決勝戦
ついに、運命の日が来た。
王都中が、いや、天上の神々すらも固唾を飲んで見守る、国王杯武闘大会、決勝戦。
闘技場は、もはや熱狂という言葉では生ぬるいほどの、異常な興奮状態にあった。
地鳴りのような歓声、期待、そして祈り。数万の魂が発するエネルギーが渦を巻き、闘技場全体を一つの巨大な生命体のように脈打たせている。
その、舞台の中央で。
俺とリリアナは、静かに、その男と対峙していた。
――『雷帝』ゼノン。
白銀の鎧は、闘技場の陽光を浴びて神々しく輝き、その手に握られた聖剣は、まるで生きているかのように青い雷光を迸らせている。
ただそこに立っているだけで、空気を歪ませるほどの、絶対的な王者のオーラ。
そして、その隣には、今大会のルールに従い、彼がパートナーとして伴う、一人の女魔術師が静かに佇んでいた。
王宮筆頭と噂される、絶世の美女。だが、ゼノンは彼女を一瞥だにしない。まるで、そこに存在しないかのように。彼女は、対等な仲間ではない。ゼノンにとって、ただの**「駒」**でしかなかった。
ゴングが鳴る。
歴史的な一戦の、火蓋が切って落とされた。
「――消えろ、雑魚ども」
ゼノンが、心底つまらなそうに、そう呟いた。
次の瞬間、彼の姿が、掻き消えた。
「リリアナ、上だ!」
俺の絶叫と、リリアナが剣を掲げるのは、ほぼ同時だった。
キィィィン! という甲高い金属音と共に、凄まじい衝撃がリリアナを襲う。
いつの間にか俺たちの頭上に回り込んでいたゼノンの聖剣が、リリアナの剣と激突し、火花を散らしていた。
「くっ……!」
リリアナは、必死にその一撃を受け止めるが、両足は石畳にめり込み、その顔は苦痛に歪んでいる。
実力差は、歴然。いや、次元が違いすぎた。
ゼノンは、そんなリリアナを、まるで虫けらでも見るかのような目で見下ろし、聖剣にさらに力を込める。
ミシリ、とリリアナの剣が悲鳴を上げた。
これが、Aランク。
現役最強の、帝王の実力。
俺たちは、試合開始、わずか数秒で、絶対的な絶望の淵へと叩き落とされた。
*
「はあっ、はあっ……!」
リリアナの息が、激しく上がっていく。
ゼノンの攻撃は、その一撃一撃が、もはや剣技というよりは災害に近い。雷を纏った聖剣が振るわれるたびに、闘技場の石畳が爆ぜ、衝撃波が俺たちの体を襲う。
防戦一方。いや、防戦にすらなっていない。
ただ、嵐の中で吹き飛ばされないよう、必死に耐えているだけだ。
俺の視界の端で、《神々のインターフェイス》に流れるコメントもまた、絶望に染まっていた。
《名もなき神A》だめだこりゃ……!
《名もなき神F》無理ゲーだろ、レベルが違いすぎる。
《軍略の神》これがAランク……。戦術云々の前に、純粋なステータスが違いすぎるか。
神々ですら、俺たちの敗北を確信している。
そして何より、俺の心を折らなかったのは、ゼノンの戦い方だった。
彼は、闘技場を埋め尽くす数万人の観客にも、天上で見守る神々にも、一切の興味を示さない。
その視線は、ただ、俺たちという「障害物」を、いかに効率よく排除するかにしか向いていない。
時折、隣に立つパートナーの女魔術師に、まるで道具に命令するかのように、一言二言、指示を出すだけ。そこには、仲間への信頼など、欠片も存在しなかった。
(――なんて、退屈な戦い方なんだ)
たしかに、強い。強すぎる。だが、その戦いは、あまりにも退屈で、独りよがりだ。
誰の心も、熱狂させない。ただ、恐怖と圧倒的な力で、支配しているだけ。
その、傲慢さ。
観客を、完全に無視した、帝王の戦い方。
(――見つけた)
絶望の淵で、俺の脳裏に、一つの光が差し込んだ。
そうだ。力で勝てないのなら、力で勝つ必要などない。
この勝負は、武闘大会のルールは、ただの殴り合いじゃない。
俺は、配信者だ。
そして、目の前にいるこの男は、最強の冒険者ではあるが、配信者としては、三流以下だ。
(――勝てる)
俺は、ボロボロになりながらも必死に剣を構えるリリアナの背中に、そっと声をかけた。
ここからが、俺たちの本当の戦いだ。
*
絶望的な状況。
リリアナは満身創痍、俺に至っては、ゼノンの剣圧だけで吹き飛ばされ、まともに立つことすらできない。
闘技場は、ため息と、憐れみの視線に満ちている。誰もが、この一方的な蹂躙劇の終わりを待っているだけだった。
だが、俺の心は、折れていなかった。
ここからが、本番だ。
「――リリアナ!」
俺は、ボロボロの体を引きずり、リリアナの前に立った。
彼女を、自らの体で庇うように。
「なっ……! ユウキさん、何を!?」
「いいから、少しだけ、時間を稼いでくれ」
俺は、彼女にだけ聞こえるように、そっと囁いた。
そして、この試合で初めて、ゼノンではなく、闘技場を埋め尽くす数万人の観客と、天上の神々に向かって、その声を張り上げた。
「――これが、現役最強の戦いか?」
その一言に、闘技場が、そして《神々のインターフェイス》のコメント欄が、一瞬だけ静まり返る。
「たしかに、あんたは強い。強すぎる。だがな、ゼノン! あんたの戦いは、あまりにも退屈だ!」
俺は、ゼノンを指差して、叫んだ。
「あんたは、隣にいる仲間を見ているか? 俺たちの声援に応えてくれているか? 違う! あんたが見ているのは、自分だけだ!」
俺は、観客席を、天上の世界を、指でなぞるように示す。
「俺たちの戦いを見てみろ! 俺は弱いが、隣には、俺を信じてくれる最高の相棒がいる! 俺たちの背中には、アストリアで俺たちを送り出してくれた仲間がいる! そして、この闘技場には、俺たちの勝利を願ってくれる、お前たちがいる!」
俺の言葉に、観客たちが、ざわめき始める。
「俺は、勝つ! だが、力でじゃない! この、会場の全てを味方につけて、お前の独りよがりな『力』を、俺たちの『物語』で、超えてみせる!」
それは、戦闘の放棄。
配信者ユウキが仕掛けた、起死回生の一大「企画」の発動だった。
俺は、リリアナの盾となり、ゼノンの攻撃をその身に受け始めた。もちろん、急所は避けている。だが、その一撃一撃を、わざと派手に吹き飛ばされ、苦痛に顔を歪めてみせる。
その姿は、絶対的な悪から、必死にヒロインを守ろうとする、悲劇の主人公そのものだった。
「リリアナ! 諦めるな! お前の剣は、まだ折れちゃいねえだろ!」
俺は、血を吐きながらも、リリアナを鼓舞し続ける。
その言葉は、リリアナだけでなく、観客たちの心にも、確かに火を灯していた。
最初は呆気に取られていた観客たちも、やがて、俺が紡ぎ出す「物語」に、熱狂し始めた。
そうだ。彼らが見たかったのは、ただ強いだけの王者の戦いじゃない。
弱者が、仲間を信じ、己の全てを賭けて、強大な敵に立ち向かう、そういう英雄譚なのだ。
「いけええええええ!」
「負けるなあああああ!」
地鳴りのような歓声が、闘技場を揺るがす。
対戦盤の『評価ポイント』が、恐ろしい勢いで爆発的に跳ね上がっていく。
神々のコメントもまた、絶望から熱狂へと、完全に反転していた。
《名もなき神A》きたああああ! これだよこれ!
《名もなき神F》泣ける! なんて主人公なんだ!
《軍略の神》馬鹿め、ゼノン! 戦場の支配者は、もはや貴様ではないわ!
会場の空気が、完全に、俺たちのものになった。
俺は、勝利を確信し、不敵に笑った。
*
その笑みが、ゼノンの最後の理性を焼き切った。
「――黙れ、黙れ、黙れぇ!」
地鳴りのような歓声に、ゼノンが初めて、怒りの咆哮を上げた。
観客が、神々が、自分ではなく、目の前の三流芸人を称賛している。その事実が、帝王のプライドを、ズタタに引き裂いたのだ。
彼は、もはや俺が紡ぐ「物語」の、最高の悪役でしかなかった。
「終わりにしてやる! お前らも、この下賤な観客どもも、まとめて消し炭にしてくれるわ!」
ゼノンは、パートナーである女魔術師の制止すら振り払い、その聖剣に、ありったけの雷の魔力を注ぎ込み始める。
会場の全てを吹き飛ばさんばかりの、破滅的な一撃。あまりにも強大で、あまりにも直線的な、最後の攻撃。
(――来た!)
俺が待っていた、たった一度の、起死回生の瞬間。
「――今だ、リリアナ!」
俺の雄叫びが、この物語のクライマックスを告げる。
その声に応えるように、天上の神々から、これまでにないほどの、黄金の光が降り注いだ。
《全神々一同》「「「最高の物語を、ありがとう!」」」
最大級のスパチャが、最後の奇跡を起こす。
光の奔流と化したリリアナの剣が、ゼノンの破滅的な一撃と、すれ違った。
彼女が狙ったのは、ゼノンではない。
彼の隣で、主人に見捨てられ、呆然と立ち尽くしていた、パートナーの女魔術師。
リリアナの剣は、彼女の喉元で、ぴたりと止められていた。
ゼノンの一撃は、確かに闘技場の壁を半壊させた。
だが、その時、試合終了を告げる鐘の音が、高らかに鳴り響いていた。
勝敗は、決した。
戦闘不能にはできなかった。だが、『評価ポイント』は、俺たちが天文学的な数字で上回っている。
やがて、審判が、震える声でその結果を高らかに宣言した。
「――勝者、ユウキ&リリアナ! 新たなる王者の誕生だ!」
一瞬の沈黙の後、闘技場は、歴史がひっくり返るほどの、爆発的な大歓声に包まれた。
俺は、満身創痍の体を引きずり、リリアナと肩を組む。
(――見たか、ゼノン)
これが、俺の戦い方だ。
俺は、天を突き上げるように、力強くガッツポーズを作った。
テッペンからの景色は、最高だった。




