第二話「六月、それは梅雨の季節」その1
梅雨を迎え、ここ最近うっとうしい天気が続く。
今日も朝から小雨が降り、窓から見える風景はフィルターがかかったようににじんでいた。
「ん―――……、どう書こっかなぁ……」
リビングの机の上にインク壺と白い紙、羽根ペンを広げ、由乃は思案していた。足元には書き損じと思われる紙くずが山のように転がっている。
「こういうのって初めて書くからなぁ……うーん」
あーでもないこーでもないと書き始めて早一時間、結局一枚も納得するものはできなかったのだ。
そこへ朝からどこかへ出かけていた悠が帰ってきた。
「ただいまー」
「あ、おかえりー。悠兄ちゃん」
「おう。って、何? この紙の山」
足元に広がる紙の山から一枚を無造作に拾い上げ、それに目を通す悠。
そこには由乃のおせじにもきれいとは言えない字でこう書かれてあった。
「『報告書。先日、この町内にて呪具と思われるモノを発見。おそらく裏には魔法使いの存在有り……』――ああ、これこの前の俊樹の妹の」
「そう。それに関する報告書。なかなかうまく書けなくって。ね、悠兄ちゃんはいつもどんな風に書いてるの?」
「え、俺? 俺は……」
そこでしばし思案する悠。
考えついた結果は本人にとっても意外なものだったらしい。
「そういや書いたことないな」
「えぇ? でも悠兄ちゃん、今までに結構功績上げてなかったっけ?」
現在人間界にいる『魔法士』としては、悠は組合内で十指に入るほどの実力を持っている。もっとも、悠の場合は手段を選ばないことでも有名で、上げた功績と比例するように被害総額がつり上がっていくという、問題児でもあったが。
「俺の場合は、報告書じゃなくて始末書書く方が多かったからなー」
さらりと言う悠。
「…………」
それ、笑い事じゃない――と心の中でつっこんだ由乃は、これで悠が組合本部ではなく人間界にいる理由が判った気がした。
由乃はずっと不思議に思っていた。悠ほどの人材が、なぜ由乃のような魔法屋になりたての魔法士の保護者兼観察官をしているのかと。
悠が由乃の保護者として選ばれた理由は、その当時たまたま人間界にいたこと、そして何と言ってもイトコという間柄だからだと聞いたことがある。なぜたまたま人間界にいたのか――
(もしかして……厄介払いみたいなものだったりする……?)
要するに組合は、実力はあるが性格に多少問題のある悠の扱いに困り果てた結果、手元に置いておくよりも、人間界に派遣した方が安全だ、と判断したのだろう。
ちょうどその時、由乃は一人で魔法屋をするようにと組合から命ぜられた。実経験のない由乃の保護者兼監察官を探した結果、これ幸いにと悠が派遣されてきたのだ。
そしてそれは今に至る。
「それに報告する場合だって、俺の場合は〈力〉使えばすぐだし」
「……あ、そっか。悠兄ちゃん『次元士』だもんね」
「おぅ。『空間移動』は俺の得意技のひとつだからな」
「でも普段使わないよね。疲れるから?」
「当たり」
よく判ったな、と笑う悠。
由乃が『魔法屋』としての能力を持っているのに対して、悠は『次元士』としての能力を持っていた。
悠が魔法屋をしていない最も大きな理由がこれである。
『次元士』の能力は呼び名通り『次元』を操ること。よって、次元を操ることによってできる空間移動は、悠の得意技の一つであった。
つまり遠方にある組合本部へ行くことは、由乃にとっては一ヶ月かかることでも、悠にとっては一瞬のことなのだ。
各々の潜在的に持つ能力の違いが、そのまま由乃と悠の能力の違いになるのだった。
「って、そんなことより報告書どうしよう」
「俺的にはここの片づけを誰がやるのか気になるが」
「そんなの俊樹に決まってるじゃない」
さらりと言って、由乃は再び報告書作成に力を注ぎはじめた。
そんな由乃を横目で見やって、悠はぽつりとつぶやく。
「『俊樹に決まってるじゃない』、か……」
「え? 何か言った? 悠兄ちゃん」
「ん、いや、な。なんか、すっかり俊樹がいることに慣れちまったなー、と」
机をはさんで由乃の正面に座り、悠は由乃の手元をのぞきこむ。
「なぁ、由乃。お前さ、魔法屋のこと俊樹にどこまで話した?」
「どこまで、って……――」
先日の屋上での話を思い出す由乃。さらりと答えた。
「まだ何も言ってないよ」
「そっか」
視線を由乃から窓の外に移し、悠は言葉を続ける。
雨は相変わらず降り続いている。
「でも、そーいうワケにもいかなさそーだな」
「え………?」
思わず筆を止め、顔を上げる由乃。
「魔法使いがこの町にいるってことは、そういうことだろ? 先延ばしにしててもいつかは聞かれることだしな。まして―――」
「俊樹の協力を得たいと思うなら、なおさら……だよね」
魔法が効かない特殊体質である俊樹は、魔法屋である由乃にとって非常に有益なのだ。
本人に自覚はないようだが、俊樹はその身に想像以上の力を秘めている。
俊樹のような体質の人間の存在……それは、長い魔法士の歴史の中でも数えるくらいしか確認されていない。
「ま、そーいうことだな。いつまでも、魔法屋の本当の役目を黙っとくワケにもいかねーだろ?」
「そう、だけど……」
羽根ペンをぎゅっと握り直し、由乃は深いため息をつく。
ため息の重さに比例するように、雨足が強くなってきた。
判ってる。判ってるけど――。
「悠兄ちゃんは……それでいいの?」
「何が?」
「俊樹を……巻きこんでしまうこと」
顔をふせ、言ってしまったことをごまかすように、由乃は再び筆を走らせる。
今度は不思議にすらすらと言葉がでてきた。
そんな由乃を見やり、悠は吐き捨てるように言った。
「――仕方ないんじゃね?」
「……そんな、無責任な言い方……」
「だってそうだろ? 教えてしまえば、もう後戻りはできない。……というか、今さらな気がするぜ、俺は。もう充分巻きこんじまってるよ」
「…………」
何も言わず、由乃は筆を進め続ける。
「冷たいかもしんねーけど、第一、これはお前の仕事であって俺の仕事じゃない。どうするかは、由乃――お前が決めることだ」
「……悠兄ちゃん」思いもよらなかった言葉に顔を上げる由乃。
視線が合ったところで、悠の顔に不敵な笑みが戻る。
「――――なーんてな」
「へ?」
がたんと席を立ち、由乃の後ろにまわる悠。ぽん、と由乃の頭に手を置いた。
「冗談だって。本気にしたか?」
「……ちょっとね。もう、冗談キツいよ悠兄ちゃん」
「はは、悪い悪い。あ、そうだ。今度魔界行った時にでも例のこと聞いてきてやるよ」
「え、ホント!?」
「あぁ。あそこなら、ウワサよりちょい詳しい話くらい聞けるからな。――ってそういや俊樹は?」
「店番してもらってるよ。――っと」
羽根ペンを置き、由乃はううんと伸びをする。
「でーきた! 完成っ」
「お、どれどれ?」
はい、と悠に紙を渡す。
報告書を読んでいる悠を横目に見ながら、さっきの言葉を反すうする。
『――教えてしまえば、後戻りはできない』
(……本当、その通りだよね)
『どうするかは、お前が決めることだ』
(うん、判ってる。わたしは……)
本音を言えば、由乃は俊樹をこれ以上巻きこみたくなかった。
由乃もまた、孤独な幼少時代を過ごしてきた経験があった。人と関わりあい、拒絶される辛さを知っている。
(だけど……)
だからこそ、他人と理解し合えた時の喜びも知っている。
そして心の中では、俊樹なら判ってくれるかも……という想いが生まれはじめていた。
この想いに従うべきか、逆らうべきか……。
タイムリミットは、刻一刻と近づいてきていた。