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ツルクサ  作者:
3/5

3 沙和ちゃんと晃代さん

 園田さんがすごいのは、家事をこなしているだけじゃない。

 それは、とても勉強熱心だということだ。放課後、図書室に寄って予習や復習をしていることがよくあった。

 わたしは家に帰って教科書を広げることはほとんどないから、素直に感心した。


「すごいね。わたしはどうせ頭悪いからってあきらめちゃって、やる気出ないんだ。勉強しないとダメだな、とは思うんだけど」

 ため息とともにわたしがそう言うと、園田さんは「じゃあ」とこちらに身を乗り出してきた。

「木下さん、よかったら、これからときどき一緒に勉強しない? わたしたち、同じところ受験するかもしれないし」


 中学一年生で、もう受験勉強? おどろくわたしに、園田さんは恥ずかしそうにこうつけ加えた。

「わたしって、一見勉強してるように見えるでしょ? でも成績はあんまり良くないんだ。塾に通うのが無理そうだから。一年から受験に向けて頑張らないとって思ってるんだよね」


 なるほど。そう言われると納得だ。

 今まで塾のことは考えたことがなかったけれど、うちだって当然行かせてもらえそうにない。お母さんの「お金がない」のひとことで終わるだろう。


「うん、いいね。わたし、園田さんと一緒だったら勉強頑張れそうな気がする」

 気がついたらわたしはそう答えていた。「頑張れそう」なんてちょっと恥ずかしくて、笑われるんじゃないかと心配になる。

 だけど、園田さんの表情は、私が心配していたような、馬鹿にする笑みではなかった。瞳を輝かせ、唇をほどいて笑ってくれた。


「わたしも! ひとりだとサボっちゃいそうだしね。家だと暑かったり寒かったりして、余計集中できないし……。エアコンは電気代かかるしね」

「わかる。うちもわたしの部屋はエアコンないんだ」

「じゃあ、この夏は一緒に図書室で涼みながら頑張ろうね!」

「うん!」

「木下さん、あのね」

 園田さんは恥ずかしそうに少し目を伏せて、言葉を続けた。


「あの……木下さんのこと、実咲ちゃんって呼んでもいい?」

「……うん。いいよ。わたしも沙和ちゃんって呼んでもいい?」

「もちろん!」


 顔一杯で笑ってくれる園田さん……沙和ちゃんを見て、わたしもうれしくなった。

 頬が自然と持ち上がり、自分が笑顔になっているのがわかる。


 たった今、沙和ちゃんと本当の友だちになれた気がした。

 これまでは友だちかどうか自信がなくて、期待しないようにしていた。だけど沙和ちゃんに名前を呼ばれたとき、まるで魔法のように不安が吹き飛んでしまった。


 友だちってすごい。学校で一日過ごしたら疲れ果てていたのに、六時間目が終わってもマラソンだって走れそうなくらい、元気だ。

 まだまだ、放課後には楽しいことがある。沙和ちゃんとふたりで図書室に行けるんだ。


 わたしと沙和ちゃんは、放課後にも一緒に過ごすようになった。

 図書室で勉強するだけじゃなくて、帰り道、公園をぶらぶら散歩しながら帰ったり、市立図書館に行って、ふたり一緒に漫画や雑誌を読んだりした。


「わあ、心理学の本? 実咲ちゃん、教科書以外のこと勉強してて、すごいねえ」

 市立図書館に行ったとき、わたしが手にした本をのぞきこんだ沙和ちゃんにそう言われた。

 思わずそっと本を戻した。つい習慣で手に取ってしまったけれど、わたしは心理学の本を最後まで読み通せたことがないから、恥ずかしい。


「……ちょっと気になっただけ。わたしには難しくて、たぶん読めないよ」

「そんなことないよ。本を読むって、なにかを知りたいっていうことがきっかけだと思う。『ちょっと気になる』って、人から『気にしなさい』って言われてもそんな気持ちになれないし、とっても大事な原動力だよ」

「気になる、が、大事……」


 口の中で、言われたことを繰り返す。

 沙和ちゃんはすごい。わたし、そんな風に考えたことなかったよ。

 わたしの「ちょっと」の気持ちなんて、たいしたことないって思ってた。


 だって、わたしにはなにもできないから。

 お母さんにいつもそう言われているから。


「でもね、わたし……前にこの本借りたことあるんだ。でも、言葉が難しいからかな、頭がぼーっとしてきちゃって、読めなかった」

「そっかー。じゃあ、こっち、心理学入門は? イラストがたくさんあってわかりやすそう」

 わたしが後ろ向きな言い方をしても、沙和ちゃんの明るさは変わらなかった。近くにあった心理学入門の本を取り出し、見せてくれる。

「……本当だ。これなら読めるかも」

「ね! わかりやすいのからはじめて、ちょっとずつ難しいのにチャレンジしていけば、その本だって読めるようになる。きっとできるよ」


 実咲ちゃんにも読める。きっとできる……。

 沙和ちゃんがいってくれたことを心の中で繰り返す。するとだんだん、胸がぽっとあたたかくなってきた気がする。

 ふと、頭の中でお母さんの声がした。


「あんたは勉強も運動も、なんにもできないもんね」

 それに反応して声を出して笑うお父さんの声も、頭で響く。

 あれは家族でテレビを見ているときだった。

 画面の向こうで、勉強もスポーツも得意だという天才少女がインタビューを受けているのを見たとき、お母さんがそう言ったのだ。


 お母さんに怒鳴られるのはもちろんいやだけれど、嫌味を言われるのもいやだった。楽しそうに笑いながら、わたしをけなす。

 沙和ちゃんと友だちになって、さっきの「できるよ」みたいに優しく前向きな言葉をもらうようになって、はじめて気づいた。


 わたし、お父さんとお母さんからほめられたこと、ないかもしれない。

 記憶を掘り返してみても、思い出せない。

 なんだか、家に帰るのがいやになった。お母さんはまた私を怒鳴り、お父さんはわたしのことなんかどうでもいいっていう顔をしてゲームをするんだろう。

 だけど帰らないわけにはいかない。わたしは沙和ちゃんがすすめてくれた心理学入門の本にしがみつくみたいに、しっかりと抱えながら、家へ帰った。


 玄関横の自転車をおおっているツルは、あれからもっと成長して、タイヤにきつくきつくからみついていた。


「えっ、お休み?」

 わたしと沙和ちゃんは、市立図書館の入り口に下げられた「閉館」のプレートを見て声を上げた。土曜日の午後。普段なら開いているはずだけれど……。


「長期図書整理期間、だって」

 沙和ちゃんが扉の張り紙を読み上げる。

 テストが近いことだし、今日はしっかり勉強しようと思っていたのに。当てがはずれてしまった。

 どうしよう。ふたりしてしばらく考えこんでいたとき、沙和ちゃんがぱっと顔を上げた。


「じゃあ、よかったらうち来ない? またお隣のおばあちゃんにお菓子もらったし、ジュースもあるよ」

「えっ、でも……」

「うちせまいけど、お母さんは今日仕事でいないから、余裕で勉強スペースあるよー、どうかな」


 家族の人がいない、と聞いて安心した。それなら、沙和ちゃんの家、行ってみたいかも。

 友だちの家に招待されるなんてはじめてで、わたしはドキドキしながら、「じゃあ、お邪魔します」と答えた。


 沙和ちゃんの住むアパートは、本人が言っていたとおり、古くて狭かった。

 階段の手すりは塗装がはげてサビが出ていたし、玄関は靴を三足も置けばいっぱいになってしまうほどだった。部屋は、ダイニングキッチンのほかは和室がひとつだけ。


 だけど不思議と居心地がいい。

 冷蔵庫にメモを貼り付けているマグネットはかわいらしい花柄だ。部屋にあまり飾りはないものの、ゴミ箱や小物入れはほこりもなく、大切に使われている。

 うちとは違うな、と思った。うちは置きっぱなしの自転車にはツルがからみ、部屋の隅っこにはほこりがたまっているから。


「今、ジュース入れるからね。これも食べよう」

 そう言って差し出してくれたのは、見覚えのあるクッキーだった。

「これ、沙和ちゃんとはじめて話したときにもらったお菓子だ。なつかしいね」

「お隣のおばあちゃん、『ちゃんと食べてるの?』って心配してくれて、またくれたんだー」

「へえー。そんなに心配してくれる人っているんだねえ」


 すっかりくつろいだ気分で教科書を広げ始めたとき、玄関から鍵を開ける音がした。

 おどろく間もなくドアが開き、明るい声とともに女の人が入ってくる。


「ただいま、沙和ちゃん……ってあれ? お客さま?」

「えっ、お母さん?」


 沙和ちゃんがびっくりした様子で声を上げる。

 わたしもびっくりした。お母さんというよりお姉さんに見える、若い女の人だったから。

 髪をきゅっとひとつにまとめ、細身のデニムをはいている。シャープな雰囲気で、きれいな人だと思った。


「お母さん、今日一日勤務じゃなかったっけ。どうしたの?」

「予定より仕事が早く終わったんだ」

 答えてから、沙和ちゃんのお母さんはこっちを向いてにっこりと笑った。


「木下実咲ちゃんでしょう? 沙和がいつも話してくれるの。沙和と仲良くしてくれてありがとうね」

「いえ、あの、はい。木下です。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします」

 沙和ちゃんのお母さんは頭を下げてくれた。

 どうしよう。沙和ちゃんのお母さん、わたしがいたらくつろげないよね。わたし、帰った方がいいのかな……。


 そんなわたしの戸惑いを、沙和ちゃんのお母さんが明るい声で吹き飛ばした。

「せっかく来てくれたんだから、ゆっくりしていって!」

 沙和ちゃんのお母さんは、話すと雰囲気が変わって見える人だった。

 シャープな雰囲気だと思いきや、両手で座布団を指し示して「座って座って」とすすめてくれる仕草は、とてもやわらかい。どことなく沙和ちゃんに似ているなと感じさせられた。


 だけどこの人は、「親」なんだ。

 今はよそ行きの顔を見せているだけで、わたしが帰ったあとは「あんな子を連れてきて」って文句を言うのかもしれない。


「あっ、お隣さん、お菓子くれたんだ。うれしいー。あとでお返ししにいこう」

「お母さんもジュース飲む?」

「飲むー」

 沙和ちゃんのお母さんの元気な返事を受けて、沙和ちゃんは笑いながら立ち上がった。

 わたしは気まずさを感じながら、沙和ちゃんのお母さんが取りやすいようにお菓子を移動させた。


「ありがとう、ふたりで楽しんでたところに邪魔しちゃってごめんねえ」

「いえ、そんな……」

 お邪魔しているのはわたしなんだから、と思いつつ、首を振って答えた。


「実咲ちゃんも、もっと食べて。あっ、実咲ちゃんって呼んでもいいよね? わたしのことはおばさんでもいいけど、晃代さんって呼んでくれたらうれしいな」

「は、はい。じゃあ……晃代さん」

「はーい」

 晃代さんは大きく手を上げて返事をした。


「お母さんの方が子どもみたい」

 と沙和ちゃんはにこにこしている。さっきから、ずいぶんなごやかな雰囲気だ。親とこんなに仲がいいことってあるんだ、とおどろいた。

「あっ、勉強してたんだ! えらいねえ」

「あ、はい……」

 教科書を見つけ、感心した声を出した晃代さんに、わたしはおどおどと返事をした。沙和ちゃんは「えらいでしょー」と笑って話を続けた。


「一番近くの公立、結構レベル高いもんね。塾行けない分、自力で頑張ろうって思って……」

 沙和ちゃんはなぜか最後まで言わなかった。

 突然、なにかに気づいたように「あっ」と小さく言い、教科書で顔を隠す。その横では晃代さんが沙和ちゃんをじろりとにらんでいた。


「沙和ちゃん、塾行きたいなら、お母さんに教えてっていったよね?」

「だって……。お母さん大変そうなのに、塾どころじゃないから……」

「大変って言っても、頑張れば出せるよ。学資保険だって積み立ててるんだから。高校も遠慮しないで好きなこところ選んでいいんだからね」


 晃代さんはおどけたように言って、沙和ちゃんのおでこを人差し指でつついた。沙和ちゃんはくすぐったそうに笑っている。


 わたしはまるでテレビを見ているように、ふたりを見ていた。

 目の前で繰り広げられているのは、子どものことを思っている親と、その思いを受け止めている子どものドラマみたいだった。

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