真冬の夜の夢
「ねー俊樹、大晦日は私の家来るよね?」
ある日の帰り、何の脈絡もなく由乃が言った。
時期としては十二月中旬、朝晩の冷え込みも厳しく、コートが欠かせなくなってきている頃だ。
吐く息が白い。
「え? オレ、年末年始は毎年有希と竹田と家で紅白見ながら年越す……」
――んだけど。
「来るよね?」
「え?」
「来るでしょ?」
有無を言わさぬ口調だった。
「いや、だから……」
「……来てくれないの?」
トドメの一言。
上目づかいで見上げられたのだからたまらない。
五秒と待たず、俊樹はあっさり陥落した。
「…………行かせていただきます」
*
「と、いうワケで、その…………ごめん。アイツん家行かなきゃなんねーんだけど…………いいか?」
大晦日の朝。
当日になってようやく、俊樹は有希に事の次第を説明した。実に申し訳なさそうにしている俊樹に、有希は半ばあきれて言葉を返す。
「いいもなにも、『ハイ』って言っちゃったんでしょ?」
「…………うん」
まるで叱られた子犬みたいに小さくなっている俊樹を見て、有希はひとつため息をついた。
――仕方ないか。
「いいわよ別に。行っても」
「…………いいのか?」
「だからもう行くって言ったんでしょ? アンタ、高城との約束破るつもりなの?」
「でもオレ、お前と竹田との約束…………」
「あーもう、過ぎたことは気にしない! あんまりしつこいとキラワれるわよ」
うっ、とひるんだ俊樹の眼前に指をつきつけ、有希はニッと微笑んだ。
「それに、高城がアンタ呼ぶだろーなーってことは予想してたし、毎年ちゃんと約束してたワケじゃないでしょ? あたしと、俊樹と、竹田の三人で年越して初詣行くってのは。ただなんか毎年そうだっただけでね。だから、気にしないで行っといで」
*
お昼過ぎ、手には有希作のおせちを持ち、俊樹は魔法工房へと向かった。
十時頃来た竹田と一通り遊び、昼食をとって出掛けたのは、一種の罪滅ぼしかもしれなかったが、別に有希も竹田も気にしちゃいなかった。それどころか逆に、夕方まで居ようとした俊樹を「早く行ってこい!」と強制的に家の外へ放り出してしまった。
つくづく物分かりが良すぎる二人だと俊樹は思う。
そんなことを考えつつ、雑貨屋『魔法工房』のうえ二階、相河家の玄関の前まで来た俊樹は、いつもの通り呼び鈴を押した。
『ハイ、どちらさま?』
この声は悠だ。
「あ、上原です」
『おう、俊樹か。すぐ開ける』
ほどなくして開けられた扉の先にいた人物を見て、俊樹はこう発言した。
「……………………えーと。すみません。間違えました」
そうして自ら扉を閉める。五秒ほど考えた後、周りの景色を見、今自分がどこにいるのかを確かめる。すでに見慣れてしまった、『魔法工房』からの風景そのままの町並みが俊樹の目に映る。ついで表札を見る。『相河』『高城』とやたら可愛らしい字体で書かれてある(これは由乃の趣味であろう)これも、もう見慣れてしまったものだ。
「…………ここって、魔法工房だよな?」
問うまでもない疑問を俊樹は口にした。
当然、俊樹は『魔法工房』目指して来たのだからここはそうであるはずだ。実際、確かめてみてそれ以外には考えられない。
「…………じゃ、今の人、誰だ?」
いや、判っている。あれが誰であるか。
――が、あんな黒髪の髪を束ねた人だっただろうか?
いや、ない(反語)。
心の中で一人ツッコミ、俊樹はおそるおそるドアノブに手をかけた。
「おいおい俊樹。なんで閉めるんだよ」
と、扉の前の黒髪の男はいたってフレンドリーに俊樹に話しかけた。
その声にとても聞き覚えがあった。
…………やっぱり。
「ゆ――…………悠さん?」
疑問符混じりの俊樹の言葉に、悠は「心外な」とでも言わんばかりに胸を張った。
「何言ってんだお前。こーんなかっこいいお兄さん、俺である以外ねーだろ」
間違いなく悠さんだな、と心の中でつっこんで、俊樹はそもそもの問題点を口にした。
「って、悠さん、なんで髪黒くなってんだ?」
「ん? ああ、コレか?」
前髪をふーっと息で吹き上げる悠。
「似合ってないか?」
「いや、別にそーいうワケじゃなくて」
「――ちょっと悠兄ちゃん、お客サンだ……れ…………」
「あ、由乃。悪い、遅くなった」
リビングから出てきた由乃に、俊樹はごく普通のあいさつをした。対して由乃の動きは止まっている。
ただでさえ大きな瞳をまん丸に見開き、じーっと悠を凝視していた。その口がゆっくりと開かれる。
「――――ゆ」
先の行動が安易に予想できて、男二人はとっさに耳をふさいだ。――と同時に、由乃のばかでかい叫び声が拡声器よろしく辺り一帯に響き渡る。
「悠兄ちゃんどうしちゃったのぉおっ!!?」
「…………あ、相変わらずでけー声…………」
「おい由乃、お前少しは近所迷惑ってモンを考えろ」
俊樹と悠の非難の声を
「そんなことはどうだっていいのよ!」
の一言で片付け、由乃は悠の腕をがっとつかんだ。
「ちょっと悠兄ちゃん、なんで頭黒いのっ!?」
「…………黒いのは頭じゃなくて髪だろ」
俊樹の冷静なツッコミは、直後に現れた近所迷惑第二弾によって由乃の耳に入ることはなかった。
バン!! と由乃が開けて勝手に閉まったリビングの扉が再び開かれ、そこから案の定厚化粧魔女デイジー=ローズもとい、本名山田佳子が血相を変えて立っていたのだ。
「何があったんですのっ! 悠ッ!?」
「あ、佳子ぉ~――。悠兄ちゃんが悠兄ちゃんじゃないの―――っ!」
「なにワケの判らないこと言ってるんですの! この小娘は」
と、なぜか半泣きになって悠にひっついている由乃をいさめ、佳子は視線を上へ移す。
「悠にな、にか…………――」
あったんですの? という言葉は声にはならず、由乃と同じく佳子の動きも止まった。
「お、佳子。どうだこの髪」
黒く染め直した髪を指で示し、佳子に意見を求める悠。
その言葉すら佳子の耳には入ってないだろう。しばしの間悠と見つめあっていた佳子は、ふいにぽっ、と頬を赤らめた。
「―――い」
「い?」
「いや――! 可愛いですわ悠――!!」
頬に手を当て、いやいやと体をくねらせる佳子に、はからずしもその場にいた全員が(…………怖ッ)と思った。
「…………由乃オレ、なんか悪寒が」
「俊樹。ソレは言わないお約束」
びし、と由乃にするどいウラ拳をもらい、おもわず俊樹は「うっ…………」とうめいた。そのままその場にへたりこむ。
「ちょ、やだ俊樹。そんなに効いたの?」
「お、おい…………モロにみぞおちだったぞ今の」
「あ、ごめん」
さらりと謝る由乃だがその言葉に重みはない。
そもそも、なぜ普通は胸にくるウラ拳がみぞおちに入ったのか? それは、由乃と俊樹の二五cmにもおよぶ身長差のせいであろう。普通に二人が並ぶと、由乃の頭はせいぜい俊樹の胸くらいまでしかないため、その状態でウラ拳をかますとちょうど俊樹のみぞおちに入ってしまうのだ。
「ま、それはともかく」の一言で由乃は視線を悠に戻す。
こんな時、俊樹はふと、いつも考えていながらも意識しないようにしていることを再認識させられる。
(…………俺って…………由乃のなんなんだろう………………?)
どう考えても、下僕としか思われてないよな…………。
一方的にヘコんでいる俊樹を尻目に、由乃の眼前では佳子の(全くといっていいほど)効かないアプローチが繰り広げられていた。
「ねぇ悠、思い出しません? あたくし達が出会った時のこと…………」
「いや、別に」
「もう、つれないのね。あの頃、あなたの髪はまだ黒くて――そう、今みたいに。もちろんこんなにも長くはないけれど…………ふふ、あの頃に戻ったみたいですわ」
ねぇ?と腕をからませてくる佳子からさらりと逃げだし、
「ま、そんなことはおいといて」
悠は強制的に話題を変えた。
身の危険を感じとったのだろう。
現にいままで、悠は幾度となく佳子の脅威にさらされてきていた。一度など、押し倒されかけたこともある。さすがはオトナのお姉さん、というところなのだろうが、悠にとってそれは恐怖体験にしかすぎなかった。
「俊樹、とりあえず家ん中入れよ。このままじゃ風邪ひくぜ」
*
「――今年もあとわずかとなってまいりました。思い起こせば約一年前、この町に住み着いてからというもの(中略)それでは、来年の栄光と(俺が)おもしろいことに出会うことを祈って! 乾杯!!」
『魔法工房』での夕食は、悠のこのまるで忘年会のようなあいさつからはじまった。
「てゆーか、まるきり忘年会だよね」
とは、使い魔であるがために食事を必要としない灰の言葉である。
由乃お手製の料理や悠作の怪しげな飲み物が出され、宴会ムードは否がおうにも高まっていった。
「おーい灰、こっちに酒くれー」
「カイ、こちらにもよろしく~」
すっかりできあがっている成人二人はいまや良い飲み友達になっていた。
「ねーぇ悠、あたくし、なーんかいい気分になってきたんですけど――」
「……………………」
黙殺する悠。
その目はすでにあさっての方向を向いていて、ついでに「ふふ…………ゾンビのやつめ…………」とつぶやいているあたり、起きていても頭の中で寝ていることが容易に想像できた。
「…………あれ? そーいや俊樹は?」
新年まであと三〇分となった時、由乃はいつのまにか俊樹がいなくなっていることに気づいた。
「あ、俊樹なら五分くらい前に『外の空気吸ってくる』って」
「ありがと灰クン。わたし、ちょっと探してくるね」
同時刻、当の本人である俊樹は、一階の縁側で夜空を見上げていた。冬の空は透明度が高く、星がいつもより綺麗に見える。今は雲によって月が隠れ、普段は見えない星々までも見ることができた。
「ふぁ――…………キレーだなー…………」
感嘆の息をもらす俊樹。
「ホント。キレーだね」
「……………………え?」
「やほー俊樹。何やってんの?」
「ゆ、由乃!?」
「なによー、そんな驚くことないじゃない」
不満そうに頬をふくらませながら、由乃は再度聞いた。
「で、ほんと何やってんの?」
「え、いや、…………ほら、オレあーいうにぎやかなのって慣れないから…………」
「それで、外の空気吸ってたと」
「ああ」
こくんとうなずく俊樹。
「そっか。じゃ、わたしもそうしよっと」
言って俊樹の横に座る由乃。
−−って、なんか距離近くないか? とは俊樹の心の中のつっこみである。
普段より、八割方近い所に由乃がいる。
それだけで俊樹はすでに緊張していた。このあたり、双子の妹である有希から言わせると「男がシャイでどーすんのよ」になるが、「あの俊樹だぜ。積極的な方が怖いだろ」と友人代表の竹田氏は語る。
「今年も色々あったよねー。悠兄ちゃんと会って、俊樹と会って、佳子や灰クンに会って…………なんか、出会いが多い一年だったなー」
「あ、それはオレも思った」
俊樹の当初の予定では、高校生になっても中学の頃と変わらず有希や竹田の二人としか関わることなく、平々凡々な高校生活を送るハズだった。――が、由乃達と出逢ったことにより、その予定は海の藻屑と化したのだった。
本当に、人との出会いは偶然という名の不思議に満ちているものだと俊樹は実感した。
「ね、俊樹。俊樹はわたしと会えて良かった?」
「は?」
いきなり何言い出すんだ?
予想だにしなかった質問に、俊樹は一瞬何を言われたか判らなかった。
「だから、俊樹はわたしと会えて良かったと思ってる?」
「え、えぇ?」
「ちゃんと答えて!」
「い、いや…………、そんなこと言われても」
っていうかこれ以上近づいてこないでくれ、という俊樹の心の叫びとは裏腹に、「どうなの!?」と由乃はさらにせまってくる。
しばしの押し問答の末、由乃は「〜〜―――もういい!!」と案の定ふてくされてしまった。
「ちょ、おい由乃――」
「わたしは、良かったと思ってるよ」
「へ?」
「だから、わたしは俊樹に会えて良かったと思ってるよ。…………俊樹は?」
「え、えぇ――と、え…………と」
しどろもどろになる俊樹。
頭の中はすでにパニック状態である。――が、由乃を見ていてふとあることに気づいた。
普段より高めの声、うるんだ瞳。そしてなにより赤い頬――これはもしかして。
「…………おい、由乃。お前もしかしなくても酔ってるだろ!」
「えー? 酔ってないよお」
「いや、絶対酔ってる! ――まさか、例の悠さんの怪しげな液体飲んだのか?」
「んー? ○秘マークのついたビンに入ったジュースなら飲んでないよぉー」
きゃははは、と陽気に笑う由乃。
「って、飲んでんじゃねーか…………」
すっかりできあがってしまっている由乃はいきなり立ち上がり、くるくると回りだした。
頭痛を感じている俊樹はもはや「…………こけるなよ」とため息混じりに言うことしかできない。
その俊樹のまん前で、由乃は見事に転んで見せた。
「ちょ、おい――!」
「ふにゃー?」
ふにゃー、じゃねぇよ、と思いつつ支えてしまうあたり俊樹は根っからの「いい人」であった。
「おやすみなさーい」
「…………って、寝るなら部屋戻って寝ろよ」
「んー、聞こえなーい」
俊樹にもたれかかったままの由乃は、そう言ってすやすやと眠りの中に入っていった。
遠くの方で除夜の鐘が鳴っている。
「そういや、今朝は早くから料理作ってた、って言ってたもんな…………」
机いっぱいに並べられた料理を見て、俊樹ははじめ絶句したものである。
お疲れ様、とつぶやき、もたれかかったままの由乃を寝室へ連れて行く俊樹。
部屋から出る時、誰にも聞こえない程度の声で、俊樹はぽつりとつぶやいた。
「…………うん、オレも、由乃に会えて良かった」
*
「明けましておめでとー!」
翌朝、由乃は二日酔いになることもなく元気いっぱいで現れた。対して俊樹はあの後、佳子のヤケ酒に付き合わされ完璧二日酔いの元につぶれていた。
「ちょっとやだ俊樹、悠兄ちゃん作の怪しげな液体でも飲んじゃったの?」
「…………お前なー…………」
「冗談だってば。そんな怖い顔しなくてもいいじゃない。ね?」
「……………………」
もはや何も言う気がおきない俊樹。
「ちょっと俊樹、ほんとにダイジョーブ?」
「…………なんとかな。そ、それより由乃。お前昨日のこと覚えてるか?」
「昨日のこと?」
「ああ。その、外に空気吸いに行った時の」
「あ、それなんだけどね。なんか灰クンが言うにはわたしその時、俊樹探しに行ったらしいんだけど、気づいたら自分の部屋で寝てたのよ。なんか俊樹知ってる?」
「……………………」
…………嘘だろ?
「ちょっと、知ってるんなら教えてよー!」
ねぇってばー、と言われても答えようがないだろう。
なぜだかむしょうにむかついた俊樹は、
「…………それくらい自分で思い出せ」
と半ば吐き捨てるようにつぶやいた。
その口調にむかついた由乃にその後、何を言われどうされたかは安易に想像できるだろう――。
リアルに執筆時期が二十年くらい前のお話です。
恥を忍んでというか恥は書き捨てな気分でえいやと載せます。
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。