5話 化物
時間は少し遡る。
異教徒のアジトの特定に至った黒光は、侵入を図るも、警備の厳重さに攻めあぐねていた。
監視の目を撒ききって、再び、侵入経路が無いか窺う途中。
神殿内部から、別の仲間が顔を出す。
勤務交代かと思われたが、様子が慌ただしい。
遠目からでも如実に伝わる、その焦り具合から、何かしら想定外が起きたのだろう。
急かされながら、外の警備をしていた半数以上の者が神殿内部へと消えていく。
ーーー手薄になった好機を男が見逃す筈が無い。
その一部始終を目撃した男は、すかさず正面入口に躍り出て、門番の背後を取る。
最適化された流れるような手つきで、次々に敵の意識を刈り取っていく。
ものの数秒で片付けた男は、何食わぬ顔で正面から侵入を果たす。
目に映り込んだのは、清く朗らかな泉。
だが、泉の端に、早朝には存在しなかったはずの、隠し階段が浮き彫りとなっていた。
絡繰については分からぬが、先を急ぐことを優先する。
地下階段を降り、無機質なコンクリートの通路に繋がる。
趣向を完全に排除した簡素な造り。
管理するのに、さぞかし便利だろう。
冷酷なまでの静寂の中を男は、警戒を怠る事なく、先を進む。
拳銃片手に、丁寧なクリアリングを施していく。
だが、程なくして、違和感を覚える。
・・・妙だな。
かなり内部にまで、入り込んだというのに、未だ敵と出くわすことが無い。
寧ろ、人の気配がないと言うべきか。
易々と侵入を許す敵の警備の甘さに、逆に不安が増す。
それでも、奥へと進み、次の角を曲がった時だった。
人が積まれているのが目に飛び込んできた。
恐ろしいことに、一切の誇張は無く、言葉通り、現実に起きている。
正確には、幾数の男達が、何故か伸びた状態で山積し、
付近には、無数の火の粉が散り、まだ熱を帯びていた。
既に男は、誰の仕業であるか察していた。
・・・随分と暴れたな。
通路の奥の方まで、断続的に倒れ込む敵たちを眺めながら、率直な感想を抱く。
この具合であれば、彼女の宣言通り、一人で片づけてしまうかも知れない。
だが、現状を把握できない以上、あの少女が危険な目に遭っていないとも言えなかった。
一先ず、あの少女と合流を目的に、先へと急ぐ。
幸いと言うのか、何なのか。
彼女の行き先については、餌食となった敵どもを辿ればいい。
敵に、ある種の同情を抱きながら、通路を駆ける。
だが、程なくして目印が途切れる。
あれ程、順調に薙ぎ払っていたと言うのに、パタリと敵の姿が消える。
男は、思わず足を止める。
・・・辿る方向を間違えたか。
にしては、通路の途中で途切れるのは、あまりに不自然過ぎる。
男は、一呼吸おいて周囲を観察し始めた。
ここも相変わらず代わり映えの無い通路。
同じ条件下で、炎使いが突然負けるとは、到底思えない、、、。
恐らく、彼女が何らかの想定外に見舞われたと推測するのが筋だろう。
直観に近い嫌な予感が、男を支配した。
そして、その直後。
「ーーーーーーーー。」
地下通路を伝って、物凄い轟音が響き渡る。
地震と錯覚する程の揺れ。
それは、まるでこの世のものとは、思えない何かの叫び。
鼓膜が破れんばかりの騒音が、地下を支配した。
この轟音には、流石の男も顔が苦む。
だが、彼は、痛みを堪えながら、音の出所を分析していた。
・・・その先か。
瞬時に音源を特定し、考えるよりも、体が動く。
みるみる内に加速を続け、宙を駆ける速度で通路を抜けていく。
頬が強張り、呼吸が僅かに乱れる。
彼の顔には、珍しくも、焦燥の色が浮かぶ。
ーーー其れもその筈。
その轟音は、彼には聴き慣れのある "地獄を呼ぶ声" 。
どう足掻こうと、そこ は、無事ではないと認識していた。
ようやくのことで、長い、長い通路を抜けきり、広い空間へと踊り出る。
そこで目に飛び込んできたのは、口に出すのも憚られる悍ましい何か。
得体不明な触手に、開閉を繰り返す器官を携えるソレは、理解の範疇を優に超えていた。
それが、あろうことか、無防備に逃げ惑う者達を容赦なく惨殺していく。
その証拠に床は、歪みに軋んだ骸と鮮血が散逸し、悪趣味な芸術が出来上がっていた。
異教徒達は、あの化物を制御不能と悟ったのか、地に伏せる仲間の二の舞にはなるまいと、本能の駆られるままに、逃げ惑う。
至る所で飛び交う悲鳴と断末魔に聴覚が埋もれ、逃げ惑う者達で視界が塗り潰される。
ーーーまさしく混沌。
怯え、恐れ、畏怖、、、あらゆる絶望が祭壇を取り巻き、現実とは信じ難い、世紀末な情景であった。
・・・遅かったか。
男は、この悲惨な情景を、掠れきった昏い瞳に映す。
だが彼は、惨たらしい光景に尻込みすることも、襲う腐臭に吐き気を催すことも無かった。
ただ、化物を狩らんと、人波を掻き分けて進む。
入り乱れる人混みを越えた先に、奮闘を見せる炎使いの姿が。
背後の少女を庇いながら、得体の知れぬ触手を撃退していた。
二人の存在を目視した男は、千優が撃ち漏らした触手を撃ち払いながら、二人の前へと躍り出る。
「後は任せろ。」
そう端的に告げて、化物と対峙する。
だが、思わね返答が返ってきた。
「待って、私も加勢するわ。」
一人で持ち堪えていたのだろう。
息を荒らしながら、正義感の塊である千優は言う。
「・・・待て。先に戻れという意味で伝えた筈だが。」
「別にいいじゃない。私が残ろうが、残るまいが、それは私の勝手じゃない。」
「・・・。」
透き通った目で、訴えかける千優に、男は思わず言葉が詰まる。
だが、この場を切り抜けるには、独りの方が都合が良い以上、別の論法で遠ざける。
「その手負いを連れて行け。足手まといになると、困る。」
「、、、何? その言い方。」
男のあまりな言い様に、千優は苦言を呈す。
「早く去れと、そう言っているのだ。」
だが、男とて譲れない。
冷淡な口調でありながら、有無を言わせない迫力があった。
男の圧に、千優は物怖じするも、食い下がる。
「、、、ねえ待って。他の子を見殺しにする気? 」
「・・・何の話だ? 」
突拍子も無い批判に男は疑問符を浮かべる。
すると、呆れんた、と言わんばかりの口調で彼女は告げる。
「他にも囚われの子が居るのよ。ここで私が逃げたら見殺しになるじゃない。」
「・・・。」
理解をするのに、数秒を要してしまった。
・・・それを先に言え。
「、、、そうか。他がいるのか。」
確かに、今思えば、化物の声を聴いて、ここまで最短で来たのだ。
その道中に、監禁できるような箇所があったとしても、不思議なことではない。
「、、、場所は把握しているだろうな? 」
千優が頷き返したことを見て、再び男が口を開く。
「ならばこそ、やはり先に行け。救助はお前に任せる。」
「 ・・・ "コイツ" は、俺が引き受ける。」
一拍置かれて言い放たれた言葉に、千優は耳を疑った。
この男は、あの化物を一人で迎え撃つと言ったのか? 正気の沙汰ではない、、、と。
だが、此方を見向きもせず、化物を注視し続ける、その立ち振舞。
並々ならぬ覚悟の程を感じ取れる。
それに、何かと面倒なこの男が、無謀な策に出る訳は無いと分っていた。
でも、、、それでも、千優は純粋に心配を寄せる。
「大丈夫でしょうね。」
「ああ。問題ない。」
千優は、男を本気で気遣ったにも拘わらず、淡泊な返しに、拍子抜ける。
呆れを通り越し、ある種の感心を覚え始めた頃、今度は男が痺れを切らしたように告げる。
「早くしろ。天井が、もう、もたん。」
男が指し示したその先には、天井には亀裂が入り、水が滴り落ちていた。
瓦解の兆しであるソレを見て、千優も猶予が無いと覚悟を決める。
そして、雨音の腕を掴み、半場強引に通路の方へと消えていく。
・・・それでいい。
二人の背が地下通路へと消えゆく様を見届け、再び化物に目を向ける。
彼が放つ眼光か、それとも纏うオーラか。
男が立ちはだかった時から、化物は、明確に動きを鈍らせていた。
そして、無作為な殺戮を辞めてまで、彼を注視する。
言うなれば、飯の最中に、コバエが割り込んできたような、感覚だろうか。
兎も角、化物からして、男は、"物事を中断させる程の存在" だったのである。
互いに睨み合い、並々ならぬ緊張が走る。
熾烈な殺意のやり取りは、吐息すらも憚られる。
祭壇は、最早、二人だけの空間と化していた。
ーーー彼は熟知していた。
この化物の名で、如何な存在であるのかを。
そして、如何な行動原理で、如何な宿命を担うかを。
故に、彼は理解していた。
現状、目視できる図体が、単なる一部であり、
本来の脅威が こんなもの でないことを。
、、、だから、刺激では無い、極めて穏便な手筈へと移る。
男は、潔癖と偽って、普段から常備している黒手袋を脱ぎ始めた。
露わになったのは、その手袋より尚黒く、焼け焦げた素手。
霧のような、靄のような、何とも形容し難い、禍々しい不気味な空気を纏っていた。
如何にも物騒なものを、彼は、己の左腕に当て、躊躇なく削ぎ落とす。
何の抵抗も無く、スパリと。
遅れて、ボトリと落下した音が響く。
その切れ味は最早、手刀の域を超えていた。
だが、彼の体の仕組みは一体どうなっていることやら。
血飛沫が上がらず、彼は苦痛に表情を歪ませている訳でもない。
更に切断された腕にも、何とも仰々しい不気味な空気が纏わりついている。
まるで、何重にも怨念をかけられたような外観。
とても、人のものとは、思えない。
彼は、落ちた自分の腕を平然と拾い上げ、化物の口へと目掛けて放り投げる。
投げられたソレは、放物線を描き、闇の中へと消えていく。
突然の異物混入に、化物は慌てふためいていたが、お気に召したのか、吐き戻すような事はしなかった。
そして、先ほどの怒りは何処へ行ったのやら、元居た、祭壇の定位置へと戻っていく。
完全に帰り切ったのを見届けた男は、一息つく。
・・・ふう。
寿命の縮まる緊張感からの解法に、つい息が緩む。
左肩の切断面から煤に似た靄が漂い、元の左腕へと形どっていく。
彼は、その過程を他人事の様に眺めていた。
だが、一息つけるのも束の間。
まるで、完治を許さんと言わんばかりに、激しい亀裂音が祭壇内を響かせる。
堪らず、音の発生源に目を向ければ、天井に裂け目が刻み込まれ、水が本格的に漏れ出ていた。
この真上は、丁度、神聖なる泉。
化物が暴れた影響で、地下天井が水量に耐えられなくなったのだろう。
そう思考する間も、水の漏れ具合は、滝から雪崩へと水量が増し、加えて天井を片っ端から瓦解させていく。
このままでは、下敷きか、溺死の二択であると悟った男は、すかさず、地下室を後にした。