第一話「とんでもない転入生、五月に現る!?」その1
「――ねえ、俊樹。アンタ彼女でもできたの?」
その言葉に俊樹はむせた。口の中のものが気管へと入り、息ができなくなっているのだ。
「なっ、有希、お前、いき、いきなり……ごほっ」
何か言おうとするのだが、それはうまく言葉にならず、余計に苦しくなるだけだった。そんな俊樹に「ハイ」と水を渡す有希。
ちなみに彼女は俊樹の双子の妹である。
「相手ダレ? あたしの知ってるコ?」
「ち、ちがっ……。っていうか有希。お前いきなり何言い出すんだよ」
「え、だって」
まだ息を荒くしている俊樹を面白そうに眺め、有希はニッとその眼を細める。
「最近帰ってくるのいつも八時過ぎじゃない。クラブに入ってるわけじゃないんでしょ? それになんか最近ヘンよ? 俊樹」
「……そりゃ、あんなトコに居れば頭おかしくもなるわな」
ふっ、と遠い眼をして、俊樹はそうつぶやいた。
雑貨屋『魔法工房』。
そこのバイト兼、『魔法屋』と名乗る怪しげな少女の下僕になってから、すでに半月が経過していた。
その間、俊樹は雑貨屋のバイト兼下僕としてこきつかわれ、しかも『魔法が通じにくい』という、日常生活になんの役にもたたない体質がホンモノかどうか確かめるため、様々な魔法をくらわされてきたのだった。
毎日ぼろ雑巾のように家に帰ってくる様は、まさに継母と義姉にいたぶられるシンデレラのようであったという。
(………なんでオレがこんな目にっ!?)
ここ数日、心の中で幾度も叫んだ言葉がこれであった。
「ちょっと俊樹ー? 人の話ちゃんと聞いてるー?」
いきなりあっちの世界へ行ってしまった俊樹の顔の前で手をひらひらさせる有希。
「で、ホントのとこどうなのよ。彼女いるの、いないの?」
「えっ、あ、ああ、いないいない」
あっさりと否定し、俊樹は本日の朝食のメインであるぶりの照り焼き(昨日の残りモノ)に手を伸ばす。
「おいしい?」
「うん。まぁ。なかなかいける。また腕上げただろ」
「昨日はもっとおいしかったのよ。……って、話そらさない。彼女いないんならなんでそんな帰ってくるの遅いのよ。夕飯もずっと外で食べてくるし」
「………いや、それは、その」
たじろぐ俊樹。
言えるわけがなかった。
言ったら、あの魔法屋と名乗る少女に何をされるか判ったモノではなかった。
しかし、目の前にいる自らの妹も同じくらいおそろしいと思う。
(……ど、どうしよう)
悩む俊樹、そしてそんな兄にずいとせまる有希。
普段からよく指摘されることだが、この二人、外見だけはよく似ていた。
その背の割に細身な体、真っ黒な髪。少なくとも後ろから見れば兄弟には見られるだろう。
しかしこの二人、かもしだす雰囲気というものがまるっきり違っていた。
その原因は俊樹の左眼にある。有希の両の眼、俊樹の右の眼は日本人らしく真っ黒である。しかし、俊樹の左眼だけは違った。色素が薄く、陽の光に透けると黄金色に輝いてみえる薄茶の瞳。双子とはいえ俊樹と有希は二卵性双生児だからなのか、それは俊樹にだけしかなかった。
一見キレイに見えるが、この左眼だけ薄茶の瞳のせいで、初めて見る人には大体驚かれるし、しかも小学生の頃にこれが原因でいじめられたこともあり、俊樹にとってこれはいやなモノでしかなかった。
そんなこともあり、俊樹は普段から黒のカラーコンタクトを入れて判らないようにしていた。いままでの経験から学んだ一番の防衛策である。また、近眼ゆえにメガネもしており、俊樹のカラーコンタクトに気づく人はほとんどいなかった。
「ちょっと、そこらへんどうなのよ。はっきりなさい」
なおも食い下がらない妹に、俊樹は内心(……言えるものならとっくに言ってるって……)とぼやきたくなった。
魔法屋のことは絶対秘密。肉親であろうと例外ではないのだ。
「いや、だから、その、なっ。イロイロあるわけだよ。イロイロ」
苦し紛れの言い訳をする俊樹。歯切れが非常に悪かった。
有希に「ふーん」と冷めた眼でニラまれ、俊樹は冷や汗を流しつつも笑顔をはりつけて言った。
「そ、それより有希。もう七時半回ってる。そろそろ用意し始めないとやばいんじゃないか?」
俊樹と有希の通う高校は家から徒歩三十分のところにある。
「え、あ、ホントだ。急がないとね」
言って有希は席を立ち、皿を持って台所へと向かった。後片付けをするためである。
話が終わってホッと一息ついた俊樹に、有希は追い打ちをかけるかのごとく、
「あ、そだ俊樹。学校着いたら今の話の続き、ちゃーんと聞かせてもらいますからね」
と、笑顔でのたまった。
***
本来ならばそれは、ごくごく自然に、かつ円滑に行われるはずだったのだろう。
「えー、突然だが、転入生を紹介する。――君、入って」
随分と時期外れだな。
俊樹の「転入生」と聞いての感想はこんなもんだった。
中高一貫校の清華学園。その内部進学組の俊樹にとって、クラスメイトの半分くらいは顔馴染みだ。半分は知らない顔だが、まだ入学してから一ヶ月やそこらしか経っていない状況で一人や二人増えても、自分には関係ない。そう思っていたのだが、この場合は一味違った。
「はーい」
軽やかな転入生の声。
その声に自分の席で窓の外を見ていた俊樹は固まった。
あきらかに聞き覚えのある声だったからだ。
クラス中がざわめきだす。それはまさしく、目がさえるほどの美少女が教室に入ってきたせいである。
左の手首には校則違反である細身の銀のバングルをはめていて、胸まである二つのおさげは、夜の闇のごとく黒い。
にこりと微笑んだ姿は、人形のように愛らしかった。
(……この声は)
「高城由乃です。どうぞよろしくお願いします」
――――ごぃん。
鈍い音がした。
見ると、俊樹は頭を机に突っ伏した状態になっていた。その腕がひじをついたままぴくぴくしているあたり、ほおづえをついていてズレ落ちたのだと予想できる。
「……何してんの、俊樹」
「どうした、上原俊樹」
後ろの席の有希と担任の呼びかけに、由乃がぴくりと反応した。
「……俊樹?」
視線をそちらに向け、顔を上げた人物を見て、由乃は叫んだ。
「あ―――っ、俊樹ッ!」
いささか声がでかすぎた。
そしてその声により俊樹はクラス四〇人分の視線(担任含め)を一身に浴びることとなった。
「ちょっと俊樹。なに、知り合い?」
「そっかー俊樹、この学校に通ってたんだ。知らなかったな、わたし」
「おお、呼び捨てだぞ」
ざわざわと有希や由乃、内部進学組で勝手知ったるクラスメイト達の声が次々と聞こえる中、俊樹が取った行動とは。
「…………」
ノーコメント。
要するにシカトである。
その態度にカチンときつつ、にこやかな笑みを由乃は返した。
その笑顔に嫌なものを感じた俊樹は、由乃とばっちり目があってしまい、ひきつった笑みを返すことしかできなかった。
……嫌な予感がする。
「えー、高城さん。君、上原兄の知り合いか何か?」
「ええ、まぁ」
「…………」
にっこり微笑む由乃に、あくまで俊樹はシラを切り通す。のだがしかし、
「ちょっと俊樹、あんたこのコとどういう関係?」
と後ろから有希にこづかれ、
「おいおい俊樹ー、転入生に手ェ出してんじゃねぇよー」
と、クラスメイト達にはやしたてられたもんだから黙っちゃいられない。
「……違う。オレからじゃない。こいつから手を出してきたんだ」
屈辱に顔を赤くして俊樹はそれ以上何も言わず横を向いた。
そう、由乃が先に俊樹を金属バットで殴り倒したのだ。
しかしそこらへんの事情を知る由もないクラスメイト一同は、その俊樹の言動に「おおっ」とどよめきにも似た歓声を上げた。
「認めたぞ、あの俊樹が」
「びっくりー。俊樹ってぜってー女嫌いだと思ってたのに」
「いやでも意外に俊樹って押しに弱そうだしさ」
「あ、それ当たり。確かに俊樹、押しには弱いわ」
「普段から有希のシリにしかれてるしなー」
どっ、と沸くクラスメイト一同。
やんやとはやしたてるクラスメイトに、俊樹は「ちょ、ちょっとまて」静止の声をかけた。
疑問混じりの声で続ける。
「なんの話をしてるんだ、お前ら」
「なんの……って、イヤだなぁ、俊樹クンたらっ。とぼけちゃって」
いつの間に背後に来ていたのか、中学時代からの友人である竹田にばしんと背中を叩かれた。男にくねくねされても気持ち悪いとしか思わないため俊樹はさらりとスルーする。
「で、なんなんだよお前ら。オレとコイツが知り合いじゃなんかまずいのか?」
素朴な疑問でしかなかった俊樹の言葉に「おおおーっ」とざわめきが起こった。
「聞いたか、今の」
「おお、バッチシ。あっさりと肯定したぞっ」
「いや、だからなんなんだよ」
「――あ、そっか。なるほど」
今までわけがわからずきょとんとしていた由乃が、ようやく話の展開が読めぽんと手を打つ。俊樹はといえば相変わらず頭の上に疑問符が乗っていた。
こういう時、俊樹は実に頭の回転が遅かった。それでいて、いやな予感だけは押し寄せてくる。
「なるほど……って、なにが『なるほど』なんだ?」
「だから、もうっ、いつまでもぼけてんじゃないわよ俊樹っ。このコとあんた、どういう関係なのよ」
「どういう関係、って、有希そりゃお前……」
バイト兼下僕だ。
なんて口が裂けても言えなかった。
「……あっ」
言葉に詰まる俊樹は、ここでようやく話の真意が見えた。
こいつら、オレとアイツが付き合ってんじゃないかって疑ってるんだ。
「ねぇねぇ、どうなのそこらへんっ」
「どうなんだよ」
興味津々に光るクラス中の瞳。
「……うっ」
俊樹はひるみ、由乃に救いの視線を送った――が、それは間違った選択だった。
俊樹につられてクラスメイト達の視線も一斉に由乃へ向いた。好奇心いっぱいの視線にさらされ、由乃は顔を赤らめながら言う。
「そっ……そんな、言えないわよ。そんなこと……」
俊樹は血の気がひいた。
由乃のその動作が、あまりにも可愛らしく、真にせまっていたからである。
由乃は言葉を続けた。
「あ、でもわたし達、付き合ってるっていうよりか」
天使のような笑顔。形容するとすれば、そんな言葉がくるのだろうか?
そのまぶしい程の笑顔に、クラスメイト一同は言葉を失った。
満面の笑みで、由乃は口を開く。
「俊樹は、わたしの下僕なんです」