっていた。
絶体絶命のピンチ。
それはつまり、最高の「スクープ」だということに、配信者としての俺の本能が気づいていたからだ。
*
「リリアナ、静かに。絶対に声を出すなよ」
俺は小声で彼女に指示を出すと、震える指で《神々のインターフェイス》を操作する。
配信開始。そして、考えうる限り最もセンセーショナルなタイトルを叩き込んだ。
【超速報】ヤバすぎるゴブリンの巣、見つけちまったんだがwww
その刹那、俺の視界の端で、同時接続者数のカウンターが爆発した。
5人、10人、50人、100人……! 普段ではありえない速度で数字が跳ね上がっていく。
《名もなき神A》!?!?
《名もなき神C》マジかよwww
《名もなき神G》おいおいおい、Fランククエじゃなかったのかよ!
《名もなき神B》これは祭りだあああああ!
コメント欄は、瞬く間に熱狂の渦に飲み込まれていく。
これまでにない額のスパチャ通知が、画面を滝のように埋め尽くし始めた。
「っしゃ……!」
俺は心の中でガッツポーズを作る。
賭けは、勝った。
「リリアナ、行くぞ。奴らに見つからないように、情報を集める」
「じょ、情報を……? 逃げるのではなく?」
「ああ。最高のスクープを、神々(オーディエンス)に届けるんだ」
俺は、神々から送られてくるスパチャを、即座にアイテムへと変換していく。
『隠密の巻物(500G)』で俺たちの気配を消し、『遠見の水晶(1000G)』で集落の奥の様子をズームする。
「よし、見えた……! おい、お前ら、よく見とけよ! あれが多分、この巣のボスだ!」
俺は、水晶に映る巨大なホブゴブリンの姿を、ハイテンションに実況していく。
集落の規模、ゴブリンの数、武器の配備状況。
俺たちが集める危険な情報の一つ一つが、神々の熱狂をさらに加速させていく。
これは、ただの斥候任務じゃない。
俺のチャンネルが、神々の世界で初めて発見される、記念すべき「バズ」の始まりだった。
*
神々の熱狂は、俺の想像を遥かに超えていた。
配信の盛り上がりに比例するように、【チャンネル登録者数】のカウンターが、とんでもない勢いで回転を始める。
【チャンネル登録者数:1人】→【チャンネル登録者数:108人】
「ひゃ、ひゃく人……!?」
思わず、声が漏れた。
前世では、どれだけ面白い企画を考えても、どれだけ身を削って配信しても、決して届かなかった数字。
自分の配信が、神々の世界に認められている。
脳が焼けるような快感が、背筋を駆け上がった。これだ。俺がずっと、求めていたものは。
だが、その興奮が、俺たちの危機を招いた。
「――! ユウキさん、あそこ!」
リリアナの切羽詰まった声で、俺は我に返る。
彼女が指差す先、集落の巡回ルートから外れたゴブリンの警備隊が、明らかにこちらに向かってきていた。
配信に熱中するあまり、接近に気づくのが遅れたのだ。
「まずい……!」
岩陰に身を隠しているが、見つかるのは時間の問題だ。
絶体絶命。その瞬間、俺の視界を埋め尽くすスパチャの弾幕が、最後の希望として映った。
「――リリアナ、俺の合図で森の奥に走れ!」
「えっ!?」
「いいから!」
俺は、殺到するスパチャを、震える指で片っ端からアイテムに変換していく。
「お前ら、最高の見せ場だ! 全額、ここに突っ込ませてもらうぜ!」
俺は岩陰から飛び出すと同時に、生成したアイテムを地面に叩きつけた。
「くらえ、『超濃縮煙幕(2000G)』!」
ボフン! という音と共に、辺り一帯が真っ白な煙に包まれる。
ゴブリンたちの怒声が響く中、俺はリリアナの手を掴んで走り出した。
「さらにこれだ! 『ゴブリンホイホイ(1500G)』!」
追撃として投げつけたアイテムから、ゴブリンが好みそうな甘ったるい匂いが立ち上る。奴らの注意がそちらに向いている隙に、俺たちは森の奥深くへと転がり込んだ。
なんとか追撃を振り切り、安全な場所まで撤退した俺は、息も絶え絶えに、神々(視聴者)に向かって最後の言葉を叫んだ。
「はぁ……はぁ……! 見たか、お前ら……! これが俺たちの配信だ!」
コメント欄は、「うおおおお!」「神回避!」「最高だったぞ!」という称賛の嵐。
「約束する! 必ず、この巣の攻略配信をやってやる! だから、チャンネル登録して、待ってろよな!」
俺はそう言い残し、一方的に配信を終了した。
後には、燃え尽きたような疲労感と、それ以上に熱い、とてつもない達成感が残っていた。
*
命からがら街へ戻った俺たちは、疲労困憊のはずなのに、不思議と足取りは軽かった。
初の「バズ」がもたらした興奮が、全身を駆け巡っているからだ。
「ユウキさん、すごかったです……! あんなに興奮しているユウキさん、初めて見ました!」
「ああ! これからもっと面白くなるぜ!」
リリアナと二人、興奮冷めやらぬままギルドの扉を押し開ける。
俺たちはすぐに受付カウンターへ向かい、ゴブリンの巨大集落の件を報告した。
報告を聞いた受付嬢の顔色はみるみるうちに青ざめ、すぐにギルドの奥へと走り去っていく。
戻ってきた彼女は、ギルドマスターと思しき壮年の男性を伴っていた。
「……間違いないか? 君たちの報告が真実なら、これは街の存続に関わる一大事だ」
ギルドマスターの厳しい問いに、俺はこくりと頷く。
俺たちの功績はすぐに認められ、多額の報奨金が約束された。周囲の冒険者たちも、俺たちを見る目が明らかに変わっている。
その、まさに凱旋の瞬間だった。
突如、ギルドのホールの中央に鎮座する、黒曜石の巨大な石板――『遠見盤』が、眩い光を放って起動した。
ホールにいた全員の視線が、その石板へと吸い寄せられる。あれは、大陸で起きている重大な出来事を映し出すと言われる、極めて希少な魔法のアーティファクトだ。
そこに映し出されていたのは、俺たちがいた薄暗い森とは、あまりにも次元の違う光景だった。
燃え盛る火山の頂。天を突くほどの巨体を誇る、一体のエンシェントドラゴン。
そして、そのドラゴンとたった一人で対峙する、一人の男の姿があった。
白銀の鎧に身を包み、雷を纏った聖剣を構える、神々しいまでのその姿。
《軍神ゼータ》「行け、我が子よ! その竜の首を我が祭壇に捧げるのだ! 5,000,000G!」
《美の女神オメガ》「ゼノン様、素敵ですわ! 3,000,000G!」
俺の視界の端で、《神々のインターフェイス》が、石板に映る映像の情報を表示していた。
【配信者:雷帝ゼノン】
【チャンネル登録者数:2,458,901人】
【同時接続者数:358,112人】
モニターの中の男――ゼノンは、神々から注がれる莫大なスパチャを瞬時に雷の力へと変換し、ドラゴンを一方的に蹂躙していく。
その一挙手一投足に、ギルドの冒険者たちから感嘆の声が漏れる。
「すげえ……! あれがトップ配信者の『雷帝』ゼノンか!」
「ドラゴンを相手に、まるで子供扱いだ……!」
俺は、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
さっきまで感じていた、初のバズへの興奮と達成感が、急速に、そして残酷なまでに冷えていく。
登録者100人で喜んでいた自分が、あまりにも矮小に思えた。
ゴブリンの斥候から逃げ回っていた俺たちの配信が、子供のお遊戯のように感じられた。
桁が、違いすぎる。
隣を見ると、リリアナも同じだった。
彼女は唇を噛み締め、悔しさと、圧倒的な力の差への絶望に、肩を震わせている。
だが、俺の心に宿ったのは、絶望だけではなかった。
胸の奥で、静かに、しかし激しく燃え上がる、黒い炎。
(――あれが、テッペン)
あれが、俺が目指すべき景色。
いつか必ず、あの舞台に立って、あの男を超えてみせる。
俺はリリアナの肩をそっと叩いた。
彼女が顔を上げ、俺の目を見る。その瞳にも、絶望ではなく、同じ色の闘志の炎が宿っていた。
俺たちは、言葉を交わすことなく、強く頷き合った。
見上げる先の巨星、ゼノン。俺たちの本当の戦いが、今、始まった。




