僕のおばあちゃん〜僕と認知症のおばあちゃんとの家族物語〜
この話フィクションです。
実際の人物とは関係ありません。
僕の名前は神楽坂翔貴。
おばあちゃんと両親、そして僕の4人家族で暮らしている。
僕は中学生だ。
家から徒歩6分ほどの中学校に通っている。
両親は、基本朝から夜まで家にいない。
いつも、仕事が優先と言って、家にいない事が多い。
だから、僕はおばあちゃんと一緒にいることが多いのだ。
最近、おばあちゃんと一緒にいて分かったことがある。
最近、おばあちゃんの認知症が酷くなっているのだ。
因みに、おばあちゃんは元教師だ。
だから、記憶力が命な職業に就いていたおばあちゃんは、自分の記憶に頼ることが多いのだ。
もう8時だ。
学校に行かなければ。
「......行ってきます」
「あら、もう行くの?早いわねぇ......」
......またかよ。
これが、おばあちゃんの認知症の弊害だ。
「もう、じゃないだろ!?もう8時なんだよ!!今でなきゃ、学校に遅刻するんだよ!!」
「あぁ、そうなのぉ?」
──本当にこういうのが面倒臭いんだよ!!
寝起きだし、気温が高いのも相まって、益々おばあちゃんへのイライラが募る。
僕は、家の扉を乱暴に閉めた。
家を出て、待ち合わせをしていた、友達の岳享生に会う。
「オッス!」
「うぇーい!」
僕らは、いつもの挨拶を交わす。
そして、楽しく話しながら、登校する。
今日も、楽しい学校生活だ。
しかも、今日は金曜日で、3時間授業だ。
僕は、早く帰れるということで、ウキウキしていた。
帰りは、享生や他の友達たちと一緒に帰った。
楽しく帰っていたその時だった。
「あら、しょうちゃん!」
僕に話し掛けてきたのは、おばあちゃんだった。
おばあちゃんは、家からそのままの格好出てきたのか、黄色のエプロン姿で、三角巾を被っていた。
しかも、何故か厚着をしていて、額に汗をかいている。
僕は咄嗟に顔を逸らした。
こんな人が僕のおばあちゃんだってバレたら、こいつらにどんな事を言われるか分からないからだ。
「なぁ、翔貴?あのばあちゃん誰?」
「は、はぁ?し、知ってる訳ねぇだろ?」
僕がぶっきらぼうにそう言うと、おばあちゃんは顔を真っ赤にした。
「何言ってんのよ?私は貴方のおばあちゃんよ!!」
「多分、暑さで頭が狂ってんだよ。汗だくだくだろ?あんなばぁちゃん気にしないで、とっとと行こーぜ!」
「「お、おぅ」」
「ち、ちょっと!!」
僕たちは、逃げるようにして、この場を去った。
家に帰って来た。
皆とは、あれから一言も話さずに別れた。
正直、気まずかった。
あれもこれも全部、あそこにいたおばあちゃんのせいだ。
友達と楽しく話してた僕に突然声を掛けるなんて、本当にどうかしてるよ。
おばあちゃんに素っ気ない感じで別れちゃったな……
お昼ご飯、どうしようか?
おばあちゃんが卵焼きを作ってラッピングしてくれている。
しかし、今は気まずいおばあちゃんが理由も無く作った卵焼きを、いまいち食べる気になれない。
今日のご飯どうしようかな……?
結局、僕はコンビニに行って、自分の大好物の冷やし中華を買って、部屋でゆっくり食べた。
何故か、僕が大好きな筈の冷やし中華はあまり美味しく無かった。
暫くして、おばあちゃんが帰って来た。
「ただいまぁ……」
その声は、僕の予想通り元気が無かった。
あんな事をしたんだ、当然の事だろう。
「しょうちゃん、ご飯食べた──あらぁ!?何で私が作った卵焼き食べてないの?」
おばあちゃんが何か言っているが、気にしないでおこう。
別に、ここでどうしようと、どうせ3分もすればすぐに忘れるんだし。
おばあちゃんは、認知症なのだから。
僕は、夜ご飯の時間になっても、部屋から出なかった。
珍しく、おばあちゃんも僕の事を呼びに来なかった。
これも、予想の範囲内だ。
喧嘩中、こうやって無視される事はよくあるのだ。
夜ご飯を食べないで、学校から出された宿題を終わらせ、風呂に入って歯磨きをし、床に就く。
しかし、さっきまで眠かった筈なのに、全く眠れない。
やっぱり、気にしないようにしていたが、僕は無意識の内に、今日のおばあちゃんとの事を意識しているのだろう。
益々おばあちゃんに腹が立つ。
早く僕の頭から離れろよ!!
眠れなくて、好きな漫画を読んで過ごす。
つい先週の日曜日買った、新刊だ。
「ただいま〜」
母さんが帰って来た。
はぁ……
どうせおばあちゃんは、今日の事を母に言うのだろう。
そうしたら、僕のゲームが禁止されてしまう。
……本当に面倒臭い。
何で、おばあちゃんはおじいちゃんと一緒に死ななかったの?
早く死ねばいいのに!!
負の感情が僕を埋めつくした。
本当は、こんな事なんて、考えたくは無かったのに……
父さんも帰って来て、3人で話している声がした。
そしていつも通り、優しい両親とおばあちゃんの対立が始まる。
こうなると、まるで冷戦状態のように家族が対立する。
そうなると、家で過ごし辛いんだよな……
折角の土日は、あまり楽しめそうには無いな……
毎週土曜日、おばあちゃんは茶道のお茶会に行く。
おばあちゃんは今日も、お茶会に行くのだ。
認知症になっても、これだけは絶対に忘れなかった。
「……行ってきます」
おばあちゃんが不機嫌そうに、そして悲しそうにゆっくり扉を閉める。
おばあちゃんが扉を閉めるなり、母が喋り出す。
「おばあちゃん、行ったわね?……翔貴、来なさい」
あぁ……お説教タイムだ。
絶対、そうに決まっている。
こうなった以上、仕方無い。
……僕のゲームが…………
僕と両親が椅子に座り、向き合う。
2対1で話す、まるで警察ドラマでよく見る尋問のようである。
「あのな、翔貴。おばあちゃんは昔から教師として、しっかりやって来たんだ。僕や兄さんだって、しっかりとした人間に育て上げた」
因みに、父さんの言う兄さん──道夫おじさん──は、既にがんで亡くなっている。
優しい、ひょうきんな伯父さんだった。
「兄さんが優しいのは、翔貴だって知ってるだろ?あれって、昔からの性格じゃないんだ」
「──えっ、そうなの!?」
そんな事、全然想像もつかない。
あの道夫伯父さんが、優しく無かった頃があったなんて……!
「あれもな、母さん──おばあちゃんが道夫伯父さんを叱って、立派な人間に育て上げたからなんだ」
おばあちゃんが……
「今の姿からは想像出来ないかもしれないが、おばあちゃんは、本当に凄い人なんだ。今は認知症で、そうは見えないのかもしれないが……」
「……うん」
それは僕だって知っている。
おばあちゃんは、昔は優しくて、しっかりしていた。
おばあちゃんは、僕の憧れの人だったのだから。
「だからさ、それを理解して、おばあちゃんを少しでも認めてやって良いんじゃないか?」
「そうだけど……そうしたいんだけど、おばあちゃんのする事には、もううんざりなんだよ!!」
自分では信じられないくらい大きな声が出た。
普段、おばあちゃんがいる場所では絶対に出さない声量だ。
声を発して、分かった事がある。
僕って、おばあちゃんに対して凄い我慢してたんだな。
それを、声と同時に発散したんだ。
僕って、こんなにおばあちゃんに対して我慢してたんだな……
「あのね、翔貴。私だって、おばあちゃんのする事が面倒臭い時だってあるわ」
母さんが続ける。
「でもね、おばあちゃんに悪気が無いのは分かるでしょう?この世の中は、人同士が支え合わないと生きてはいけないのよ」
……人同士が、支え合う……
「だから、翔貴。面倒臭いのはお母さんだって分かってる。でもね、最後にこれを見て欲しい」
父さんは、僕に五線譜ノートを差し出した。
音楽教師だったおばあちゃんが、楽譜を書くのにでも使っていた物だろうか?
「これって……?」
「おばあちゃんの、"認知症記録ノート"よ」
認知症記録、ノート?
「ほら、これを最初と最後だけでも良いから、読んでみなさい」
母さんまで、このノートを読む事を唆す。
僕は嫌々ノートを受け取り、ページを捲った。
おばあちゃんの認知症ノートは、ページの左側だけに文字が書いてあった。
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【20XX年 10月2日】
私の記憶に矛盾がある気がする。
孫のしょうちゃんの名前が浮かび辛かったのが、何よりの証拠だろう。
周りの人の名前や、最愛の孫の名前まで忘れてしまうのだろうか?
私は、それが本当に怖くて仕方ない。
忘れるのって、こんなに怖い事なんだ……
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おばあちゃんが、こんな事を書いていたのか……
僕は、何処からか沸いた不思議な力で、ページを捲った。
前のページは10月だったのに、かなり間が空いている。
これも、認知症の影響なのかな?
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【20XX年 2月18日】
今度は、買う物を忘れないように、買う物をメモした。でも、店に着いた途端、そのメモを持っている事自体忘れてしまった。これも、認知症の進行状況だろうか。
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4ヶ月で、かなり認知症が進行しているようだ。
じゃあ、そっから6ヶ月後の8月は……?
僕は何ページか読んで、8月のページを見つけた。
おばあちゃんの字は、ページを捲るごとに汚くなっていく。
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【20XX年 8月14日】
今日は、しょうちゃんに避けられるような事をしてしまった。
学校帰りのしょうちゃんが友達と楽しそうに話していて、つい声を掛けてしまったのが裏目に出たのだろう。
こんなヨボヨボのおばあちゃんなんて、しょうちゃんのお呼びで無いのだわ……
追伸
今日家に帰って来たら、しょうちゃんにって作っておいた卵焼きが食べられていなかった。
やはり、私はしょうちゃんに避けられているのだろうか……
しょうちゃん、苦労掛けてごめんね……
おばあちゃん、頑張って認知症治すから……
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このページが、最後だった。
このページの後半「しょうちゃん、苦労掛けてごめんね……」という文が、涙で滲んでいたのが見て分かった。
僕は、頬を伝う涙に気が付いた。
無意識の内に、泣いてしまっていたのだ。
「翔貴、これがおばあちゃんの本音ノートなの。ついキツくなってしまうのは分かるけど、もう中学生なんだから、我慢出来るよね──」
「うるさい!!」
……何で怒鳴っちゃったんだろう?
泣いているのを見られたく無かったから?
──いや、違う。
苦労していたおばあちゃんに、報いてやろうとしなかった自分が、心底格好悪かったからだろう。
僕は逃げるようにして、部屋に入った。
部屋に入って、施錠をする。
そしてベッドに寝っ転がり、目をつぶった。
目を覚ますと、もう日が傾いていた。
泣き疲れたのか、かなり眠っていたようだ。
もう気持ちは落ち着いている。
眠って頭を落ち着かせたら、気づいた事が幾つかある。
認知症になったおばあちゃんは、記憶障害が出ている。
しかし、おばあちゃんは自分の体に染み付いた生活習慣は、体が覚えているのだ。
だから、朝8時に僕──生徒──に声を掛ける。
職員は朝8時に、生徒を校門で迎えるからだ。
そして、卵焼き。
おばあちゃんは、認知症になる前はいつも朝ご飯に卵焼きを作ってくれた。
だから、昨日は朝に作って余った卵焼きを、ラッピングしていたのだろう。
おばあちゃん、ごめん。
こんな勘違いをしていたなんて……
僕はまだ、おばあちゃんの全てを理解出来ていなかったなんて……
僕は、そんな憂鬱な気持ちで部屋を出た。
今、おばあちゃんは庭の草取りをしているらしい。
そして父さんは、あの後にいつも通り仕事に行ったらしい。
また、母さんは仕事が休みなので、部屋でゆっくりテレビを見ている。
僕は決意した。
そして、母さんにおばあちゃんの居場所を聞いてから、気付かれないようそっと静かに外に出た。
庭に行くと、おばあちゃんは母さんの話通り草取りをしていた。
しかし、おばあちゃんは1時間(母さんに聞いた)草取りをしても、庭の半分も雑草が残っている。
おばあちゃんがこのまま草取りを続けたら、あっという間に日が暮れてしまう。
……そうだな、やるか。
「おばあちゃん、草取り大変でしょ?」
「あっ、しょうちゃん……良いわよ、私がやるから」
「いや。草取りくらい、俺が手伝うよ」
「──しょうちゃん!」
おばあちゃんは、涙を流して喜んだ。
「認知症なんかに負けて、本当にごめんねぇ……」
「いや。僕の方こそ、キツイ口調になってごめん」
僕は、草取りをしながらおばあちゃんと仲直りをした。
そこでおばあちゃんは、今までに見た事のない満面の笑みを見せていた。
そんなおばあちゃんは、世界で1番美しかった。
僕は、この光景を忘れないようにしようと思ったのだった。