第二話「六月、それは梅雨の季節」その2
梅雨の中休みなのか、一週間ぶりくらいに気持ち良く晴れたある日。
俊樹が『魔法工房』のバイト(兼由乃の下僕)になってから、もうすぐ二ヶ月がたとうとしていた。
はじめは拒絶していた俊樹も、この生活に徐々に順応しつつあった。順応してどうする、という説もあるが、少しは余裕がでてきた、というトコロである。
由乃の方も少しずつであるが、俊樹に好感みたいなものを感じてきたらしく、最初と比べて、だいぶ無茶は言わなくなってきた。と言っても、俊樹からすれば、由乃のすべてが無茶苦茶であるが。
「悠さん。タバコ吸うなら外で吸えよ」
「まだ吸ってないぜ。くわえてるだけ。なに? お前も欲しいの? タバコ」
「別に。ただあいつが、店がヤニ臭いって怒りそうだなーと思って」
「確かにそうだなー」
すでに俊樹は、悠に対してタメ口だった。答えは簡単。悠が強引にそうさせたのだ。それの一部始終はこんなものである――
コトの始まりは、俊樹の一言だった。
「オレは、年上の人にタメ口を使うほど遠慮のない人間じゃないです!」
その言葉を聞いて、悠はついに強行策に出ることにした。
しかし実際問題として、コレはイヤガラセ以外のなんでもないな、と悠はひそかに心の奥底で考える。
だが、俺がおもしろければそれでよし。
彼の冗談にかける情熱は相当なモノだった。
「俊樹」
悠は俊樹を呼び止める。その顔には、なんとも言えない極上の微笑みが浮かんでいた。これが、普通の女性であったらすぐさま悩殺されてしまいそうなものだったが、俊樹はとにかく嫌な予感しか感じない。
おもわず、両手で持っているモップに力が入り、本人も気づかぬうちに構えてしまっている。
そんな俊樹の様子に、気づきながらも悠は俊樹に近づいていく。それと同時にじりじりと後ずさる俊樹。
しかし、すぐに後はなくなり、俊樹は壁に追い込まれてしまった。その壁に悠は片手をつき、俊樹を逃げられないようにしてから、耳元でこうささやく。
「……これ以上敬語使うんだったら、ちゅーしちゃうぞ」
実にそれは、妖艶な声色と微笑みであった。
「…………!?」
じょ、冗談ですよね。俊樹はそう言おうとした――のだが、口がひきつるだけで、うまく言葉が出なかった。メガネの奥の瞳が開ききる。第一、目の前にいる彼は、冗談がなによりも好きな人間でもあるが、その冗談を本気で実行してしまう、という恐ろしい人間でもあるのだ。
この人だったら本当にする!!
俊樹はそう直感した――嫌な直感ではあったが。
そして何とか逃げだそうと、俊樹は懸命に努力する。
「オレ今掃除中なんで、ふざけてるんだったらやめてもらえませんか」
まず強気に出てみることにしたらしい。
「ふ―――ん。そんなにちゅーしてもらいたいんだ。俊樹は」
冷ややかな目で俊樹を見つめ、悠は言葉を続ける。
「なんなら、今。ここで。……してやろうか?」
妙に言葉にアクセントをつけ、悠はさらに顔を近づける。
「こーゆーのを『セクシャル・ハラスメント』っていうこと、知ってますか? 悠さん」
「そういえばそうだなー」
「うぅ……悠さんって、そっちのケがあったんですか?」
「いやー、俺も女の子の方が好きだけど、人生何事も経験だしな」
悠は意地の悪い笑みをもらす。
最初は強気に出ていた俊樹だったが、今ではすっかり悠のペースにはまっていた。
「…………」
「どうした? もう何も言うことはないのか?」
「…………」
「沈黙は時として同意につながる」
「………………」
俊樹は沈黙を続ける。俊樹の名誉のため言うが、これは決して同意しているのではない。言葉が思い浮かばないのだ。
絶体絶命大ピンチ。
すでに俊樹は涙目である。
「ちょっと俊樹――! あんた店の掃除に何時間かければ、気が…す……むの……―――」
その場にいきなり現れた由乃は、ボーゼンと立ちつくした。そして気まずそうに頬を人差し指でポリポリかく。
「あ、あ―――~……」
実に気まずそうに由乃は声を出す。
「ゴメン。邪魔しちゃったね。ごゆっくりどうぞ」
しごくあっさりと、彼女はその場を去ろうとした。
「ま、待て!! どーして向こうへ行こうとする!?」
が、俊樹は由乃を呼び止めた。
「えっ? だって……ねえ?」
「何が『だって』だ!」
「だって、居づらいじゃん」
「どーして居づらいんだ!!」
「だってー……、二人って、その~……いわゆる、そーゆー関係なんでしょ?」
ガ―――――――――――ン!!!
由乃が勘違いしていることが判り、俊樹はあからさまにショックを受けた。しかも、追い打ちをかけるかのごとく、再び悠は俊樹にささやく。
「んじゃ、由乃に俺達の仲を見せつけてやるか」
「―――!!」
完璧びびっている俊樹に、由乃は追い打ちをかける。
「大丈夫、ダイジョーブ。二人のことは、ちゃあんと秘密にしとくから。あ、でも有希ちゃんには言っといていい? 一応あんたの妹だしね」
そこで初めて、俊樹は由乃にも意地の悪い笑みが浮かんでいるのに気がついた。
それはいつも悠がするものと同じである。
つまり、あからさまにこの状況を楽しんでいるのだ。しょせんはイトコ、血は争えない、といったところだろうか。
新たなるショックを受ける俊樹に、悠は最後通告をする。
「さあ、どうする? 俊樹。選択は二つに一つ……。どっちを選ぶかは、お前が決めることだ」
と言いつつも、すでに顔はあと寸前、といったところまで近づいていた。
そして俊樹は観念した。
――というワケであった。もっとも、年上である悠に対してタメ口をきくのは俊樹の意に反したらしく、中途半端なタメ口にしかならなかった。俊樹は元来人見知りをする方なのだ。
それもこれも、例の瞳のせいでなんだかんだ言われてきたことも手伝って、あまり他人と関わりあおうとしないのだ。
だが、由乃と悠とは出会いが出会いである。人見知りする間もなく、バイト兼下僕にされ、そしてもうすぐ二ヶ月。これだけ一緒にいれば、相手のことも多少判ってくるもので、いまさら人見知りするのも今さらである。
とは言うものの、ライターをポケットから取り出しタバコに火をつけている、この悠という人間を、俊樹はいまだに理解できていなかった。
「ゲホガホグヘゴフ!!」
いきなりむせる悠。
「ど……どうしたんだよ、悠さん……」
多少びびりながらも、俊樹は動かしていた手を止め、悠の背中をさする。
ふと見た先には、火のついたタバコ。
「…………」
「いっ、いや……、大丈夫……。フ―――。なんでだろーな? 別に初めてでもないのに、毎回こうなるんだよなぁ……」
悠は諦めてポケット灰皿にタバコをつっこむ。
「そーいや学校で元気にしてるか? 由乃は」
「……へ?」
いきなりの話題転換に、俊樹は聞かれたことが一瞬理解できなかった。
「ま、イロイロあるんだよ。俺達にも」
悠は、ふと俊樹をのぞきこみ、
「お前、俺の目見てどう思う?」
「えっ? 目?」
多少声が裏返った。自分のことを連想したのだろう。
「………イヤ、キレイな色だと思うケド……」
悠は、その言葉を聞いたとたん、どこからともなくアルバムを取り出し、俊樹に押しつける。
「見てみろよ。ソレ」
「??」
わけが判らなかったが、とりあえず俊樹は言われた通りにする。
分厚い表紙を開けると同時に、山田○作の「赤とん○」が鳴り出した。見ると、表紙の裏には薄い電子オルゴールがついていて、表紙を開くと同時に音がなる仕組みのようだ。
そして中表紙のど真ん中に書かれた「あゆみ」という文字。しかも毛筆で達筆である。
「…………」
すでに俊樹は見る気が失せていた。
それでもとりあえずページをペラペラとめくっていく。
ページをめくっていくごとに、俊樹の顔に驚愕の色が浮かんでいく。
信じられない事実に、おもわず悠の方へと顔を向けてしまった。
「言いたい意味、判ったか?」
それは悠のアルバムだった。
そこには産まれた時から最近のものまで、様々な写真が貼ってあった。
産まれた時黒かった髪と眼が、小学校入学くらいを境に、次第に薄茶色になっていく過程が写された写真だ。染めたにしては自然すぎる。
コレはいったい……
「世間一般の『魔法士』の特徴ってヤツだよ。詳しいこと言っても判んねーだろーからはぶくけど、魔法の修行を長年してると、こーゆー風に全体の色素が薄くなっていくんだよ」
「え、なんで……?」
「組合のことは由乃から聞いたよな?」
俊樹はコクンとうなずく。
「組合を作った最初の魔法士、俺たちはそれを『始祖』と呼んでいる。色素の薄い髪と瞳をもつ賢者。それは最強の力を持った姿―――つまり行き着く先にいった姿だな。俺たち魔法士は多かれ少なかれ始祖の血をひいている。力が強くなることは、始祖の存在に近づくこと。だからこうして色素が薄くなるわけだが………その様子じゃああんまり理解してねーな」
「……はぁ」
「まー、時間がたてばそのうち白くなるから、そーなる前に髪染めたけどな」
そして俊樹が予想していた通り、悠は言葉を続けた。
「それに、この方がおもしろいし」
ふっ、と悠は何かを思い出したかのように外を見た。
「さっさと行かないと日が暮れる」
「え? どっか出かけんの?」
「ああ、ちょっと魔界まで」
さらりと言い返し、悠はそそくさと愛用の青いママチャリで出かけて行った。
一人取り残された俊樹は、先ほどの悠のセリフを「冗談だよな?」と心の中で思い込む。てゆーか冗談であってほしい。
そこへ、パタパタと足音を響かせながら、由乃が小走りにやってきた。
「悠兄ちゃん、出かけちゃったの?」
「ああ」
「どこに?」
「あ、なんか……『魔界』? とか」
俊樹自身言ってて自信がないらしく、小声だった。
「『魔界』ぃ?」
いぶかしげに問い返す由乃。
「いや、だってそう言ってたから」
「『魔界』………あ、はいはい。魔界ね。あ、じゃやっぱりこのこと忘れてるんだ」
納得した由乃の手には一枚の紙が握られていた。
「? それは?」
「とあるモノの引き取り証。リビングの机の上にあったの。期限今日までなんだけど……」
「オレに行け、と?」
「当たり」
当たってもちっとも嬉しくない。
「あ、でも、コレはね……ちょっと……うん。あんたには任せられないわ」
そう言って、ふと思い出したかのように店内を見回す。
「それにしても、日曜だってのにお客さんいないね。…………ね、おナカ空いたし、おやつにしよっか?」
由乃は俊樹を見上げ、可愛らしく微笑む。
まだ開店中なのにいいのか? とか思いつつも、俊樹のおなかは正直に鳴り響いてしまうのだった。
***
「本日の紅茶は、クセのあまりないセイロンティーでございます。ミルクと砂糖は、ご自由にお入れください。なお、本日のスペシャルメニューは、種類を豊富にそろえた、シェフ由乃の手作りクッキーでございます。ハーブクッキー、アメリカンクッキー、マカロン、サブレ、マーブルクッキー、ココアクッキー、アーモンドクッキー、その他もろもろ。御用がありましたら、いつでもお呼びくださいませ。それでは本日はごゆっくりおくつろぎください。―――なあんちゃって」
ペロッと舌を出し、少し茶目っケを出す。
由乃はウエイトレスの真似事をしながら、トレーに乗せていた物をテーブルの上に置いていく。
「本日のメニューはお口に合いましたか? 俊樹様のために、シェフ自らが、特別に腕によりをかけて作らせてもらいましたが?」
おいしい? おいしくない? ……てゆーか「おいしい」って言え!
えもいわれぬ由乃の迫力に、俊樹は、
「お、おいしいです……」
おもわずつぶやくのだった。
「ほほ――う。俊樹君は、食べ物を見ただけで『おいしい』と?」
由乃のするどいツッコミを前にして、俊樹はしぶしぶ、クッキーを頬張る。
「……あ……うまい…」
正真正銘、心からの感想である。
「でっしょー」
自慢げに、そしてうれしそうに由乃は言った。
「俊樹、甘い物苦手だって言ってたでしょ。だから今回のクッキーも、甘味をおさえてみたの」
由乃もイスにつき、二人で三時のおやつタイムを楽しむ。
「そーいやさー、悠さんも『魔法使い』……じゃなくて『魔法士』ってヤツの免許持ってんの?」
「うん。持ってるよ。それがどーしたの?」
クッキーをパクつきながら、由乃は不思議そうに俊樹の方を見る。
「じゃあさ、どうして悠さんはお前みたいに『魔法屋』やってないんだ?」
ふと思った疑問であった。
「…………」
由乃は絶句し、大きな目を更に大きく見開いて俊樹をまじまじと見つめた。
「……? なんだよ」
「いやー、あんたからそんな質問されるとは思わなかったわ。というか、そういう細かいところを疑問にもつなんて考えてなかったあんたが、一体どーゆー風のふきまわし?」
「別にいいだろ」
そうは言ったが、それは多分、先日の有希のことがあったからだろう。
有希は由乃の言った通り、何かに悩んでいた。
何かは俊樹には知らされていないが、それは魔法屋である由乃でないと治せないことだったらしい。
現にあれ以来、有希はぐっすりと毎晩眠れているようだ。
そもそも俊樹のような『魔法が効かない体質』の人にとって、〈魔〉の力を実感することは不可能に近い。由乃にいくら魔法の実験体にされても、効果が現れないからだ。
そんな中、最も身近な人物である有希を通じて、『魔法』としか言い様のない現象が起こることを目の当たりにした。
つまり、半信半疑だった魔法の存在を心から信じる気になってきたのだ。すると必然的に興味もわいてくる。
そんな俊樹の心情を知ってか知らずか、由乃はクッキー片手に話しはじめた。
「まーいいわ。話したげましょ。って言っても、そんな大した話でもないケドね。いい? 魔法屋をするにはね、『魔法士免許』の他に、『魔法物取り扱い免許』ってゆーのがいるのよ。魔法士免許は魔法士組合に所属していることを示すだけだからね。んで、悠兄ちゃんは魔法士免許は持ってるけど、魔法物取り扱い免許は持ってないのよ。だから、悠兄ちゃんは魔法屋をしたくてもできないのね。もしやったら無免許で捕まっちゃう」
「はー……なるほど。あ、でもなんで悠さんは魔法物取り扱い免許だっけ? それをとらないんだ?」
「え?」
というより、そもそもなぜ由乃が雑貨屋の店長なのかが、俊樹には疑問だった。
普通は、由乃ではなく悠がやるべきことなのではないのだろうか?
そう俊樹が尋ねると、由乃は少し表情をくもらせた。
「あ、それは……悠兄ちゃんは、あんまり魔法屋のことを良く思ってなかったから。昔だけどね。わたしの母方……つまり悠兄ちゃんの家系は、昔から魔法屋の能力を色濃く受け継いでいたの。それで、小さい頃から魔法屋になる教育を受けるんだけど、悠兄ちゃんは、その家系に生まれてきたからって、どうして魔法屋にならなきゃいけないんだ? って両親に反発して、髪の色変えて、ピアス開けて……まあ、今はおしゃれでしてるんだと思うけど……」
そこでいったん言葉を切って、由乃は紅茶を軽く一飲み。ミルクと砂糖がたっぷり入った、由乃好みの紅茶である。
「悠兄ちゃんにとっては、あんまし魔法屋とかいうことに関わりたくなかったらしいの。ちょうどその頃、悠兄ちゃんには魔法屋じゃない、別の職業が合うことが判ってね。貴重な職だったし、悠兄ちゃんはその免許とってしばらく組合本部にいたの。その間も魔法屋のことをずっと避けてて……でも、魔法屋をわたしみたいな小娘がしているのを知って、なんか拍子抜けしちゃったらしいのよね。全く失礼な話だけどさー。それで、まぁ色々あってわたしがここで魔法屋をしなくちゃいけなくって、保護者として一緒に住むようになったの。でも、悠兄ちゃんは魔法屋の免許持ってないから、結局わたしが店長することに……―――」
由乃は、おもむろに席を立った。
「って、少し……話しすぎちゃったかな?」
いつにもなくしおらしいことを言うので、俊樹はあやうく食べかけのクッキーを落とすところであった。
「いや、まぁ、つまりアレだろ? 悠さんは免許がないために魔法屋できなくて、お前が店長してるんだろ?」
「……なんかすごい省略されてるけど、ま、そーいうことね」
由乃は同意して、小声でつけたす。
「――……ま、流してくれた方がありがたいけど……」
「? 何か言ったか?」
「ううん、なんでもないよ。あ、そろそろわたしちょっと出かけてくるね」
悠に頼もうと思っていた、例のモノを自分で引き取りに行くらしい。
「お留守番よろしく」
「あ、ああ」
こうして、由乃は出かけて行った。
オレも掃除の続きしよーかな、などと思った俊樹は、ふとあることに気づいた。
「このオヤツ後片付けは誰が……ってやっぱオレか」
一人でつっこみながらも、俊樹は黙々と片付け始めたという……。