第一話:チャンネル登録者0人
ピロン♪
軽快な電子音が、静まり返った深夜のワンルームに響き渡る。
「……ん? お、スパチャだ! マジか!」
俺――ユウキは、ヘッドセットのマイクに拾われないよう、必死に声を抑えて喜んだ。
モニターの端に表示されたコメントと投げ銭の通知。
『ユウキさんの配信、いつも楽しみにしてます! 500円』
「うおお、ヤマダさん、あざっす! マジあざっす!」
嬉しくて涙が出そうだ。
俺は、登録者数3桁にも満たない、底辺中の底辺ゲーム配信者。
視聴者数は、今この瞬間、たったの5人。
それでも、こうして応援してくれる人がいる。
それだけで、明日も頑張ろうと思えた。
「よーし、ヤマダさんの応援に応えるためにも、このボス、絶対倒すぞ!」
俺は興奮気味にコントローラーを握りしめ、高難易度のアクションゲームのラスボスに再び挑む。
「面白ければ、いつか誰かが見てくれる」
その言葉を信じて、もう3年。
現実は甘くなかったが、それでも諦めきれなかった。
「うおっ、危ねえ! この攻撃パターン、初見殺しだろ……!」
ゲームに没頭するあまり、俺は気づかなかった。
モニターの裏、古びた電源タップから、小さな火花が散っていたことに。
そして、それがカーテンの端に燃え移り、静かに炎を広げ始めていることに。
「ああ、今度こそ、バズりたかったな……」
それが、俺の最期の言葉だった。
◇
次に目を開けた時、俺は真っ白な空間にいた。
目の前には、息を呑むほど美しい、金色の髪を持つ女神が、呆れたような、それでいて少し楽しそうな顔で俺を見下ろしていた。
『残念でしたね、ユウキ。あなたの人生は、エンディングを迎える前にゲームオーバーです』
「え……? 女神様……?」
『ええ。そして、あなたに新たなステージをご用意しました』
女神が指を鳴らすと、俺の目の前に、前世で使っていた配信画面によく似た、半透明のウィンドウ――《神々のインターフェイス》が浮かび上がった。
『ここは、我々神々が退屈を凌ぐために創った世界。そしてあなたは、我々を楽しませるための「配信者」に選ばれました。その魂が尽きるまで、あなたの人生は、神々(視聴者)に向けて生配信されるのです』
あまりに突拍子もない話に、俺は言葉を失う。
『あ、そうだ。あなたにはユニークスキルを授けましょう。《神々のインターフェイス》――他の配信者には見えない「視聴者コメント」や「視聴率」を、リアルタイムで完璧に把握できる、あなただけの特別な能力です。前世の経験が活かせるといいですね?』
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 説明が……!」
俺の抗議も虚しく、女神はニコリと微笑んだ。
『それでは、チュートリアルなしのハードモード、いってらっしゃいませ。あなたの最初のステージは、「絶望の森」からです』
その言葉を最後に、俺の足元が崩れ落ち、意識は再び暗闇へと呑み込まれていった。
◇
「うわっ!?」
地面に叩きつけられるような衝撃で、俺は意識を現実に引き戻された。
湿った土と腐葉土の匂い。
うっそうと茂る木々が太陽の光を遮り、昼間だというのに薄暗い。
女神の言っていた「絶望の森」とやらか。
状況を確認しようと立ち上がった俺は、自分の服装を見て、さらに絶望した。
ペラペラの布の服が一枚。
武器はもちろん、靴さえない。
(マジかよ……丸腰じゃねえか……!)
ガサッ、と背後で物音がした。
振り返ると、そこにいたのは、緑色の肌に、醜く歪んだ顔をした、小柄な人型の化け物――ゴブリンだった。
しかも、一匹じゃない。三匹だ。
『ギギッ!』
下卑た笑い声を上げ、錆びたナイフを構えて、じりじりと距離を詰めてくる。
逃げようにも、足はすくんで動かない。勝てるわけがない。
(ああ、死ぬ。今度こそ、本当に)
転生して、わずか数分。あまりにもあっけない幕切れだ。
どうせ死ぬなら。
前世の最期と同じように、どうせなら――。
「はは……ははははは!」
恐怖で引きつった顔に、無理やり笑みを貼り付けた。
俺は、震える声で、前世で染みついたセリフを叫んだ。
「さあ、始まりました! ユウキの異世界サバイバル! 【悲報】俺氏、開始5分でゴブリンに喰われそうです! このRTA、絶対世界記録だろ!」
ヤケクソだった。
だが、その瞬間、視界の隅に浮かぶ《神々のインターフェイス》に、変化が起きた。
【視聴者数:5】
ゴブリンの一匹が飛びかかってくる。
俺は咄嗟に地面を転がって避ける。
「おおっと、危ねえ! 見たか、今の神回避! 回避スキルに全振りしてっからな、俺!」
もちろん、嘘だ。スキルなんて一つもない。
《名もなき神A》こいつ、死にそうなのに面白いこと言うなw
《名もなき神B》RTAは草
《名もなき神C》マジで死ぬぞw
初めてコメントが流れた。
たった数人。それでも、確かに俺のヤケクソは「視聴者」に届いていた。
「まだだ! まだ終わんねえぞ!」
俺は叫びながら、必死に逃げ惑う。
《名もなき神B》頑張れw 100Gやるから生き延びてみろ
そのコメントが表示された直後だった。
ピロン♪ と軽快な電子音が響き、俺の目の前に眩い光が出現した。
【名もなき神B様より、100Gのスーパーチャットです!】
光が収まると、そこには一本の粗末な棍棒と、赤い液体が入った小瓶が落ちていた。
「こ、これって……」
投げ銭が、アイテムになった?
訳も分からぬまま、俺は震える手で棍棒を握りしめた。
◇
手にした棍棒は、ずしりと重い。
だが、それは絶望的な状況における、唯一の希望の重さだった。
『ギギィ!?』
仲間が突然武器を手にしたことに驚いたのか、ゴブリンたちが一瞬だけたじろぐ。
その隙を、俺は見逃さなかった。
「うおおおおっ!」
配信者だった頃のなけなしの度胸を振り絞り、雄叫びを上げて突進する。
狙うは、一番手前の一匹。
剣術も武術も知らない。ただ、がむしゃらに棍棒を振り下ろした。
ゴッ! という鈍い手応え。
ゴブリンの頭蓋が砕ける感触が、腕に伝わる。
「いっちょ上がりぃ!」
強がって叫ぶが、内心は恐怖と吐き気でいっぱいだ。
だが、インターフェイスに流れるコメントが、俺を現実に繋ぎとめる。
《名もなき神A》おお!やったぞ!
《名もなき神D》やるじゃん、こいつ!
《名もなき神B》100Gの元は取れそうだなw
そうだ、見られている。
俺の戦いは、エンターテイメントなんだ。
残りのゴブリンが、仲間をやられた怒りで、左右から同時に斬りかかってくる。
避けきれず、腕を浅く斬られた。焼けるような痛みが走る。
「いっつ……!」
だが、俺にはポーションがある。
距離を取って、小瓶の中身を一気に煽る。すると、傷口が淡い光とともに塞がっていくではないか。
「すげえ……マジかよ……!」
コメントがさらに加速する。
《名もなき神C》ポーションの使いどころ、完璧!
《名もなき神E》こいつ、意外とセンスあるんじゃね?
いける。やれる!
この神々(視聴者)を味方につければ、俺は、この理不尽な世界で戦える!
勢いを取り戻した俺は、残りのゴブリンも死に物狂いで殴り倒した。
森に静寂が戻る。
俺は、その場にへたり込んだ。
全身が泥と、返り血と、冷や汗でぐっしょりだ。
だが、心は不思議と燃えていた。
視界の隅で、神々のコメントが賞賛の嵐となっているのを見る。
(面白いことをすれば、助けてもらえる。面白いことをすれば、強くなれるんだ……!)
前世では、誰にも見つけてもらえなかった。
面白いことをしているつもりでも、数字は一向に伸びなかった。
でも、ここでは違う。
俺の頑張りを、この世界の「視聴者」は、ちゃんと見ていてくれる。
絶望が、確かな希望へと変わっていく。
俺は、ゆっくりと立ち上がり、天を仰いだ。
そこにいるはずの、俺の運命を弄ぶ神々に向かって、高らかに宣言してやる。
「見てろよ、神様ども! 俺はこの世界で成り上がって、テッペンからの景色ってやつを見てやる!」
前世で叶わなかった夢。
誰かに認められ、誰かに必要とされる存在になるという、俺のたった一つの願い。
「だから……チャンネル登録、よろしくな!」
渾身の叫びが、森にこだまする。
その瞬間、俺の視界に映るインターフェイスの数字は、まだ変わらない。
【チャンネル登録者数: 0人】
だが、不思議と心は折れなかった。
ここから始まる。
俺の、世界一の配信が。