第一話「とんでもない転入生、五月に現る!?」その3
「――困ったことがあるんだったら、なんでも相談してね。有希さん」
先日、清華学園1-Cに転入してきた高城由乃は、この発言により再びクラス中から注目を浴びることになった。
場所は屋上から教室に移り、時間は五限と六限の間であった。
隣にいた俊樹はあ然としている。
(いきなり何言いだすんだよ……コイツ)
しかし、いたって由乃は本気だった。
「た、……高城サン?」
「ううん。いいの、何も言わないで。わたしは、ただあなたの力になりたいの」
やや芝居くさい動作で、由乃は有希に話しかけていた。
そんな二人の様子を見たクラスメイト一同は、口々に勝手な想像をし始める。
「あ、高城さんが有希口説いてる」
「イヤ――〜。アレはきっと、俊樹をめぐる女の抗争だよ」
「えー、未来の小姑を味方につける作戦じゃない?」
「イヤイヤ、それより……」
「お前らなぁ……」
言いたい放題のクラスメイトに、俊樹がジト目でつっこんだ。
***
「へ――、で、結局のトコロ、その娘に丁重にお断りされた、と」
「うん」
晩ゴハンのおかずのカラアゲを口に入れながら、由乃はうなずいた。
バイト終了後、なしくずし的に俊樹を入れての夕飯が始まっていた。
「やっぱり違うんじゃねーのか? 有希が困ってるってのは」
ポテサラにハシをのばしつつ、俊樹は言う。
俊樹としては、有希が悩んだり困っているということは到底考えられないことだった。今までそういうことがなかったとは言わない。だが、その時は必ず俊樹に何かしら言ってきたのだ。
『ねぇ、俊樹。今日から、二人の間に隠し事はナシにしようね』
そう言ってきたのは紛れもなく有希なのだ。
そんな有希が、オレに隠れて悩んでる?
――ありえないだろ。
”有希困り説”を一蹴した俊樹に、由乃はきっぱりと断言した。
「い――――え。間違いないわ! 有希さんは、絶対困っているはずよ!!」
「…………あっそ」
魔法屋の少女には、もう何を言ってもムダ――俊樹はそう悟るのだった。
「くどいようだけど、本当に心当たりないの?」
由乃は勢いよくハシをカラアゲにつきさして、ずいっと俊樹につめよる。
「本当にくどい。……まぁ、ここ最近魔法工房のバイトが忙しくてロクに話してないけど」
「…………兄失格」
ぐさりっっ。
「まーまー由乃。いくらホントのこととはいえ、その俊樹をコキ使ってたのは俺達なんだし……――」
ジト目でにらむ由乃をなだめる悠。
向かいの席には、言葉の暴力という刃が突き刺さり、肩を落としている俊樹がいた。
「でもねー、悩みがあるらしいのは確かなのよね〜。ね、俊樹。有希さんって、結構夜更かししたりする方?」
「えっ? ――……イヤ、そんなコトはないと思うけどなあ……」
「やっぱり? 彼女、授業中、ずっとあくびしっぱなしだったのよねえ……。もしかして、あんまり寝てないんじゃないの? 彼女」
「なるほどね。つまり、由乃が言いたいのは、俊樹の妹は何かに悩んでいるから夜眠れないのでは、と」
「そう、そうなのよ!!」
悠の意見に、由乃は興奮して、ガタッ、と席を立つ。
気合充分の由乃に、俊樹が言えることは一つだけだった。
「ま、がんばれよ」
――余計なお世話だと思うけど。
「ゆ・う・き・っさん」
語尾にハートマークがつきそうな口調で、由乃は有希に近づいた。
最高の笑みをたたえたその顔は、同性の有希でさえ一瞬みとれてしまいそうな、そんな可愛らしさがあった。
「あ、あの有希さん?」
「あ――、ゴメンゴメン。気にしないで。それより、何?」
「あ、そうそう」
由乃はカバンの中をゴソゴソとあさって小さな袋を取り出した。ラッピングをとき、中身を見せる。
「実はねぇ、クッキー作ってきたの。ハーブ入りだから、リラックス効果があるし、何よりよく眠れるよ」
眠れる――――
その言葉を聞いたとたん、有希の手が動く。
気づいた時、有希は由乃が持っていたクッキーをはたきおとしていた。
それを見ていたクラスメイトからざわめきが起こる。
「おい、有希……」
どうしたんだ? という俊樹の問いかけで、有希はハッと我に返った。
「あっ、あたし……」
由乃はうつむいていた。頬に一筋の涙が流れる。
「ゴ……ゴメン。迷惑だったね」
由乃は、床に落ちていたクッキーを拾い上げ、走って教室を出て行く。
その後ろ姿が、有希には一瞬だぶって見えた。
それは、幼い時の記憶。
「有希ちゃん。いっしょに遊んでいい……?」
おずおずと言う少年を、有希は突き放した。
「イヤよ。アンタといっしょにいると、友達いなくなるもん」
本心ではなかった。本当は彼と一緒に遊びたかった。
だが、少年は当時イジメの標的だったのだ。
「ごっ……ゴメン……」
少年はうつむいて謝罪した。
「あやまんなくていいから、あっち行ってよ」
有希の言葉に、彼は走り去っていった。
一瞬見えたあれは、涙だったのだろうか?
チクンと胸の奥が痛かった。
だが、当時小学校低学年だった彼女に、それが心の痛みだということは判らなかった。
***
教室内がざわめいている。
それもそうだ。朝っぱらからこんなコトをしてたら、イヤでも人の目をひいてしまう。
「有希………」
隣にいた俊樹が、何と言っていいか判らない表情で声をかける。
「俊樹……」
彼の顔を見て、有希はうつむいてしまった。
「あたしって、嫌な奴よね……」
有希のセリフに、俊樹は何も言えなかった。
確かに、今のは有希の方が悪いと思う。
いつもなら、俊樹は有希に何か言っているはずだった。
こんな彼女らしくない行動に出たのは、やはり由乃の言っていた通り、何かに悩んでいるからなのだろうか。
それとも、また違う理由からなのか。
言いたいことなら山程あった。だが、言わなかった――いや、言えなかったのは、他のことに気がいっていたからだろう。
――なんで、アイツ泣いてたんだ?
由乃の涙を見たのは初めてである。とまどいも感じたが、何より彼は驚いていた。もしこれが有希ではなく俊樹だったら、
「あたしの手料理が食えないのか――!?」
と叫んでハリセン連打の刑である。
由乃の傍若無人ぶりなら、俊樹はこの一ヶ月で嫌というほど理解していた。
よって、涙を流すという女の子らしい行動もできるのだと、彼は驚きを通りこして感心してしまったのだった。
由乃は校舎を走っていた。
二階の教室から四階へと、階段を駆け上がる。
四階は、芸術の専門教室しかないので、朝は誰もいないはず、と、由乃は記憶していた。
四階にたどりついた時には、由乃はぜいぜいと肩で息をしていた。二階から四階まで一気に駆け上がってきたのだ。息もきれるはずである。
由乃はハンカチで目元をおさえた。まだ涙をふいていなかったのだ。
「あ―――、目、痛かった!!」
目をごしごしとこする由乃の涙がでたのは、たんに目にゴミが入っただけのことだったのだ。
「うう〜〜まだちょっと痛いし――」
このせいで、変な誤解をされているとは、全然、露ほどにも考えていなかった由乃であった。
そして有希の行動を思い出す。
――これは急いだ方がいい。
そう判断した由乃は、スカートから携帯電話を取り出し、電話をかける。
TRRRRR……ガチャッ。
『ハイもしもし』
「あ、わたし」
『おー由乃か』
相手の声は悠のものだった。
「悠兄ちゃん何してた?」
『えっ? 何って朝メシ食おーとして……。いや~、急にウニが食いたくなったんだけど、ないからさー、ちまたでウワサの”プリンにしょうゆでウニの味?”ってのをやってみよーかと。ホラ、おもしろそうだろ?』
「…………」
この人は……。
『で、どーしたんだ? こうして電話してきたってことは、何か用があるんだろ?』
「あ、そうそう『催眠香』ってまだ在庫あったっけ?」
『二週間前俊樹に使って、もうなかったんじゃなかったっけ?』
「ああ―――!? そうだった――――!!」
おもわず頭をかかえこんでしまう由乃。
好奇心にかられ、俊樹に様々な人体実験を行ったことを今さらながら後悔する。いや、正確には催眠香ではなく他の魔法薬にすればよかった、と後悔した。
『何? それがいんの?』
「…………うん」
『今すぐ?』
「できれば早めに」
『ウ―――ン』
悠は少し考えこむも、何かを思いついたとばかりに提案する。
『ようは催眠香と同じ効果のある魔法薬があればいいんだろ? だったら、アレ創ってみたらどうだ?』
「えっ? アレって―――アレ?」
『そ。こないだ買った”夢物語は夢物語”ってゆー魔法書。アレにのってたヤツ』
「『甘き夢薬』……確かにアレなら催眠香と同じ効果があったわね……」
『庭に植えてた”夢イチゴ”も、ちょうど収穫時季だし、なんとかなるんじゃねーの? 俺も手伝ってやるからさ』
「えっ!? ホント! じゃあ今から帰るから!!」
『えっ? お前学校は?』
「そんなものサボリよ、サボリ!」
『サボリ……ま、それもたまにはいっか。緊急事態っつーことで』
「そうそう。……そういえば悠兄ちゃんってちゃんと高校行ってた?」
ふとした好奇心から訊いてみる由乃。
悠は実にあっけらかんと答えた。
『えーと、確か毎年出席日数ぎりぎりだったな』
「えぇ?」
『高校ってーとちょうど一番荒れてた時だからなー、俺』
しみじみと言って、さらりと世の教育関係者をなめているとしか思えない言葉をつけ足した。
『ま、単位落とさなけりゃいーんだって』
「なんか違うと思うけど……ま、いいや。とにかく帰るね。じゃ、悠兄ちゃん、二十分後に」
『おう、じゃな』
由乃が早退したことを、朝のSHRで担任が告げると、いっせいに教室中がざわめいた。
いや、正確には早退ではなく欠席である。学校に来たが、何もせずに帰ったのだから。
有希と由乃のことは、すでにクラス中の人が知っていて、「もしかしてそのせいで……」などという声が飛び交っている。
有希もそう考えてしまい、顔が青ざめる。
あたし、なんてことを――
「有希」
いきなり声をかけられ、有希はびくっとした。が、声の主を確認すると、ほっとしたのと同時に再び後悔の念が生まれてきた。
「……俊樹。あたし……」
「アイツなら大丈夫だ。あんなことで落ち込むような奴じゃないって。きっと、他に何か用でも思い出したんだろ」
はっきり言って本心だったが、言っても今の有希にとっては気休め程度にしかならないだろう。
けれど、何か言わずにはいられなかった。
さすがにこんな不安定な様子を見せられたら何もしないわけにいかない。何と言っても、有希は最も自分に近い存在なのだから。
「だから、そんなカオすんなって」
「……うん。ありがと、俊樹」
***
ヨロリ――――
翌朝、教室に入ってきた由乃は、ものすごい形相だった。
まさしく精も根もつきた、といったカンジである。あえて言うならば、テスト当日、一夜づけしてきた学生の姿によく似ていた。
「お、おい。大丈夫か?」
おもわずいたわりの言葉をかけてしまう俊樹。
「あ――、大丈夫大丈夫。ダイジョーブよ。ダイジョーブ。ダイジョーブって言ってんでしょ――が!!」
くどいっ! と言わんばかりに、どこからともなくハリセンを取り出し、俊樹の頭をぶったたく。
スパァン、と小気味良い音がした。
俊樹は頭をおさえ、しゃがみこむ。
かなり痛かったらしい。
「フッ。まだまだ甘いわね」
そう言ってフフフと笑っている由乃は、はっきり言って全然大丈夫ではなかった。
異常にテンションが高い。
テスト期間とか、真夜中、ものすごく眠い時などに、なる人が多いアレである。人はそれをハイテンションと呼ぶ。
「あ、おはよう、有希さん」
教室に入ってきた有希を見つけ、由乃は何事もなかったかのようにあいさつした。
現に、由乃にとっては昨日のことは別になんでもなかったのだが、有希にとっては一大事である。よって、こうして話しかけられることなど、まったくの予想外だった。
「あ、うん。……おはよう」
とまどいつつもあいさつを返す有希。
由乃の目の下にクマができているのに気づき、そのとまどいはさらに深くなった。
……寝て、ないの?
あたしのせいで――!!
ぎゅっと拳を握ったその上から、暖かい何かが覆い被さってきた。それが由乃の手だと認識するのに五秒ほどの時間が必要だった。
有希の手を胸の前に持っていき、
「ね、有希さん。今日――」
と言ったのと、
「ごめんなさい!」
と有希が謝罪したのはほぼ同時だった。
「……え? なんで謝るの? 有希さん」由乃の目が点になる。
「だってあたし、昨日、高城さんにとてもひどいことを……」
「え? え?」
「ホントにごめんなさい。はたくつもりなんてなかったの。でも……『眠れる』って聞いたとたん、あたし……」
「あ」
ここでようやく、由乃は有希の言いたいことの察しがついた。
有希さん、やっと打ち明ける気になってくれたのね!
「大丈夫、有希さん。わたし、怒ってないよ」
「でも、目の下にクマができて――」
「あ、これは……」
てへ、と少し照れたように由乃は笑った。
「わたし、まだまだ未熟だから時間かかっちゃって」
「…………?」
「でも、大丈夫。わたしに任せて。わたし達が、あなたの悩みを解消してあげる。――ね、俊樹」
「へっ? あ、ああ。うん」
いきなり話を振られ、反射的に同意する俊樹。
なにやら話がかみ合っていない気がするのは気のせいだろうか?
「あ、あの……高城サン?」
それは有希も同様で、頭の上に疑問符が浮いていた。
「いいの。もう何も言わないで。あなたのような人のために、わたしはいるんだから」
「は、はあ……」
「だから、ね。有希さん。今日の放課後、わたしの家に来てくれない?」
「今日はクラブないからいいけど……」
「じゃ、決まりだね」
そう言って、由乃は実に嬉しそうに微笑んだ。有希の顔にも笑みが戻る。
それはいつもの彼女の笑みだった。