第一話「とんでもない転入生、五月に現る!?」その4
その日の放課後、約束通り有希は由乃に連れられ由乃の家へ行くことになった。当然のように俊樹も一緒である。
「へー、高城サンの家ってお店やってたんだ」
「あれ? 言ってなかった? うん、『魔法工房』っていうお店。雑貨屋なの」
指輪から変な置物まで、実に多種多様、探せば大体何でもでてくるというのが、魔法工房のウリである。
これはひとえに悠の趣味であるところが大きく、由乃自身、店の全商品を把握しているワケではなかった。――悠なら全てを知っているのか、と聞かれるとこれまたナゾとしか答えようがないが。
「あ、着いたよ。ココ」
着いた先は三階建ての比較的大きな一軒家だった。一階がお店になっているとはいえ、二人で住むには少し大きい。
それもそのはず、この家――もとい雑貨屋、魔法工房は、由乃と悠が所属している組合からの支給物だった。つまり貸家である。それも元をたどれば国の物――国が魔法士組合の存在を認め、必要に応じて土地を与えたのだ。組合はそこに由乃のような魔法屋を派遣し、店を開く。そこで魔法屋は人間界にいる他の魔法士のサポートを行い、魔法屋独自の役目も務めるのだ。
『営業中』と書かれた札がかけられてある店の扉を由乃は「ただいまー」という声とともに開ける。
店内には十人ほどの客がいた。
みな若い女性で、店番している悠をとりまいていた。
いわゆる「おっかけ」である。
「ねぇねぇ悠クン、趣味は何なの?」
「彼女とかいるんですかー?」
「ってゆーか、わたしなんてどうですかぁ?」
黄色い声を上げる女の子達に囲まれ、悠はまんざらでもない風だった。
後々聞いた話だが、彼女達は駅前で店の宣伝をしていた悠に、ナンパ同然にひっかけられたらしい。ちなみにその時悠はスーツを着ていて、その姿は甘いマスクとあいまって、まさにホストのようだったという……。
「…………」
無言で中を見やって、由乃はそのまま扉を閉めた。
何事もなかったように振り返る。
「二、三階が家なんだよ。上で話そ?」
「? どうしたんだよ?」
いつもなら店で話すのに、といぶかしがる俊樹に、由乃は遠い目をしてさらりと言った。
「邪魔しちゃ悪いでしょ」
あいにく店内が見えなかった俊樹と有希は、その言葉の意味が判らず、顔を見合わせ「?」と首をかしげた。
「いま紅茶とクッキー出すから、ちょっと待っててね」
そう言って、由乃はキッチンへと消えていった。
有希はソファーに腰掛け、俊樹もその向かいに腰を下ろす。はじめてくる有希は物珍しそうに辺りを見回していたが、もう慣れた俊樹は特に何をするでもなくぼーっとしていた。
ほどなくして、由乃はお盆の上に三つのカップと山盛りのクッキーを乗せて戻ってきた。
「お待たせっ。今日はね、ジンジャークッキーとセサミクッキーを用意してみたの。紅茶は頭がスッキリするミントティーだよ」
さ、どうぞと差し出され、二人はすすんで手を伸ばした。
「あ、おいしい……」
素直な賛美を口にする有希。向かいで同じように食べている俊樹を見、あれ? と首をかしげた。
「俊樹、アンタ甘いモノ苦手なんじゃなかったっけ?」
「あ、なんかコイツの作るやつならいけるんだよ。そんなに甘くないし、第一うまい」
「ふうん。そっか。――でさ」
と、ここで軽く紅茶を一飲み。
その様子をじいっと見ている由乃。
「? どしたの?」
「あ、ううん。口に合ったらいいなと思っただけだよ。続けて」
「あ、うん。すっきりしてて結構好みかも。――で、あんた達っていつから付き合ってんの?」
「……っ!!」
俊樹がむせた。ちょうどお茶を口に含んだ所だからたまらない。
由乃はというと、クッキーを口に持っていった格好できょとんとしていた。
「……ナニ、俊樹。アンタ言ってなかったの?」
「なっ、なに、なにを……っごほ」
なぜかあせる俊樹を尻目に、由乃は至極あっさりと答えた。
「一ヶ月前からうちの店でバイトしてるってこと」
(その手があったか……!!)
無駄な言い訳を考えた自分が少し情けない。が、有希が「え、そうなの?」と納得してくれたようなので俊樹はほっとした。
「へぇー、バイト。あんたがねぇ……」
さも意外、といった口調で有希はさらに紅茶を口に運ぶ。
一口、二口。三口飲んだところで有希は軽いめまいを感じた。
「あれ……?」
「ん? どうした?」
「あ、うん、なんか急に眠……く―――」
言い切る前に、有希は深い眠りに落ちた。
手に持っていたカップが滑り落ち、テーブルクロスにしみをつくる。
「ちょ、おい、有希! どうした!?」
あわてる俊樹を尻目に、由乃はぽつりとつぶやいた。
「へぇ。有希さんには魔法効くのね。……双子といえど二卵性。やっぱり何かが違うのかしら」
どこか感心したような口調。
言われた内容に、俊樹の中で何かが外れる音がした。
「おい。……お前がやったのか?」
「魔法薬盛っただけよ」
さらりと、何でもないといった口調。全然悪びれた風のないところがさらに癇に障った。
「魔法薬を……盛った?」
「ええ、そうよ」
「―――!!」
振り上げた拳が由乃に当たる――直前、ぴたりと動きが止まった。ゆっくりと下におろし、俊樹は呼吸を整える。
――落ち着け自分、手を挙げるのはダメだろ。
「……なんで、こんなことをした?」
低く問う言葉はいつもの俊樹の声ではない。
――本気で怒っている。
それを感じとり、由乃は無言で小さなビンをテーブルの上に置いた。
「これは魔法に対する反応を調べる薬よ。これを飲んで眠くなればなるほど、魔の力に対する抵抗が薄い……つまり魔法にかかりやすいってことなの。身体には無害だし、副作用もないわ」
「質問に答えろ! なんでこんなことをした? 魔法に対する抵抗を調べたりして……一体何が目的なんだ? まさか有希までオレと同じ目にあわせようと思ったんじゃ……」
「言ったでしょ、俊樹」
席を立ち、有希の後ろに回る由乃。その肩に手を乗せる。
「有希さんが疲れてるって。彼女……おそらく病んでいるわ。〈魔〉の力によって」
言って、由乃は有希の髪に顔を近づける。有希の髪が短いために、由乃はうつむき加減になり、その表情は見えない。
「かすかにだけど、わたしとは違う魔法の香りがする……。魔法を使う者はね、それぞれ特有の香りを持っているの。『魔法屋』にしか判らないけどね」
有希の髪から手を放し、その頭をなでる。
顔を上げた由乃の表情は、いつになく真面目だった。
「これはとても危険な香りよ。おそらく――『魔法使い』の」
言った刹那、由乃の意識は暗転した。
有希は怯えていた。
暗闇の角に身をひそめ、ひざを抱えて震えていた。
歯の根のかみ合わない口からは、ずっと同じ言葉が吐き出されている。
「ごめん……ごめん……ごめんなさい……」
(有希さん……?)
小学校低学年くらいの有希を、由乃は遠まきに見つめていた。幽霊のように透き通った姿で。
(これは……有希さんの心の闇?)
明るい彼女にこんな側面があったなんて――。
意外だったが、それと同時に納得もした。
人は誰でも、心に闇を持っているもの。
(――そう、わたしだって……っと、いけないいけない)
自らの心の闇にひきずられそうになって、由乃はあわてて頭を振った。
人の心の中に入ると、時として囚われてしまうことがあるのだ。
(気をつけないとね……って、アレ……?)
ふと、闇の中から一人の少年が現れた。
年のころは今の有希と同じくらいで、有希はその少年を見て明らかに怯えを強くした。
それと同時に周囲の闇がさらに濃くなる。
(アレが……有希さんについてる〈魔〉ね)
顔を――正体を見ようと、由乃は歩を進める。が、ある一定の所で動きが止まった。
(壁――)
透明な壁があった。触れるとひんやり冷たく、由乃と有希達を隔絶するように決して破れない。
「……有希ちゃん」
ぽつりと、由乃に対して背を向けた少年がつぶやいた。
聞き覚えのある声。
由乃の記憶にあるよりずっとソプラノのその声に、有希はびくっと顔を上げ、涙を浮かべた瞳で少年を見る。
「ごめん……ごめんね……」
「有希ちゃん。もう遅いよ」
少年はそんな有希に対し、はっきりと言った。見る者全てを凍らせる微笑みを浮かべて。
「――許さないよ」
さらに闇が濃くなり、身体と闇との境があいまいになっていく。
(――このままじゃ飲みこまれる)
由乃はぞっとした。
が、その場を離れることはできなかった。
なぜなら、振り向いた少年の顔――それはまさしく。
「――俊樹!?」
叫んだ瞬間、再び世界は暗転した。
「……い、おい、どうしたんだ!?」
「―――ん……」
俊樹の声によって、由乃は現実世界へ引き戻された。
「あ……俊樹。どしたの?」
「どしたの、じゃねぇよ! 一体どうしたんだ? いきなり動かなくなって」
「…………」
俊樹の質問に答えず、由乃は無言で立ち上がった。
「そうか……だから彼女、眠るのをあんなに怖がって……」
ぽつりとつぶやき、一人うなずく。
これで有希が寝不足な理由、最近の不可解な行動全てが説明できる。
有希は、眠りに落ち、夢を見るのが怖かったのだ。
(これは……思った通りね)
自分の魔法屋としての〈勘〉は当たっていた。嬉しくもあるが、それ以上に事態の深刻さに由乃は頭を抱えた。
(このままじゃ有希さん、『奴』に食われてしまう……)
しばし考えた結果、由乃は俊樹の方に向き直る。
「仕事よ、俊樹。有希さんの……〈魔〉を払ってみせる」
思いのほか真面目な口調で、由乃はそう宣言した。