英雄の代償と、嫉妬の刃
アーク・アラクネ討伐から、数日が過ぎた。
俺とリリアナ、そしてボルガ率いる『鋼鉄の咆哮』との共闘は、アストリアの冒険者たちの間で、一種の伝説として語り草になっていた。
「おい、聞いたか? あのFランク上がりのユウキって奴、今度はボルガたちと組んで古代遺跡を攻略したらしいぞ!」
「ああ、あの『鋼鉄の咆哮』を手玉に取って、完璧な指揮を執ったって話だ!」
ギルドの酒場は、俺たちの武勇伝で持ちきりだった。
ボルガが、俺たちの実力を認めてくれたおかげで、もはや俺たちを「ひよっこ」と呼ぶ者はいなくなった。
その視線は、尊敬と、畏怖と、そして――どす黒い嫉妬の色を帯び始めていた。
そんな、ある日の午後だった。
俺とリリアナがギルドで次の依頼を探していると、一人の男がやけに親しげな態度で声をかけてきた。
「よぉ、君たちが噂の英雄コンビかい? いやあ、大したもんだよ! あのボルガさんを手懐けちまうなんてさ!」
ヘラヘラと笑いながら近づいてきたのは、俺たちと同じCランクの冒険者。確か、パーティー名は『影の牙』、リーダーの名はジンとか言ったか。
痩せぎすで、蛇のように冷たい目をしている男だった。
「あんたは……」
「俺はジン。まあ、同じCランク同士、仲良くしようぜ」
ジンは、俺たちの功績を過剰なほどに褒めちぎると、声を潜め、いかにも儲け話といった口ぶりでこう続けた。
「実はさ、二人にとっておきの依頼があるんだ。内容は、『ワイバーンの雛の捕獲』。成功すれば、金貨50枚は下らない。どうだい? 俺たちと組んで、一発デカく当てないか?」
金貨50枚。
Cランクの依頼としては、破格すぎる報酬だ。
リリアナが、ゴクリと息を呑むのが分かった。
だが、俺の心は、全く別の部分で警鐘を鳴らしていた。
話が、美味すぎる。
そして何より、目の前で笑うジンの瞳の奥に、嫉妬に歪んだ、昏い光が宿っているのを、俺は見逃さなかった。
*
「――じゃ、いい返事、期待してるぜ?」
ジンは、蛇のような笑みを浮かべたまま、ひらひらと手を振って去っていった。
彼の姿が見えなくなるのを待って、俺は大きく息を吐き出した。
「……ユウキさん、今の話……」
リリアナが、期待と不安が入り混じったような顔で、俺に問いかけてくる。
金貨50枚。その報酬は、俺たちにとって破格の魅力だ。
だが、俺は静かに首を横に振った。
「リリアナ。あの話、どう思う?」
「え……? それは、とても良いお話だと思いますが……」
「良すぎるんだよ」
俺は、真剣な目で彼女を見据える。
「それに、気づかなかったか? あの男の目だ。俺たちを褒めちぎっていた時、あの目は笑っていなかった。嫉妬と、どす黒い悪意に満ちていた」
俺の言葉に、リリアナはハッとした顔をする。
彼女は、人の善意を疑わない純粋さを持っている。だが、その純粋さが、時には命取りになることも、この世界では十分にあり得た。
「……確かめる方法がある」
俺はそう言うと、リリアナに背を向け、誰にも見えないように、そっと《神々のインターフェイス》を起動させた。
これは、賭けだ。
【緊急裏調査】情報求ム!『影の牙』のジンって奴、どう思う?
俺は、神々(視聴者)に向かって、ストレートに問いかけた。
彼らは、天上の世界から、俺たち地上の人間の全てを見ているはずだ。ジンの素性や、今回の依頼の裏についても、何か知っているかもしれない。
その賭けに、神々は即座に応えてくれた。
《名もなき神A》うわ、ジンだ! あいつに関わんのはやめとけ!
《名もなき神F》出たよクズ野郎。あいつは平気で仲間を売るぞ。
《名もなき神B》その依頼、絶対罠だ。ワイバーンの雛がいる巣には、100%親がいるに決まってる。
《名もなき神G》間違いない。お前らを囮にして、親ワイバーンと戦わせる気だ。その隙に、自分たちだけ雛を盗んでトンズラする算段だろ。
次々と流れてくるコメントが、俺の疑念を、揺るぎない確信へと変えていく。
やはり、これは罠だった。
俺とリリアナを、獰猛な親ワイバーンへの生贄として捧げ、自分たちだけが甘い汁を吸おうという、あまりにも卑劣で、残虐な計画。
俺は、静かに配信を終了すると、リリアナへと向き直った。
俺は、その調査結果を、リリアナに語って聞かせた。
*
俺は、神々の調査によって明らかになった、ジンの卑劣な計画の全てを、リリアナに語って聞かせた。
俺たちを囮にして親ワイバーンと戦わせ、その隙に自分たちだけが雛を盗んで逃げるという、残虐な筋書きを。
話を聞き終えたリリアナの肩が、わなわなと震え始めた。
「……許せません」
その瞳には、これまで見たこともないような、激しい怒りの炎が宿っていた。
「人を……人の命を、何だと思っているのですか! あのような輩、絶対に許せません!」
騎士の家系に生まれた彼女にとって、ジンの卑劣な計画は、到底受け入れられるものではなかったのだろう。
今にもギルドへ走り出し、ジンの胸ぐらを掴みかねない勢いだ。
だが、そんな彼女とは対照的に、俺の口元は、不敵な笑みを刻んでいた。
(――最高のネタ、キタコレ!)
絶体絶命の罠。仲間からの裏切り。そして、悪党への断罪。
これほどまでに、神々(視聴者)の心を熱狂させる「物語」の素材が、他にあるだろうか?
「まあ、落ち着けよ、リリアナ」
俺がそう言うと、彼女は信じられないという目で俺を睨みつけた。
「落ち着いてなどいられません! ユウキさんは、悔しくないのですか!?」
「悔しいさ。だから、復讐するんだ」
俺は、ニヤリと笑った。
「最高の形で、な」
俺は、この卑劣な罠を逆手に取り、ジンの悪意を神々の前で断罪する、壮大な「ドッキリ配信」を企画することを決意した。
ただ罠を回避するだけじゃ、面白くない。悪意をエンターテイメントに昇華させてこそ、俺の配信だ。
俺は、再び《神々のインターフェイス》を起動させた。
今度のタイトルは、これだ。
【神回確定】クズをハメ返す!復讐のドッキリ生配信!
配信を開始するや否や、先ほどの調査配信を見ていた神々が、待ってましたとばかりに集まってくる。
《名もなき神A》きたああああ!
《名もなき神F》復讐配信! 待ってたぜ!
《名もなき神B》面白くなってきた! やってしまえ!
俺は、画面の向こうの神々に向かって、共犯者の笑みを浮かべた。
「――お前ら、見てた通りだ。俺は、あのクズ野郎にハメられようとしている」
「だが、ただでやられる俺じゃない。どうせなら、あいつの悪事が白日の下に晒される、最高のショーを演じてやろうと思う」
「だから、頼む。俺の復讐劇の『共犯者』になってくれ!」
その言葉に、神々は熱狂した。
《名もなき神G》共犯者! 乗ったぜ!
《名もなき神K》面白すぎる! スパチャ投げる準備はできてるぞ!
俺は、これから行うドッキリ作戦の全貌を、神々に共有する。
そして、その作戦に必要なアイテムをリストアップした。
「――というわけで、まずは親ワイバーンの怒りを、ジンたち『影の牙』だけに誘導するためのアイテムが必要だ。心当たりのある神様はいないか?」
俺の問いかけに、即座に、莫大な額のスパチャが叩き込まれた。
それは、俺たちの復讐劇の成功を確信する、神々からの熱いエールだった。
*
翌日の昼下がり。
俺は、ギルドの酒場でジンと落ち合った。
俺の顔を見るなり、ジンは探るような目で尋ねてくる。
「よう。昨日の話、考えてくれたかい?」
俺は、一世一代の大根役者になりきり、一晩中悩んだという体で、わざとらしく大きなため息をついてみせた。
そして、ジンの目を見つめ、欲望と期待に満ちた、純朴な若者を完璧に演じきりながら、満面の笑みでこう告げた。
「ああ、もちろん。あんな美味い話、断る理由がないだろ? ぜひ、一緒に組ませてくれ!」
俺の無邪気な快諾に、ジンの目の色が、ほんの一瞬だけ、ギラリと変わったのを俺は見逃さなかった。
計略が成功したと確信した、捕食者の目だ。
「ははっ、そうこなくっちゃな! 安心しろよ、俺たち『影の牙』がついてるんだ、楽な仕事さ!」
ジンは、俺の肩をバンバンと叩きながら、下卑た笑みを浮かべている。
哀れな男。自分が今、巨大な釣り針に食いつき、神々という名の観客が見守る巨大な舞台へと引きずり上げられようとしているとも知らずに。
*
ジンと別れた俺とリリアナは、決戦の準備を整えていた。
神々(共犯者)からのスパチャで得た、ドッキリ成功のための必須アイテムは、既に俺のインベントリに収まっている。
まずは、親ワイバーンの怒りを特定の相手に誘導するための特殊な匂い袋、『竜の逆鱗香』。
そして、万が一の事態に備えた、緊急離脱用の魔法の巻物、『瞬間転移の羊皮紙』。
これだけあれば、まず負けることはない。
「……ユウキさん、本当に大丈夫なのでしょうか」
リリアナが、不安そうに俺の顔を覗き込む。
彼女は、これから行われることが、ただのクエストではなく、人の悪意を相手にする、危険な芝居であることを理解していた。
俺は、そんな彼女の頭をポンと軽く叩いて、安心させるように笑いかける。
「大丈夫。最高のショーにしてやるさ」
*
夕暮れ時。
俺たちと、『影の牙』の二つのパーティーは、街の門の前で合流した。
何も知らないジンたちは、これから始まるカモ撃ちに、笑いが止まらないといった様子だ。
全てを知った上で、無垢な獲物のフリを続ける俺たち。
それぞれの思惑が、夕焼けの空の下で、静かに交錯する。
「――さあ、行こうか。英雄さんたち」
ジンが、俺たちに先に行くよう、顎でしゃくった。
俺は、満面の笑みで頷くと、リリアナと共に、決戦の舞台となるワイバーンの巣へと歩き出す。
そして、ジンたちには見えないように、俺は天上の神々(共犯者)に向かって、そっとウインクを送った。
――開演のベルは、もうすぐ鳴り響く。




