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短編

間に合わない踏切

作者: われさら

 もう陽は沈んでいるのに蒸し暑い。これだから夏は嫌いだ。シャツが汗ばんだ肌にへばりついて不快だし頬を伝う汗を拭うのも鬱陶しい。他人が汗をかいている姿なんか、見たくもない。そんな俺をよりにもよってこの暑い時期に、よくも九州なんかに飛ばしてくれたな。今の時代日本全国どこに居たとしても夏は耐えられない暑さだとわかってはいても、恨まずにはいられない。エアコンの効いた本社のデスクでふんぞり返っているであろう上司の薄くなりつつある頭を思い浮かべて、俺は呪った。


 支社へ一ヶ月ほどの長期出張を命じられた俺は、九州のとある県の山沿いの街にいた。はっきり言って田舎だ。街の主要な道路を歩いていても、時々ここは昭和か平成初期かと思うような光景を見つけたりする。会社が用意している単身者用の社員寮(と言えば聞こえがいいが、実際のところはボロなアパートで、とてもじゃないが点々とはいえ全国に支社を持つ会社の寮とは思えない)があるものの、支社からその寮まで20分ほど徒歩で移動しなければならない。徒歩5分圏内とか、もっと会社の近場に用意してくれてもいいだろ、と思うがケチな弊社は格安の部屋を用意するためならば社員が多少の迷惑を被ろうとも構わないらしい。


 たかが20分、されど20分。夏本番の炎天下を20分も歩くとそれだけでヘトヘトになる。仕事終わりとなれば尚更クタクタだ。うんざりだ。でもたった一ヶ月のために自転車を買うのもなあと、俺はアパートと支社の間を毎日トボトボと歩いていた。


 俺以外にアパートに入居している社員はいない。つい先月まではまだ二十代前半の社員が二人入居していたというのだが、彼らは揃って退職してしまったのだった。一身上の都合により、とのことで、俺としても彼らの栄転をお祈りするより他ない。その二人の穴を埋めるため、本社より急遽応援に入っているのが俺、というわけだ。


 その日も俺は、ベタつく汗が産み出す不快感のデス・スパイラルに振り回されながら、設定したタイマーで今頃部屋を冷やしてくれているであろうエアコンを恋しく思いつつ、アパートへの帰路を歩いていた。


******


 「ちょっと、いいですか」


 取調室で向かい合って座っている、古泉(こいずみ)と名乗った中年の刑事が俺の話を遮った。


「当時の状況を訊いているんです。あなたが同僚の北村さんを連れて社員寮へ向かった日のことを」


「ですから、その日の状況を正確に理解していただくために、前提からお話ししているんです」


 俺は睨みつけるようにして古泉を見る。古泉はあからさまなため息を吐くと「どうぞ」という手振りで話の続きを促した。


******


「あっつー……」


 アパートは国道から少し外れた場所にあった。支社を出て車が行き交う国道脇の歩道を12, 3 分ほど歩くと、途中で歩行者や自転車だけが通れるような狭い脇道へと逸れる。そこから数分ほど歩くことでやっとエアコンにありつけるのだ。


 国道から逸れたその脇道には踏切があった。アパートまでもうあと少しという所に位置している。だいたいタイミングが悪く、その踏切に差し掛かる前に遠くの方でカンカン、と遮断器の警報音が鳴り始める。鳴り始める前に踏切を渡れればと思うのだが、いつも間に合わない。電車が過ぎるまでの少しの間、俺は遮断器を前にしてぼんやりと佇むのが日課になっていた。


 ──カンカンカンカン──


 踏切のすぐそばに住宅はなく、幅の狭い道の端では雑草が好きなように伸びている。ふと前方を見ると、踏切を渡った先、緩やかにカーブしている道の向こうから、こちらに歩いてきている白のワイシャツを着た男の姿がちらりと見えた。遠いせいで顔はよく見えなかったが、きっと俺と同じ様に仕事上がりで疲れた顔をしているのだろう。


 ──どこにお勤めか存じませんが、お互いお疲れ様ですね。


 などと思いながらスマホをイジっている間に電車が音を立て通過していった。遮断機が上がり歩き出そうと視線を前方にやると、向こう側に先程の男の姿はなく、ただの殺風景なガランとした踏切が残っているだけだった。


「あれえ?」


 あの男は気のせいだったのだろうか。あるいは、電車が通過している間に忘れ物にでも気がついて慌てて引き返したのだろうか。不思議に思いながらも俺は踏切を渡りアパートへと帰った。部屋ではタイマー通りにエアコンが冷房を効かせて待っていて、玄関を開けた俺を爽やかに迎え入れてくれた。


 そしてその翌日の夕刻も、仕事帰りに俺が踏切で足止めを食らっていると、警報音の向こうから男が姿を見せた。昨日と同じ様な格好で、相変わらず遠目には顔が見えない。じいっと目を凝らしてよく見てみるが、年齢は30代半ばから50代前半くらいの中肉中背のということくらいしか察せない。要するに、日本全国どこにでもいそうな至って平均的な中年男。もっとよく目を凝らして男を覗こうとしたところで、電車が通り視界を塞いでいった。


「ああ、間に合わなかった」


 ふいに俺の口から思いもよらない言葉が漏れていた。もうちょっとであの男の顔見れたのに、と考えた脳内で、いやいや、そこまでしてあの男の顔を見たいわけではないだろ恋する乙女か、とセルフツッコミを入れる。電車の後の開けた視界には、昨日と同じように男の姿は消えていた。


******


 「──で?」


 明らかに苛ついた様子で、古泉刑事は俺に訊ねた。


佐川(さがわ)さん、あなたの不思議体験と北村さんの件とにどんな関係が?」


「それをこれからお話ししようとしているんです」


 おそらく煙草を持っていたらそのまま口に運んでいたのだろう。古泉は指をもぞもぞと遊ばせると、それを誤魔化すように太く逞しい二の腕を動かして頭をボリボリと掻くとボソリと呟いた。


「なら、さっさと話さんね」


******


 更にその翌日。今日は金曜日。明日は休日だ、部屋まであとちょっとだ、と己を励ましながら足を運んでいると、また、例の踏切で足止めを食らった。


 ──カンカンカンカン──


 もしかしてまたあの男が現れるんじゃないかと変な期待を抱いて遮断器の向こうを見ると、やはりカーブの向こう側から男は出てきた。そしてこれもまたやはりと言うべきか。男の顔はよく見えず、こちらに歩いて来る速度もゆっくりで、電車が通過する前に顔を確認できる位置まで近づいてくれそうにない。


 「また、間に合わないのか」


 ──カンカンカンカン──


 いや、向こうが近づけないなら、こっちから近づけばいいんじゃないか?なにせ俺は間に合って(・・・・・)いるわけだし──。


 ──カンカンカンカン──


 遮断器を(くぐ)ろうかと考えだしたところで、俺は我に帰った。いやいや、何をしているんだ。あの男の顔なんかどうでもいいじゃないか。


 ──カンカンカンカン──


 ──でも、気になるな。


 俺は遮断器に手を伸ばすと、中腰になり踏切内へと一歩踏み入れた。生暖かい夕暮れの風がバアッと吹き、汗に塗れた顔に土埃が張り付くような気さえした。線路の向こうの男はのろりのろりと歩を進めていて、ややうつむき加減なせいもあってまだ顔はよく見えない。俺は更に一歩踏み込んだ。


 ──カンカンカンカン──


 この地方の日暮れは関東と比べると遅い。まだ完全には落ちていない夕陽が俺の背にあり、男の顔は見えやすいはず。それなのに、まだ見えない。もう一歩。


 ──カンカンカンカン──


 男はグレーのパンツに長袖の白ワイシャツとどこにでもいるようなサラリーマン風の姿だが、鞄のようなものは何も持っていない。もうちょっとだ、もうちょっとで顔が見える。


 ──カンカンカンカン──


 俺の視線に気がついたのだろう。男はうつむき加減だった顔を俺に向けた。


 ──カンカンカンカン──


 ──向かい合った男の顔は、満面の笑みだった。目を細め歯をむき出しにして、俺を見て笑っていた。嬉しくて嬉しくてたまらないという表情で、ニタニタと、その生白い顔を歪ませていた。


「うわっ!」


 俺は驚いてその場に尻もちをついた。なんだこいつ、やばい、やばい、と本能で感じた俺は、尻もちをついた姿勢のまま、後方へずり下がろうとした。なんで俺はこの男の顔を見たいだなんて思ったんだ!


「あなたは、間に合ってるんですよ!」


 唐突に、今にもゲラゲラと笑い出しそうな声色で男は叫んだ。


「間に合ってる、間に合ってる──」


 間に合ってる、と繰り返す男から目が逸らせない。何が間に合ってるのか知らないが、とにかくこのまま戻ろう、後ろに進もう──。手探りで後ずさっていると、


 トン


 と、俺の背中が何かにぶつかった。一瞬遮断器かと思ったが、違う。後ろ手にした右手で感じるのは日中の熱を蓄えたレールとその温度。遮断器まではまだ距離があるはずだ。それに、何かが俺の背中にぶつかったのとほぼ同時に、地面を這わせていた左手がレールとは違う、冷たい何かに触れていた。

 反射的に目をやると、それは人の足の甲だった。靴も靴下も何も履いていない裸足で、視界の片隅に赤紫に変色した爪が映る。つまり俺の背がぶつかったのは人の膝。そう認識するかしないかの刹那で俺は絶叫していた。踏切の向こうで笑っている男はまだ前方にいる。今にも手を叩いて爆笑しそうな様子で、


「間に合った!間に合った!間に合った!」


 と繰り返している。俺の後ろにいるのは誰だ。いや、何だ。俺は、見ずにはいられなかった。


 ──カンカンカンカンカンカンカンカン──


 俺の背後にいたのは、無表情の俺だった。俺が俺を覗き込むように見下ろしていた。下から見上げるとまるで架線を使って首を吊っているかのように見える俺が、そこにいた。


「わああっ!」


 俺は四つん這いになると膝や手のひらを擦りながらなんとか遮断器の下を潜り抜け元の場所まで戻った。俺を見下ろしていた俺は、微動だにせずダランとレールの真上に立って下を眺めている。


 ──ファアアアアン──


 俺が遮断器の手前に戻ってすぐに、鉄の箱が警笛を鳴らし通り過ぎていった。過ぎた後の踏切に裸足の俺の姿はなく、踏切の向こうにいたはずの男の姿も消えていた。ガランとして寂れた風景だけを残して。


******


 「──その日以来、俺は行きも帰りもその踏切を使わないで、遠回りのルートでアパートと会社の行き来をしていたんです」


 静かな取調室で、俺は話し続けた。


「でも、どうしても駄目だったんです。休日の昼間や仕事終わりの夜、部屋にいると遠くの方から踏切の音が聴こえるんです。『カンカンカン』って。それを聴くとなんだか、あの男と踏切の上に佇む俺が今もまだ踏切にいるような……なんだか、俺を待っているような……そんな気がして。でも情けない話ですけど、独りで確認に行くのも怖いじゃないですか。それで今刑事さんにお話ししたようなことを、職場で歳が近くて比較的仲が良かった北村くんに話して、お願いしたんです。『一緒に来てくれないか』と」


 ようやく本題に入ったと、古泉刑事は少し身を乗り出してきた。


「それで仕事帰りに二人で踏切まで行ったわけか」


「はい」


「で?」


「あ、はい。もしかしたら馬鹿にされるかな、と思っていたんですけど、北村くんはいいヤツでして……どちらかと言うと俺の精神面を心配していたのかな。笑って否定したりせず、『じゃあ一緒に寮まで行きましょう。何事もなければ寮で飲みませんか。ビールの一本や二本くらい、買い置きあるでしょ』とまで言ってくれて──」


******


 職場を出た当初は、俺にとってまだ不慣れな九州と北村くんにとって未知の関東との違いで話が盛り上がっていたが、踏切が近づくにつれ俺たちはやや無口になっていた。踏切は、ややゆっくり目に歩いてきたにも関わらずまだ遮断器の警報音は鳴り出していなかった。ただセミだけがせわしなく鳴いている。


「どうしようか」


「そうっすね……」


 北村くんは一瞬考え込んだようだったが、すぐに閃いたような顔をして、


「渡っちゃいましょう!」


 と宣言した。


「え、まじで?」


「だって、ここで待っていても仕方なくないですか?それに佐川さんの言っていた男が来るのも向こう側なら、線路を渡っておいた方が取り押さえやすいですし」


「『取り押さえ』って北村くん、俺ら警官じゃないんだから……」


「ハハ、まあでも危険な不審者ならどんな風体か確認しておかないと、あとで警察に言いようがないじゃないすか」


 そうやって話していると、警報音が鳴り出した。遮断器がゆるゆると下がってくる前に北村くんは線路内へと入り込み、


「じゃあ、行きましょう」


 と俺を誘う。


「いやでもなあ……」


 まごついていたところで、以前と同じ様に、踏切の向こう側からあの男がゆらゆらと歩いてくるのが目に入った。俺が思わず「あっ」と驚いたことで北村くんも振り向き、男の存在に気がついてしまった。俺の驚きようからその男が件の男だとわかってしまったのだろう。


「あっ、おい!そこの人!ちょっと!」


「北村くん、待って!」


 俺が止めるのを聞かずに、北村くんはダッと男へ向かって駆け出していく。俺がどうしよう、どうしよう、と焦っている間に彼は男のそばにたどり着くと何やら問いただしている。うお、まじかよ北村くん、などと感心というか驚愕の感情を俺が抱え込んで立ちすくんでいる間に電車はやってきて、無感情に踏切内を通り過ぎ──


******


「──電車が過ぎた後には、誰も居ませんでした。男も、北村くんも。しばらく踏切の周りを探したのですが誰も、何も見つからず……」


「それで近くの交番に駆け込んできたと。……佐川さん、あなた開口一番『人を殺してしまったかも』なんて言ったでしょう。何故そんなこと言ったんですか」


「はあ……俺に付き合わせたせいで北村くんが死んでしまったとしか思えなかったからです」


 古泉刑事は椅子から立ち上がるとゆっくりと俺のそばに寄ってきた。


「ですから……今の話をまるごと信じるとしても、北村さんの姿がただ消えただけでしょう。その男が北村さんに危害を加える様子をあなたは見たわけでもない。それなのに何故、北村さんが死んでるなんて思うんですか?」


「……刑事さん。それは、俺が思うに──」


 椅子に座ったままそばに立つ古泉刑事を少し下からの角度で見上げると、一瞬、あの夕暮れの踏切で出会った、架線に首を吊っているように見えた無表情な俺が脳裏をよぎった。


「はい?」


「……北村くんは、本当に間に合ってしまったんだと俺は思うんです。ただ、それだけです」

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