兵は神速を貴ぶと申しますが令嬢も同じくですわ、殿下
「そういえば卒業パーティーまであと半年じゃないですか、ヨハンナ様」
「そうね」
友人であるライザがふとそんな事を言い出したのは、なんて事のないランチタイムでの事だった。
学園の食堂は身分問わず令嬢・令息たちで賑わっているが、広さは充分にあるので窮屈という印象もない。
「あれ、ホントに大丈夫なんですか? なんていうか、その」
あぁ、とヨハンナはライザが何を言いたいのか理解した。
彼女の視線の先、気まずそうに向いているそちらには、この国の第一王子であるアランと、そんな王子からの寵愛を受けていると噂の男爵令嬢アプルッタがいる。
「もしかしてライザ、貴方、その卒業パーティーの場でまさかアラン殿下があちらのご令嬢を虐めただとかの罪でもって婚約破棄を宣言しようとしている、なんて思っていらっしゃる?」
「えっ、あの、その……そう、ですね。なんていうか、いかにもそういうのありそうだな、とは思いました。はい。すみません」
あまりにも直球で言われたので、ライザは言葉をふんわりさせるなんて思う余裕もなく、気まずい思いをしながらも頷いた。
だって、あまりにも。
あまりにも、市井に出回ってる娯楽小説みたいな展開なのだ。
身分違いの恋。
結果として虐げられる身分の低い娘。
けれど、そうした辛く苦しい状況を乗り越えて、最後には愛した人と結ばれる。
物語として見る分には王道で、令嬢だけではなく令息たちも娯楽として楽しんでいる者はそれなりにいる。
物語として割り切っている者がほとんどだが、それでも中には。
自分もこんな風な恋愛をしてみたい。
そう、夢に見る者も中にはいる。
いるけれど、それはあくまでもしてみたい、と思うだけで本当にしようとまでは思っていなかった。
だってここに通う者は貴族だ。
王族に関してはさておくとしても、貴族として生まれ、貴族として育ち、そしてこの学園でもそれは何も変わらない。
自らの役割というものを理解しているのであれば、本当にそんな娯楽小説のような恋愛をしようなどと思って実行する馬鹿はいないはずなのだ。
……まぁ、アランの隣にいる男爵令嬢アプルッタはどうやらそうではなかったようだが。
アランとアプルッタの周囲には、アランの将来的な側近と言われている令息たちもいた。
彼らが何を考えているかは知らないが、それでも周囲から見れば彼らもまたアプルッタを溺愛しているように見えている。
王族のみならず高位貴族を複数名手玉にとっているアプルッタの手腕は、それが意図してやってるならお見事としか言いようがないが、しかし実際のアプルッタは考えの浅いお花畑だ。
あえて頭の弱いふりをしている、とかであればまだよかったが、本当に頭のねじが外れたような、それこそタンポポの綿毛のようなふわふわさ加減。
正直貴族令嬢としてどうかと思われるのだ。
そのせいで、他の令嬢たちからもやんわりと距離を取られたり、明確に嫌われていたりする。
何故って貴族としての自覚もないお馬鹿を自分の近くに置くというのは、何が切っ掛けで面倒ごとに巻き込まれるかなんてわからないし、ましてや何かあった時、無関係のはずなのにさもお友達面されて自分の責任にもされたならたまったものではないのだから。
アランたちの様子を見るに、あの貴族令嬢らしからぬほわほわした雰囲気や、一体どこの童話から出てきたのかと言わんばかりの非現実的なまでの思考が良いらしいのだが。
あぁ、人ではなく妖精あたりだと思えば、わからないでもない。
見た目は確かに愛らしい容姿ではあるので。
いっそ本当に人間ではなくそういった非現実的な存在である、と言われた方がまだ納得できるくらいだろう。悲しいことにアプルッタは正真正銘人間なのだが。
ライザの言葉が聞こえていたとは思えないが、それでもアランたちはこちらに何となく注意を向けている気がした。無駄なことを、とヨハンナは声に出さずに思う。
「ライザ」
「はい」
「安心してちょうだい。卒業パーティーで婚約破棄なんて茶番、起こらないから」
「そうですか、でも……」
ちらっ、ちらっ、とライザは何度もアランやアプルッタ、そして周囲の取り巻き令息を見る。
だってあれ、絶対やらかす顔してますよ、とか言い出しかねない表情だ。というかむしろ目が訴えている。
「ねぇライザ、ゼロに何をかけてもゼロなのはわかるでしょう?」
「え? それは、はい」
「そもそも婚約なんてしてないのに誰が誰に婚約破棄をするというの?」
「えっ?」
落ち着き払ったヨハンナの言葉に、しかしライザは驚愕したようにアランたちへ向けていた視線をヨハンナに向けた。
同時に、周囲がざわめいてそれから一拍おいて先程よりも静かになる。
「とっくにわたくしとの婚約は白紙解消されておりましてよ」
「えっ、えっ、本当なんですかヨハンナ様!?」
「えぇ。去年の話よ」
「それじゃあ」
「そして卒業したらわたくし、隣国のネルヴィム公爵家へと嫁ぐことになっていますの」
「えっ!? 既に新しいお相手が!? しかも隣国のネルヴィム公爵家!?」
驚きすぎて淑女の仮面などとうに放り投げてしまったライザの言葉に、周囲からはざわ……ざわ……と困惑した様子の空気も流れていたが、ヨハンナはそれらをまるっと無視した。
「ですからね、もし仮に殿下が卒業パーティーの日にわたくしに向かってお前との婚約を破棄するッ! なんてどこぞの娯楽小説みたいな事を言い出す事はあり得ませんのよ。もし言ったなら、自分の婚約が白紙解消された事もわからぬ愚か者として周知されてしまいますもの。そんな恥を自らかきにいくような真似、流石の殿下もするはずありませんわ。
というか、それやったらもう完全に終了のお知らせですわね」
にこやかに、穏やかに。
微笑みを浮かべて言うヨハンナに、アランの周囲にいた令息たちはアランへと視線を向けた。
ついでに周囲で話が聞こえてしまった令嬢・令息たちもまたアランへと視線を向ける。
アランの顔は、先程までと違い青くなっていた。
その顔色を見て、周囲は察した。
あっ、こいつ理解してなかったんだな、と。
というか、周囲にいた者たちのほとんどがまだ二人は婚約者なのだと思っていたくらいだ。周囲はさておき当事者なら知らなきゃおかしいだろうと思われるが、しかしアランはアプルッタといちゃいちゃするのに忙しく、婚約者だった女にかまける時間など一秒たりとも惜しいのだとばかりになってしまったので。
仮に城で国王陛下から話がされていたとしても、聞いてないか忘れてたかなんだろうな……という想像が容易であった。
ヨハンナは才色兼備な美女なので婚約がなくなったとなれば引く手あまただろうけれど、では、アランはどうなのだろうか。
婚約が解消されていたのであれば、つまり今のアランはフリー。
なので、まぁ、アプルッタ男爵令嬢といちゃこらしていようとも、今の時点でそれは浮気とは言わない。
学園に入った当初はまだ解消されていなかったようなので浮気をしていなかった、というわけではないが。
だが、それでも、ヨハンナが最初の頃一度か二度だけアプルッタとの事に苦言を呈したのを見た者はいたが、最近はそういうの一切なかったどころかアランに近づきもしていなかった事を思い返して。
あ、婚約者じゃなくなったらそりゃそうだよな、と納得したのである。
ヨハンナが何も言わない理由はわかったが、ではアランの婚約者はどうなるのだろうか。
他にも婚約者候補だった令嬢はいたはずだけれど、それでもヨハンナが婚約者に決まった時点で候補だった令嬢たちも改めて婚約者を選び決まったという話は既に知られている。
今から新しい婚約者を選ぼうにも、アプルッタはないだろう、というのもまた周囲の認識だ。
男爵家。身分という点からしてないな、と思われるし、それに。
彼女の家は貴族として暮らしていくだけならまぁどうにかなるけれど、それだけなのだ。
莫大な財を成している、というわけでもない。
金に物言わせて王子の結婚相手におさまって、金銭面での支援という後ろ盾になる、とかそういうマネーパワーでぶん殴るみたいな真似ができるわけでもない。
長い歴史があって、王家に忠誠厚い、という程でもない。忠誠心がないわけではないけれど、恐らくそこらの貴族とそう変わりはない。
事情があって男爵の位のままでいる、とかそういう特殊なケースでもないごく普通の男爵家である。
それが、いくらなんでも王子の新たな結婚相手に、というのはどう考えてもあり得なかった。
「えっとぉ、それじゃ、あの、アラン殿下は」
ヨハンナの友人でもあるライザは今しがた知った衝撃の事実にちょっとまだ驚きが抜けきらないが、それでもライザは自分の立場をよく理解している。
周囲が色々と知りたいだろう内容を聞きだせるのは、今現在ライザしかいないという事を。
それにライザならば、ちょっとくらい失礼な質問をしてもヨハンナは気を悪くするでもなく許されるという事をライザはよく知っていた。
「あぁ、殿下。我がカルミッサ侯爵家の後ろ盾はなくなったし、この国の公爵家は第二王子アルウィン殿下を支持すると決めたし次の国王にはアルウィン殿下が、と陛下もお決めになったようなので、アラン殿下は臣籍降下するか市井に下るのではないかしら」
「はっ!?」
その声は、アランのものだった。無理もない。
実のところ食堂で取り巻きたちとは卒業パーティーであの女に目にもの見せてやる、と意気込んでいたくらいだ。ところが既に婚約者ですらないと言われ、挙句次期国王の座は弟のアルウィンだと言われる始末。
ヨハンナの妄言だと一蹴できればいいが、そんな妄想をここで語ったとしてそれが偽りだった場合、お咎めがあるのは間違いない。
あえて自らの立場を不利にするような真似をヨハンナがするとは思わないので、であればその言葉は事実なのだろう。
「殿下の隣にいるご令嬢が殿下と添い遂げるのであれば、男爵家への婿入り、というのもありそうですわね。
まぁ、その場合周囲にいらっしゃる側近候補だった方々がどうなるかまでは存じませんが」
「殿下が国王になるのであれば、彼らも華々しい未来が待ってるはずでしょうけど……えぇ、そしたらあの人たちどうなっちゃうんですか!?」
「さぁ? どのみちあの方々の婚約もとっくに解消されておりますし、元婚約者だった方々もとっくに新しい婚約者がおりますからよりを戻そうなど無理な話。
家同士の繋がりによって得られるはずだった華々しい立場を捨てた方は勿論そうなれば後継ぎなどとてもとても……となるでしょうし、後継ぎであるからこそ約束されていた立場が与えられるはずだった方も、まぁそんな事になった以上はその立場を与えられるはずもなし。
己の実力で一から、一兵卒からスタートして出世できればいいですが、そうでなければ下っ端のままでしょうね。騎士になるにしろ、文官になるにしろ」
「わ、わぁ……あえてこの時期に自分たちをそんな厳しい環境に追い込むなんて、ストイックな方々ですわねぇ……」
そうじゃないのはわかっているが、ライザの口からはそんな言葉しか出てこなかった。
卒業を間近に控えているこの時期に、自分たちの立場がとてもヤバイところにいる、というのを知っていた上でアプルッタ令嬢と和気藹々としているなら自分の実力に圧倒的な自信と余裕があるのね、と思えるが、ヨハンナの言葉にアランと同じく顔を真っ青にしている連中を見る限り、知らなかったのだろう。
なんであいつら自分の事なのに知らないんだ? とは思うけれど。
だがしかし、親の話をマトモに聞いていない可能性はとても高いな、とライザじゃなくたって思えるわけで。
どうせあれでしょ、アプルッタといちゃいちゃしてそれで婚約者から最初のうちは正当な苦情を言われてたし親からも婚約者を大切にしろとか言われてたけど、それでも無視して溶けた飴玉に群がる蟻みたいにアプルッタと一緒にいたから、親からの話とかどうせまた小言だろうとか思ってスルーしてたんでしょ。
というのがライザの正直な感想である。
結果としてこいつに家を継がせるとか無理だわー、ってなった当主の方々がもうお前は好きにしろとか言っちゃったのを、自分に都合よく解釈した可能性もある。
ライザがその場に居合わせたわけではないので想像でしかないが、なんというか凄く想像できてしまった。
どう考えても婚約は令息たち有責の破棄では? と思えるが、下手に話が大きくなるとその立場が失われると判断した令息たちが不様にも今まで散々蔑ろにしてきた令嬢にやりなおしてくれ! とか言い縋る可能性も有り得た。
それもあって、解消にして話を内密に済ませ、そして令嬢たちはさっさと次を見つけたのだろう。余計な邪魔という名の過去の男が縋りつく隙を与えないように。
別れた直後ならまだ縋りつく隙はあったかもしれないが、とっくに解消した挙句既に新しい婚約者がいるとなれば、そんな相手に縋りつけば新しい婚約者が邪魔な虫を追い払おうと出てくる可能性は充分にある。
彼らを切り捨てた親が、彼らに婚約解消の話をきちんとしたとして、それを聞いていなかった彼らの自業自得なのは言うまでもないし、もし仮に。
仮に、それらを話していなかったのであれば。
それはそれで意趣返しなのかもしれない。
何故って婚約を決めたのは家同士であり、令息の意思ではない。
親が決めた婚約と言ってしまえばそれまでだ。
だがそれは、家のためであり、国のためでもあるもので。
それを蔑ろにしたのだから、であればそんな風に話を軽くみる相手にきちんと話を通すだろうか?
先に勝手をしたのが令息たちである以上、当主である親がこいつはないなと切り捨てたとして、次のスペアがいるならそちらに時間を割くだろう。使えないと判断された令息は恐らく完全に引き返せなくなってから事後報告で通達されて放り出される事になっていたのかもしれない。
ヨハンナがここで暴露したので、ある日突然放逐されました、という事にはならないだろうが。
なお、余談ではあるがこの国と隣国は同盟を結んでいるものの、隣国の方が立場は上である。
その隣国のネルヴィム公爵家にヨハンナが嫁ぐというのであれば、今からアランが何かを言ったところでその婚約が覆り、アランとよりを戻すのも不可能であった。
「えぇっとぉ、あ、でも、それを知らなかった殿下たちからすれば、なんでしたっけ、あの男爵令嬢さん、彼女虐められてるって話でしたよね? それの首謀者が各々の婚約者だった、とか思ってそうですけれど?」
ライザの言葉にアランたちは今現在自分が置かれている状況を一時的に棚上げして、そうだよその通りだよとばかりに頷いた。何とか相手の落ち度を見つけて自分たちにちょっとでも有利な状況に持ち込みたい、そういった思いが透けて見えた。無駄な足掻きである。
「確かに彼女は虐められているようですけれど。ですが、わたくしたちがやったことではありませんわ。
大体彼女貴族のくせに礼儀作法とか一体今まで何をしてきたのかってくらいなってないし、その結果招待された茶会でとても失礼な事をしてその時の主催者に嫌われただけですもの。
具体的に言うなら、メルミジュレ伯爵家とアンシュミッタ侯爵家、この二大巨頭とも言える家ですわね。敵に回しているの」
ひゅっ、と近くで聞いていた者たちの喉から呼吸を失敗したような音が漏れる。それは、ライザも同様だった。
今ヨハンナが言った家は、この国の二大商会とも呼ばれているところである。
他国との商売もほとんどこの二つの家がやっていて、唸るほどの金があると言われている。
下手にこの家を敵に回せば、国内での買い物ができなくなるという噂もあるくらいだ。余程の事がない限りそんな事にはならないと思うが。
だがしかし、ヨハンナ曰くアプルッタはその二つの家に直接ではないが、その家が寄り親をしている家での茶会でやらかしたのだと言う。
結果としてそこから上に話がいって、そうしてアプルッタは嫌われた。
ただ、それだけの話と言えばそれだけである。
やらかした時に、アプルッタがきちんとした謝罪をしていればそうはならなかったはずなのに、謝罪もマトモにできなかったのだろう。結果としてとてつもなく嫌われて、それが学園での嫌がらせに結び付いたらしい。
「あの二つの家を敵に回しておいて、その程度で済まされているのだからまだ優しい方でしょう。その気になれば唸るほどのマネーパワーでぷちっと潰されておりますもの」
「それは確かに」
メルミジュレ伯爵家だけでも、アンシュミッタ侯爵家だけでも。
どちらか一つを敵に回すような事をしただけでも、充分にその未来は有り得た。
だというのに、よりにもよってその両方に嫌われるとか一体どんな事をしたのだろう。ライザとしてはそっちが気になってしまったが、だからといってアプルッタ本人に聞きにいくつもりはない。
大体二つの家が本気で潰そうと思い立ったなら、今頃アプルッタが学園の食堂でアランといちゃついていられる余裕などあるはずがないのだ。それどころかその気になったらアプルッタ? 知らない子ですね、と国中の人間が言う結果になっていても何もおかしくはないのだ。
もし仮にアランが男爵家の婿となったとして。
あの二つの家が男爵家を嫌っているという事実があるなら、未来はないなと思えてくる。
ゼロからのスタートどころかどうしようもないレベルからのマイナススタートである。
その未来をアランも想像したのか、先程以上に顔を青くさせていた。
「嫌がらせで済んでいるのはある意味あの二つの家の警告でもありますわね。二つの家が面倒を見ている家とも関わらないようにして、節度と礼節をきちんとしていれば嫌がらせもなくなるでしょうけれど……何が悪いかも理解していないようですからね……わたくしたちの婚約が白紙になったあたりから嫌がらせが始まったようですから……一年ほどは何も改善されていないのでしょう」
ちなみに嫌われた原因としては茶器を割ったことだそうですわ、と言われて。
アランはこっそりとアプルッタに茶会に呼ばれて茶器を割った事を問いかけたが、確かにそんな事があった気もするぅ、ととても軽く返されて。
でもちゃんと謝ったんですよぅ、とも言われたが、アランは悟った。
それ本当にただごめーん、って言っただけで弁償とかそういう方向での話はしていないのだろうなと。
直接的にメルミジュレ伯爵家やアンシュミッタ侯爵家での茶会に参加したわけではないだろうけれど、恐らくその茶会をした家で使われていた茶器はそれぞれが寄り親であるその家から賜ったのだろう、とは想像に容易い。
そして、その家から賜った茶器ともなれば……
恐らく、平民なら一生遊んで暮らせるだけの値がついていたとしてもおかしくはない。
悪気があって壊したわけじゃなくとも、壊してしまった時点できちんとした謝罪をしていれば両家も恐らく何も思わなかっただろう。けれど、きっと、アプルッタの謝罪は謝罪というにはお粗末すぎて、それで怒りを買ったに違いない。
男爵家一つ程度、潰すのは容易であるけれど。
だがそこまでするつもりもなかったからこそ、ちまちまとした嫌がらせをさせるに至ったのだろう。
ここで仮にアランがアプルッタに対して行われた虐めとやらを暴いてそれらに対する謝罪と慰謝料を請求したとして、そうなれば今度は虐めの原因となった元の茶器の弁償を求められるに違いない。
アプルッタの家がそれらを支払えるはずは到底ないし、アランが肩代わりするにしても、そこまでの個人資産は無いと言える。国庫からの持ち出しなどまずもって無理。嫌がらせで済むなら、いっそそのままでいた方がマシであるとも思えてくる。
本気を出されたら明日はないだろうから。
だがしかし、その二つの家とそれらと繋がりのある家からアプルッタが嫌われているとは思ってもいなかった。虐められていると訴えられた時に、犯人は婚約者たちだろうと思っていたくらいだ。
だがしかし虐めが始まった頃には既に婚約解消されているという事実。
危うく何も知らないまま卒業パーティーで婚約破棄を突きつけ、本人たちが一切関わっていない虐めの主犯として断罪するところであった、と知れば。
どこからどうみても道化である。
一世一代の晴れの場、とか思ってやらかしたら一生消せない黒歴史になるところであった。
「だからねライザ」
「あっ、はい」
「卒業パーティーで婚約破棄だなんて茶番、起こりようがないのよ」
「そうですね……」
起こりようがなくともあの様子だとやらかしてましたよ、とは言えない。
「でもあの、なんていうか解決? っていうのかな、早すぎませんか?」
娯楽小説に毒されているわけではないが、それでもライザはそう思ってしまった。
「まぁ、何を言うのライザ。こう言ってはなんだけど、遅いほうよこれでも」
「そうなんですか!?」
「だって考えてみてもちょうだい。まずわたくしの婚約。これ、卒業パーティーで破棄なんてされたら、次の結婚相手を探すのにどれだけ苦労すると思って?」
「それは確かに」
高位貴族の婚約は大抵幼いうちに決められることが多いけれど。
それでも中には例外もあるわけで。
けれども、それだってほとんどが学園など出会いの場があるうちに相手を見つけるのだ。
学園を卒業した後、成人となってからは出会いの場がないわけではないが、それでも相手をみつけるとなるとかなり難しくなってくる。
もし卒業パーティーで婚約破棄などされていたら、ヨハンナが悪くなくともそんな醜聞が起きた事実は消えないし、良いお相手はほぼ相手が決まってしまっているだろうしで、確かに新しい相手を見つけるとなると難航するのは間違いないだろう。
去年の時点で解消されて、その後家の伝手だろうか、隣国の公爵家との結婚が決まったようだけれど、もしそれが卒業パーティーの後となっていたならば。
向こうの家だってその頃にはもう他の相手が決まっていたかもしれない。
「向こうもね、同じような事情よ」
そこではた、とライザが気付いたことをヨハンナも察したのだろう。
だからこそそう言われて納得してしまった。
なるほど、向こうもヨハンナ様と同じような事情が……婚約が決まっているからといって必ずしも安泰ってわけではないのね、とライザは思わず遠い目をしてしまった。
「婚約に関してもそうだけど、それ以外も遅すぎるのよ」
「それ以外、ですか」
それ以外に何かあったかな……とライザは思考を纏めようとしてみるが、ヨハンナの婚約以外で何か重要な事なんてあったかしらとこれっぽっちも見当がつかない。
「まずアラン殿下の婚約者。
これについてはもしかしたらそちらの男爵家の令嬢を殿下も望んでいたのでしょう。
まだ婚約を白紙解消する前に一度確認した事があります。彼女の事は愛人となさるおつもりか、と。
殿下はそんな事は考えていないと即答でした。
ですが、それだけなのですよね」
「それだけ、ですか」
「えぇ、愛人にしないのであれば考えられる結末は大きく二つ。
一つ、学園にいる間だけの遊び相手。
一つ、有り得ないとは思うけれど正妃として迎えるつもりだった。
恐らくは後者だったのでしょう。
ですが、それでも遅すぎるのです」
「あー、えーっと、まぁ、確かに……?」
正直先程ヨハンナが次の王は第二王子のアルウィンだと言っていたのもあって、アラン殿下のその後とかライザからすれば既にどうでもよくなっていた。
だからこそ、それ以外、と言われた時に何も思い浮かばなかったのだろう。だってどうでもよかったから。
けれどヨハンナの言葉を脳内で反芻してみれば。
確かに遅すぎるな? とライザでも理解はできた。
仮にアランの立場が盤石なままであるとして。アプルッタを正妃に迎えようとしたとして。
礼儀も何もなってない頭の中がふわふわした令嬢をすぐさま正妃として、などとてもじゃないが無理だ。
アランが望んだところで、国王陛下も王妃殿下も賛成するはずがない。どころかまぁ間違いなく難しい顔をして常識を説き始めるだろう。
恐らくはこの時点でこいつを王にするの失敗かもしれん、とか陛下が遅ればせながら思う可能性も充分すぎる程ある。
正妃として相応しくなるように教育するにしても、成程確かに遅すぎる。
学園に入学した時点で出会ったのだから、それ以前からの教育は無理でもせめて学園にいるうちにある程度の教育を始めていなければ果たしてアプルッタが正妃として相応しくなるまでどれほどかかるか……
彼女が優秀ならまだしも、成績はとても良く言えば中の下、率直に言えば下の上である。
学園を卒業してから王妃になるためのレッスン頑張るわ、なんて言われたところで遅いよ! と周囲が思うのは間違いない。何故、もっと早くに手を付けなかったのかとむしろアランに対して物申したい連中が殺到するだろう。主にこのせいで迷惑を被る人たちが。
「王として即位する時にまだ正妃がいません、だとほら、外交面でもちょっとあるでしょ? 問題というほどでもないけど、でも他の国がうちの第三王女とか結婚相手にどうですか? みたいに言ってくる可能性はあるわけで。
その時点で、正妃がいるけどまだ表に出せないだけです、ともいえるはずがない。
なら、正妃が正妃として表に出せる状態になるまで王として即位するタイミングをずらした方がそういった話は全部じゃなくても減らせるでしょう?」
「まぁ、それは、はい」
もっとわかりやすく価値がある存在なら、ごり押ししてでもここに嫁がせたい、とか思われた可能性は確かにある。けれどもこの国はそこまで目に見えてわかるような価値があるか、と言われると……そうではないのだ。学の無い平民が見てもわかりやすいくらいの資源や資産価値のある何かがあるか、と言われるとそうではないので。
可もなく不可もなく、といった程度の国。何が何でも嫁がせたいと思う程ではないだろう。
「でも、優秀でもない令嬢がそうなるまで、って果たして何年かかるのかしら?
学園を卒業してから取り掛かるとなればもっと遅くなるでしょう?
むしろしびれを切らして陛下がやはり次の王にはアルウィン殿下を、なんて言い出す方が先じゃないかしら」
「想像できますね」
「それにね、まだあるわ。
いじめられている、とあちらの男爵家のご令嬢が殿下に訴えたようですけれど。
それだって未だ解決していないでしょう?
問題解決能力が著しく低い、と証明してしまったも同然じゃないですか」
「えぇっと……?」
「犯人を調べる事もせずどうせ婚約者だった者が犯人に違いない、とか決め打って証拠を集めて卒業パーティーで断罪しようとしていたのかもしれませんけど。
でも、実際の犯人は別でしょう?
もし卒業パーティーでやらかしていたら、殿下はこの程度の問題一つマトモに解決できない無能の烙印を押されるところでしたわね」
「言われてみれば……確かに……」
「虐めているというか嫌がらせをしているのは先程も言ったけれどメルミジュレ伯爵家とアンシュミッタ侯爵家が主導で、その派閥がやっているの。これについては既にわたくしにも連絡がきていたし、あちらの令息たちの元婚約者である方々にも知らされているわ。
この一件で万が一糾弾されるような事があれば、二家の名を出しても問題ないと。わたくしたちとは派閥が違いますから、こういった連絡もなければそれぞれの家の仲に亀裂が生じる事もありますもの。
同じ派閥ではないけれど、あちらの家との関係は決して悪くはありませんし」
「何も言われていなければ、濡れ衣を着せられてるわけですから確かに関係が悪化する可能性はありますね」
「でしょう? でも殿下は今になってもその虐めとやらの問題解決に至っておりませんの。こうしている今だってあちらのご令嬢は嫌がらせをされているのに。
卒業したら確かにこういった嫌がらせはなくなるでしょう。でも、学園生活の半分を嫌がらせを受けてきた、という事実は変わりませんし、メルミジュレ伯爵家とアンシュミッタ侯爵家が敵に回ったままという事実もなくなりませんわ。
学園にいる今のうちに、どうにかしてあちらの令嬢の教育をしなおしてきっちりとした謝罪をすれば解決するだけの話なのに、未だにそれが解決できていないのです」
「学園での嫌がらせは確かに卒業すればなくなりますけど、でもそれ、解決できていなかったら……」
「えぇ、本格的に潰しにかかるのではなくて? 今はまだ学生の身というのもあってその程度で済ませているようですけれど、卒業した後はどうであれ一人前とみなされますもの。
そうなれば、目障りな存在が社交の場に出てくるとなれば、いよいよ本格的に動くでしょうね」
「ひぃぇぇぇ……それって、メルミジュレ伯爵家とアンシュミッタ侯爵家両方ですよね?」
「えぇそうよ。片方だけならまだしも両方よ」
「卒業パーティーまであと半年ですよ!?」
「そうね」
「じゃあ、あの男爵家の令嬢の命もそれまでじゃないですか」
「そうなるわね」
「えっ、えぇっ!?」
「まぁでも、真実の愛のお相手のアラン殿下がなんとかするんじゃなくて? わたくしは関係ないからどうでもいいですけど」
確かに婚約が白紙解消されている以上、最早完全に赤の他人である。
同じ国に生まれて、同じ学園に通っているだけの他人。
それはアランとヨハンナだけではない。
この学園に通っている生徒の多くに共通する。
故にその部分だけでアランがヨハンナに助けを求めようとしたところで、何故わたくしに? となるのだ。
かつては婚約者だった仲だろう!? などと縋ったとしても、白紙解消、つまりは最初からなかった扱いなので、そんな事実はありませんよで終了する。
婚約者でなかったとしても、学友として……と他の関係性を当てはめようにも、ヨハンナは学友と言われる程アランと交流などしていない。
学友だというのなら、それこそ側近候補として共にアプルッタに熱をあげていた令息たちに頼めばいい。
もっとも、役に立つかと問われれば恐らく何の役にも立たない。
「次期国王としての教育も途中で打ち切られているのにそれにも気付けていないようですし、問題が山積みだというのにそれにすら気付けない。
国を導くとなれば、即座に判断を下さねばならない事もあるでしょうけれど、こうなってもまだのんびりしているような方ですもの。
きっと皆さんであちらのご令嬢と最後までご一緒するんじゃないかしら?」
「つ……詰んでるっ……!」
ライザの慄きをしかしヨハンナは特に気にした様子もなく、話の合間合間で進めていた食事も終わったので席を立った。
「えぇ、陛下も中途半端に逃げ道を作るとろくなことにならないからと、完全に周囲を固めてしまったからこそもう彼らに打つ手はないようですわね。まぁよろしいじゃありませんの。最後まで愛する者と一緒、なんてそれこそ娯楽小説の結末みたいで」
「ヨハンナ様ぁ、娯楽小説の結末の愛する者とずっと一緒とこっちのずっと一緒は間違いなく方向性が違うんですわ」
「あらそう? わたくしあまり詳しくなくて。そうだライザ、今度お勧めの本を紹介してちょうだい」
「あっ、はい。かしこまりましたー」
ヨハンナが席をたった事で、ライザも同じように席を立った。
まだ食事は完全に済んでいなかったけれど、正直食欲がない。
色んな意味でお腹がいっぱいになった気分だ。こう、ストレスの塊を胃の中に落とされた的な意味で。
「大体、そちらの男爵令嬢さんがわたくしに虐められていると考えたとして。
では理由は? となれば真っ先に思いつくのが婚約者に言い寄っている、という点ですけれど。
わかっているなら近づくのをやめればよろしいだけの話ですし、仮に、自分が男爵令嬢という身分であるから、というのを理由にあげるのであれば。
わたくしが友人として近くにおいているライザなんてどうなるのかしらね?
身分で差別するというのなら、この学園においてそれが一番当てはまるのはライザ、貴方でしょうに」
「あー、まぁ、確かに元は平民ですもんね私。引き取られて今は男爵家ですけど」
「えぇ、生まれついての男爵令嬢よりもあからさまに差別できる対象が身近にいるのにそちらはそうしないというのであれば、普通に考えてただひたすらにそちらの男爵令嬢さんに落ち度があると思うべきでしょうに。
それすら理解できないから、ご自身の人生閉ざす結果となるのですよ。
ま、もう他人なので本当にどうでもよろしいのですけれど」
「ですね、ここでこれだけの話が流れたのにそれでもまだ卒業パーティーでやらかすとか、脳みそのかわりにおが屑でも入ってないと無理ですよね。なんだ、それなら卒業パーティーは何事もなく開始して終了するんですね。良かった」
娯楽小説のような展開を実際に見てみたい、という気持ちがないわけではないが、別にそれは断罪でなくたって構わないのだ。
運命の出会いをした瞬間に立ち会うだとか、それこそちょっとした非日常を味わう事ができればそれで。
それに、断罪される相手がライザにとってこの学園に入学してからの三年間、とても親切かつ仲良くしてくれた相手となれば、別にそんなものは望んじゃいない。
そこで断罪返しが発動したとしても、卒業パーティーが台無しになるのは目に見えているし、それなら最初から何も起こらないに越したことはない。
卒業パーティーまであと半年。
楽しみだな、とライザは思いながら先を行くヨハンナの後をついていった。
アラン王子とその仲間たち?
さぁ? どうでもいいですね。
次回短編予告
とある、呪いの話。
※ジャンルはホラーではありません。