第四話「決戦は八月にやってくる」その1
ピーンポ――ン。
相河家にインターホンのベルが鳴り響く。
いつもは一階の雑貨屋から中に入る俊樹だが、今日だけはいつもと違っていた。
「……どちらさま?」
この声は悠だ。
「あ、俊樹です」
「ちょっと待ってな。今開ける」
――――――カチャッ。
長い沈黙の後、悠がドアを開き、無言で俊樹を招き入れた。
「おじゃまします。……悠さん、アイツの具合は?」
「ああ、かなりアレだったけど、もう大丈夫だろ。夜通し回復魔法かけてたから、こっちは寝不足でくたくただけどな……」
そう言う悠の目の下には、なるほどクマができていた。心なしか口調にも張りがない。
「お前こそもう平気なのか?」
「あ、ハイ」
「そっか。由乃は、三階の自分の部屋にいるから、先行っといてくれ。俺昼メシの支度があるから」
三階、由乃の自室の手前―――
ノックしようと、あげた手が止まっている。
初めて入る由乃の部屋である。正直な話、俊樹は少々とまどっていた。
が、意を決して部屋の中に入ることにする。
コンコン―――
「は、入るぞ」
ガチャッ。―――――ドカッ。
顔面に広がる痛みとともに、なんか前にもこんなコトなかったか? という既視感を覚える俊樹。
どこからともなく吹っ飛んできて俊樹の顔面にぶち当たったのは、ピンクの可愛らしいマクラであった。
「俊樹……あんたよくもこのわたしにウソついてくれたわね……」
「いきなりなにすん――……だ……」
俊樹は固まった。
「何よ、その目。昨日も見たでしょーが」
「あ、い、いや、そうだけ、ど……」
月の光の元で見るのと、こうして日の光の元で改めて見るのとでは印象も随分変わってくる。
見ている方が気の毒になるぐらい、彼は動揺していた。
「お、気の早い修学旅行だなー」
階下から「悠お手製昼ご飯」を運んできた悠が、俊樹の足元に落ちているマクラを見て言った。
「やっぱ、『マクラ投げ』は修学旅行の定番だもんなー。俺はしたことないケド」
そんな悠と、ベッドの上で上半身を起こしている由乃を交互に見る俊樹。
そんな俊樹を見て「なにをそんなに驚いている?」とでも言いたげな表情をしていた悠は、「ああ」と彼の言いたいことを理解した。
「前、言っただろ? 俺が髪染めた理由。まさか、由乃も俺と同じコトしてるとは思わなかったのか?」
そう言って、いまだに扉の前で固まっている俊樹をよけて、悠は昼ご飯をのせたおぼんをベッドのそばに置いた。
由乃は、お昼ご飯を一目見て絶句する。
「わたしをおデブさんにしたいの? 悠兄ちゃん」
少し額に青筋を立てて。
「悠お手製お昼ご飯」の内容がスペシャル豪華で、しかも量が特大だったのは、言うまでもない。
「フッ。中華は男のロマンだ」
そうは言うが単に中華しか作れないだけである。
先ほどまで俊樹に対して怒っていた由乃であったが、いつのまにかその矛先は悠の方へと向いていた。彼女は、まるで猫のように気が変わるのが早かった。
そんなやりとりには目もくれず、いまだに俊樹は由乃に目がくぎづけになっていた。そう、由乃の髪と瞳に―――
元々肌の色素が薄く、顔つきも日本人離れしていた彼女である。知らぬ者が見れば間違いなく外国人と間違えられるだろう。
目の前にいるのは、本当にあの由乃なのだろうか?
「―――……ちょっと俊樹? 早くドア閉めてよ。暑いでしょーが」
その言葉にハッとした俊樹は、あわてて扉を閉めた。開けっ放しだったドア周辺に熱気がこもっている。
エアコンから出される送風が、肌に気持ち良かった。
「そういえば、お前もう大丈夫なのか?」
「今日はね。昨夜は大丈夫じゃなかったけど」
不機嫌そうに由乃。
「俺は医者じゃないけど、あの回復魔法の手ごたえからいくと……全身打撲に内出血が多数。左の手足は捻挫で、右肩は脱臼、右足は複雑骨折、肋骨は三〜四本くらいヒビが入ってたし、胃にも少し損傷が……――え? もういいって?」
まだまだ続きそうな悠の口振りに、由乃は頭を抱えながら止めた。
正直な話、カイ=アッシュとの最後の攻撃のダメージは大きく、年増魔法使いとその使い魔が消えた後のことは、あまり記憶にない。
気がついた時は、家の中で悠が応急処置のかわりに回復魔法をかけていたところだった。
自らの傷がどれほどのものだったか、そのことはイヤでも自覚していた。
だが、改めて自分の傷の内容を聞かされるのは、あまり気持ちの良いものではない。
由乃は少し遠い目をする。
(フッ、許すまじ、厚化粧魔法使いデイジー=ローズ!)
実際、由乃を傷だらけにしてくれたのは、その使い魔であるカイ=アッシュなのだが、怒りの矛先はもっぱら魔法使いの方へと向かっていた。
比率で表すと八対二といった具合である。
魔法使いであるということから憎むべき相手だったし、女王様なカッコと口調もムカついた。そして何より一番許せないのが、愛らしい少年の灰とクールな美形カイ=アッシュの、一つで二倍お得的な使い魔を連れていることであった。
あれほど有能な使い魔はそうそういない。
実際、由乃は灰のことを一目見た時から気に入っていた。
そして、カイ=アッシュの姿になり、あれほどの仕打ちを受けてもなお、心底憎みきれないでいる。
別に由乃はMでもないし、現にほんのささいなことでも気にする方だ。
それなのに、なぜ憎みきれないのか――?
その理由はたったひとつ。
カイ=アッシュのような使い魔は、主人に絶対服従し、忠誠を誓うという誓約を知っているからだ。
使い魔など〈魔〉の者は、どこにも属さない。
けれど、〈魔〉の者は力あるものに惹かれ、そして従う。
カイ=アッシュの場合はそれがデイジー=ローズであったのだろう。つまり、カイ=アッシュは主であるデイジー=ローズに従っているだけであって、その行動に自らの意思はないのだ。
だからこそ、由乃は魔法使いがカイ=アッシュの主であることを心から悔しく思う。
それと同時に、カイ=アッシュにあんなことをさせているデイジー=ローズを激しく憎んでいた。
魔法屋と魔法使いはその役目上、決して相容れないものなのだ。
ふと、由乃は我に返って
「そーゆー俊樹こそ、大丈夫なの?」
「ああ、オレはもう平気だ。めちゃくちゃ吐き気してたけど、それももうおさまったし」
「そっか」
安堵の息をもらし、誰にも聞こえない程小さな声でつけたした。
「……心配してたんだ」
「しかし、『魔界』で指名手配中の魔法使い、デイジー=ローズが日本に来ているとは聞いてたけど、まさか俺がいない間に由乃と戦っていたとはな……」
腕組みをして、由乃の勉強机に寄りかかっていた悠はため息混じりに言った。
パチンコ屋で指名手配中?
それはいったい……?
頭に疑問符が浮かんでいる俊樹に、由乃は思い出したかのように叫んだ。
「そうよ俊樹! あんたよくもウソついたわね!! 悠兄ちゃんパチンコ屋に行ったんじゃなかったのよ!」
「えっ? だって確か『魔界』に行くって……」
「悠兄ちゃんはパチンコじゃなくて『魔界』に行ってたのよ」
「???」
「聞けば、ちゃんと『魔界』に行くって言ってたらしいじゃない」
「??????」
「まーまー、落ち着け、由乃」
怒る由乃を悠はなだめる。
その横で俊樹は、わけが判らん、といった感じでいる。
「ちゃんと説明してなかった俺も悪いし」
「え? でも、悠さんこの前、魔界っていうパチンコ屋に行ってたじゃないか」
「いや……まーそれも『魔界』なんだがな……――」
と、訂正する悠に由乃が言葉を継ぐ。
「『魔界』っていうのは、わたしや悠兄ちゃんが所属している組合の本部のことよ。そこでは季節に一度、魔法士同士の集会があって、悠兄ちゃんはそれに行ったのよ」
ならなぜ、悠と同じく魔法士である由乃がその集会に参加しなかったのかというと、話は簡単。
集会に二人でわざわざ行って話を聞かずとも、片方が行って帰ってきた時に話を聞けばいいのである。くわえて由乃は悠のような『次元を操る』力がないため、往復に二月もかかるのだ。そんな長期間、魔法使いがいるこの街を空けるワケにいかない。そのため、由乃の代理もかねて、悠が一人で『魔界』に行ったのである。
しかし、伝統ある魔法士の組合の本部とパチンコ屋が同じ名前とは……。
なんともややこしいことであると同時に、なんとも滑稽な話であった。
「『魔界』でデイジー=ローズのウワサを聞いたよ。魔法屋を憎む魔法使い。その実力もさることながら、最も注意しなければいけないのが彼女の使い魔――」
「カイ=アッシュね」
「ああ。普通使い魔というのは、その主の魔力に左右されるものだが、ヤツは少し違うらしい。
ほら、俊樹の妹の持っていたポプリ……あれについていた灰を『魔界』で調べてもらったんだ。それで判ったことなんだが、あいつは元々は樹齢何千年の神木だったらしい。それが焼け落ちて灰となったもの――これがヤツの正体だ。長い年月がたったものには魔力が宿る、って言うが、多分精霊も住んでたんだろうな。だからこそ、あれだけの力がある――」
そこで悠はいったん言葉をきる。そしてキッパリと断言した。
「元の素材が良すぎなんだ」
「だからあんなに美形なのね」
間髪いれず、真剣につぶやく由乃。
「ソレは違うんじゃあ……」
あくまで、ツッコミは忘れない俊樹であった。
ちょっと用事があるから、と言って悠は階下へ降り、部屋には由乃と俊樹が残された。
「……いただきます」
律義に手を合わせてから、用意された食事をとる由乃。しかし、実際のところ見ただけでオナカがいっぱいになったため、あまり欲しくなかった。かといって食べないワケにもいかない。
できるだけ早く、この傷を治さないと――
「……あのオバサンがいつ来るか、判んないからね……」
「何か言ったか?」
「ううん。あ、俊樹。あんたも食べる?」
「いや、オレはいい。家で食ってきたから」
「そっか」
「あぁ」
「…………」
「…………」
微妙な間が空いた。
「………何?」
と、カラアゲを口に運びながら由乃が言った。
「え?」
「だから、何なの? わたしの髪とか、そんなに珍しい?」
「あ、いや……」
透けるようなプラチナブロンドの髪、アメシストの瞳。
珍しくないワケがない。
そう、この左眼と同じように―――
「でも、もう慣れたケドね。みんな、物珍しそうにじろじろじろじろわたしのこと見て。もう……慣れちゃった」
歌うようにささやく由乃。
「みんな、わたしを見て口をそろえてこう言うの。『あの子は変わっている。だから近づかない方がいい』……わたしと同じ、魔法士ですらそう言うの。―――望んでこの姿で産まれてきたワケじゃないのに……」
最後の言葉は吐息と混じり、俊樹に聞こえたかは定かではない。
しかし、由乃の気持ちは痛いほど理解できた。
由乃もまた、俊樹と同じく迫害を受けてきたのだろう。
ただ他の人と違う、たったそれだけの理由で……。
全てを見透かす由乃の薄紫の瞳。
その瞳には今、怒りとも嘲笑ともつかない光が宿っている。
そんな由乃を見ていられなくて、俊樹は視線をそらす。そこには先日由乃が見ていた魔法書があった。
それを手に取り、由乃につきつける。
「……何よ」
いぶかしがる由乃。
「―――教えろよ」
俊樹の頭の中で、由乃と出会ってからの三ヶ月半が走馬灯のように駆け抜けていく。
思い返してみれば、俊樹は由乃のことを何も知らなかった。
魔法のこと、魔法屋のこと……由乃自身のこと。
そして、昨日の魔法使いとの対決で、自分の無力さを痛いほど思い知らされた。
だからこそ、オレは――
まっすぐ由乃の瞳を見つめ、俊樹は聞いた。
「お前、一体何したいんだよ? なんで、こんな目に遭ってまで、魔法使いって奴にかまうんだ?」
思いのほか真面目な言葉に、今度は由乃が視線をそらした。
事の本質を突く質問。
いつのまに、こんなに鋭くなったのだろう。
このままじゃいけない――そう思い、魔法書を奪い取り、冷たくあしらう。
「――そんなこと、俊樹には関係ないでしょ」
「……関係ない? そんなの、今さらだろ? 第一、お前が巻きこんだんじゃないか。魔法も、魔法屋も、何も知らなかったオレをな」
――そう、そして今も何も知らない。
「それにお前、昨日言っただろ。『これからはちゃんと言うね』って」
「それはそれ、コレはコレよ。また今度ね」
さらりと言う由乃。
「……なんだよそれ。また今度また今度、って、いつが『今度』なんだよ? オレはどれだけ待てばいい? また一人で何もかもやる気かよ!?」
そしてまた、一人で何もかも背負いこむのだろうか。
由乃は強い。『魔法』が使え、誰からも好かれる性格、完璧なまでに整った容姿。
しかし、それは表面的なものに過ぎないことに俊樹は気づいていた。
誰も傷つけたくない――これ以上傷つきたくないから、ここまで完璧なものを造りあげてきたのではないのか。
本当は……誰よりも傷つきやすい、臆病なただの女の子ではないのだろうか。
「――そうよ。だからもう、これ以上俊樹は関わらないで」
顔を上げ、視線を俊樹に向ける。
感情の見えない声音で、淡々と由乃は吐き捨てた。
「―――部外者は、邪魔なだけなの」
「なっ―――」
冗談だろ? という言葉は声にならなかった。
由乃は、こんなタチの悪い冗談を言わない――そう、判っているからだ。
判っているからこそ、怒りよりも何よりも、『部外者』という言葉がショックだった。
そんな俊樹に追い打ちをかけるかのごとく、由乃は平然と言い放った。
「判ったんなら、出てってくんない?」
はしを持つ手が微妙に震えているのは、きっと気のせいなのだろう。
小龍包を口に運ぶ由乃からは、何の感情もうかがえなかった。
拳を握り、俊樹は唇の端をかむ。
「―――勝手にしろ」
言い捨てて、俊樹はバタンと扉を閉めた。
悠にあいさつもせず、魔法工房を後にする。
一度だけ、俊樹は後ろを振り返った。
残酷なまでに澄みきった青空の下、小さく小さくつぶやく。
「―――…………じゃあな」
俊樹はもう二度と振り返らなかった。