エピローグ「九月は九月の風が吹く」
あれから、何事もなく一ヶ月が過ぎた。
「夏休み明けのぼけた頭には、テストという刺激が必要なんだ!」
と先生方は言うが、生徒達にとっちゃそれは迷惑以外の何者でもなかった。
成績上の中の俊樹でもイヤなのだから、中の下やそれ以下の者にとって、本日始業式後に行われる実力テストは、「地獄に堕ちろ」と同意語であろう。
そんなクラスメイト数人は今、俊樹の周りに集まっていた。テストのヤマを聞くためである。
「っていうか、今からじゃもう遅いだろ」
正論をぶっちゃける俊樹に、
「「それでもいいの!」」
数人の声がハモった。
「あ、そ……」
うんざりと応える俊樹に、思い出したかのように有希が聞いた。
「そういや、俊樹最近バイト行ってないよね」
その言葉にいち早く反応したのは、案の定竹田であった。
「えっ、有希それホントか?」
「うん。ちょうど夏休み入ったくらいからかな。ね、俊樹」
「ああ。あの店今休みなんだよ。それがなくてもしばらく来るなって言われてるし」
(まぁ、佳子さんのことがあるからな……)
事後処理が色々あるらしく、忙しくしていた由乃をみてしばらく行かない方がいいだろう、と俊樹は判断していた。
そんな俊樹の心情を知らない有希と竹田の間に妙な沈黙が落ちた。
「…………」
「…………」
「? どうした? ここ出るぞ」
律義にもヤマをはってやる俊樹。
相も変わらず場の空気を読まないヤツである。
そんな俊樹をあわれむような視線で見、
「お前それってゴメンナサイってことなんじゃあっ」
竹田は頭を抱え、
「あーでもうん、もった方だなーとは思ってたのよ」
有希は妙に納得したようにうなずいた。
つくづく失礼なヤツらだ、と思う以前に、俊樹はワケが判っていなかった。
「おい、それじゃ俊樹。お前、今度いつ高城さんが学校来るのか判んないのか?」
「ああ」
「ああっ、そんなっ」
泣き崩れる一部の男子。
「ファンクラブの会報に載せる写真を撮ろうと思って、カメラ新調したってのにぃっ。ムダになるってのかぁっ!?」
「いいいいやオレにそれ言われてもっ」
がくがくと肩を揺すぶられ、声にビブラートがかかる。
っていうかファンクラブなんてあったのか?
クラスメイトの一部が沈んでいる所を見ると、本当にあるらしい。まぁ由乃の可愛さを考えれば、あっても不思議ではないだろう。
「っていうか俊樹、お前こんなことしてる場合じゃないだろっ」
「……なにが?」
「なにが、じゃないわよ。ほら、俊樹これ持って」
「って、これオレの荷物じゃん。一体なんだよ」
ワケが判らない。
そんな俊樹の肩にがっ、と手を置き、「いいから!」言う竹田。
「お前とにかく由乃ちゃん家行ってこい」
「……今から?」
「モチロン」
「ちょ、冗談きつい。テストどうすんだよ」
行けるわけないだろ、と言う俊樹の頬を有希はつねった。
「あーもーこれかな? そんな冷たいこと言う口は」
はあ、とため息。
「い、いひゃいって有希ッ」
「いい、俊樹。アンタ、テストと高城とどっちが大事なのよ」
「はあ?」
「どっちが大事なの、って訊いてるの」
「どっち、って……」
(そんなの比べるものなのか?)
思わず真剣に考えこむ俊樹を見、有希は苦笑を浮かべた。
痛がっている兄を解放し後ろからドアの外まで豪快に蹴り飛ばす。
「ほら、行ってこい!」
「痛ってーな!!」
反論する俊樹に、ふわりと優しく微笑んでみせる。
「強情張るのも結構だけど、たまには素直になりなさいよ」
そして、ドアは閉められた。
***
由乃の家へ向かう途中、何度学校に戻ろうと思っただろうか。しかし、俊樹は戻らなかった。なにかが……そう、俊樹の中にあって俊樹自身が把握しきれていない部分がそうさせなかったのだ。
一体、なんなんだよ。
俊樹は、有希や竹田の奇妙な言動、そして自分自身に対して何度も思いつつ、魔法工房の前に来る。
何やら店内が騒がしい。扉には『OPEN』の札がかかっていて俊樹を困惑させた。
「すいません。お邪魔します」
「あら、いらっしゃい」
出迎えた人物に俊樹は仰天した。
「やっ、山田佳子さんッ!?」
「その平凡なフルネームで呼ばないでちょうだい!!」
すさまじい形相で言い直す魔法使い、デイジー=ローズこと本名・山田佳子。彼女はフルネームで呼ばれることをとてつもなく嫌っていた。かといって偽名も偽名だが……。
そばにはもちろん一人で二倍おいしい使い魔、灰がいた。
「す、すいません。……でも、なんでその……佳子さんと灰がこんなトコにいるんですか?」
もっともな疑問に答えたのは灰だった。
「あれ、知らないの? ボクら、ここでバイトしてるんだよ。ほら、組合に行った時に下された判決で」
「あ、あー、そういえば……」
と、俊樹は『魔界』で魔法使いデイジー=ローズに下された判決を思い返した。
『改心するまで、少なくとも二年間は悠と由乃の監視下に置く』
それが、佳子に下された打開策であった。
要するに、体のいい厄介払いである。由乃と悠の二人に実力があるというのも事実だったが……。
「それで、バイトを」
「ええ。タダ働きですけど、あたくし、悠のそばにいられるならなんでもいいですわ」
「…………あ、そうすか」
相変わらずだな、と俊樹は思った。
佳子の周りの空気だけあきらかに違っている。あえて言葉にするのなら、ピンク色の空気になるだろうか。恋する乙女モード全開の佳子に、俊樹はただただあきれていた。
「――あれ? ひさしぶりだな、俊樹」
「悠さん」
店の奥から出てきた悠を見て、俊樹はほっと安堵のため息をついた。
悠なら、すんなりと由乃に会わせてくれるだろう。なんとなく俊樹はそう思った。
会ってどうするのかという基本的な疑問は置いといて、俊樹は「こうこうこういうことで」と事情を説明した。
それに対する悠の返答は素っ気ないものだった。
「あー、なるほどな。じゃあ奥に入ってくれ――と言いたいところだが、悪いな。由乃、もうここにはいないんだよ」
「え?」
「いやだから、由乃は今空港にいるんだ」
空港?
……まさか。
礼も言わず、いつのまにか俊樹は駆け出していた。
行き先はもちろん空港である。
「……若いっていいねえ……」
しみじみとつぶやいた悠に、佳子はにっこり微笑んだ。
「あら、あたくしもまだまだ若くってよ。ねえ?」
「…………」
悠はそれを黙殺する。
おもむろにポケットからタバコを取り出し、火をつけ、そして――案の定、ガホゴホッとむせた。
由乃がこの街に来たのは、魔法屋として任務が下ったからだった。
魔法使いを捕まえるために――
そして魔法使いは捕まった。
由乃の両親は外国にいるという。しかも指令がなければ由乃もついて行っていたはずだ。
なら、魔法使いを捕まえ、仕事が終わった今、彼女はこの街にいる必要はないんじゃないか―――
俊樹はそこまで考え首を振った。
空港連絡バスに飛び乗り、時計をにらむ。
空港の出入国ロビーに見慣れた、それでいてなつかしい黒髪の少女を見つけ、俊樹はその名を呼んだ。
「――由乃ッ」
その声に反応し、由乃は振り向いた。
黒い髪と瞳、以前の姿に由乃は戻っている。足元には大きなスーツケースがあった。
「あれ、俊樹。あんた学校じゃなかったの?」
「あ、いや、その」
俊樹はどもるが、はっ、と本来の目的を思い出し、
「そ、そんなことより、お前、どこ行くんだよ」
なぜか怒り口調で言った。
なぜか、は判らない。
「え、いや、今から家に帰るとこなんだけど」
「どこの家に?」
「え、わたしの家よ。悠兄ちゃんのいる」
「……え?」
「ほら、わたしの親って外国行ってたでしょ。それで、この夏休み利用して遊びに行ってたのよ。両親揃って親バカだからギリギリまで離してくれないし、おまけに日付変更線っていう落とし穴のせいで結局始業式間に合わない、し……――?」
床にしゃがみこんでがっくりしている俊樹を、由乃は不思議そうに見た。
――ふと、思ったことを言ってみた。
「……もしかして、わたしが両親のとこ行っちゃうと思ってた?」
「……」
「それで、追いかけてきてくれたの?」
「…………」
俊樹はあくまで沈黙を守った。
心の中で安堵している自分自身に気づいたからだ。
それと同時に、ハメられたことにも気づいた。
(ちくしょう……あいつら、覚えてろよっ)
あいつらとはもちろん、悠、有希、竹田の三人である。俊樹の頭の中では、この三人がいつもの不敵な笑みを浮かべていたという……。
***
「バッカねぇ俊樹。佳子と灰クンはわたしと悠兄ちゃんの監視下におかなきゃいけないのよ。なのにわたしがいなかったら話になんないでしょーが」
くすくすと由乃が笑う。
場所は相河家の二階のリビングである。
ここに戻ってきた時の、悠のあのにやついた顔が忘れられない。さらに追い打ちをかけるように由乃の冒頭の言葉である。
「どーせオレは早とちりだよ」
ふてくされたくなるのも無理はないだろう。そんな中でもふと気づく。
「あれ? お前髪茶色くなってないか?」
茶色といっても、光に反射するとそう見える程度である。
「ふふ、判る?」
由乃はとても嬉しそうに言った。
「少しずつだけど魔力を制御できるようになってきてるの。だからね、封印が少し弱まったんだ。ほら――……」
由乃は呪文を唱え、てのひらに小さな光球を出す。
そう、封印を解く前の由乃は、魔法薬や魔法具の力を借りなければ魔法が使えない状況にあった。少しは成長しているのだ。
「嬉しそうだな」
「嬉しいよ、だってわたしの本当の姿に一歩近づいたってことだもん」
由乃は二つに三つ編みしている髪の毛先をいじりながら、つぶやく。
「この髪も瞳も、所詮はまやかしだから」
その言葉は俊樹の心に響いた。
所詮はまやかし――それは今の自分の左眼にも言えること。
俊樹の顔をじっとのぞきこみ、由乃はごく自然にその言葉を口にした。
「ね、俊樹。カラコンとってよ」
「……あぁ」
俊樹は由乃の言葉に素直に従う。
戸惑いがないと言えば嘘になる。
だけど、あの羞恥心や嫌悪感が薄れて消えかけているのは紛れもない事実だった。
俊樹のコンタクトケースを手にとりながら由乃は話をきりだす。
「ねぇ、俊樹。なんで自分だけ片眼違いなのか考えたことある?」
「…………」
「有希ちゃんは普通なのに、俊樹の眼だけが片方ずつ違う……有希ちゃんにはなくて俊樹にはあるもの――」
(有希にはなくてオレにはあるもの……)
「わたしこれでも調べてたのよ。魔法絶縁者について。過去に数例しかないから大変だったけど。それでね、共通点を見つけたのよ、一つだけ。それが―――」
俊樹は左眼に手を当てる。
これが理由。
自分が魔法絶縁者だから……――
「あのさ、俊樹。わたし、これでも俊樹の気持ち判ってるつもりだよ」
それは異端とされてきた者の気持ち。
「ねぇ、いつまで逃げるの?」
自分をのぞきこみながら由乃は言った。
――逃げる。
そう、今までずっと逃げてきた。本当の自分をさらけだすのを。自分をさらけだし、拒絶されるのを恐れてきたのだ。今までずっと。
戸惑う俊樹を優しく見つめ、由乃はくるりと後ろを向いた。
窓に向かって俊樹のコンタクトケースをポイッと投げ捨てる。
「あ―――――――っ!」
俊樹が絶叫し、窓から下をのぞく。ちょうどその時、トラックが道路に落ちたケースをベキッと踏み潰して走り去っていった。
「どーしてくれるんだよお前! あれで手持ち最後だったんだぞ」
今にもつかまんばかりで叫ぶ俊樹に、由乃は半眼になって言った。
「はーいストップ。俊樹、あんたいい加減わたしのこと名前で呼んだら?」
「えっ?」
その言葉に俊樹は虚をつかれた。
「数えてみると二回しか呼ばれたことないし」
数えなくてもいい、と俊樹は思った。
二回ともとっさにそう呼んでしまっただけである。
複雑な顔をしている俊樹に、由乃は笑顔で宣言する。
「これからはわたしのこと名前で呼ぶこと」
「え!?」
「はい決定♪ 異論は認めませーん」
「ちょ、ちょっと」
あわてる俊樹を尻目に、由乃は付け足す。
「あと、これからカラーコンタクトつけるのも禁止ね」
「な、なんで」
「だってわたし俊樹の眼好きだもん」
サラリと言われた言葉に、俊樹は顔が赤くなるのを感じた。
「俊樹って鏡あんまし見ないでしょ。あんたの左眼ってね、砂色っていうのかな……すごくキレイなんだよ」
片手で顔を覆う俊樹。なんでこいつはこんな恥ずかしいことを平気で言えるのだろう。
そしてなぜ、由乃に言われるとこんなに嬉しいのだろう。
「だから、ね」
由乃は天使の微笑みで俊樹をのぞきこんだ。
***
まだまだチャイムの鳴りそうもない朝早い学校。
なるべく人に見られたくなくて、俊樹はこんな時間に登校していた。
ゆううつだった。
過去の小学校での記憶が頭をよぎる。
ずっと気持ち悪いと言われてきた左眼。
どうして自分はここにいるんだろうとさえ思えてくる。
どうしたらいいんだろう。
「――とか考えてる間にもう教室の前だし……」
おもわず頭を抱えこんでしまう。
そういえば小学校の頃はよく保健室の世話になってたよな……。
などと思い出にふけっていると、いきなり後頭部をカバンではたかれた。
「いってーな!」
くるりと振り返ると、
「俊樹、通行の邪魔」
由乃がふんぞり返っていた。
「…………」
ふー、とため息をつく由乃。
「ね、多分必要ないと思うけど、安心できる言葉あげようか」
「え?」
コホンと咳払いを一つして、由乃は穏やかに口を開く。
「みんなもう子供じゃないよ。大人……とは言えないかもしれないけど、物事を理解する力は持っているはずだよ。でも、もし俊樹の考えてるような事態になってもわたしは味方だから」
片手で顔を覆っている俊樹に手を差し出す。
つられて俊樹は無意識に手を下ろしていた。
「わたしはあんたを裏切らない。魔法屋の名に誓ってもいいわ。だから……ね」
俊樹は由乃を見て苦笑した。
きっと一生かなわない。
「サンキュ」
手をとり、少々考えてからつぶやく。
「…………ゆ、由乃」
それを聞いて由乃は実に嬉しそうに笑った。
そして二人は手をつないだまま教室の扉をくぐった――
魔法屋日和 Fin.
これにて魔法屋日和完結です。
色々至らない点や拙い点に身悶えながら「意地でも直さないぞ」と恥を忍んで丸っとUPしました。
あ、でも一部コンプラ関連で設定を改めた点もあります(合作者許可済み)
番外編がいくつかあるので、そちらはまた後日UPしようかと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
評価やブックマーク、感想などありましたらよろしくお願いいたしますm(_ _)m