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3人で掌をつなぎ、わたしは四世代を生きました

 はじめてわたしが恋におちたのは二十歳のときでした。

 恋とか愛とか、憧れる(ひと)や二人きりになる(ひと)はいましたが、恋は落ちるものだと知ったのはその(ひと)がはじめての(ひと)でした。あいての(ひと)はわたしよりも二つ下の18だと言いました。 

 二人きりを阻むものはなにもなく、わたしたちはそのまま夫婦となって、子が授かりました。

 女の子でした。名前には絲の文字を充て、まといと名付けました。

 わたしたちは幸せでした。二人で繋いでいた掌の中に(まとい)が入って、3人が各々の掌を繋いでいる三角の中ですべてが出来上がっている毎日でした。宇宙までを語るような大きなものも、量子までを語るような小さなものも、すべてがこの三角のかたちの中で世の中は作られているだと感じられました。


 でも、そんな毎日は長くは続きませんでした。

 (まとい)が18になったその日の朝、妻はわたしの元には二度と帰らぬ人となりました。それを見届けた(まとい)は、予め、己れが18になったそのときにそのことが訪れるのを悟っていたかのように、わたしの元から出ていったのです。

 わたしに出来ることは、昨日までの娘だった(まとい)のずっと硬い正座をしていたからくり人形が(かえ)ったような美しい後ろ姿を見送るだけでした。

 そうしてわたしは、再びひとりになったのです。

 


 再び、わたしが恋に落ちたのは四十(ふわく)のときでした。

 あいての(ひと)は、わたしよりも22歳(にじゅうに)下の18だと言いました。目鼻だちと姿かっこうは前の妻に似通ったところはひとつとしてありませんでしたが、恋に落ちたときに感じた抱きしめられる重さとかたちは瓜二つおなじものでした。

 あいての異なる二つの恋で、わたしは恋というものの重さとかたちの半分くらいは分かったような気になりました。

 二人きりを阻むものはなにもなく、わたしたちはそのまま夫婦となって、子が授かりました。

 女の子でした。名前には檸の文字を充て、みかんと名付けました。

 わたしたちは幸せでした。二人で繋いでいた掌の中に(みかん)が入って、3人が各々の掌を繋いでいる三角の中で出来上がる毎日でした。ふたたび、世の中のすべてがこの三角の中に作られているように感じられました。わたしと妻との間の(よわい)の差は、妻と(みかん)と同じほどありましたが、3人の中にそのことを意識に昇らせることはありませんでした。(みかん)の腕の長さも腰の高さも、わたしたちに比べるとぐんと短く低いのに、掌を握って綱となるこの三角に(いびつ)な感じはひとつも浮かんでこない、それと同様に(よわい)の差は微塵も感じませんでした。


 でも、そんな毎日は長くは続きませんでした。

 (みかん)が18になったその日の夕、妻はわたしの元には二度と帰らぬ人となりました。わたしとの22の歳の差を変わらずに運びながら、18年後に妻は、()ったのです。それを見届けた(みかん)は、予め、己れが18になったときそのことが訪れるのを悟っていたかのように、橙色(だいだいいろ)の召し物に着かえ、わたしの元から出ていきました。

 わたしに出来ることは、昨日までの娘だった(みかん)が、その呼び名に相応(ふさわ)しい夕焼け色を浴びて召し物の橙色が膨らみ、橙色よりも眩しい茜色(あかねいろ)を発する美しい後ろ姿を見送ることだけでした。

 そうしてわたしは、再びひとりになったのです。



 再び、わたしが恋に落ちたのは六十(かんれき)のときでした。

 あいての(ひと)は、わたしよりも42歳(しじゅうに)下の18だと言いました。目鼻だちと姿かっこうは前のふたりの妻たちと似通ったところはひとつとしてありませんでしたが、恋に落ちた女が見つけてくれる瞳の中の男は瓜二つのわたしそのものでした。

 だから、親娘(おやこ)どころか爺娘(やじょう)まで年嵩の離れた女に、以前と同じように恋に落ちている己れに何の不可思議さは感じませんでした。 

 二人きりを阻むものはなにもなく、わたしたちはそのまま夫婦となって、子が授かりました。

 女の子でした。名前には拿の文字を充て、あわせと名付けました。

 わたしたちは幸せでした。二人で繋いでいた掌の中に(あわせ)が入ると、待っていたところにやわやかなものが入いる()()()を感じました。(あわせ)が生まれたとき、ふたりから始まった三人ではなく、三人を待っているふたりだったのだと気づきました。

 この世に世の中などというものはなくて、あるのは、ただ、わたしと妻と娘の3人が繋がっている今だけの実存を感じました。


 でも、そんな毎日は長くは続きませんでした。

 (あわせ)が18になったその日の(ひる)、妻はわたしの元には二度と帰らぬ人となりました。その日、わたしの(よわい)は80になっていました。妻は、わたしと出会うまでの18年と、恋に落ちた1年、(あわせ)と一体の1年、そして3人の世界の18年を生きて、以前の妻たちと同じに40になっていました。

 妻がわたしの元には二度と帰らぬ人となったとき、(あわせ)は、ほかの()たちと同様に、わたしの元から出ていきました。

 わたしに出来ることは、昨日までの娘だった(あわせ)が、3人でなくなってしまった今に、今までの実存は葬り去られている、その確かさを踏みしめ、立ち去る、美しい後ろ姿を見送ることだけでした。

 そうしてわたしは、再びひとりになったのです。



 再び、わたしが恋に落ちたのは八十(さんじゅ)のときでした。

 あいての(ひと)は、わたしよりも62歳(ろくじゅうとふたつ)下の18だと言いました。目鼻だちと姿かっこうは前のふたりの妻たちと似通ったところはひとつとしてありませんでしたが、この恋がわたしにとって最後の恋であることは、恋に落ちる前から分かっていました。

 めぐり逢うたびに起こってくるこの恋心は、わたしを離れた(ところ)俯瞰(ふかん)する確かなものになっていたのです。わたしは、邂逅(かいこう)するように、恋に落ちました。

 二人きりを阻むものはなにもなく、わたしたちはそのまま夫婦となって、子が授かりました。

 女の子でした。名前にはの侘の文字を充て、ほのかと名付けました。

 わたしたちは幸せでした。その幸せは、二十歳のときの恋となんら変わらないものでしたが、それに浸っているわたしの傍らにはいつも邂逅がそばにいて、わたしを待っている先のものとの距離を確かめているのです。

 わたしの齢は100に近づいていきました。すでに、もう、生きている軌跡などからは、飛び越えた存在になあっていたのです。


 でも、そんな毎日は長くは続きませんでした。

 (ほのか)が18になったその日の夜、妻はわたしの元には二度と帰らぬ人となりました。その日、わたしの(よわい)は100になっていました。待っていた100になったとき、わたしが待っていたものの正体がわかりました。けれども、わたしを待っているものはやっては来ませんでした。わたしの100歳は、20歳からの20年ごとの同じ繰り返しを並べたもので、それは、けっして、積み上がっていくひとつのものを見上げるような高さではなかったのです。

 

「し ね な い・・・・・絲 檸 拿 侘(し ね な い)

 わたしは、それを確信しようとしました。四人の娘の名前には呼び名とは違う音が含まれています。わたしは、(まとい)を呼ぶ度に、(みかん)を呼ぶ度に、(あわせ)を呼ぶ度に、(ほのか)を呼ぶ度に、それぞれの18年を四方に散らばせ、時を費やさない死なず老いさらばえずの存在になっていったのです。

 わたしと過ごした時間は、妻には己のみが進んでいる距離であり、娘には旅立ちが近づくことを知らせる道しるべだったのです。わたしには始まりはあっても、終わりはないのだと、待っていることはできても何を待っていたのか思い出せないほど待っている先のものはやってはこないのだと分かったのです。

 (はかな)く漂うように見えてけっしてそこから流されては行けない海に浮かんでるブイ、どれだけ離れて俯瞰してもわたしの姿かたちは、ひとり変わりようがありませんでした。


 でも、それは間違っていました。

 四人の妻、四人の娘を持ったわたしはけっして孤独なひとりの男ではなかったのです。

 (ほのか)は、出てゆきませんでした。それどころか、(まとい)(みかん)(あわせ)を交えた四人で、わたしの元に近づいてきました。

 四人とも可笑しそうに笑っています。せっかくピクニックにきたのに、誰もいけずしてないのに、ふてくされてる弟を探しにきた姉のような顔で笑っています。

「おとうさん、それっ、間違っているから」

 いけずの誤解を解くように、四人は順番に繰り返します。

 40年ぶりに再会した(みかん)が、「あたしが持ってる(おん)は、()でなくて()だから」と、教えました。40年の間の時間は、(みかん)を中年の肉が落ち皺になった還暦目前の(よわい)58の女に仕立ていました。

 20年ぶりに再会した(あわせ)は、「あたしが持ってる(おん)は、()でなくて()だから」と、教えました。20年の間の時間は、(あわせ)(みかん)が失った中年の肉で覆った38の女に仕立てていました。

 わたしは、歳の順に並んでいる絲から侘(まといからほのか)侘から絲(ほのかからまとい)へと四人の娘を機織り(はたおり)横糸(よこいと)手繰る(たぐる)ように何度も何度も繰り返します。


 まといからほのかへ、ほのかからまといへ、みかんからまといへ、まといからみかんへ、ほのかからあわせへ、・・・・・あわせからみかんへ、みかんからほのかへ、ほのかからみかんへ


 織物(おりもの)(がら)が浮かび上がるように、だんだんとわたしの柄が四人の娘たちに似つかわしい年寄りに変貌していくのが感じられました。(てのひら)を見ているだけで、己れのにくが、ほねが、(よわい)100に見合ったかたちで老いさらばえていくのが、はっきり見えてきました。

 衰えている身体とは逆に、わたしは歓喜しました。

 ようやく、わたしは、齢に見合った身体を手に入れ、死ねるのだ、と。

 いただいた物質を返し、抜けて去ってく身体になってるのだ、と。


 もう、死んだのでしょうか。

 四人の娘たちが穴を掘り始めました。わたしひとりがすっぽり納まる穴。あの穴に入り、埋められ、もとあった土で蓋をされる。ひとつでまとまっていたかつてのわたしの身体は小さな細かい物質に分かれていく。わたし自身も小さく鈍く光るヒカリゴケに付いた碧色の一片に分かれ、散っていく。

 そうしたたゆとうが見えます。

 海に浮かんでけっして流されなかったブイの紐は、舫い(もやい)を外すように外されました。

 わたしは、いまがそのときなのを己れのものに、胸を張った安らかな心持ちで、そっと置きました。

 「し に た い・・・・・絲 檸 拿 侘(し に た い)



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